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31/35

31 月

 その日の夜、アシュリーは応接室でクライドと向かい合ってお茶を飲んだ。お茶うけはもちろん人参クッキーである。

 作ってもらったマントや帽子などを黒狼が口にくわえて持って行ったことを聞き、声をあげて笑った。予想以上に気に入ってくれていたと嬉しくなる。


 そんなアシュリーを見て、クライドも微笑んでお茶を飲む。

 アシュリーはふと思い出し、聞いた。


「公聴会は大丈夫なんですか?」


 黒狼の姿が消えたことについて追及されるのではないか。心配になって見上げると、クライドが頷いた。


「大丈夫だよ。なんとかするから」


 そしてからかうような口調で言う。


「心配してくれてるの?」

「もちろんですよ」


 当たり前じゃないか。心配に決まっている。それにクライドがフェルナンから魔術師長に言わせたこと――いざとなったら全ての咎は自分がかぶる――も、まだ心に引っかかってモヤモヤとしているのだから。


 からかわれるなんて心外で少しムッとして答えると、クライドが目を見張った。そして嬉しそうに笑った。


「そうか」

「そうですよ」


 自分をなんだと思っているのだ。少し口を尖らせると、ますます嬉しそうに笑うクライドに手招きされた。


「……なんですか?」


 渋々近づくと突然体を引き寄せられ、気がつくとアシュリーはクライドの腕の中にいた。動揺し、声を上げる。


「あ、あの……!」

「婚約者だしね」


 それはそうだ。国王に問い詰められていた時にクライドの声が聞こえて泣きたくなるほど安心したことを思い出した。

 最初は恐いだけだったのに不思議だ。クライドの腕の中でおとなしく体を預けていると、大丈夫だと確信したのかクライドはますます強く抱き寄せ、アシュリーの髪に顎をうずめた。


「王妃の謁見室でアシュリーに出会えてよかったよ」


 満ち足りた幸せそうな声が、頭の上から降ってくる。

 アシュリーは不思議な感じがした。布団の中も狭くて暗くて静かで大好きだけれど、ここも同じくらいとても落ち着く。

 そんな自分に驚きもしたけれど、そのままそっと目を閉じた。


 静かな時間が流れる。窓から入ってくる風は少し冷たいが、クライドの腕の中はとても暖かい。


 そして、


「ハンクとジャンヌだけど、黒狼がいなくなったから近いうちに王宮に戻らないといけないんだ」


 そうか。魔獣の世話兼クライドの保護としてサージェント家に派遣されていたのだ。


「寂しくなりますね……」


 黒狼だけでなくハンクとジャンヌともお別れなのだ。せっかく仲良くなれたのに。

 しゅんと肩を落とすアシュリーを元気づけるためか、クライドはまたもからかうような口調で言った。


「貴族令嬢はもっと高飛車でわがままなのかと思ってたよ。やっぱり前世が前世だからアシュリーはちょっと違うのかな」

「……前世は確かにそうでしたけど、今の私は人間です」


 どこからどうみても立派に人間ではないか。不服さを込めた口調で言い返すと、クライドが面白そうな笑みを浮かべた。


「そう? じゃあ令嬢らしく何かわがままでも言ってみせてよ」


 顔を上げると、緑色の目が面白そうに輝いている。少しムッとしたのでクライドの腕から抜け出そうとした。けれどクライドはがっちりと押さえていて逃がしてくれない。


「……放してもらえませんか?」

「嫌だよ。婚約者だしね」


 ますます強く抱きしめてくるのに、髪をなでる手つきは優しい。

 それでも絶対に面白がっているのがわかる。ここはなんとしても令嬢らしい、クライドをあっと言わすわがままを言わなくては。アシュリーは真剣に考えた。


(わがままね。私が今、何かしたいことは――)


 特に思いつかない。サージェント家の人たちはとてもよくしてくれるし、クライドにもたまにこうしてからかってきたりはするけれど普段は優しい。それに慣れることもできた。


 黒狼もちゃんとフルト島へ送れたし、しいて言えばハンクとジャンヌともっと一緒にいたい。でも彼らは魔術師で、王宮でしなければいけないことがあるだろう。それを邪魔はできないし、クライドは王弟だから婚約者のアシュリーはいつでも王宮に行けるのだ。クライドも行きたい時はいつでも連れて行くよ、と言っていたし。


(うーん……)


 他にあるかしら? 眉根を寄せて、さらに真剣に考える。

 そんなアシュリーを見てクライドがますます面白そうに笑っている。


 あとの望みと言われれば、明日の朝食は人参のポタージュがいいなあ、とか、狭い場所が好きだから寝室はもっと小さくてもいいかなあ、とかそういうことしか浮かばない。


(ダメよ。そういうことじゃないわ!)


 困り果ててきょろきょろと辺りを見回す。広いバルコニーへ出る掃き出し窓から、月明かりの下、夜の闇に溶ける木々の黒い影が見えた。静かに風にそよいでいる。


(あれだわ!)


 ついに思いついたアシュリーは、


「じゃ、じゃあ、私に綺麗な景色を見せてちょうだい」


 自分ではいいように言ったつもりだったし、自信があったけれど、どうも違ったようだ。

 途端にクライドが噴き出した。背中を丸め、アシュリーの肩に顔を押しつけながら盛大に笑っている。


「……いいね。アシュリーは最高だよ……それ絶対、窓の外を見て思いついたよね。綺麗な景色って……夜だから暗くて何も見えないし」


 見事なほど見抜かれていた。なぜだろうと遠くを見たが、クライドはまだ笑っている。なんだかモヤモヤしてきたので、再び腕の中から抜け出そうとした。


 今度はあっさりと成功した。やったわ、と心の中で喜んだけれど、それはクライドが手を緩めたからだ。どうして緩めたのか。

 考えようとしたその瞬間、


「承知しました。婚約者殿」


 笑みを浮かべたクライドが、気取った調子で片手を胸の前にして上体を少し前に倒した。不思議に思うアシュリーの首と腰の下に手を差し入れる。そのままグイっと勢いよく持ち上げた。


「ひあっ……!?」


 アシュリーは驚き過ぎて変な声が出た。


(こ、これは俗に言う、お姫様抱っこ!?)


 うろたえているのと恥ずかしいのとで顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。


「下ろして、下ろしてください!」


 必死に訴えるも、


「でも綺麗な景色が見たいんだろう」


 と、ちっとも放してくれない。そのまま半分ほど開いていた掃き出し窓からバルコニーへと出た。


「寒くない?」


 優しく聞かれるけれど、いっぱいいっぱいになっているアシュリーは必死に首を横に振るので精いっぱいである。


「あ、あの、本当に放し――」

「激しく動くと落ちるよ」


 その言葉に、もがいていたアシュリーはピタッと動きを止めた。

 クライドが微笑む。


 吹き抜ける夜風が火照った頬に気持ちいい。

 夜の闇に半分の月が浮かんでいる。空気が乾燥しているせいか、月の輪郭がくっきりとしていた。


 黒狼も同じ月を見ているだろうか。抱かれたままクライドを見上げると、クライドもまた空を仰いで月を眺めていた。

 同じことを考えている。

 嬉しくなったアシュリーはまた夜空を見上げ、一緒に月を眺め続けた。


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