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19 昔話

 アシュリーは厩舎の奥の馬房に、クライドに続いて入った。

 中ではジャンヌとハンクが掃除をしていた。床に水を流し、端を流れる側溝へ汚れと一緒に落としていっている。


「お疲れ」


 クライドの言葉に、二人が頷く。なんてことはない。いつもの光景だ。

 けれどアシュリーは一人、ものすごく驚いていた。


(えっ? 黒狼様は? 黒狼様がいない!)


 馬房の中心に寝そべる黒狼の姿がないのだ。

 もしや起きたのかと期待して辺りを見回した。たが違った。


(いらっしゃったわ……)


 黒狼は馬房の端にいた。けれど起きて自分で移動したのではない。この前のたらいをひっくり返したその上に乗せられていたから。

 落ち着いて考えてみれば、床に直接寝ているのだ。掃除するのに邪魔なのはわかる。黒狼のために水を撒いて綺麗にしていることも。けれどこれではまるで荷物扱いだ。


(おいたわしや、黒狼様……!)


 魔王の側近だった黒狼。まさに飛ぶような速さで勇敢に敵をやっつけていたのに。


「はいはい、動きますよー」


 ハンクがほうきを片手に、黒狼ののったたらいを端から端へ押しやる。たらいの上で寝そべったまま移動していく黒狼に、アシュリーは心の内で涙した。


 ハンクがたらいのなくなった場所をほうきで掃こうとしている。アシュリーは気を取り直して声をかけた。


「私がやりますよ」


 これまでは普段着用のドレスを着ていたが、今日はそのために動きやすい格好にしてきたのだ。サテン地のシンプルなワンピースに、リネンのエプロン。

 憧れの黒狼のためなら喜んで掃除をする。


「本当っすか?」


 嬉しそうな顔のハンクからほうきを受け取ろうとした時、横から手が伸びてきた。


「服が汚れるからいいよ。俺がやるから」


 クライドだ。アシュリーは慌てて言った。


「でも、そのために今日は――」

「服を変えてきたんだよね。でも俺がやるからいいよ。アシュリーは黒狼が目覚めるために次にすることを考えてくれ」


 そして、にっこりと笑って続けた。


「いつものドレス姿も可愛いけど、今日のラフな格好も可愛いね」


 婚約者にこんなことを言われて顔を赤らめるところなのだろうが、アシュリーはギョッとした。それでも以前は青ざめていたのだ。


「光栄です」


 自分の成長が嬉しくて笑顔になったつもりだ。けれどクライドは楽しそうに笑い出したから、成功はしなかったらしい。

 アシュリーはそそくさとその場から離れた。ついてきたのは興味深そうな顔をしたハンクだ。


「アシュリー様、クライド様からあんなことを言われて嬉しくないんですか?」

「……嬉しいですよ」

「言葉と表情が一致してないっすよ」


 面白そうに笑い、感心した口調で続けた。


「アシュリー様って変わってますね」

「……そうですか?」

「そうっすよ。だって相手はクライド様ですよ? まあ見てると楽しいからいいですけど。アシュリー様がくる前はなんか雰囲気がピリピリしていたんですよね。

 クライド様は前から優しいんですけど、黒狼が全く目覚める気配がないから焦っていましたし。表には極力出さないようにしていたみたいですけど、ずっと一緒にいたらそういうのってわかりますもんね。ジャンヌはもう表も裏も嫌な奴だったし、俺もイライラして喧嘩ばかりしていました」


(そういえばここに初めてきた時、ハンクさんとジャンヌさんは口喧嘩をしていたわ)


 険悪な雰囲気だったことを思い出す。クライドは――恐いばかりだったので、どういう様子だったかよく覚えていないけれど。


「だから今は楽しいですよ」


 ハンクはニッと笑って、たらいの上でだらんとしている黒狼に向かって「なっ?」と明るい声で言った。



 掃除が終わり、黒狼はたらいの上から床へそっと移された。ここまでされても起きない。不安が込み上げて、アシュリーはクライドに聞いた。


「前に子供の時に黒狼様と話をしたと言っていましたが、その時はどういう状態だったんですか?」


 そして、どういう状況だったのか。その時、確かに黒狼は目を覚ましたのだから。

 クライドは天井を仰いだ。そしてそろそろ潮時だと思ったのか、静かに話し始めた。


「ハンクとジャンヌには話したが、俺が七歳の時のことだ。王家の親戚筋にあたるこのサージェント家に、俺はよく遊びにきていた。王室側はあまりいい顔をしなかったけど、前代の当主は子供がなかったからか、俺を可愛がって歓迎してくれたよ」


 その頃、黒狼はすでにここの厩舎に預けられていた。直系王族はある程度の年齢になれば教えられる。だが子供だったクライドには、まだ知らされていなかった。


 クライドは綿密な結界が張ってあるこの厩舎に興味津々だった。

 だが前代の当主は絶対に中に入らせなかった。当然だ。幼い王子を危険な目には遭わせられない。


「けれど俺は好奇心旺盛な子供だった。直系王族だから、他の者たちより魔力も高い。何度か前当主について厩舎の入口までついてきて、無邪気な態度を演じながら結界の様子を観察した。前当主が結界を張り直すところも見ていた。

 そしてある日、王宮からのお付きの者たちを撒いて、前当主に隠れてこっそりと結界に隙間を作った。厩舎の中に入ることに成功したんだ」


(恐ろしい子供だわ)


 アシュリーは戦慄した。アシュリーが七歳の頃なんて布団にくるまってゴロゴロしていた記憶しかない。まあ、それは今もあまり変わらないけれど。


 アシュリーの表情をじっと観察していたクライドがフッと口元を緩めた。そして続けた。


「ワクワクして忍び込み、眠る黒狼を見た。驚いたよ。でもそこは子供だから、まさか王家が内緒にしている魔獣だなんて思いもしない。変な狼だなと、好奇心に任せて体の毛を引っ張ったり、尻尾を掴んで振り回した。それでも黒狼は起きなかった」


 クライドはちっとも起きない黒狼に飽きて、馬房の隅で覚えたての魔法を使って遊び始めた。

 そこへ結界の異常を察知した前当主が現れたのだ。


 中にいるクライドを見て、前当主は血相を変えた。「クライド様!!」聞いたこともない悲痛な叫び声にクライドは驚愕した。気が動転しパニック状態になった。そのせいで使っていた魔法が暴走した。

 

 前当主は必死の形相で向かってきたが、間に合うはずもない。もし間に合ったとしても、直系王族の暴走した魔力なんてとても抑えられるものではない。


「もう駄目だ。俺は死ぬんだ。そう思った」


 その時だ。絶望しかなかったクライドは光に包まれた。見たこともない黒い光だ。


 気がつくと暴走した魔法はすっかり収まっていて、クライドは無事だった。前当主は呆然自失の態だったが、我に返ったように駆け寄ってきてクライドを抱きしめた。

 そして目の前には、眠っていたはずの黒狼が目を覚まして、凛と立っていたのだ。


 黒狼が自身の持つ魔力で助けてくれたのだ、とわかった。


「ありがとう……!」


 泣きじゃくりながら礼を言う小さな王子を、黒狼は何も言わずただ見つめていた。

 クライドは構わず話し続けた。


「君は誰? ここで何をしているの?」


 何度も聞くと、やがて黒狼はフッと遠くを見てつぶやくように言った。


『魔王様の魂の許へいきたいんだ。だが今のままでは、ただ死ぬだけだ。そこへは決してたどり着けない』――と。


 呆然とするアシュリーに、クライドは言った。


「どういう意味か聞いたが、黒狼は教えてくれなかった。それからすぐに眠ってしまったよ。そして今に至る」


 クライドの静かな声は続く。


 前代の当主はその一件を王宮に報告しなかった。

 王宮ではずっと「危険だから黒狼をすぐに殺してしまえ」という過激派と、「そのうち死ぬからそれを待とう」という穏健派に別れている。


 過激派はいわずもがな、穏健派も黒狼の命を守ろうとは思っていない。ただ殺そうとして黒狼が目覚める方が困るだけだ。生態のよくわからない魔獣だし、その時にどれだけの被害が及ぶかわからない。それならこのまま静かに寿命を待った方がいい、というのである。

 そのまま四百年が経ってしまったことは、双方にとっても計算外だっただろうが。


 だからもしその一件を報告したら、黒狼はすぐに殺されただろう。前当主は報告するか否かに葛藤したようだ。クライドが頼み込んだこともあるが、黒狼は命の恩人だという思いの方が大きかったはずだ。


 クライドが十七歳の時に前当主は亡くなった。

 後継ぎのいないサージェント家を継ぐと、クライドは黒狼に助けられた時から決めていた。後を継いで黒狼を目覚めさせ、そしてその望みを叶える、と。


 けれどその目的を知られたら国王も王室も黙ってはいない。だから絶対に気づかれてはならない。


 クライドは黒狼に恩返しがしたかった。そのために、もう一度黒狼を起こして話の続きを聞こう。そう決めていたのだ――。



(そういうことだったのね)


 長い昔話を聞いて、アシュリーは呆然としつつも納得した。それではやはり――。


 アシュリーの言いたいことがわかったのか、クライドが頷いた。


「そう。あの時異常を察知して目覚めたということは、黒狼は自分の意志で眠っているということだ。だから自身が起きようと思えば目を覚ますんだと思う」


 アシュリーは黒狼に目をやった。つられてクライドも、ハンクとジャンヌも視線を送る。

 瞬間、黒狼の鼻がピクピクッと動いた。

 それを受けてクライドが笑みを浮かべる。


「アシュリーのおかげで黒狼が反応してきた。こんなことは今まで一度もなかった。本当にいいきざしだよ」


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