伝説を夢見た話
テーマ:星 風船 ジャングル 指輪 水素水
ジャングルに探検隊として派遣されてから二ヶ月。サムという尊い犠牲を払いながらも、我々はついにその最奥の秘境にして伝説上の存在『虚構の湖』へとたどり着いた、ようだ。
ようだ、というのは即ち、我々が目の前にあるこの湖に何ら特異性を見いだせていないことを意味する。
ところどころ蓮のような水草の浮く透明度の高い水には夜空の星々が反射して煌き、桃、黄、空色の丸々太った金魚が泳ぐ。その様はまるで宇宙へと儚く消えていく風船の様。
「ジョン君。ロマンチストになるのもいいが、我々は事実に向き合わなくてはならないということを忘れてはならぬぞ」
「そうですよね……すみません、ハミルトン博士」
指摘され、はっと我に返る。我々がここに到達してから三日間。簡易テントを張り、研究所から持ってきたキットを用いて水質調査を行っているが、僕が先ほど手帳に記したこと以上のことは分かっていない。
確かに色とりどりの金魚が泳ぐ様は幻想的だし、現実ではありえないほど透明度の高い湖であるのだが、それは我々の目的からすれば副産物に過ぎない。
我々の求めるもの。それは各地の伝説にのみ記された幻の秘薬「水素水」。
成分としてH14Oという我々の常識からかけ離れた化学成分を持つというその水は、日常的に摂取しているだけで仙人の如き長寿と妖精の如き若々しさが同時に得られるという。五年前、丁稚上下という日本の発明家が独自に記した論文によりその存在が示唆されると、瞬く間に偽物があふれ、今や世界のミネラルウォーター市場は偽の水素水によって支配されている。世界中の国々はこれら巨大な市場を独占しようと、我先に本物の水素水を追い求める。
そしてアメリカからこのアマゾンに派遣されたのが我々だ。
「博士、本当にここが水素水のある湖で間違いないんですか?」
「無論だ。数々の伝説、伝承を緻密に研究した結果と何もかも一致しているではないか」
「水がただの水であるということを除けば、ですがね……」
燃料の少なくなったランプにか細い火が揺らめく。まるで命の灯の様だ。
「サム……」
僕は、ここに来る道程で命を落とした親友、サムを想う。彼は「この探検から戻ったら結婚するんだ」と言った翌日、蛮族に襲われて死んだ。彼の身体は蛮族が持って行ってしまったため、こちらに遺ったのは思い出と、彼が結婚の話をした直後にもしものことがあったらと僕に預けたダイヤモンドの結婚指輪だけ。
ダイヤモンドをランプにかざす。
そうすれば、サムの顔が見える気がした。
しかし、ランプはその最後の燃料を使い切って消えてしまった。テント内は真っ暗になった。
「むう、これでは調査もままならんぞ……」
ハミルトン博士がうめく。どうせ調査などしても変わりはしないだろうと投げやりに思う自分に気が付いた。水素水なんて実在しない。サムも死んだ。我々のこの探検に、何の意味があったというのだろう。サムの婚約者に合わせる顔がない。失望がのどに詰まり窒息しそうだ。むしろその方がいいかもしれないが。
「ああ、いけない。駄目だ」
これじゃあ駄目だ。結果がどうなろうとも、僕には冒険の経験を持ち帰る義務がある。こんな無意味な冒険を二度と繰り返さぬように、僕らの記録を、サムの生きざまを持ち帰らねばならない。
「博士、少し外の風を浴びてきます」
「こんな状態じゃ仕方ないな。よろしい、気分転換でもしてきなさい」
博士の声を背中で聞いて、湖のほとりまで歩いた。のぞきこめば色とりどりの風船金魚が、見上げればアメリカからじゃ絶対に見えない地球の天蓋が、僕というちっぽけな存在に罰を与えるようだ。ここがサムの命を奪ったジャングルでなければどんなにいいか。
指輪のダイヤを空にかざす。サムは見えるだろうか。サムも見ているだろうか。煌くダイヤモンドはその透明も手伝って、星空へとすぐに溶け込んだ。
宇宙に指輪をなくしては大変だと、妙なことを考えた僕は再び池をのぞきこむ。池にダイヤモンドを落としてしまえば永遠に見つからないだろう。指輪の金属部分ですら隠してしまいそうな透明な水は、しかしただの水なのだ。
「はたして本当にそうかな?」
「うわわっ!?」
後頭部に振って来た声に驚いて後ずさり、顔を上げるとそこには信じられないものがいた。
妖精。
もはや童話にすら登場しなくなった、伝説上のクリーチャー。あるものは醜悪な見た目の老婆だといい、あるものは目もくらむような美女であるという。目の前のそれは、どちらかと言えば後者だった。
「どちらかといえば、というのはその妖精がまるで性徴が来ないまま成人となってしまったかのような見た目を……」
「冷静にメモを取るな、無礼者め!」
「す、すみません」
妖精を怒らせてしまったのか?たしか妖精は不思議なダンスで人間を異世界へと連れ去ってしまうという。ピーターパンに聞いたような噺だが、現実妖精が目の前にいるのだから恐怖以外の何物でもない。
「私はこの『真実の湖』の守護者だ。礼節をわきまえよ」
「え、ここは『虚構の湖』じゃ……」
「Shut,up!!」
「ええ、はい……」
この妖精には下手なことを言わない方がよさそうだ。
「私はお前の頭の中を覗き込んで、哀れに思って願いを叶えてやろうと思って出てきているのに!なんだその態度は!!歴史上類を見ないぞ!!!」
「すみません……我々の以前にも訪れた人が?」
「そうだな。五百年前くらいに一人」
五百歳以上なことが確定なのにその体形か……
「失礼なことを考えると殺すぞ」
「……」
思うのだから仕方がなかろうよ。
「願いを叶えてくれるというのは本当なのかい?」
「ええ、もちろん。人命の復活くらいちょちょいのチョイよ」
「ほ、本当か!?」
ならばサムを……
「それなりの代償はあるがな」
「な、何を差し出せばいい?」
「それ、その指輪だ」
サムが復活するというのなら、いいだろう。サムの形見をなくしても、サムさえ連れ帰ることができたら……!
「じゃあ、サムを……」
「水素水をくれいっ!」
いつの間にか出てきていた博士が割り込んだ。な、何を言っているんだこの人……?
「え、爺さんなに?水素水?」
「そうだ。その指輪と引き換えに、この水筒に本物の水素水をよこせ!」
「博士!これはサムの形見の……!」
「だってさ。いいの?本当に」
「ジョン君。君は分かっていない。私ほどの立場の者が成果なしで帰ることが、何を意味するのかを!!今ここで抵抗してみろ、私は君を殺してでも水素水を持ち帰るっ!!」
抵抗しようとしたが、かなわなかった。
そのまま僕は博士に指輪をもぎ取られ、博士は水素水を手に入れた。
これが、僕の記した冒険の顛末だ。
そこからどうやって帰ったのか、僕はあまり覚えていないが、今はこうして生きている。
博士はその後、持って帰った水素水が偽物だったことを糾弾されて科学界から姿を消した。
「へえ。そんなことがあなたにあったのね〜」
「そうだ。だから僕は、あのとき水素水を流行らせた連中を、どうしても許せないんだ」
二酸化炭素水、炭酸を飲み干す。のどが焼ける。
苦い顔をする僕を見て、妻がつぶやく。
「じゃあ、水素水が偽物だったのなら、そこが伝説の湖じゃなかったのだとしたら……」
「ん?」
「その妖精さんは、いったい何だったのかしらね?」
確かに……
でも今更考えても仕方のないことだ。
「おおかた、僕らは夢でも見ていたのさ」
サムはもういない。博士ももういない。あの冒険が、すべて夢だったなら……
意味のないことを考えてしまうのが、ロマンチックな僕の悪い癖だった。