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それから、ヤナギはセルフの秘密の場所へ度々来るようになった。
まぁヤナギが来るようになってからは、もう秘密の場所ではなくなってしまったのだが。
「今日は遅かったな」
「本日は、授業がございましたので」
セルフは、ヤナギがここに来ることを自然と容認していた。
ここで、ヤナギと一緒にお話をしたり、剣の練習を見てもらったり、ずっと一人でここで練習をしていたセルフにとって、ヤナギがいるだけで毎日キツかった練習も、少しは楽しくなったと感じていた。
だが、入団試験まで後三日。
ヤナギがブレイブの面倒を見るのも、同時に後三日だ。
元々風邪で寝込んでいたブレイブの体調を心配したアイビーが、監視役としてヤナギをおいたのだ。
三日経てば、ヤナギはもうお役御免。
もう、ここには来なくなる。
「……なぁ」
「なんでしょうか」
「ヤナギは、もうここには、来ないのか……? 」
分かっている。
もう、ここには来ない。聞いたところで、返事なんて分かっていた。
それでも、別の答えを期待してしまう。
「来ます」
「……え」
「明日も来ます」
明日。明日来たら、後二日。
「いや、そういうことじゃなくて……」
気まずそうに目を逸らす。
ずっと、ヤナギにここにいてほしいのに。
「ヤナギ、俺は……」
「わああああああああああああ!! 」
「え……? 」
と、セルフが全てを言い切る前に、誰かが言葉を遮った。
ヤナギの声ではない。
もっと高い、聞き覚えのない声。
「アルストロ様……? 」
知り合いなのか、ヤナギが奇声を上げた少女を見てそう言った。
アルストロ、と呼ばれた少女は、養成所の周りに囲まれている堀から急に身を乗り出したと思ったら、尻もちをついて倒れたのか痛そうに自身のお尻を抑えていた。
この堀は隣のヒーストリア学園とここ養成所の境目みたいなもので、高さはせいぜい1.5mほど。
そんなに高いわけでもないが、少女が登るとなるとそれなりに難しい。
「お、おい、大丈夫か……うわっ! 」
少女を助けようと手を伸ばすと、突如視界が黒く染まった。
一瞬パニックになるも、黒色の中に若干ピンク色の丸いものが三つ、いや四つほど見えた。
「いっ……」
セルフにしがみついた黒い物体が離れると、セルフは直撃した目を手で覆う。
あれは一体何だったのかと痛む目を抑えながらもう片方の左目でそれを追う。
「……猫? 」
「あっ、待って、ゴマ! 」
少女が呼んだ「ゴマ」というのは、猫の名前なのだろう。
先程セルフの目に直撃したものは、ゴマの肉球だったらしい。
ゴマは身軽な動きで草むらをかき分けて進んでいく。
「ゴマ! 」
必死にゴマに向かって手を伸ばすアルストロの前で、セルフは走っていくゴマをひょいと抱き上げた。
「おいこら。暴れんな」
腕の中でジタバタと手足を動かすゴマをアルストロがポカンと見つめた。
「すごい……。ゴマに懐かれてる人、初めて見た……」
これは懐かれているようには見えないのだが。
「おい、この猫おまえのか? 」
「あ、はい。ありがとうございました」
ゴマをアルストロの方へ渡すと、ゴマは先程よりも更に動きを大きくさせて暴れ出す。
「にゃぁぁぁぁぁぁぁ!! 」
「わぁ! 危ないよゴマ! 」
肉球でアルストロの額をペシペシと叩くゴマを何となく眺めていると、ゴマを抱き上げたアルストロは立ち上がってペコンと頭を下げてくる。
「あの、ゴマをありがとうございました! 」
「ああ。いや、別にいいけど……。何で、ゴマ? 」
ずっと気になっていたことを聞くと、アルストロはにっこりと笑った。
「黒いからゴマちゃん! 」
「メスなのか? 」
「それは、分からないんですけど……。最近学園でよく見かけてて、お昼にご飯とかあげてたんです。今日も放課後ゴマを見に行って、いつもは中々触らせてくれないから、隙を見て今日は抱きしめてみよう! と思ったら、逃げられてしまってこんなところまで……」
わざわざ堀をよじ登ってまで……。
「すみません、あはは……。あ、私メリア・アルストロっていいます! えっと……」
「俺はセルフ・ネメシアだ」
「セルフ様、ですね? 宜しくお願いします! 」
メリアが右手を差し出してくる。
「よ、よろしく」
その手をとると、笑みがますます深くなった。
「って、ああ! 私そろそろ戻らないと! 」
メリアが大きな声を上げてあたふたしだす。
「用事か? 」
「あ、えと、先生に頼まれごとしてて……。私、授業中寝てたら怒られてしまって、罰としてお手伝いしなくちゃいけないんです。それでは、セルフ様さようなら! あ、ハラン様も……って、わぁ!? 」
話の途中を見計らってか、ゴマが素早くメリアの腕の中から抜け出す。
「待って……」
手を伸ばすも届くことはなく、ゴマはそのまま先程超えた堀をまた登って、養成所の外、学園内に入って行ってしまった。
「あああ! ゴマァァァァァ! 」
メリアは半分涙目になりながらゴマを追いかけるべく堀をよじ登ろうと手をかける。
止める間もなくメリアは堀を登って養成所の敷地内から出ると、そこらじゅうに響き渡る程の大声で「ゴマァァァァ! 待って……へぶしっ! 」
とゴマを追いかけて行った。
変な奇声を上げたのは、転んでしまったのだろうか。
「なんか、明るい奴だったな……」
そそっかしいというか、ころころ表情が変わって、ヤナギとはまるで対照的だ。
「アルストロ様は、いつもあんな感じです」
「人生楽しそうだな……」
まだ一度しか会っていないがわかる。
これまでも、そしてこれからも人生を謳歌していきそうな少女である。
しばらくメリアが去って行った堀の方を見つめていると、ヤナギが立ち上がる音がした。
草を踏む、サクサクという心地良い音が聞こえてくる。
「では、私はこれで」
「え、あ」
もうそろそろ、稽古が終わる時間だ。
あの日、ブレイブに一人にさせてくれと頼んだ日から、何となく練習には行きづらくなってしまいこうしてここで一人で練習している。
ランニングは皆とやっているが、それ以外のことは全て個人でやっていた。
もう、帰ってしまうのか。
これでまた、一緒にいられる時間が減ってしまう。
そんなのは嫌だと手を伸ばしかけるも、迷惑かもしれないと思い、踏みとどまってしまう自分がいた。
それでも何か言おうと、焦りながら口を開く。
「ヤナギ、あの……えっと、その……」
だが、何を言っていいのか分からず、口ごもってしまった。
「また、来ても宜しいでしょうか? 」
さ迷わせていた視線をヤナギに向けると、ヤナギは歩き出していた足を止め、こちらを振り返っていた。
じっと目を見つめられる。
「あ、ああ。もちろん……」
「ありがとうございます」
ぺこりと一礼して、ヤナギは最後にこう言った。
「また来ます」
その一言が、これから先も、ずっと続いてくれればいいのに。
「ああ」
こんな思いを断ち切るようにそう言って、ヤナギを見送った。
歩き出すヤナギを、セルフは眺めていることしかできずに、歯がゆい想いばかりが募っていった。




