幸せは切っ掛けと勢いに背を押されてできる
ポーンと放られたそれは幸せの象徴で。シンプルに白で統一された花々がふんわりと花弁を揺らしている。
あやかろうとする人、単にお祭り騒ぎをしたい人、空気を読んで参加する人、それぞれの頭上を流されるままに通りすぎていった。
私といえば、慣れない式典に参加した疲れから遠目にその様子を伺っていただけで。いい雰囲気だな、とは思いつつも参加する気は毛頭なかった。
陽光を透かし雲を揺蕩わせる青い空、水晶を散らした細波をたてる透明な海。綺麗な世界の中心に佇む純白の花嫁。ぼんやりと、俗世から隔離された夢のような光景にただ魅入っていた。
それなのに
「……え?」
幸せの象徴は、何が悲しいのかパサリと私の足元に落ちてきた。
言葉を失う私と、瞬間的に鎮まる参加者達。
二、三回瞬きをして足元のそれに視線を合わせる。光を柔らかく反射する白い花びらが、拾え、と無言の圧力を発していた。ような気がした。
固まる私をよそに、世界には緩やかな時間が流れている。雲は流れ、波は絶えず押しては返す。おそらく、これを拾わないと私に時間は帰ってこない。参加者達もまたしかりであった。
恐る恐るその場に屈み、足元の花束にそうっと触れる。指先から伝わる感触は、柔らかく繊細な作りであることを訴えてきて、簡単に壊れてしまう儚さを覚える。これをよくもこんな遠くにまで飛ばせたものだと、場違いな考えが脳裏を掠めた。
やっと私がそれを拾い上げると、わっと参加者達が沸く。おめでとう、次はあなたね、羨ましい、良かったね。言葉は様々でも、浮かぶ表情は皆笑顔で、何とも言えない中で私も無理矢理笑みを浮かべる。
腕の中の軽いはずのそれが、何故だかとても重い存在に思えた。
「というわけで、結婚してください」
「…………は?いや、え、どういうわけなんだよ、それは」
肯定とも否定ともつかない返事をしながら、目の前の相手は狼狽を隠さなかった。まぁ、この反応はある程度予想できたので、私も今した説明の要点を再度伝えることにした。
「だから、参加した友人の結婚式で、友人が幸せそうで、ブーケをうっかり貰ってしまって、みんなに祝福されたから、結婚してください」
「うん、だからそれ。その、みんなに祝福されたと、結婚がどうして結び付くの?」
「ブーケを受け取ったんだから、次に結婚するのは私ということでみんなに祝福されたの。だから、結婚してください」
「あー、そういうこと……」
根気強く説明し、三回ほどプロポーズしたところでやっと理解され安心する。
ただ、その反応はあまり芳しいものではないようで、これは断られるのでは?と疑問に思いそのまま口にした。
「嫌?」
「え、嫌じゃないし、このまま一生一緒にいてくれるなら土下座でも何でもする所存だけど」
「それは……ちょっと引くかな」
「いやいや、玄関入ってきて開口一番にプロポーズした人が何を言うか」
ビシッと入れられたツッコミに確かになー、と自分のことながら他人事のような感想を抱いた。
どうやら断られることはないらしい。勝率は十二分にあるって自覚した上で臨んだプロポーズだったけど、それでも不安に思うことはあったから肩の荷が下りた気持ちになる。
「俺が気になるのは、そういうことじゃなくて」
「なくて?」
「今までそんな素振りなかったのに、突然そんなこと言い出すから、何かあったのかなー、って思ったの」
「……ああ」
どうやら、目の前の相手は自分を心配してくれていたらしい。わかっていなかったのは私もそうだったらしく、反省させられる。
「特に、何か嫌なことがあったわけじゃないよ」
「そう?ならいいんだけど」
「ただ……」
「ん?」
いざ言おうとすると、やっぱり憚られることがあるのも事実なわけで。勢いでプロポーズはできたけど、そこに至る過程を説明するのは、何と言うか、こそばゆいものがあった。
それでも、相手は私の言葉の続きを待ってくれていて、その笑みがあまりにも優しいから、私もゆっくりとその先を紡いだ。
「私は、こういう切っ掛けがないと、その、一歩踏み出せないと思ったから……」
「…………」
勢いでプロポーズをしてしまったけど、結婚を軽く見ているつもりはない。一生にできれば一度、この先も一緒にいてほしいと相手に願うことのどこに邪な思いの入る余地があろうか。
沈黙が支配するなか、逸らしてしまっていた視線をちらと相手に向ける。すると、そこでは相手が口を手で抑え肩を震わせているのが目に入った。
馬鹿にしてるのか、とむっと思ったけど、その頬が染まっているのと暖かな雰囲気から予想は外れているのだとわかった。
「えと……?」
「あー、うん。そうだよな……切っ掛けでもないと難しいよな……プロポーズ」
誰に言うでもなく、噛み締めるように呟かれる言葉に、私は自分の思いが正しく伝わったことを知った。
よかった、と安堵したのも束の間で、私は突然ブーケを持つ左手を相手に掴まれた。
「全部言わせちゃって、ごめん。俺もそろそろかなー、とは思ってたんだけど、言えないヘタレでごめん。一歩踏み出してくれて、ありがとう。あと……」
一つ一つ丁寧に紡がれる言葉は、しっかりと心の奥に響いてきていて、途中で切られた言葉の続きを、今度は私がしっかりと待つ。
「嬉しかった、すごく。だから、俺と結婚してください」
言い切ると同時に、腕を引かれてバランスを崩す。巻き付いた腕の強さから、抱き締められたと気がついた。
胸に押し当てられた耳に、相手の心音が響く。ああ、鼓動がすごく速い。多分、今顔真っ赤なんだろうな。見られないのが、残念だな。
「……喜んで」
愛しくって、それを相手にも知ってほしくて、抱き締め返してあげたくて、その背中にそっと腕を回す。
そのとき、私たちの幸せの象徴は二人の足元にパサリと落ちていった。