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ミアに対する「虐め」は、段々と過激になっていった。
「あら、ごめんなさい。存在に気がつかなかったもので」
そんなに狭くもない廊下で、わざとぶつかってきたり。
「本当、この学園の品が疑われますわ。誰かさんの所為で」
教室の真ん中で、絶対に耳に入るであろう大きな声でそう言ったり。
「ヤナギ様、私達と一緒に行きませんか? 」
移動教室の際には、ミアに声をかけられるより先にヤナギを誘ってくる人達まで現れだした。
ミアは、いつも一人ぼっち。
お昼休みも教室に残ってご飯も食べずにボーッとしているし、授業中も先生に指名されたら小さな声でしか答えない。
人の笑い声にはいちいち肩を震わせて敏感に反応するし、時偶に、幽霊にでも会ったかのような青白い顔をして怯えていることもあった。
「ヤナギちゃん、一緒にお昼食べよー」
バスケットを手に持ったメリアが、そう言った。
お昼休みが始まったばかりのこの時間帯は、友人達と連れ添って食堂に向かう人の群れや、1つの机周りに集まって談笑する同性同士のグループが目立つ。
大きな声で盛大に笑っている男性や、上品に高い声で笑っている女性を流し見しながら、ヤナギは持っていた法学の教科書を机の上に置いた。
「ええ。けれど、今日は天気があまり良くないから、外は無理そうね」
「だったら生徒会室行こうよ! あそこ、テーブルも大きいし、もしかしたら皆揃ってるかもしれないし! 」
「けれど、生徒会役員でもない私達が行って、迷惑にならないかしら」
「大丈夫だよ〜。迷惑なら迷惑だって、カルミア様ならハッキリ言うだろうし、その時はその時! さぁ、しゅっぱーつ! 」
カルミアが生徒会長になってから、こういった事が増えた気がする。
用もないのに生徒会室に入り浸ったり昼食を食べたりと、その度に何だか申し訳ない気持ちに駆られるのだが、カルミアから迷惑だと言われたことは1度もない。
初めは「何か用事か? 」と聞かれていたが、今では「なんだ、メリアとヤナギか」と出入りが当たり前のようになっているくらいだ。
だから今日も恐らく大丈夫、なのだろうか。
「分かったわ。その代わり、迷惑だと言われたら直ぐにでも退出するわよ」
「はーい! 」
「あの……」
元気の良い返事に被せるように言ったのは、ミアだった。
決して控えめな態度、というわけではなく、どちらかというと強気な目でヤナギとメリアを見ていた。
「じゃあヤナギちゃん、私は先に行ってるね」
特に何を言ったわけでもないのに、メリアはさっきまでのテンションとは程遠い低い声でそう言うと、さっさと教室から出ていってしまった。
けれどそれは、仕方の無いことだ。
メリアがミアを避ける理由は、ヤナギだってよく知っている。
「ミア様、何か御用ですか? 」
「ヤナギ様、私とご一緒に、昼食を召し上がりませんこと? 本日は食堂で季節限定のメニューが出されているとの情報をお聞きしまして、ぜひともヤナギ様とご一緒したいと……」
「申し訳ございません。先に、メリアと約束をしてしまっているので。またの機会にお願いします」
ヤナギ達と一緒に生徒会室で食べる、という選択肢もあったものの、メリアへの配慮としてそれは無かったことにした。
「メリア……ね。あの子、まだヤナギ様に付き纏っているのですか」
まるでヤナギがメリアを拒んでいるとでも言いたげな物言いに、眉を寄せる。
「ミア様? 」
「本当に可哀想な子。まだヤナギ様以外のお友達がいらっしゃらないのでしょう? だからアイビー様やカルミア様にまでまとわりついて。汚らわしい」
最近の青白い顔は嘘のように消え去っていて、そこにはいつものミアがいる。
いつもの、誰かを見下して、悪口を撒いているミアがいる。
「ヤナギ様もあの子の世話ばかりしてお疲れでしょう? ですから、偶にはミアとお昼なんてどうでしょう? 」
「……さっき、断ったはずですが」
「まぁそう言わず。それとも、ご一緒にお遊びになりますか? そうですわね、メリア・アルストロに水をかけてびしょ濡れにする、なんてのはいかがでしょう? バケツに沢山の水を汲んで、一気に浴びせるのですわ」
「ミア様」
「どうですヤナギ様? もう一度前のように、メリア・アルストロを虐めませんか? 」
「ミア様」
「はい? 何でしょう? 」
楽しそうに話すミアを、ヤナギはぴしゃりと拒絶した。
「申し訳ございません。もうそろそろ。待たせすぎると、悪いので」
「……そうですか」
面白くなさそうに、頬を膨らませてミアは言う。
メリアなら幾らでも待ってくれそうだが、ヤナギがミアと一緒にいたくなかった。
「……風の噂で聞いたのですが、今ミア様は、侯爵令嬢ではないようですね」
教室から廊下へと足を踏み出す寸前で、振り向かずにそう言った。
後ろから、「え? 」と困惑したミアの声がする。
「あくまで人から聞いたことなので100%信用はしていませんが、念の為聞いておきます。咎められたのですか? お父様に」
お父様、というのはミアのお父様、という意味だ。
咎められた、というのは……。
「春休み中に、メリアの悪評を広めていたことがお父様の耳に入ったと、お聞きしました。本当なのですか? 」
「……」
ミアは、何も答えない。
「無言は肯定と取りますが、宜しいのですか? 」
「……」
「私からも、言わせていただきます。私が言える立場でないことは分かっていますが、メリアの友人として言わせていただきます。これ以上、メリアを悪く言わないでください。お願いです」
「……」
何か言って欲しいのに、何も言ってはくれない。
ヤナギの言葉を聞いているのかも分からないが、独り言のように呟かさせてもらうことにする。
「メリアは私の、大切な友人なので」
傷つけたら、許さない。
そう言って、教室を出た。
「何よっ……! 」
ヤナギが出ていったばかりの扉を、ダンッと強く叩くと、音に反応した生徒の視線がミアに集中する。
その視線にまた居心地が悪くなり、もうここにいたくないとばかりにミアも教室を後にした。
ヤナギの後を追うつもりはない。ミアが向かった先は、階段を上がって4階にある1番奥の薄暗い部屋。
教科準備室となっているその部屋には、昔使っていたのであろう各教科ごとの教材や、古びて黄ばんでいる教科書やプリント類等が大量に積まれている。
長机の上に淑女らしからぬ態度でどかりと座って、白い壁を睨みつける。
届く距離にあった大きな古時計を足で力いっぱい蹴って、少しでもイライラを解消させる。
虐められるようになってから時々、ミアはこの教科準備室に入り浸るようになっていた。
普段人が来ないこの気味の悪い部屋は、すっかりミアの巣だ。こんな所しか、ミアに居場所は残されていない。
「それもこれも全て、あの2人のせいですわ……」
あの2人、こうして恨むまでは何の接点もなかったはずの、アザミ・ミドルとカンナ・フローだ。
「あの2人が、先生方に言いつけたから……! 」
ミア・ノーマスが自分より爵位が弱い立場の者を虐めている。そんな噂が流れ出したのは、春休みが始まってまだ間もない頃のことだった。
意気揚々と実家に帰ったミアに、父からは冷たい目を、母からは蔑むような目を向けられた。
姉は、ミアが帰ってくるなり逃げるように自室へと駆け込んで……。
父の部屋に珍しく呼ばれたと思ったら、説教だ。
同じクラスの令嬢達が、ミアはいじめっ子であると供述していると。
弱い者を見下し、虐めていると。
証拠であろう書類まで持っていて、言い逃れなんてできない状況にまで追いやられて。
父が下した処罰は、夏休み明けまでの身分剥奪。
本格的な虐めを行っていたのが1年生の頃で、それ以降は悪口だけに留めていたのだが、それでも父の怒りは絶大なものだったらしい。
おかげでミアは侯爵から降格、今ではただの平民と成り果てている。
まさか、あの忌々しいメリア・アルストロと同じ身分になってしまうとは、恥さらしも良いところである。
「そうよ。全てはあの、メリア・アルストロのせい……! 」
あいつがいなければ、ミアもこんな目にあわずにすんでいたというのに。
本当に忌々しい。今すぐ消し去ってしまいたい。
「ヤナギ様もヤナギ様ですわ! どうしてあんな子を庇ったりするんですの……? 」
ヤナギはずっと、ミアの友達だったのに。
ずっと一緒になって、メリアを虐めていたはずなのに。
もう2年も前のことになるというのに、怒りがふつふつと湧いてきた。
何故、ミアだけこんな目にあわなくてはいけないのだろう。ヤナギだって、同じ目にあうべきではないか?
ずっと、自分より高い身分、強い人の傍に付いて生きてきた。そうしていれば、安全でいられたから。
けど今は、ミアの傍には誰もいない。
ヤナギだけでなく、誰も。
「許しませんわ……絶対に、何としてでも、復讐をしてみせますわ! 」
大きな声に振動して、机の上に積まれてあったプリンの束が小さく揺れた。




