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「ぎゃああああああああああああああ!? 」
隣でシードの絶叫を聞きながら、真下に映る靄を見る。
地面まであと少しかもしれないと恐怖が身体を蝕み始めた時、シードの絶叫より大きなブレイブの声が聞こえた。
「皆! 頭を守る態勢で落ちるぞ! 頭だけは何としてでも守れ! 」
「それ、落ちる前に言ってくださいよぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 」
と言いつつも、すぐさまシードは両手で頭を抱え込み、守りの態勢に入る。
ヤナギもそれに習うようにして、身体を丸めて頭を両手で抑え込む。
地面まで、あと少し―――
ボンッ、と鈍い音がしたと思ったら、背中に何やら柔らかい物が当たった。
当たって、跳ねた。
身体が再び宙に浮き、トランポリンのようにして地面に投げ出され、ゴロゴロと地面を転げ回る。
が、その柔らかい物と地面まではそんなに距離がなかったのか、痛いことは痛かったが想像よりかは遥かにマシな痛みが全身を打った。
「……生きて、るの……? 」
ぼんやりとした視界の中でそんなことを呟くと、隣で「なんとかな……」とアイビーが言った。
「わああああ!? 」
「よっと」
叫びながら落ちてくるメリアを、先に起き上がっていたブレイブがお姫様抱っこで助ける。
セルフも足を震わせてはいたが、ヤナギよりも早くに立ち上がっていた。
さすが騎士と騎士を志す者、こういう状況でも強い。
「し、死ぬ……いや死んだ、絶対死んだ……。ここはきっと、死後の世界……」
「ふ、俺の人生も、ここで終わりか……」
「シードー、カルミアー、死んでないからなー」
顔面蒼白でガチガチと全身が震えているシードとカルミアを、セルフが慰めるように声をかける。
落ち着いた頃にヤナギも立ち上がってみると、ローズもすました顔で立っていた。どうやら皆、無事のようだ。
「それにしても、どうして……。何か柔らかい物が当たった気がしましたが……」
何故無事だったのか疑問に思い辺りを見る。薄ぼんやりとした次縹の空色に、深碧色の草原。木が1本も生えていない、ただっ広い土地。と、ヤナギのすぐ後ろに大きな荷馬車が停車していた。
「これ……俺達が乗ってきた……」
セルフの呟きに、ヤナギも頷いてまじまじと見つめる。
「そうか! この部分に落ちて、ちょうどクッションになって……」
言いながらアイビーが示したのは、馬車の屋根。真っ白な分厚い紙で覆われているところだった。
「そういえばこれ、幌馬車……」
荷馬車でもあり幌馬車でもあるこれが、クッションの役割を果たしてくれたのだろう。
5人同時に落ちても平気なくらいには面積が広いし、トランポリンのように跳ねたことにも納得がいく。
「何故この馬車がこのような所に……」
「詳しくは知らねーけど、こいつのおかげだと俺は思うぜ」
そう言ってセルフが撫でているのは、馬車の主である馬、ビーズの頭だった。
気持ちよさそうにされるがままになっているビーズは、セルフにとても懐いているようだ。
「俺が落ちた先は、こいつの背中の上だったんだ」
「なるほど……。ビーズ様はセルフ様の危機を察知して、急いで私達が落ちるはずだった先の地面まで駆けつけた、ということですか? 」
「多分な。よくやったなービーズ! 」
「よくやったじゃありません! 」
嬉しそうにビーズを褒めちぎるセルフに水を差したのは、仏頂面をしたシードだった。
足を抑えて涙目になっているシードは、そういえば立ち上がる気配を未だに見せない。
「僕、足、折れたんですけど……」
「えぇ!? 」
嘘だろう、と言わんばかりに目を大きく見開いて、ブレイブが急いでシードの元まで駆け寄る。
ズボンを上げ、抑えている足首を見たブレイブだったが、途端に安心したような表情に変わった。
「なんだ、ただの捻挫じゃないか……。まぁ、ひびくらいは入っているかもしれないが」
「ひび!? ちょっと、捻挫とひびを同程度で扱わないでくださいよ! てか、ブレイブ様は何で無傷なんですか!? 」
「普通に着地したからな」
「人間じゃない……」
見たところ、アイビーとヤナギ、カルミアは幌馬車のおかげでかすり傷程度ですんでおり、シードも幌馬車の上に乗りはしたが、地面に着地した時の態勢が悪く足を怪我した、とのことだった。
メリアは普通に着地をしたブレイブに姫抱っこをされたおかげで無事で、セルフもビーズの背中に着地したため無傷。因みに、ローズもブレイブ同様、普通に着地をしたとのことだった。
「そういえば、カルミア様はご無事だったのですね」
「ああ。ブレイブの言いつけ通り頭を守っていたら大丈夫だったんだ。自然と身体も丸まっていて、受身がとれていたらしい。感謝する」
「いや、無事で何よりです」
「僕は無事じゃないんですけど!? 頭守ってたのに怪我したんですけど!? 」
「シード、おまえは騒ぎすぎだ。もう少し冷静になった方がだな……」
ブレイブがシードに説教を始めたところで、遠くから「ブレイブ様ー」と呼ぶ声がした。
説教を中断してそちらを振り返ったブレイブを追うように、ヤナギもそちらに目を向ける。
「ブレイブ様ー! 皆様も、ご無事で何よりですー! 」
「ペトス様? 」
息を切らしながら走ってきたペトスは、馬車を守るようにして凛々しい姿で立っているビーズの背中に手を当てながら、ヤナギの方を見て言った。
「おや? 髪の毛、切ったんですか? 」
「あ、はい。いろいろありまして……」
「そうですか。何より、ご無事で本当に安心しました。ブルーディムの花も、作戦通り燃やせたようですし……と、そちらの方は? 」
ペトスが目をやったのは、何食わぬ顔でペトスを見つめ返しているローズだった。
不思議な顔をして説明を求めるペトスに、ヤナギが冷静に答える。
「ローズ様です」
「なるほどローズ様……ローズ様……? ローズさ……ええ!? 」
ローズ・ロベリア。シャトリック王国の現国王をしており、世界を1つにするという気味の悪い計画を立てていた人物。
初めて会うにしても名前、そして素性くらいは知っているペトスは、すぐに警戒心をむき出しにした。
「貴様がっ、全ての元凶なのかっ……!? なぶり殺しにしてくれるっ!! 」
「ほぉ? この俺とやり合う気か? 面白い……! 」
「ちょっとちょっと、喧嘩はやめてくださいよー! 」
バチバチと火花を散らす2人の間を、メリアが割って入って止める。
「ペトス様には後でちゃんと、事情を説明しますから……」
すると、メリアが言い終わると同時に、ローズが倒れた。
「え、ローズ様……? 」
地面に大の字になって寝転がったローズは、空を見上げたまま動こうとしない。
身体を、ピクリとも動かさない。
ただぼうっとした意識の中で、空を見つめていた。
「ローズ様? どうかしたのですか? 」
声をかけてみるも、ヤナギの方には目をやらない。
「分からん。分からんが、動けん……」
「え……? 」
「ちょっと見せてみてくださいね」
ヤナギを押しのけるようにして、ペトスがローズの顔の前に座る。
肩から腕、腹へと確認を取っていると、太腿の辺りで手を止めた。
「少し、失礼しますね」
シードにした時と同じようにズボンを限界まで上げて確認すると、ローズの太腿からは大量の血が流れていた。
「そんな……。よくこんなので、立っていられましたね……」
「何を言っているヤナギ。俺は騎士だぞ? まだ、まだ立てる……っ! 」
「無理をなさらないでください」
強引に立とうとするローズを引き止めると、不満そうな瞳とぶつかった。
「ふん……。おまえらに助けられるつもりはない。置いていきたかったら置いていくがいい」
「そんなこと言って、1人じゃなんにもできないくせに」
「うるさい、シード・スカシユリ」
息も絶え絶えに、ローズは呂律の回らない舌で何とか喋ろうと喉から声を絞り出す。
「イベリスも死に、仲間も全滅……それに俺もこんな様。無様なものだな……」
手元に何も残っていないかのように、ローズは言う。
仲間が全滅したと、ローズは言う。
「ローズ様」
「なんだ? 」
「これを見てください」
荷馬車の中を、カーテンのような仕切りを開けて見せる。
「……」
それを、ローズは瞳を細めて睨みつけるように見つめた。
「死体の山を見せて、どういうつもりだ……? それで、優位に立ったつもりなのか……? 」
そりゃあ、怒りはするだろう。
馬車の中には、沢山の騎士がロープでぐるぐる巻きにされて山積みになっている。
自分の仲間が大量に殺されている所を敵側から見せられれば、誰だって怒って当然だ。例え、どんな状況であろうとも。
それはまるでローズの決定的な敗北を意味しているように、そう映ったのだろう。
けれど、ローズはある決定的な勘違いをしている。
それは―――
「この方達は、生きています」
「……は? 」
「今はまだ眠っているようですが、死んでなどいません」
ハッキリと、そう告げる。
「……何故、殺さない? 敵なのに、何故……」
「この人達は、自分の意思で動いているようには見えませんでしたから。おそらく、イベリス様の催眠術にかかっていたのでしょう? 」
それに、ローズは無言で頷いた。
「でしたら、意識もないまま生涯を閉じるわけには参りません。この方達の罪は、私達のような者が裁いて良いものではないと、そう判断いたしました」
この騎士達だって、それぞれに人生があって、居場所があって、未来がある。
そんな大切な物を、意識が奪われているなんて理不尽な時に壊して良いはずがない。
それにこの人達は、まだ、誰の未来も奪っていないから。
「……だから、生かしておいたと? 」
「貴方の……人の都合で命を奪うなんてことは、したくありませんでした」
「なるほどな……」
「私達の作戦は、誰も殺さずにこの計画を終わらせること、でした。そして、この作戦は成功しました。殺さずに、ということでしたら、成功しました……」
この作戦上では、ヤナギ達は誰も殺していない。
殺しては、いない。
「……ですが、死なせずに、という意味でしたら、作戦は、失敗しました」
見たくはなかった。
見たくはないけれど、見ずにはいられなかった。
遠く遠く離れた、ヤナギが今いる位置から斜め右方向にある、赤いもの。
濃い緑色の雑草の中では違和感しか感じない、赤い赤い、血。
そういえば彼も、崖から落ちたのだった。
自ら、死を選択したのだった。
死にたいと、そう願った少年だった。
「……申し訳、ございませんっ……! 」
俯いて、目から溢れる水を拭うこともしないまま、誰に言うでもなく謝罪をする。
そんなヤナギを見て、ローズは口角を上げて小さく笑う。
驚く程の穏やかな顔つきで、徐にローズは口を開いた。
「イベリスはずっと、おまえを仲間にしたいと言っていた」
「……え? 」
それは、初めて聞くイベリスの感情だった。
「俺に会う度に、ずっとおまえのことについて話していてな。おまえを路地裏に捨てた後も、何とかしてもう一度仲間として加えられないか、必死に考えていた……」
「……私を、操ろうともしていましたものね」
「ああ。何でかは俺にも分からないが……。あいつは、自分では気がついていないようだったが、おまえのことを好いていたのかもしれないな」
そんなこと、俄には信じ難い。
「体の良い冗談は、止めてください……」
「俺は至って真剣だがな」
「でもっ……! 」
「あんなに誰かのために行動しているイベリスは、初めて見た」
もしかしたら、と有り得ない事が浮かぶ。
「あいつはいつも、口を開けばどうしてどうしてと、うるさいくらいに言っていた。どうして人を助けるの? 自分が1番でいいではないか、誰かのために時間を割くなんて勿体ない。自分で言っていた癖に、あいつはおまえの事となると、他の何よりも一生懸命になっていた。端から見ていた俺が言うのだから、間違いない」
そんなの、ヤナギだって知っている。
「どうして人を助けるのか」「誰かのために時間を割くなんて勿体ない」、それらは確かに、イベリスの口癖のようなものだった。
出会った当初のイベリスは、そんな事ばかり言っていたような気がする。
そんなイベリスが、ヤナギの事では何よりも一生懸命に考えてくれていた?
「……信じられません」
「ふっ。別に、信じろとは言わないさ。信じるか信じないかはおまえ次第だが、俺からの意見として言わせてもらうなら……」
星はもう、消えていた。
三日月が薄らと浮かぶ空を見上げたまま、ローズは言う。
「信じてやった方が、あいつも浮かばれる。俺は、そう思う」
そんなの、ずるい。
そんなことを言われてしまったら、信じなくてはいけなくなってしまう。
そんな都合の良い妄想を、信じなくてはいけないなんて……。
「……あれ? 」
そこから流れた暫しの沈黙を最初に破ったのは、メリアだった。
「火が、消えてる……」
「え……? 」
その言葉に驚いて見ると、ヤナギ達が降ってきた崖の上……山には、もう火は跡形もなく消え去っていた。
代わりに黒黒と漂う黒煙が、山から空へと昇っている。
「どうして……」
「あっ! 」
また、メリアが言う。
「朝日が登るよ! 」
瞳を輝かせて言うメリアに釣られて、ヤナギも空を見た。
空が、明るくなっていく。




