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「お兄様……? どうしてここに……」
ただ純粋に驚いているブレイブとは違い、驚きの中に戸惑いをも同時に含んだ不安気な瞳でフィアーはそう呟いた。
後ろに1歩足を後退させ、よろめく。
顔色も何だか悪くなっているようで、気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返している。
「お兄様? フィアー様のお兄様って、もしかして……」
「そう、俺だ」
メリアの問いに答えたのは、珍しく表情を輝かせてフィアーとの再開を喜んでいるブレイブ。
手を軽く挙げて「久しぶりだな、フィアー」と言うと、フィアーは恐怖に怯えていたような瞳から一転、すぐに眉を釣り上げてキリッとした顔に変わっていた。
「お久しぶりですね、お兄様」
「ああ。改めて、久しぶり。それより、今日はどうした? なんで食堂に来てるんだ? 」
「……来ちゃいけませんか? 」
「行けないことはないけど、行く必要がないだろう? 弁当はどうした? 」
「弁当? 」
ブレイブから発せられた単語に、メリアが食いつく。
メリアの反応に、フィアーは困ったように釣り上げていた眉を下げ、分かりやすく焦り始めた。
「べ、弁当なんてそんな、ここは食堂なので、そういった発言はあまり……。そ、それよりお兄様こそ、食堂なんて行く必要ないでしょう? 自分で作ったお弁当があるはずで……」
「ん? あー……、実は今日、弁当を作る時間がなくてな。今朝はいつもより訓練の時間が早かったから」
「……は? 」
「偶に、な。こうして食堂を利用することはある。今日みたいに弁当が作れなかった日とかは、大体食堂で済ませてるし。学園と稽古場が隣同士で、俺も助かっ……」
「嘘」
「え? 」
2人が何について話しているのかは分からないが、これだけは分かる。
フィアーは、怒っていた。
「だってお兄様、今朝も私に弁当を持ってきたじゃないですか! 弁当を作る時間がなかったなんて嘘です! 」
憎悪たっぷりの怒りのオーラを撒き散らしながら、フィアーは怒鳴った。
あまりの大声に食堂内にいた生徒全員が振り返ってしまう程の剣幕だった。
「おいフィアー、皆見てるから……」
ブレイブの静止の声も聞かず、フィアーはそんなこと気にしないとばかりにずんずんブレイブとの距離を詰めていく。
「私が学園に入学してから毎日毎日、自分で届けに来る日もあれば執事さんやメイドさんまで使って届けにきて……! 毎朝毎朝私に弁当を押し付けて……! 昨日なんて、苦手なブロッコリーまで入れて……!! 」
「ブロッコリーは仕方ないだろ。好き嫌いなく食べないと、風邪ひく……」
「問題はそこじゃありません! 」
今まで1番の大きな声に、ブレイブの肩がびくりと揺れる。
よく分からないが急に始まった兄弟喧嘩に、周りもお喋りを一切止めて静かに見守っていた。
「今朝、私の弁当を作る暇があったなら、自分の弁当だって作れたはずでしょう!? 」
「だから、時間がなかったんだよ。時間的に1人分しか作れそうになかったから……」
「ならその1人分の時間を、自分のために費やせば良かったじゃないですか! 」
「そうはいかないだろ。俺は平気だから、フィアーのためにと思って……」
「っ〜! お母様じゃないのですから、もう私1人でも大丈夫ですから、お兄様は私の心配なんてしないでください! 」
「何言ってるんだ。成人したとはいえ、まだ1年生なんだから、分からないこともあるだろう? 何か困った事があるなら手伝うから。だから、な? 」
「馬鹿にしないで! 」
叫ぶような声を出して、そこでやっとフィアーは気づく。
生徒全員の視線が、自分に突き刺さっていることに。
「あ……」
恥ずかしくなってきたのか、熱が頬に集中して顔全体が赤くなっていく。
「もう、構わないで……! 」
それだけ言って、フィアーは下を向いたまま走って食堂を出ていってしまった。
「あ、おい! 」
急いで後を追おうとしたブレイブを、メリアが引き止める。
「メリア? 悪いが今は急用が……」
「何があったのか詳しくは分かりませんが、今ブレイブ様は行くべきではないと思います」
「ですね。私も、メリアと同じ意見です」
ブレイブが追いかけて行ったところで、「着いてこないで! 」と更に怒りに火をつけるだけになるだろう。
ブレイブもそれを理解したのか、困ったように眉尻を下げた。
その表情は何だか、さっき困ったような顔をしていた時のフィアーと、よく似ているような気がした。
「えっと、私とヤナギちゃんで追いかけるので、ブレイブ様は気にしないでください! 」
「悪いな……。世話をかける」
「いえ! 行こ、ヤナギちゃん! 」
「ええ」
ブレイブのことも気にはなったが、今はフィアーを追いかけるのが先だろう。
厨房員の方に軽く事情を説明して、食堂を後にした。
「フィアー様! 」
フィアーがいたのは、学園の門の前だった。
体育座りをして顔を隠してしまっているため、表情を伺うことはできない。
が、呼吸も落ち着いているようだし肩の震えも止まっているため、泣いてはいないように見えてホッとした。
「フィアー様! 何かあったんですか? 急に出ていったから、ブレイブ様も心配してましたよ? あ、もしかして、具合悪いとか……」
「メリア、そんなに一気に聞いても、困らせてしまうだけよ」
心配なのは分かるが、ここはゆっくりと慎重に話を聞くべきだ。
できるだけ刺激しないように、優しく声をかけてみる。
「フィアー様とブレイブ様は、ご兄弟だったのですね」
ヤナギが言うと、フィアーはそっと顔を上げた。
少し目が赤くなっているが、もう泣いてはいないようだ。
「はい……。お兄様は、私のお兄様です。私が幼い頃から、ずっとあんな調子で」
「あんな調子? 」
「ヤナギ様も見たでしょう? ……実は、お兄様は私がこの学園に入学してから毎日、私に昼食であるお弁当を届けてくれるんです」
「ああ! そういえばそんな事言ってたね〜」
メリアがにっこり笑って「良いお兄ちゃんだね〜」と言うと、フィアーは「どこがですか!? 」と大きな声で反論する。
どうやらフィアーにとってブレイブは、良いお兄ちゃんではないらしい。
「手作りのお弁当を、毎日ですよ!? 材料も空いた時間に自分で街まで買いに行ったり、食堂から余った物を貰ったり……時には、両親までもがお兄様の元に野菜や肉を届けるはめ……。しかも、お兄様の部屋にだけ特別に、調理器具を設置してもらってるらしいんですよ!? 私と自分のお弁当を作るために! 」
「それは……凄いですね」
「凄いなんてもんじゃありません! お兄様は、私のことを小さい子供か何かだと思ってるんです! 私だってもう立派な大人! 身の回りのことだって、全部自分でできるのに! 」
「ねぇ、フィアー様」
「なんですか? メリア様」
「フィアー様は、そのお弁当、食べてるの? 」
メリアからの質問に、フィアーは気まずそうな顔をした。
初めて出会った時、フィアーはお腹を空かせていた。出会ったばかりのよく知りもしない誰かに、食べ物を求めてしまうほどに。
それだけで、答えはもう出ている。
「食べてません……。かといって、捨ててもないですよ? 全部、部屋に置いてあります」
フィアーに料理を教えてからもう2週間は経過している。
入学してから毎日弁当を届けてくると言っていたので、2週間前からは既に毎日ブレイブからの弁当を手にしていたことになる。
2週間前から弁当を食べずにずっと部屋に置いているとなれば……。
「腐ってるんじゃ……」
「何がですか? 」
「その、ずっと置いていると言っていた、お弁当です」
「えぇ!? 」
冷蔵庫があれば別だが、そんな物があるはずもない。
それに4月とはいえ偶に夏のように暑い日もあった。
最近はずっと晴れ続きだったし、ほとんどが腐っていたり、傷んでいたりしているに違いない。
「そんな……。私、そんなつもりじゃ……」
「フィアー様は、どうしてブレイブ様のお弁当を食べないんですか? 」
それは、メリアだけじゃなくヤナギの疑問でもあった。
いくら子供扱いされるのが嫌だと言っても、貰っているのなら食べれば良いのに。
「……嫌なんです」
「嫌? 」
何が嫌だというのだろう。
もしかしてだが、ヤナギが思っている以上に、フィアーはブレイブのことが嫌いなのだろうか。
それはもう、兄弟同士の好き嫌いの範疇には、収まりきらないほどに。
「食べたらなんか、負けた気がするんです! 」
何ともしょうもない理由だった。
変な意地を張らずに食べていれば、今頃腐ったお弁当達も晴れやかな気持ちで天国に逝けていただろうに。
「私は、お兄様の世話になりたくない! お弁当なんて必要ないって所を、見せたいんです! いや、見せなくてはいけない! 」
「だから、厨房で料理の練習を? 」
フィアーが無言で、こくりと頷く。
大体の事情は分かったが、フィアーが料理上手になったところで、ブレイブが弁当作りを止めるとは、ヤナギにはどうしても思えなかった。
「それにしても、ブレイブ様にあんな1面があるなんて、知らなかったね」
「そうね……」
そう、そこなのである。
ヤナギの瞳に映っていたこれまでのブレイブといえば、いつも勇ましく、皆のことを引っ張っていくリーダー的な存在で、今日のようなお母さんみたいな雰囲気は全然、微塵も感じてはこなかった。
どちらかというとお父さんのような、威厳あるかっこいいオーラを放っていたように思う。
面倒見がよく周りからも信頼されている事からフィアーに、妹に対する態度を意外だとは思わないが、だ。
「ああいうタイプのお母さんって、子供が自立してもずっと面倒みるんだよね……。大丈夫? 身体壊してない? って、毎日手紙を送ってくるような……」
「そうね。風邪をひいた日にはどんなに遠く離れていても家に来て看病をするし、子供が参加するイベントのような物事には他のどの母親よりも大きな声で我が子を応援するものね」
少なくとも、ヤナギが今まで読んできた小説に登場する母親の性格は、およそ6割がそうだった。
小説に限らずとも、小学校の運動会や参観日等でそういった母親は2、3人いたように思う。
運動会では甲高い声で我が子を応援し、参観日では子供が正解する度に拍手をして写真を撮る。
純粋に自分の子供を愛しているのであろう、周りから見たら微笑ましい母親像である。
子供からしたら、恥ずかしいからやめて欲しいだけなのだろうが。
「ブレイブ様はこの先もずっと、フィアー様のお弁当にブロッコリーを入れ続けると思いますよ」
「えぇ!? そんなの嫌です! 」
嫌なのだろうが、受けて入れてもらうしかない。
それが母親、ブレイブなのである。
「ていうか、ブレイブ様、料理できたんですね」
「はい。お兄様は料理だけでなく、掃除や洗濯、小さい子供を寝かしつけることまで容易です」
何とも素晴らしい女子力。
結婚したら、きっと良いお母さんになるだろう。
「ほぇー……。ブレイブ様って、私より女の子らしいんですね」
メリアがそう言って驚いた様子を見せると、フィアーはクスッと笑った。
その顔は、何故か嬉しそうだった。




