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そこは、国王が泊まるには随分不似合いな小さい宿屋だった。
ベッド、テーブル、椅子等生活必需品はだいたい揃っているが、それだけ。
木製の壁と床に、取って付けたような窓がある。
何処から持ってきたのか、ローズは西洋風のティーカップに紅茶を注いでヤナギの元に置いた。
「よく来たな。ゆっくりしていくといい」
と言われても、門限がある。
去年アイビー達とブルーディムを見に行った時は何時に帰るという旨を詳しく伝えていたので大丈夫だったが、今回は何時に帰って来れるかは分からないため自動的に門限を言い渡されてしまったのだった。
17時までと言われているため、あまりゆっくりはしていられそうにない。
そのため、ヤナギは早々に話を切り出すことにした。
「それで、世界中の人を幸せにする計画……というのは、どのようなものなのでしょうか? 」
あまりにもストレートに聞いたためか、ローズは目をパチクリとさせた後、「ほぅ」と面白そうに笑った。
「なんだ。イベリスから話は聞いていなかったのか? 」
「詳しくは聞かされていません。私は、イベリス様に頼まれた事をしていただけです。情報提供をしたり、特定の人と関わらないようにしたりしていました」
「……それは本当か? 」
「はい」
「……クックク……ふはははははは! ははははははははははは!! 」
何故か大声で笑われてしまった。
何がそんなにおかしかったのか分からずキョトンとしていると、隣で茶菓子を持ってきてくれていたイベリスも同様に笑い声を漏らしていた。
「おまえは、計画の全てを知らずに、我々に協力していたというのか? 特定の人物を無視してまで? 」
「? はい」
「はっははははははははは!! 」
「あの……」
「ん? ああ、すまない。こんなに素直な人間が居ることに驚いてしまってね。それじゃあ、早速伝えるとしよう」
誰にも聞かせないように、身を屈めてローズは言った。
「全ての人を幸せにする計画について、な」
ようやく、全てを聞くことができる。
全ての人を幸せになんて、そんなことが本当にできるのか?
ずっと笑顔で暮らせるなんて、本当に実現できるのか?
そういった疑問も、全てここで解消させることができるのだ。
茶菓子として置かれたピンク色のゼリーを口に運んで咀嚼してから、ローズは口を開いた。
「まずは何から話そうか……。この計画を思いついた、きっかけから話すとしよう。ヤナギは、50年前の戦争については知っているか? 」
「知っています」
「なら話は早い。50年前、我がシャトリック王国とサリファナ王国で協定を結び、グルセア王国と戦争をした。当時のグルセア王国は人身売買が盛んだったから、我が国からも多くの人々が連れ去られたりしたものだ。そういったことに痺れを切らして、同じく多くの人を連れ去られていたサリファナ王国と協力し合うことにした、というわけなのだが……」
協力はできなかった、と。
「2国で攻めても、グルセア王国は勝利を収めた。なんでだと思う? 」
2対1なら、圧倒的有利なのは2の方だ。
それでも1の方が勝ったというのであれば、そちらの方に圧倒的な力があったということしか、ヤナギには考えられないが、きっとそうじゃないのだろう。
ヤナギの想定通り、ローズが言ったのは全く別の解答だった。
「スパイがいたんだ」
「スパイ……ですか? 」
「ああ。サリファナ王国とシャトリック王国、どちらかの国にグルセア王国から派遣されてきたスパイがいたんだ。スパイは我らの情報や戦略を全て自国、グルセア王国に伝え、それ相応の準備を備えてきていたんだ」
手の内は全てお見通しだったということか。それなら、グルセア王国が勝利したのも納得がいく。
「敗北した我々の元に突きつけられたのは、大量の絶望と孤独だった。朝は腐ったように1歩も動かず、昼は水を飲みに少し動くだけ。夜になれば泣き、気がつけば眠っている。そしてまた、朝がくる。その繰り返し。敗北の代償として多くの人、資源、食料が消えた。我々の手には、何も残っていなかった」
それは、メリアの故郷を訪れた際ひまわり畑のおじいさんも言っていたことだった。
戦争なんて虚しいだけだ、と。
「我々の国は、サリファナ王国を恨んだ。サリファナ王国にスパイがいて情報が漏れいたと信じて疑わなかった。そしたらどうだ? 戦争が終結した数年後、サリファナ王国は復興しているではないか! シャトリック王国は絶望の縁を這いずり回っているというのに、サリファナ王国は我々を裏切ったのだ! 」
それは、当時のサリファナ王国の国王がいろいろな根回しをして頑張ったからだと聞いている。
そして国王の根気に元気づけられた国の人達も、一生懸命努力を重ねたからだと。
「不公平とは思わないか? 」
「不公平? 」
「不公平だ! 協力をして、共に敗北した! それなのに、サリファナ王国だけ良い思いをしている!我々は先代が戦争を行ったせいで、今も苦しめられているというのに! 50年前から今でも、街は未だに荒廃しているというのに! こんなの、不平等だろう!? 」
話は分かった。分かったが、そこから何故全ての人を幸せにする計画に繋がるのかが分からない。
サリファナ王国に復讐、とかならまだ分かるが……。
ローズは、そんな、ヤナギの考えを見透かしたように続きを言った。
「だから、1つにすることにしたんだ」
1つ?
「そもそも戦争なんて起こさなければ、そんなことにはならなかったはずだ。では、戦争を消すにはどうすればよいか? 考え抜いた結果、答えを導き出すことができた。世界を、1つにするんだ」
「それは、国境を無くすということですか? 」
「その通り。国境なんて無くして、全てを1つの国としてしまえば良い。そうすれば、国王は自然と1人になる。国王は絶対的な存在だからな。国王が戦争禁止と言えば、戦争なんて起こらない。起こさせやしない。争いなんてない。物資も全て満遍なく供給させる。どうだ? 素晴らしい提案だろう? 」
「因みにですが、国王はいったい誰に? 」
「勿論俺だ。俺が国王になって、絶対的な存在となる。全ての人民は俺の奴隷となり、シャトリック王国のため働いてもらう。働けば金が与えられる。金が与えられれば食料が買える。生きていく上で困らなくなる。世界を俺のものとし、俺のために動いてもらう。戦争なんてない平和な世界。もう誰も、悲しみを背負うことのない世界へと、変貌させる! 」
「それは本当に、悲しみを無くすことができる世界なのですか? 」
「ああ。人々を皆、俺の下僕とさせるのだ! 俺が王になれば、もう何も困ることはない! 恐れることはないのだ! 」
「素晴らしいですローズ様! 僕、一生ついて行きます! 」
イベリスがぱちぱちと拍手をする。
それに手を振って答えながら、ローズは微笑を浮かべた。
「ヤナギも俺の側室に迎え入れるつもりだからな。そうなれば、他の愚民共より高貴な暮らしをさせてやるつもりだ。悪い話ではないだろう? 」
側室? 側室ということは、他にも婚約者がいるということだ。
さっきから、ヤナギが想像していたこととはまるで違う話が展開されているように感じた。
誰も悲しまない世界の計画も、婚約者についてのことも……。
「シャトリック王国のために働けるというのだから、皆もきっと幸せになれるに違いない。だが、この計画に軽々しく乗ってくる奴らなんていないだろう。ま、勝手に世界を1つにして俺が国王になると言っているのだから、納得しない馬鹿がでてくるのも当然と言えば当然だ。そこで、ヤナギには頼みたいことがある」
「なんでしょうか? 」
「そちらの国のヒーストリア学園の生徒を、1箇所に集めてほしい」
茶菓子の苺ゼリーをパクリと口に運びながら、ローズは言った。
「まずはサリファナ王国からだ。俺の国を裏切った所から、まずは計画を遂行させる。ヒーストリア学園に通う生徒方は、高貴族が多いと聞くからな。おまけに成人したとはいえまだまだ我儘なお坊ちゃんお嬢ちゃん。生徒だけでは何もできまい」
「集めて、どうなさるおつもりですか? 」
「人質にとって脅す」
それは、力で屈服させるということだ。
「パーティー、行事、集会、何でもいい。生徒が集まる機会を探って、俺に伝えてくれ。それと、1箇所に集めた場所の戸締りをお願いしたい」
「鍵を掛けておく、ということですか? 」
「そうだ。生徒を集めた場所……大広間辺りになるだろうが、そこにシャトリック王国から騎士を突入させる。ヤナギには、騎士を突入させる手助けをしてほしいんだ」
「手助けというのは、場所の案内等でしょうか? 」「ああ。案内して、ヤナギが扉を開けて騎士を突入させる。騎士全てが入った瞬間、人質が逃げないよう厳重に鍵をかける。その鍵は、どんな手を使ってでもいいから入手しろ」
「分かりました。イベリス様は? 」
「イベリスには、他にやってもらいたいことがあるからな。だが、ヤナギ1人というわけではない。騎士を突入させる時は俺もいるから、心配することは何もない」
「そうですか」
生徒が集まる日時を調べてローズに報告し、騎士を学園に突入させるため鍵の管理をする。
簡単ではないが、これがヤナギの職務だ。やるしかない。
生徒を人質にとって、それから……。
「ヤナギ、君はとても優秀だとイベリスから聞いている。期待しているよ」
期待されている。その期待を、裏切る訳にはいかない。裏切ってはいけない。
必ず、成功させなくては。
「イベリス、あの花の様子はどうだ? 順調か? 」
ヤナギに全ての話を終えたローズが、今度はイベリスに話を振った。
「はい。ジャックに確認させましたところ、今は問題ないとのことです。計画が実行される頃には、咲くと」
「あの花というのは? 」
花の話には敏感なヤナギが反応すると、ローズは少し逡巡した後イベリスに視線を送った。
視線を受け取ったイベリスはこくりと頷き、花についての話を切り出した。
「ブルーディムって、知ってますか? 」
ブルーディムなら知っている。というか、見に行ったくらいだ。
「はい。青く光る、小さな花ですよね? 」
「あ、知ってたんですね。実はあのブルーディムの花なんですけど……」
そこまで言って、イベリスは部屋の扉を開けて誰もいないことを確認してから、ヤナギの耳元で声を潜めて言った。
「あの花、実は毒花なんですよ」




