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5

授業が終わったお昼休み、カルミアは食堂に行こうと外廊下を歩いていた。

今日はあまり晴れておらず雲行きが怪しい。

そのうち雨が降りそうだなと空を見ていると、脚に何やら小さいものが当たった。

当たった、というよりは擦り寄ってきた、という表現の方が正しいのだろうか。

何処からともなく現れた黒猫は執拗にカルミアの脚にスリスリと頬擦りをしている。

持ち上げて見ると、黒猫は「にゃあ」と鳴いた。

「こんなところに猫がいるとは……。おまえ、何処から入ってきたんだ? 」

「にゃあぁ〜」

そんな猫に小さくため息を吐き、どうしようかと思った、その時だった。

「いい加減になさい! 」

怒ったような、甲高い女の声が聞こえてきた。

何事だと声のした方に向かってみると、花が沢山咲いている花壇脇で、複数の女性が1人の少女を囲って何やら言い合っているようだった。

「ミア……様? 一体何を……」

怯えたように少女が言うと、ミアと呼ばれた女性は険しい顔つきで少女に近づいた。

「とぼけるのもいい加減にしなさいと言っているのよ! あなたがヤナギ様に何かしたんでしょう!? 」

「ハ、ハラン様ですか? 私は何も……」

「嘘を仰い! それなら、何故ヤナギ様はあんなふうに……あんな、以前のヤナギ様とは別人のようになっているのですか!? 」

「そんなっ! 私に言われても困ります」

「あなたを虐める提案をしても、まだその時ではありません、もう少し待ってからにしましょうだの、普通に虐めたらアルストロ様を傷つけてしまうから先に日取りを伝えておきましょうだの……まるで、何か任務を遂行しているかのように……。そう! そうよ! あなたのことだって、以前はメリア・アルストロと呼び捨てだったのに、何故かアルストロ様に! 何故か、様付けに! 」

「そ、そんなぁ。私だってわかりませんよぉ……」

ヤナギ、という名につい聞き耳を立ててしまった。

ヤナギが以前とは全く違う性格になってしまったとのことらしい。

確かに、それはカルミアも同じようなことを思ったことはあるが、それでもヤナギはヤナギ。今は今だ。

たとえ性格が少し変わったところで、別に困るようなことじゃない。

寧ろ、悪かった性格から善人の方へと転換してくれたのだから良い変化だったと言える。

だが、ミアにはそれが気に入らなかったようだ。

「あの、もういいですか? 私そろそろ……」

そそくさと立ち去ろうとする少女に、ミアが手を伸ばす。

掴まれた右腕には何やら銀色の皿のような物を持っており、反動で少しだけ白い何かが零れた。

「……先程から思っていたのですけど、何よその液体」

「これですか? 牛乳です」

「牛乳? 何のために? 」

「あ、えと。猫がこの辺りにいるんですけど、いつも私がお世話してて。牛乳上げてるんです。食堂の人がくれて……」

言い終わらないうちに、ミアが牛乳の入っている銀皿をパシリと落とした。

ピシャッと白い液体が少女の服にかかり、ぽたぽたと滴が服から零れる。

「……何を」

「くだらない。野良猫なのでしょう? 汚らわしいったらないわ」

冷ややかな目を浴びせるミアに、少女は何も言わずに下を向く。

静かに肩を揺らし、今にも泣き出しそうだ。

いつもなら、自分には関係ないと、黙ってそのままどこかへ行ってしまうだろう。

だが、ここまで見せられてしまえばさすがに見て見ぬふりはできなかった。

そんなの、あまりにもこの少女が可哀想だ。

ほんの少しの同情心を持って、カルミアは前へと進みでる。

「何をしているんだ? 」

後ろから声をかけると、ミアが驚いた形相で振り返る。

「カ、カルミア様……。違うんですのよ? これは……」

「違う? 何が違うんだ? 」

「あ、えぇと……。この牛乳は、さっきメリアさんが落としてしまって……」

少女の名前はメリアというらしい。

メリアが間違えて落としたとミアは主張するつもりらしいが、その見苦しさにカルミアは哀れな瞳をミアに向ける。

ここは正直に白状すれば見逃してやるというのに、馬鹿はそれができないらしい。

「悪いがミア、俺はどうやって牛乳がメリアの服にかかったのか、見ていた。そのくだりだけじゃない。全てとまではいかないが、だいたいは見ていた。それでも尚、おまえはメリアが牛乳を落としたと、そう言うのか? 」

これが最後のチャンスだ。

もしここでまた嘘を吐くのならば、カルミアだって容赦しない。

鋭い視線でミアを睨むと、ミアは「ひっ! 」と萎縮するように肩を縮こまらせた。

「も、申し訳ございませんでしたぁ! 」

さすがにそこまで馬鹿ではなかったらしく、ミアと周りにいた女性達は素直に謝ると一目散にその場から駆けて行った。

全く、何故あんなふうに1人を追い詰めるのか理解できない。

何も得なんてないはずなのに、いや寧ろ自分の評価を下げるという点で損しかないはずなのに、何故か女性という生き物はあんなことを執拗に繰り返す。

もっと自分のためになるような、有意義な時間を過ごせばいいのに。

「これ、おまえの猫だろう? 」

俯いていた顔を上げじっとこちらを見つめるメリアに黒猫を差し出す。

「ゴマ!? あ、ありがとうございます! 」

「いや、見かけただけだからな。じゃあ、俺はこれで……」

長居をする気はないため立ち去ろうとすると、メリアが「待ってください! 」と引き止めてきた。

「なんだ? 俺に何か用か」

「いえ、用はないんですけど、その……ありがとうございました! 」

「礼ならさっきもらった。もういらん」

「あ、ええと……。さっきのはゴマの方で、今のは、その……助けてもらったから……」

「別に。助けたつもりはない。ただ見苦しかったからだ」

「でも、私は助かったので」

そう言って「えへへ」と笑うメリアの服を、ゴマがぺろぺろと舐めていた。

牛乳で濡れてしまった服を舐めるゴマを引き離しながら、メリアは改めてどうしようかと悩む様子を見せる。

「とりあえず、一旦寮に帰らないと……」

あんなことをされた後だというのに、メリアはケロリとしていた。

「大丈夫なのか? 」

「ふぇ? 何がですか? 」

「服が……」

「ああ。大丈夫ですよ。確かに少し濡れちゃいましたけど、でもこんなの、洗濯すれば大したことないので。心配しないでください」

「そうか。じゃあ早く寮に戻れ」

「あ、そうですね。あの、本当にありがとうございました! 」

メリアはぺこりと頭を下げ、寮の方へと走り出した。

笑顔で「大丈夫ですよ」と言ったメリアを思い出し、強い子だなと関心する。

普通、あんなふうに詰め寄られたら傷ついたり、泣き出してしまってもおかしくないというのに。

残されたゴマが、再度カルミアの脚に擦り寄ってきた。

牛乳が飲めなかったところを見るに、お腹が空いているのだろう。

しかし、生憎カルミアは何も持っていない。

寧ろ自分がお昼を食べに行こうと食堂に向かっていた途中だったのだ。

「にゃあ」

「いや、そんなふうに鳴かれても……」

どうしたものかと頭を悩ませると、前方から女の人が歩いてきた。

少し太った、30代くらいの女性。

この花壇を世話している人なのか、肩に土の入った大きな袋を乗せていた。

「あらロジック様。こんにちは」

「こんにちは」

挨拶をして、重そうな土を持とうと手を差し出すと用務員さんは「大丈夫よ」と言って花壇の傍にそれを下ろした。

「あらゴマちゃんじゃない。今日はメリアちゃんはどうしたの? 」

「ゴマを知っているんですか? 」

「ええ。メリアちゃんが、いっつもここで牛乳を上げているから。今日はどうしたの? 」

「にゃあぁ」

「お腹が空いているの? あ、私ビスケット持ってるから、それ食べる? 」

そう言って用務員さんは自身の服のポケットから1つの袋を取り出した。

中にはビスケットが1枚入っており、ゴマがそれを目にして目を輝かせている。

ビスケットを置くとゴマはサクサクと音を立てて食べ始めた。

「かわいいわねぇ」

まるで子供でも見るかのような目でゴマを見つめる用務員さんにつられて、カルミアもゴマを見る。

ゴマは一瞬でビスケットを食べ終えると走って草むらの中へと消えてしまった。

食べるだけ食べて、お礼も言わずに去っていくとは。

「いつもあんななのよ。食べ物を貰う時以外は、人に懐いたりしないの」

何ともずるい猫である。

用務員さんがゴマの駆けて行った方向を名残惜しそうに見つめる中、カルミアの視線は自然と花壇の方へと移っていく。

そこにはピンクや黄色、白など色とりどりのコスモスが花を咲かせていた。

「綺麗、ですね……」

「あら本当? 最近ちょっとシワが出てきて気にしてたんだけど……」

「このコスモス」

「あ、そっち」

風に揺れるコスモスを何となく眺めていると、用務員さんは笑顔でコスモスの傍に腰を下ろした。

「綺麗でしょう? 知ってる? コスモスの花言葉」

「いえ。花言葉には、あまり詳しくなく……」

「美麗、よ」

「はぁ……」

美麗、その言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだ相手が1人。

黒髪で、赤いリボンを左右につけた、まっすぐな姿勢と優雅な動作で見る人全てを惹き付けるような、そんな存在━━━━━

「まるで、私のようね! 」

「……そうですね」

「あ! 今絶対それは違うって思ったでしょ? お姉さん分かっちゃうんだから! 」

用務員さんの冗談を軽く聞き流しながら、カルミアはコスモスをじっと見る。

小さくて可愛らしい花は、先程会ったメリアを連想させた。

外見はメリアで、中身はヤナギか。

思えば、随分と対照的な2人である。

「それじゃあ私はお仕事に戻るから」

「あ、はい」

引き止めてしまっていたのかと少し申し訳なく思っていると、用務員さんは最後に笑顔でカルミアを見た。

「ロジック様はとても真面目だって、皆言ってるわ。でも、色恋沙汰でも真面目にいっちゃ駄目よ? そういうことは、もっと積極的にぐいぐいいかないと実りにくいんだから」

「……? 色恋沙汰って……」

「さっき私が美麗って言った時、誰かを思い浮かべたでしょ? 」

図星だったことに少し驚き、顔がほんのり赤くなった。

「別にっ、好きとかそういうのではなく……」

「あらそうなの? 顔は真っ赤だけど」

「っ……! これは……」

「ふふっ、まぁいいわ。それじゃあね」

余計なことを言って去っていく用務員さんを見ながら、カルミアも食堂に向かおうと花壇から離れる。

花言葉のせいで、何だか余計なお節介まで焼かれてしまった。

「……花言葉、か」

足を止め、花壇の方を振り返る。

花壇にはコスモスだけじゃなく、その他にもさまざまな花が咲いていた。

「あ……」

読書発表会の本が、決まった。

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