3 サージェント家へ1
「それでは私たちはこれで失礼します」
「お時間をとらせました。この度は誠にご婚約おめでとうございます」
クライドが腰を上げ、事務弁護士も書類の入ったカバンを持って立ち上がった。皆でぞろぞろと玄関ホールまでお見送りをする。
他の者たちが気を遣ってくれたのか、最後尾はアシュリーとクライドの二人になった。
廊下を並んで歩くと、さすがに緊張した。ちらりと隣を見上げると、クライドは小柄なアシュリーより頭一個分、背が高い。きれいな横顔に見とれていると、前を歩く両親たちとどんどん距離が離れていく。クライドは何も言わないが、アシュリーの歩幅に合わせて歩いてくれているのだとわかった。
(優しい人だわ)
幸運に感謝した。
クライドが口を開いた。
「実は事情があって、あまり自分の屋敷を離れられないんだ。だから悪いけど、こちらにはそれほど来られないと思う」
「大丈夫です。私が会いに行きますから!」
嬉しくて即答したが、クライドは人当たりのいい笑顔のまま答えず、話題を変えた。
「楽しいご両親だね」
「そうですね。楽しさならきっとどこにも負けません。サージェント侯爵のご両親は?」
「両親はすでに亡くなったけど、兄弟がいるよ。兄と、弟が二人」
「四人兄弟なんですね。お兄さんは何をされてるんですか?」
「うーん、国王」
「は?」
「婚約したから言うけど、実は俺は現国王の弟なんだ。前国王の次男だよ。本名はクライド・ウォン・トルファ・サージェント」
(え……?)
頭がついていかず、一瞬ぽかんとした。そして全身に鳥肌が立った。王弟という事は直系王族だ。つまりは勇者の子孫。
(ひい――!!)
衝撃で倒れそうだ。地面がぐらぐらする。
トルファの王室は、昔から直系王族の男児の数を公表しない。つまりは国王の息子の人数を、である。
国王に子供ができても女児なら公表するが、王太子である第一王子以外は国民にも諸外国にも公表しない。派閥を作るのを防ぐためや、大昔に偉い占い師に言われたからと色々な噂が飛び交っているが、本当の理由はわからない。
公表されるのは、国王に息子ができないまま崩御した時に弟が、もしくは王太子が何らかの事情で王位を継げないと判断された時に第二王子が、お披露目されるだけだ。
クライドの実兄である、三十代半ばの現トルファ国王には五歳の息子と二歳の娘がいる。生まれた時に国を挙げて祝福した。
だが三人目以降、誕生したのが王女ならまた盛大に祝われるが、王子なら公表されない。だから今、王子が一人だけという確証はないのだ。
だからクライドが王弟だと国民は知らない。知るのはごくわずかな王室関係者だけだ。
(だから間を取り持ったのが王室長官なんだわ)
真っ白になりかけた頭で、ようやく理解した。
「じゃ、じゃあ、クライド様は勇者の子孫なんですね……?」
「そうだね」
「魔王と魔族を倒した……?」
「そうだね」
左胸に痛みを感じた。前世の黒ウサギが、勇者の部下に槍で一突きされた場所だ。あの時の恐怖が足元から立ちのぼってきた。
(何で……)
頭がクラクラする。足が固められたように動けない。
アシュリーは必死に唾を呑み込んだ。奇跡のような幸せが一転して大暴落だ。
(何で――!?)
* * *
ウォルレット家のある国の中心部、王都カタリアの南端から、南部の海沿いにある第二の都トリタンまで、鉄道が開通したばかりである。
もくもくと黒い煙を吐く満員の機関車に揺られ、一泊した後で馬車に乗り込んだ。アシュリーが荷物持ちの使用人たちと一緒に、クライドの住むサージェント家に着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。
本音を言えばものすごく気が乗らない。王宮で助けてもらったのに申し訳ないと思うし、クライドはただの子孫で何の関係もないとわかっているが、本能で勇者に対しての拒否感があるのだ。
いっそ婚約解消したいくらいだが、そんな事を伯爵家から上の侯爵家へ、しかも王族になんて申しだせない。平和な時代だから首が飛ぶ事はないだろうが、それでも確実にアシュリー一家は路頭に迷うだろう。
(ああ……クライド様がこっちに来られないと言った時に、「私が行きますから」とか言わなきゃよかった……)
後悔しかない。その時の言葉を、かなり前を歩いていたはずの地獄耳の母が聞き取っていたのだ。
翌日にはすでにアシュリーの荷物はまとめられていた。
「着きましたよ」
サージェント家は広大な敷地に建つ、白壁にグレーの屋根の大邸宅だった。
裏に林が広がる三階建ての本棟と、通路でつながった別棟。それにレンガ造りの立派な二階建ての厩舎が、放牧場の中と、敷地の奥にそれぞれ一つずつある。
長旅と本来なら不必要だった気疲れとで、アシュリーは疲れ切っていた。
用意してもらったスープだけ飲んで、早々に寝室へ案内してもらった。
だが執事を制止し、アシュリーの革のカバンを持って「こっちだよ」と階段を上り始めたのはクライドだった。
金の髪に濃い緑色の目。教師から聞いた勇者の相貌と同じだと今さらながら気がついた。「助けてくれた……助けてくれた」と、心の中で呪文のように繰り返す。
「わざわざ来てもらって悪いね。疲れただろう」
「いえ……」
アシュリー用にしつらえられた部屋は、本棟の中央階段を上ってすぐの二階、窓から庭が見下ろせる二部屋だった。一方が寝室、もう一方が私室となっていて部屋の中でつながっている。
寝室の中にはさらにもう一つドアがあり、そこを開けると湯船のある浴室だった。
浴室を挟んでクライドの寝室となっていて、内ドアから浴室を抜けてつながるようになっている。
「ここは先代の頃から夫婦の私室の造りになってる。だからここをアシュリー嬢の部屋にしたけど、安心して。まだ婚約段階だしね。俺はこの浴室は使わないし、ここにつながるドアも開けないから」
安心させるように微笑む。
(いい方だわ)
疲れた体に優しさが染みる。本来なら、もったいないほどのお相手だ。よくわかっている。――アシュリーの前世が魔族でなければ。
アシュリーの他の荷物はすでに運び込まれてあった。クライドが扉に手をかけて開けたまま、「どうぞ」と中へ通してくれる。
「ゆっくり休んで。ああ、それと、うちの敷地内にある厩舎だけど、放牧場の中にある厩舎ではなく、奥の赤い屋根の厩舎。あそこには絶対に近寄らないで欲しいんだ。もし近寄ったら――命の保証はできない」
(命!?)
口調はやわらかいが、顔は真剣そのものだ。勇者の子孫にそう言われたアシュリーは恐怖に震えた。
「わかりました! 絶対に近寄りません!」
「……そう。よかった」
鬼気迫る表情でうなずくと、クライドが笑顔のままちょっと引いた。
クライドが出て行き一人になったアシュリーは、ふらふらと手近な一人用のソファーに座り込んだ。
(疲れた……)
一緒にやってきたウォルレット家のメイド二人と御者は、すでに三階の使用人用寝室へ行ってしまった。何だか急に心細くなってきた。
情けない顔で部屋を見回した。壁際に大きな天蓋付きのベッド。ビロード地の茶色とベージュの二色のカーテンがタッセルのついた編紐で留められている。
小さなテーブルには、アシュリーの目の色に合わせてくれたのか、紫のライラックの花が花瓶に飾られていた。
白い壁にはたくさんの絵画が飾られ、燭台からのやわらかなオレンジ色の明かりで照らされている。
(何か落ち着く)
居心地のいい空間だ。ゆっくりと深呼吸したら気分がやわらいだ。
手早く寝間着に着替えて、天蓋から垂れるベージュのカーテンと同じ柄の羽毛布団にもぐりこむと、ラベンダーの香りがした。枕からだ。枕の詰め物の一部に、乾燥させた花びらを入れてくれてあるのだろう。心地よい香りに頭ごと包まれて、こわばっていた体からふっと力が抜けた。
アシュリーは横を向いて体を丸めた。リラックスしている時の癖だ。
そして、そのまま眠りについた。