11 最初の一歩2
(何をしているんだろう?)
廊下をゆっくりと歩きながら、クライドは戸惑っていた。
アシュリーを迎えに行き、一緒に厩舎に向かう途中なのだが、アシュリーの行動がおかしいのだ。
(いや、結構いつもおかしいけど)
今はなおさらだ。クライドの後を小走り気味についてくるのだが、一向にその距離が縮まらない。クライドはそう早く歩いているわけではない。むしろアシュリーを気遣ってゆっくりめに歩いている。それなのに常に一定の距離がある。
不思議に思い、ちらりと振り向くと、アシュリーは苦悩の表情をしていた。眉をひそめて顔を歪め、何かに必死に耐えている様子に見えた。
(何に耐える必要があるんだ?)
廊下を歩いているだけだ。休憩を入れたことでアシュリーの顔色もよくなっていたのに。
心配になったので立ち止まった。途端にアシュリーもピタッと足を止める。
沈黙が訪れた。
意味がわからず再び歩き出す。するとアシュリーはまたも苦悩の表情で小走りについてくるのだ。
(なんなんだ?)
厩舎へ行くのが嫌なのかと思ったが、魔獣に対してあれほど顔を輝かせていたのだから違うだろう。もしやこれでも速いのかと、さらにゆっくり歩いてみるが、アシュリーの顔から苦悩の気配は消えない。
というかクライドがゆっくりになると、アシュリーの小走りも同じようにのろくなるのだ。もう小走りなどとは呼べないレベルのものである。
明らかにおかしい速度で、けれどものすごく真剣な態度で、常に一定の距離を保ったままついてくる。
たまらなくなり、クライドは振り返った。目が合った瞬間、アシュリーが狼狽したのがわかった。
「何をしてるんだ?」
直球で聞いた。するとアシュリーはまさに鬼気迫る顔で答えた。
「今、私はとても頑張っているところです」
(何に?)
何を頑張っているんだ? 廊下を歩いているだけだろう?
それでもアシュリーが実に真剣な顔をしているので、クライドは微笑んだ。
「そうなんだ。偉いね」
「はい、ありがとうございます!」
褒められたからかアシュリーの顔がパアッと輝いた。クライドの前でこんな顔をするのはめずらしい。というかこのサージェント家にやってきて初めてじゃないか。
ちょっと驚いて見つめていると、クライドの視線に気づいたアシュリーが青ざめた。
(やっぱり俺、恐がられているのかな?)
何もしていないけれど。そもそも魔族である魔獣の方が恐いはずだ。
(本当に変わった令嬢だ)
なんだか面白くなってきて、笑いを堪えて聞いてみた。
「俺に何か手伝えることはある?」
その目的も手段も何もわからない「頑張り」に。
軽い気持ちで言ったことだが、アシュリーは途端に申し訳なさそうな顔をした。
「いいえ、大丈夫です! 前にも言いましたが、全て私の心の内一つなんです。だから頑張ります!」
「――わかった。じゃあ頑張ってね」
にっこりと笑って前を向き、再び歩き出した。音楽室のある角を曲がり、ワインセラーや食品貯蔵庫の前を通る。
首をかすかにひねって視線だけ後ろに向けると、アシュリーが真剣な顔つきで後ろをついてきている。気のせいか、先程より少しだけ、歩幅一歩分ほどだけだが距離が縮まったように見えた。
アシュリーもそう思ったのだろう。体の前で両手を握りしめ、感無量といった感じで天井を仰ぐ。そして顔をくしゃくしゃにして笑った。
意図も意味も何もわからない。それでもその令嬢らしからぬ、やり遂げた喜びを全身で表現する様子に堪えきれずクライドは噴き出した。
* * *
厩舎の奥の馬房にアシュリーとクライドが着くと、すでにジャンヌとハンクの姿があった。
ジャンヌはクライドと一緒にいるアシュリーを見て嫌そうに顔を歪めた。アシュリーはその顔をじっと見つめる。正確に言うと顔ではなく、耳についたイヤリングを見ていたのだが。
(やっぱりウサギの形よね?)
長い髪に隠れて見えづらいが、二本の長い耳がある気がする。
(やっぱりジャンヌさんはウサギ好きなのかしら?)
そうでなければ、わざわざつけないのだろう。
ウサギ好きと思ったらグッと親近感が湧いた。
アシュリーにじっと見つめられて戸惑っていたジャンヌが、目に力をこめてにらみつけてくる。けれどそれより早くアシュリーはジャンヌに笑いかけていた。だって同士だから。ジャンヌが大きく目を見開き、苦々し気に顔をそらした。
そんな二人の全く噛み合っていない様子を、ハンクが興味深そうに眺めている。
「アシュリー、こっちにきてごらん」
黒狼の前にいたクライドに呼ばれた。恐る恐る、一定の距離を保ちつつ近づく。
黒狼は相変わらず目を固く閉じて眠ったままだ。大丈夫なのかと心配になった。
(あれ?)
驚くことに鎖にすらつながれていない。クライドの結界は黒狼を抑え込めるほど強力なのか。
それに中庭や入口側の馬房と違い、ここは綺麗に掃除されている。黒狼もこまめに洗われているのだろう。毛並みがきれいだ。
「四百年前に北の山中で偶然見つけたんだ。それ以来、王家に頼まれたサージェント家が面倒を見ている。サージェント家は王家の縁戚に当たり、代々優れた魔術師を輩出するほどの名門だから。だが黒狼はこの調子でずっと眠ったままだ。四百年間、餌も食べないのにずっと生きている。魔族の生命力を見せつけられるよ」
(そうだったの……)
胸が締め付けられた。
黒狼は魔王の側近だった。高い魔力と強靭な歯と爪、勇敢さと獰猛さを併せ持つ、素晴らしい戦士。戦闘では右に出る者はいなかった。
平和に葉っぱを食むだけの黒ウサギは、黒狼と接したことなどない。歩く姿を遠目に見かけたことがあるだけだ。ただ弱者をいじめる魔族も多い中、黒狼は下の者にも優しかった。
(どうしてなのかしら?)
味方が全滅して覇気を失くしたのか。そこで思い至り、期待をこめて勢いよくクライドを振り返った。
「黒狼が生きているなら、他にも魔族の生き残りが――!」
「いない」
きっぱりと否定された。
「黒狼が見つかってから、王家は他に魔族が残っていないか国の端から端まで探させた。それでも見つからなかった。生き残っている魔族はこの黒狼だけだ」
そうなのかと落胆する。
クライドが底光りする目を向けてきた。
「そこでアシュリーに協力してもらいたい。なぜか黒狼のことを知っていたアシュリーに」
笑顔だけれど言葉に含みがある。恐い。
「王家はこのまま黒狼がゆるゆると衰弱し、死に向かうのを待っている。それが王家にとって都合がいいことだからだ。でも俺は黒狼を起こしたいんだ。このまま死なせたくない」
「なぜですか?」
クライドも王族なのに。
疑問に思うアシュリーに、クライドがにっこりと笑う。
「だけど滅んだ魔国の資料なんてどこにも残っていやしない。これが黒狼だということだけはわかったが、生態などは何もわからないんだ」
アシュリーは頷いたが、質問をごまかされたと気づいていた。だけどお互い様だからこれ以上問いただせない。
「俺がサージェント家を継いでからの四年間、黒狼を目覚めさせたくてジャンヌとハンクにも協力してもらった。このトルファ国だけでなく他国に伝わる覚醒魔法や起床魔法なども試した。意識がはっきりしたり目覚めにいいとされる薬なども使ってみた。だが黒狼は起きない。反応すらしない。俺も魔術師たちも成果が挙げられずに気が焦るばかりだったよ」
ジャンヌとハンクが顔を曇らせて頷いた。
「そういった正攻法では駄目だった。だからそれ以外のことをしてみたい。アシュリー、何か案はあるか? どんなに常識外れでもいい。それを使えば黒狼が目覚めるかもしれない」
なんだろう。黒狼の好きなことや物だろうか。
元々身分が違い過ぎて、直接会ったこともない。けれど黒狼は下位魔族皆の憧れだった。
丸い月の下、他の黒ウサギたちと人参を囲んで夕食会をしている時など、よく話題にあがったものだ。
(黒狼様の好きなこと――)
アシュリーは考えて、口を開いた。
「そうですね。全身をブラッシングしてみるとか?」




