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「#2 偶像と知恵蛇の夜想曲」

■あらすじ

マインド・スイープ。それは、人間の精神世界に潜り、内面世界に巣食う怪物・ガルキゲニマを駆除する技術。

超オカルト科学都市「オクタ・カテドラル」を舞台に、マインド・スイーパーの凸凹コンビ、ジグザとアリグラの冒険と日常を描くファンタジー・SFアクション小説、第二話。今回は、アイドル(?)を題材にしたお話。

【ジグザとアリグラの心魔狩猟 ~ラックスマイル・カンパニー事件簿~】

「#2 偶像と知恵蛇の夜想曲」


 自分で自分の人生の舵を取れるということ。それは気楽ではないけど、やっぱりいいものだ。

 そう思ったことはあるかな?

 たとえば夜更かしが過ぎた朝、、コンビニに行くついでに、朝のオートマ・トレインを捕まえるために、路線ステーションに立つ人々の姿を見る時。

 寝ぼけ眼で歩いていくOL、一心不乱に経済書を読みふけっている中年サラリーマン。週刊誌を片手につり革につかまってる新品同様のスーツの新入社員。

 そんな様子を目にした時、フリ-ランスのマインド・スイーパーをやってる俺は、いつもちらりと思っちまう。

 自由ってのは悪くないものだってさ。


 だが、自由っていうのは、もちろん好きな場所で野垂れ死にをする自由でもある。

 どこででも野垂れ死にできる自由と、最低限の生活が保障される不自由。

 あんたなら、どっちがいいだろう?

 でもまあ、俺についていうなら、まだ当分のところは前者のほうを取っておきたいかな。

 さっきも言ったけど、俺は上司とか上役とか、そういった偉いさんに、自分の命運や人生の手綱たずなをを握られるっていうのが、どうにも落ち着かないんだ。

 だからこそ、ネットTVなんかで、新人アイドルのオーディションとか、彼女たちの努力や挫折を描くドキュメンタリーとかを見てると、なんだか気の毒になっちまう。

 自分とは直接的な接点も何もない、不特定多数の偶像でいるってのは、なかなか面倒くさいもんだろうと思うわけさ。

 特にネットとかTVとかそういう世界じゃあな。偶像――アイドル稼業も楽じゃないらしいからね。


※※※


 その日、単独で受けた仕事を終えた(受験期の息子が、F級の雑魚ガルキゲニマに憑かれたっていう金持ちマダムの依頼)俺は、

 オクタ・カテドラルの東側、シルヴァレイン地区の中央駅近くで、ぶらぶらしていた。

 午前中だけで終わっちまうような単独処理のちょろい仕事で、報酬が25万ティカ。まあ、笑いが止まらないよな。

 しかも、春の午後で、日差しはぽかぽか、空は青く晴れ渡っている。


 このあたりは高級住宅街だけあって、街並みもどこかシャレている。

 明るい春の日差しに、白やらオレンジ、赤のカラフルな建物の壁が、くっきりと照らされている。

 色とりどりのタイルで舗装された歩道は、降り注ぐ陽光をきらきら反射して、実に綺麗。

 こんな日は、この街全体が、地上から数十センチばかり浮きあがったみたいに現実離れして感じられる。

 凝ったロゴの看板がかかったコーヒーショップやらブティック、流行のファッション誌から抜け出してきたみたいな通行人たち、

 散歩してる豪勢な刺繍の服を着せられた愛玩犬まで、すべてがちょっとずつ、宙に浮いてる街。

 早い話、このシルヴァレインは典型的なオクタ・カテドラルの都会っぽさ、華やかさを担ってる地域なんだ。

 もっとも、俺みたいな田舎モンには、余裕がないときには落ち着けない場所だけどね。

 でもまあ、仕事を終えて予定が何もない、よく晴れた昼下がりには、悪いところじゃない。

 きょろきょろしてるうち、ようやく見つけた小洒落たオープンカフェで、イイ感じにコーヒーを飲んでる時、遠慮がちな声がかかった。

「あの……ひょっとして、ジギー…ジグザ・バドラルクくん?」

 振り向くと同時に、なんだかいい匂い。

 それはどうやら、すぐそばに立っていた栗色の髪の女の子から漂ってくる、香水の匂いらしかった。

 ほんのり桜色のTシャツに薄手の白いカーディガン、明るい群青色のカットジーンズにちょっと凝ったデザインのヒール。

 小さい銀色のピアスとやや小ぶりなネックレス。

 一見しただけで、すらっとスタイルがいいのが分かる。元の顔立ちが結構整ってるところに適度に化粧をしていて、

 それがまたピタリ、上手くハマってるわけだ。

 正直、ちょっとばかし背筋が伸びる思いがしたよ。

(こりゃ、ようやくツキが回ってきたかな。でも、知り合いにこんな美人……いたっけか?)

 ま、自分で言うのも哀しいが、美人と縁があったとして、のうのうと忘れてられるほど恵まれた環境じゃねえからな。

 ひょっとしたら、アリグラの知り合いかな?

 あの野郎にはときどき、女の子の方から寄ってきて、頼みもしないのに小さなメモを、恥ずかしそうに手渡していきやがるのだ。

 それにはほぼ100%、メールアドレスとか電話番号とかが小さくて女性らしい、丁寧な文字で書いてある。

 ああ、自分で大ナベと薪を用意して、火打石までしょってくる小鹿たち。

 あとは狙いを構えて、ズドンと仕留めるだけ。あんなに楽なハントもないだろうな。

 ……畜生、なんであのクソメガネばっかり!

 考えるだけでちょっとムカついてきたので、俺は慌ててこのネガティブ思考を打ち消した。

(しかし、それにしてもやはり、覚えがねえな……)

 俺は多分、とても分かりやすい表情をしていたのだろう。

 目の前の女の子は、ちょっと苦笑を浮かべた。

「あれ? もしかして、忘れちゃった?」

「い、いや、その、ね……」

 なんてこった。常在戦場、これはブシドーに凝ってた時期、親父がとある古物商から二束三文で買った、古い掛け軸に書かれてた心得だ。

 俺が多少挙動不審になってる間にも、ピンチの白刃は、どんどん俺の本陣に迫ってきた。

 せっかく声をかけてくれた美人さんは、もういわゆるジト目。

少しシニカルな微笑をたたえてこう言ってくれる。

「ふぅん、そうなんだ?」

「いや、そうじゃなくてさ」

 そうじゃなきゃなんなのか。綺麗な女の子にちょっと傷ついたような顔をされて、俺はますます慌てた。

 昔、従姉妹を対戦パズルゲーム「オヨオヨ」でボコってぎゃんぎゃん泣かせて以来、俺はこういうシチュにとことん弱い。

 女の子を悲しませるってのは、とんでもない犯罪でもしでかしたような気持ちになっちまうんだ。

 それこそ必死で記憶の棚をさらってみるが、知り合いの中に彼女に該当するような美人さんは誰一人思い当たらなかった。

 おお、なんとも寂しい人生!

「いや、違うんだよ! でもマジでその……」

 うろたえつつ、ついに俺は覚悟を決めた。誠実さは、ときに最高の戦略。

 次の瞬間、神妙な顔で両手を合わせ、思い切り頭を下げる。

「ゴメンゴメン! ちょっと久しぶりすぎてさ!」

「え~、マジだったの? ……ヒドイなぁ!」

 女の子は一瞬わずかに顔をしかめたが、次の瞬間。

「あはは、冗談だよ! そうね、あれからだいぶ経つもんね、仕方ないか」

 弾けたように笑いだしたので、俺は拍子抜けしてしまう。

 それから彼女は、気を取り直したようにひょい、と肩をすくめた。

「ま、ジグザくんは、前からそういう人だったもんね?」

「は、はは……」

 冷や汗かいて愛想笑いを浮かべながらも、俺ははっとした。この子の肩をすくめる仕草、どこかで見覚えがある。

「ほら私、メリヤ。メリヤ・エグバルトだよ。覚えてない? 

 ハイスクールの3-Dで一緒だった……美化委員会で委員長やってたよ。

 ジギー君、3年のとき、美化委員だったでしょ」

「あ~……あ、おおお!!」

 ようやく思い出したのは、ド田舎の海辺の町で過ごした高校時代の記憶。

 記憶の中のメリヤは、大人しくて目立たないお下げ髪&眼鏡の優等生。そういえば歌が得意で、音楽の成績が抜群に良かったっけ。

 だが、それにしてもな。

 改めて目の前の女の子を記憶の中と見比べてみて、俺の中では彼女は、外見よりもその声の綺麗さのほうで印象に残っていたことに気づいた。

「ようやく、思い出してくれたみたいね」

 少し唇をとがらせて、わざとらしく、不満げな表情を作る彼女。

 その唇にほんの薄く、品のよい桜色のルージュが塗ってあることに気づく。

「ホントにゴメン、ちょっと最近、物忘れがひどくてさ」

「なにそれ、オジサンみたいだよ」

「……カンベンしてくれよ。もうバッチリ思い出したからさ」

(しっかしね……変われば変わるもんだな)

 ありがちな感慨を思い浮かべながら、俺は改めて目の前の女の子を眺めた。

 本当に、別人みたいだ。ダサい黒ブチ眼鏡を取ったら……なんてお約束のせいもあるだろうが、やっぱり化粧ってすげえよな。

 世の女どもが、流行の美用品やらメイクやらを追っかけるのに必死になるわけだぜ。

「ホント、見違えたって。マジでびっくりした、綺麗になってて」

 ほとんど無意識にだったが、綺麗という言葉がふと口をついて出る。

 途端に、メリヤは照れたように、顔をかすかにほころばせた。

 お、「綺麗になったね」こそは、女心に一番響く、魔法のキーワードなのか!?

  どうやら敵の機嫌は、ちょっぴり直りつつあるらしい……これはラッキー、助かった!

「ふふ、ありがと。……にしてもジギーくんのほうは変わらないね。相変わらず赤毛でツンツンでさ、すぐ分かっちゃった」

「そっか?」

「うん。ホント……なんだか懐かしい」

 メリヤの口調には、どこかまだ……俺たちの故郷のなまり。

 そして、心のどこかがほっとあったまるような、柔らかい笑顔。

「ねえ、少し時間ある? あたしも用事、ちょうど終わったとこだったんだけどさ。よかったら、ちょっとお茶しない?」

 華麗なる変身を遂げたかつての同級生、メリヤ・エグバルトはそう言って、にっこりと笑った。


※※※


 十字交差点を渡ったとこにあったファーストフード店。

 俺たちは薄いベージュ色のテーブルに、差し向かいに座っている。

「卒業してからさ……もう4年くらい?」

 メリヤが言った。

「ん……それくらいになるかな、早いもんだ」

 俺はそう答えて、ズズッとストローで片手に持ったカップから、300ティカのグレープフルーツ・ジュースを啜る。

 メリヤは160ティカのブレンドコーヒー。垢抜けた印象だったが、意外に質素だ。

 しかもミルクだけで砂糖は入れなかった。ダイエットでもしてるんだろうか。

「そうね。ジギー君、先生たちには目をつけられてたけど、結構優しいとこ、あったじゃない? 

 知ってる? ジギー君、結構女の子の間で人気あったんだよ」

「えっ!」 

 そ、そうだったのか……いわゆる人生のモテ期、というやつだったのか!?

 高校時代、お袋が「あんた、若手俳優のエルロー・オズに似てるね……ただし、目つき以外だけど」なんて言ってたことを不意に思い出す。

 典型的な親バカ発言だと思ってスルーしちまったけど、そうでもなかったのかも?

 だが畜生、失われた季節はもう戻ってこない。

 俺がちょっぴり、残念そうな顔をしたせいだろうか。

「ふふ。結構そこらへん無頓着そうだったけど、ホントにそのままみたいね」

 そういって、メリヤはまた独特の仕草で肩をすくめる。

 なるほど、彼女は確かに委員会の会議でちょっと困ったりした時、そうするのが癖だった。少し懐かしいな。

「そういやさ」

「ん?」

「あたしが委員長やってたときさ。文化祭の資料作りで、放課後、居残りしてたことがあったじゃない? 

 その時ジギー君、わざわざ一緒に残って手伝ってくれてさ」

「ん? まあ、マジメにやってたしな、お前」

「ちょっと嬉しかったな、あの時は」

「そう? たいしたことじゃねえよ」

 実のところ、俺とメリヤは、ハイスクールの時、別に仲が良かったわけでもない。

 本当は、当時付き合っていた彼女と映画を観に行く約束があって、それまで時間が余っていただけなんだが……。

 ま、美しい思い出はそっとしておいたほうがいい。

 特にそれが、ぐっと美人になった昔の同級生の中にある、かつての俺のイメージならね。

「ジギー君……あのころ、ミリィと付き合ってたじゃない?」

「え? ああ」

 おっと……ここで、ミリア・ニーアの名前が出てくるとは。

「今、どうしてるの? 彼女もこっちに出てきてるんでしょ、確か」

 こういう時、苦笑以外にピッタリくる表情ってのを、俺は知らない。

「さあ、どうしてるかな?」

「……連絡、取ってないの?」

 メリヤは意外そうな顔。

「ま、その……いろいろあってさ」

 肩をすくめ、おどけたように笑ってみせる。

「あ……そうなんだ。悪いこと、聞いちゃったかな」

 メリヤは傾けたカップ越しに、ちょっと気遣わしげな上目遣いでそう言った。

「いや、別にいまさら……な」

 お互いに気詰まりになり、なんとなく表通りを眺める。

 そういや、本当にあいつ、今どうしてるんだろうか? 

 最後に喧嘩別れしてから、もう長い間、軽いメールのやりとりすらしていない。

 正直、最近は思い出しもしなくなっていた。

 あの頃は、毎日のように会っていろんなことを話して、互いに相手がなくてはならないもののように(俺の思い上がりでなければ)感じていたのに、なんだか不思議な気もする。

 人間は忘れるようにできている、というのは誰が言った言葉だったか。

「……ま、昔の話ってヤツだよ。俺もガキだったってことで」

 俺はちょっと遠い目ってのをしていたかもしれない。

 俺のそんな様子につられたのか、メリヤも、かすかな感傷を感じたらしかった。

「そっか……ふふ、なんかさ、ハイスクールの頃ってちょっと懐かしいね。

 ほんの数年前のことなのにね」

「ま、そうかもね」

 18とハタチの境目はいろいろとでかいのだろう、確かに。

 18はやっぱりしょせんガキで、ハタチ以上は結構そうでもない。

「そうだ、そういえばジギー君さ、あの頃、よく言ってたじゃない」

「ん?」

「休み時間、教室で友達にさ。いつか、何でもいいからでっかいことやるんだ! ってさ」

 澄んだ綺麗な声で、ご丁寧に俺の声色まで真似してくれる。

 こちらはもう、苦笑するしかない。

「ああ、そうだったっけ。や、なんかあまり覚えてねーな」

 忘れたフリでごまかしたくなるような話。だいたい"でっかいこと”って、具体的にゃどういうことだよ?

「あの後、ジギー君がオクタ・カテドラルに行ったって聞いてさ。ああ、やっぱりその何かを探しに行ったんだ、スゴイなって思ったけど。

 で、見つかったの? その“何かでっかいこと”」

 メリヤはいたずらっぽい微笑を浮かべて、俺の顔を覗き込む。

「……さ、どうだろな」

 俺はとぼけた顔で目を逸らす。

 刺激にあふれたスイーパー生活。その日暮らしで、無為に過ぎていく日々。

 でも、いつか、きっと。

 けれども俺には分かってる。本当に何かを成し遂げるヤツは「いつか」なんて言葉は使わない。

 勝者の人生は、「今、この瞬間」だけが積み重なってできている。

「……」

 なんとなく、そんな微妙な雰囲気を感じ取ったのか、メリヤはそれ以上聞いてこなかった。

 少し間があって、話題はそれとなく路線変更される。

「そういやさ、ジギーくんは今、なにやってんの?」

「今? ああ、マインド・スイーパー」

「へえ? スイーパーってあの? ガルキゲニマ駆除?」

 人が密集してる場所ほど、ガルキゲニマが沸きやすい。

 ガルキ駆除がお役所仕事以外に、個人業者として成り立つのは、都会特有の現象だ。

 だから、マインド・スイーパーは、都会にしかない職業でもある。まあ、これが都会から離れたド田舎だと、シャーマンとか巫女、司祭さんその他、文化風土に合わせた方々の出番になったりするわけだが。

「そ。でもまだぜんぜん駆け出しだけどね。一応、相棒と事務所みたいなモンをやってる」

「へえ。なんか、すごいね」

 メリヤはちょっと眼を丸くしてみせる。

「一応、名刺とかあるけど。いる?」

「うん、うん!」

 こくこくとうなずく。すぐに細くて白い指が、俺が胸ポケットから差し出した名刺を挟み取った。

「へえ、ラックスマイル・カンパニー? びっくり!」

 赤毛の虎とメガネのユニコーンがロゴと一緒にキャラクター化されて刷られた、ちょっとくだけた、親しみやすい雰囲気を狙った名刺。

 なんだか居心地が悪くなって、俺は苦笑する。

「……ま、そうでもねえよ。事務所なんて言っても、面倒くさいことばっかりでさ」

「でもさ、スイーパーって本当に大変なんでしょ? 

 危ないことも多いっていうし。あたしだったら、できないなぁ」

 居心地の悪さとは別に、美人に驚きと尊敬がこもったまなざしで見られるのは、ちょっといい気分でもある。

「ま、一応駆け出しの時はバイトして経験積んでたし、なんとかなるもんだぜ。それに、抜群に頼れる相棒もいるし」

 ちょっといい女の前で見栄を張っちまうのは男の哀しい宿命さがだ。

 にしても、“抜群に頼れる相棒”か! 我ながら笑っちまうな……むしろ“抜群にイカれた相棒”だろうね、あのクソメガネは。

「ふぅん、二人三脚ってやつ? いや、でもホント、すごいと思うなぁ。誰かの下で働くんじゃなくて、全部自分たちでやるんだよね?」

「まあね」

「そのぶん、苦労もありそうだけどさ、フツーの仕事より絶対すごいと思うよ! ねえ、どうやったらそんな仕事に就けるの?」

「いや、普通にマテリアライズ……想力の資質さえあればいいんだ。あとはバイトやらなんやらで実地訓練して、試験受けて資格取ってさ」

「資質が必要なんだ、やっぱり」

「……でもせいぜい、耳が動かせるとか、絶対音感があるとか、それくらいのレア度の資質だぜ。

 いってみりゃ精神力、ココロの力。意志のベクトルとか強度とか指向性の問題ね」

「ふぅん。たとえばさ、私でもなれるもの?」

「努力しだいじゃねえの? でもまあ、あんまりオススメはしないけどな。

 女性のスイーパーってのはわりに珍しいかな、やっぱり」

「へえ、そうなんだ」

「だいたいこの仕事って実質的にガテン系。

 ……キツイ、キタナイ、キケンを地で行ってるからな。まあ、一部に政府所属のエリートもいるんだけどさ」

「そっか」

「まあ、営業の仕方とか仕事の取り方、駆除作業自体は、一定のルーチンみたいなものはあるから、そんな大げさなものでもないけど」

「精神的にもやっぱ、タフじゃないとだめそうだよねぇ。

 そうだ、何か、続けるコツみたいなのはあるの?」

「コツ?」

「うん、参考までにさ」

「えっと、そうだな……最近思うようになってきたんだけど、物事やり遂げるのに一番大事なのはさ」

 俺は一度言葉を切り、もったいをつけてから言う。

「覚悟、なんだと思う」

「覚悟?」

「そう」

 迷っている時に重要なのは、考えすぎずに足を一歩前に踏み出すこと。

 傷ついたって、それを糧にできるヤツは強い。

 俺はそんなことを、少し調子に乗ってあれこれとメリヤにしゃべった。

「覚悟、か……」

 俺の言葉を頭の中で転がすように、メリヤはそっとつぶやいた。

 それからふと、微笑を浮かべながら言う。

「でもさ、何かを成し遂げるのに必要なものって、もうひとつあるよね」

「もうひとつ? なに?」

「ふふ、財力。おカネだよ。何をするにも重要になってくるじゃない」

「あ~、それは分かるな。やる気さえあればカネなんて、とかって、バカにできねえよな、現実の問題」

「うんうん。オクタ・カテドラルって、無駄に人は多いし家賃や物価が高くてさぁ」

「そうだよなぁ」

「あたしも、ちょい前まで仕送りもらってたんだ。ウチ、お父さんただの役所づとめだしさぁ」

「はは、お互い苦労すんな、ホント」

 下層階級の共感と連帯感ってやつは、なかなか強力。俺とメリヤは顔を見合わせて、小さく笑いあった。

「そういえばさ、お前は今、なにやってんの?」

 次は俺が訊ねる番。

「うん……そうだね、女優……みたいな? お芝居とかTVドラマとか、まあ、いろいろね」

「へえ、女優? すごいじゃねえか」

 確かにそれなら、この変身ぶりにも納得がいく。

 要は「業界人」になったわけだ。

 でも大人しくて真面目なあの頃のメリヤ・エグバルトを知ってる俺からすると、意外ではある。

「……や、まあ、たいしたことないんだけどさ」

 メリヤはちょっとはにかんだように、体をもじもじさせる。

「いや、十分すげえよ! で、どんなのに出てるの?」

 メリヤは、いくつかのドラマやネット番組の名前を挙げた。

「へえ、どっちも結構流行ってるやつじゃねえ? すげえすげえ。で、役は? どんなの?」

「え、役? あ~……まあ、その、そのね……」

 あれ? 急に歯切れが悪くなったな……?

「えっとね、役は……主人公がいつも依頼人と打ち合わせする……まあ、打ち合わせする、カフェのウェイトレス役とか、主人公の同僚の友人の妹役とかだけど」

 どっちも名前はないんだけどね、と言ってから苦笑する。

「へえ、そうなんだ……うん」

 わりに反応に困るな、ソレは。どうしたものか……

 俺の困惑具合がなんとなく顔に出ていたらしく、メリヤはすぐに慌てたように付け加えた。

「で、でも今度、ネット番組に出るんだ! ちゃんと名前がついた役でさ!」

「へえ、なんて番組?」

 またも彼女はしまった、という表情になる。

「あ、えと。えっとその、……マイナーな深夜枠なんだけどさ……タイトルは…‥って言って……」

 ぼそぼそ。急に声が小さくなっていく。

「え……何? ……のこと?」

「違うよ……だからさぁ……その……」

「え? え?」

 ついにメリヤは、ヤケになったように叫んだ。

「だから……『プリーズ!メルティ・メリキュア』だって!」

「……それ、低予算枠の深夜ネットアニメじゃね?」

「ま、まあね。ほかには『ワルプルギス・ナイトドリーム』とか……これでもけっこう人気あるんだから!」

 メリヤはあわてたように言う。少し、頬が赤くなってるような気がした。

 それを見て、ようやく思い出した。『ワルプルギス・ナイトドリーム』は、規制がゆるい深夜帯ならではの、セクシー系バラエティ番組だ。

 内容は実にくだらないけど、水着だらけで運動会だの、野球拳だののストレートで分かりやすい内容が、男性に大ウケ。

「へえ。そりゃあメジャー番組だ、いいね!」

 思わずニヤニヤ笑ってしまった俺を、メリヤは唇を尖らせてにらみつけた。

「なによ……バカにして。あ~あ、ジギー君になんか話さなきゃよかった!」

「いや、ほら……最初からでかい役なんてうまい話はねえさ。

 どんな大女優だって、一からコツコツ積み上げて、足場を固めていくもんだろ」

「……そうかな?」

「そうそう! だいたい、深夜番組だってスゲえと思うぜ! 十分レアだし、びっくりだよマジ!」

 拳を振りかざしつつ力説してやると、ようやくご機嫌が直ったらしい。

「ま、そうかも? うんうん」

 にっこり笑顔。ふぅ、やれやれだ。安心したのもつかの間。

「そういや私……なんかお腹減っちゃったなぁ」

 メリヤは白い壁にかかったお品書きプレートにちらりと視線を走らせ、じっと俺の顔を見る。

 そこには、食事一覧のメニューがびっしり。

 ささやかな精神的慰謝料をってか。俺は、小さく肩をすくめた。



 1個400ティカ、この店名物らしい合成肉バーガーをかじりながら、メリヤは話す。

 なんてこともない昔話から、最近のことまで。

 女の子の興が乗ってペラペラしゃべりだしたら、俺は適当に相槌を打ちつつ、聞いてるだけ。

 もともと話し上手なほうじゃないから、そのほうがラクだ。

 そうこうするうち、話はメリヤが先日実際に体験した、ガルキ憑きがらみの事件のことになった。

「最近さ……やっぱり怖いよね。この前、ウチの近所で一人暮らしの女の子が侵食されちゃってさ。

 急に暴れだして、特保警察がきたのが二時間後。おっそいよねえ」

「ふぅん」

「なんか、ヘンなクスリをやってたらしいんだけど。それでバッドトリップして、負の感情がすごく膨れ上がってさぁ。

 で、心のシェルっての? それが薄くなったとこを食い破られちゃったんだって」

「へえ……クスリか」

 最近、ちょっと流行ってるらしいな。違法精製されたトリップ薬剤。

「怖いよね……そうだ、あたしももし何かあったらさ、ジギー君に連絡するね!」

 そう言って、メリヤは笑う。

「おう、完全にコアを侵食されて、ロストやリ・ボーンが発生しないうちに頼むぜ。市内なら連絡一本で駆け付けるからよ。料金格安で」

「ふふ、マジで?」

「もちろん。将来の大女優のためならお安い御用ッスよ」

「あはは、ありがと」

 芝居がかった感じで頭を下げた彼女に、俺は冗談めかして言う。

「その代わり、TVとかメジャーネット番組に出るようになったら、宣伝よろしくな。

 ガルキゲニマからあなたのココロを守るラックスマイル・カンパニー、

 私は彼らのおかげで今も芸能活動を続けられているんですよ」

「あはは、いいよ。でもその時にはギャラ、はずんでもらうわよ?」

「そりゃあねえわ! タダにしろよ!」

「どうしよっかな~」

 屈託のないメリヤの笑顔。

 久しぶりに、俺の心の園に春が訪れたような……うん、これはなかなか悪くない。 


 携帯番号を交換し、浮かれた気分で帰ってから、教えてもらった芸名を、ちょいとネットで調べてみる。

 今のメリヤの立ち位置は、現在売り出し中のネットアイドルの卵ってところらしい。

 ただ、本来は歌手志望だって、ヴェガ・プロモーションとかいう事務所のオフィシャルサイトに書いてある。

 涼やかな声質で、声優業なんかもこなしているらしい。

 えっと、主な声の出演は……「『プリーズ! メルキュア・セブン』(ベリアン・ラズベリー役)」。

 うん、まったく知らねえ……。

 リビングに寝転がって、ほかにいろいろ検索してたら、ちょうどアリグラがやってきた。

 ちょうどいいとばかり、プリーズ! メルキュア・セブン』の名前を出して、知ってるかどうか、訊ねてみる。

 呪法銃や呪法テクノロジーメカのマニアで、ネット情報なんかに詳しいところがあるアリグラは、少し首をかしげたが、すぐに思い当たったらしい。

「『メルキュア・セブン』……ああ、確か、アングラ系のネットアニメじゃないですか?」

 聞くところによると、いわゆる「変身魔法少女モノ」というジャンルに当てはまる作品らしい。

 当初は大手玩具メーカーとのタイアップ作品だったのが、企画自体がポシャってしまい、

 それでもメゲなかったクリエーター陣の熱意で、アングラネットアニメとして復活。

 以降、マイナーなネット視聴者やいわゆる「大きなお友達」層の間で、知る人ぞ知る人気なんだとか。

 どうしてそんなことを聞くんだといぶかしがるアリグラを軽くいなし、俺は心の中で思う。

 俺は別にネットアニメになんか興味はないが、それはそれ、これはこれ。

 悪くないね。本当、悪いもんじゃない。

 久しぶりに会った同級生が女優だかアイドルだかの卵で、しかもぐっと綺麗になってたっていうのはね。

 そして相手はどうやら俺に好意のカケラくらいは持っていてくれるようだ。

 うん、お約束かもだが、ロマンがあるじゃねえか。

 近々、メールの一本でも打ってみるのが当然の成り行きだろう。


※※※


 だが、実はそんなこと、するまでもなかったんだ。

 メリヤから、唐突な電話がかかってきたのは、それから二日ほど経った真夜中の2時ごろ。

 その時、俺は近くのコンビニで夜食を買い終え、毎週愛読してるコミック雑誌を立ち読みしてるところだった。

 いきなり、ジーンズの尻ポケットの携帯がブルブル震えた。

「あ~…もしもし?」

 まさか仕事の依頼でもねえだろうと、いぶかしがりつつ、通話に出ると……

「あの……あたし! メ、メリヤ・エグバルトですけど。ジギー君?」

 慌ててる感じのメリヤの声。息づかいがちょっと荒い。

「そうだけど。なに? どしたの」

「ああ、よかったぁ……!」

 心の底から安堵したような様子。

「あ、あのさ……助けて!」

「!?」

 そこではっとしたように、メリヤの声は急に小さくなる。

「私、つけ回されてるの! 

 あ、あのね……今、今へんなヤツにずっとストーキングされてて!」 

「変なヤツ?」

 まるで、背筋にいきなり鋼鉄板が押し込まれたように、俺の身体がピンと張り詰めた。

「小柄なヤツよ。少し前から、妙な気配は感じてたの……。でもそいつ、フードをかぶってるから顔は分からなかったんだけど……

 偶然、風でめくれたフードの向こうが見えて。

 そしたら眼、眼が……真っ赤で、ギラッて光って! 

 まともじゃないの、なんか……雰囲気が。

 ひょっとしたらガルキ憑きじゃないかって! ニュースで眼が赤くなるって話、してたもの……」

(赤い眼か……!)

 ピンとくるものがあった。

 レッド・ゲイズ――血管の異常拡大による、一定周期での瞳の赤化。

 それは比較的レアなケースだが、特定タイプによる侵食が、比較的重度まで進んだガルキ憑きの固有症状。

 精神や肉体が異形化してしまう、比較的珍しいオチであるリ・ボーンの兆候でもある。

「特警に電話は?」

 この特警ってのは、ガルキの被害から市民を守る特保警察。

 お役所仕事の典型で、甲羅しょった亀より動きがのろいが、税金で整えた装備だけは無駄にいい。

 しかしまあ、全幅の信頼を置けるかっていうと……あんたがもし、リ・ボーンしかけのガルキ憑きに襲われそうになったら、一度特警を呼んでみりゃいいぜ。

 現場の近くに詰め所があれば、だいたい俺ら民間業者が駆けつけるより、30分くらい遅れて現場に到着してくれるだけで済む。

 ま、その間にあんたはリ・ボーンして化物同様になった被寄生者の馬鹿力で、バラバラに引き裂かれてるかもしれないけどな。

「あ……まだ電話してない。事務所のマネージャーさんには電話したんだけど、つながらなくて……」

 声にはっきりと含まれている、怯えの色。

「でも、でもさ、ジギー君ならって……

 あのさ、こんな夜中に悪いんだけど、すぐに来てくれない……?」

 なにしろ今は真夜中。

 言い出してすぐ、彼女なりに図々しい頼みごとだと感じたのか、ちょっと歯切れが悪い。

「んなこと、気にする必要ねえって。すぐに行く、待ってて」

「あ、ありがとう……!」

 メリヤの声は、今にも泣き出さんばかりだ。

「今、どこだ? 状況は? 手短に頼むわ」

「今は部屋の中。例のストーカーっぽいヤツ、ずっとマンションの前にいるんだ」

「……住所は?」

「うん、あのね……」

 教えられた住所に該当するマップを携帯から速攻で呼び出し、コンビニから走り出る。

 いつかTVの西部劇で見た、悪漢に襲われそうなヒロインの元に駆けつける若きカウボーイ。

 その勇姿を思い出しつつ、俺はジャージ姿のまま、駐輪場のハンニバル550RXに飛び乗った。


※※※



 十数分後、俺はメリヤの言ったマンションの近くに到着していた。

 メリヤの部屋は205号室。地上ではないといえ2階だから、比較的簡単に外から近寄れる位置にある。

 マンションの中とはいえ、確かにストーカー野郎を相手にしちゃ、ちょっと危ないよな。

 ハンニバルのエンジン音が聞こえないように、少し離れたところで止め、急ぎ足でマンションに向かう。

 ひょっとしたらもうトンズラしてるんじゃないか、と思っていたが、意外にもそいつはまだ、そこにいた。

 わりに小柄で、くたびれたジーンズにスニーカー姿。

 話通り、フードをかぶっていて顔はよく見えないが、メリヤがいってたヤツに間違いないだろう。

 うろうろ、手負いのクマのように歩き回っている。

 深夜ということもあってか、辺りにはまったく人通りはない。

 街灯が静かな光を投げかけているだけ。

 十分に怪しいが、すぐにブチのめすわけにもいかないだろう。

 こいつが本当にガルキ憑きかどうか確かめないといけないし、万が一、こいつがただの夜歩き趣味の一般人で、

 ストーカーですらなかったら、ヘタすりゃ暴行傷害罪だ。

 さてまずは……ちょっと考えたその瞬間。

 にゃ~ごぅ……

 どこかから、猫の鳴き声。畜生、近所のノラか?

「!」

 フード野郎は、その拍子にさっとこちらを振り向く。

 瞬間、目深にかぶったフードの奥で、まるで赤色恒星みたいな光が二つ、確かにきらめいた。

 (レッド・ゲイズ……間違いねえ!)

 さっきまではすぐに判断がつかなかったが、この症状でほぼ確定だ。

 こいつは重度の侵食を受けてるガルキ憑きで、リ・ボーンしかけのけっこうヤバい相手だ……!

 次の瞬間、そいつは弾かれたように走り出す。

 その動きに反応し、すぐに俺も後を追う。

 しかしフード野郎の足は妙に速かった。

 俺だって決して運動能力に自信がないわけじゃないが、それでも小柄な背中がぐんぐん遠ざかっていくのだ。

 俺はそのうち息が切れ始めたが、向こうはそんな様子もまるでない。

 路地の多い住宅街を追いつ追われつ、やがて数分もするうち、俺は完全にヤツの姿を見失ってしまった。

「ちっ……」

 ぜいぜいと息をつき、いまいましげに頭を振って、俺は追跡をあきらめた。

 一応、しばらくそこらを探してみたものの、無駄な時間を過ごしただけ。

 とはいえ、休んでいる暇はない。急いでメリヤの携帯に履歴から折り返しを入れる。

「もしもし……?」

 こわごわと電話に出たのは確かにメリヤだった。

 まあ、大丈夫だとは思っていたが、一安心。

「すまねえ。怪しいヤツがいたんだが、取り逃した」

「来てくれたんだ、ありがとう! 助かったよ、本当に!」

「今からそっちに戻る。ちょっと待っててくれ」

 数分後、息を切らしながら、メリヤのマンションの前に戻ってきたその時。

「キ、キミ、そこで何をやってる!?」

「あなた、そ……そこで何やってるんですかぁ!」

 背後から似たようにハモった声。

 驚いて振り向くと、そこに2つの人影が立っていた。

 片方は男で、片方は女。

 男の方はやや小柄だが、整った顔立ちで、ビジネスマン風にした短髪に紺のスーツ姿。

 ネクタイはちょっぴり派手な青のストライプ模様だ。

 そこそこ高級そうな革靴を履いていて、ちょっとお洒落な若手サラリーマンって感じ。

 一方、女は黒と赤のチェックのカーディガンに革のロングブーツ、ワンレングス風の髪には。凝った形の髪留め。

 小柄だが、なかなか愛嬌がある。

 目元には少しおっとり上品な感じがあって、こちらもあまり夜中に出歩いてるタイプには見えない。

「……あんたたちは?」

「……キミこそ、先に名乗ったらどうだ?」

「あ、あなたこそ、だ、誰ですか!?」

 また2人の声がハモった途端に、頭上から声。

「ありがと、マーシャ! あとラズロさんも、来てくれたんだ!」

 メリヤの声? 直後、マンションの二階の窓が開く音がして、そこから覗いた見覚えのある顔が手を振った。



「これはどうも、とんだ誤解をしてしまったようで……」

「私、てっきり……あなたがメリヤが言ってた、その……ガルキゲニマ憑きかと……」

 やや小柄な男が小さく頭をかき、髪留めの女が、心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 ここはマンション二階のメリヤの部屋だ。

「本当にすみません……私、ウチのメリヤに何かあったらと、ついつい慌ててしまいまして」

「申し訳、ありませんでしたぁ……」

 ラズロという男は、メリヤの仕事上のマネージャー。マーシャという女のほうは、同じ事務所に所属している仕事仲間らしい。

「ジグザ君、本当にごめん。っと、そうそう、紹介がまだだったわね……

 こっちは昔の同級生でジグザ・バドラルクくん。マインド・スイーパーの仕事してるの」

 メリヤが改めて、俺を2人に紹介してくれる。

「マインド・スイーパー?」

「へえ、すごい……!」

 ラズロがけげんな顔をし、マーシャが胸の前で手を合わせるようにして、小さい感嘆の声をあげる。

「あ、まあ、そんなモンす……」

 俺もぺこりと会釈をする。

 瞬間、ラズロがちらりと眉をひそめたかと思うと、かすかに、メリヤのほうに非難めいた視線を送った。

 メリヤはそ知らぬ顔で、その視線をスルー。

 なんだ……? 確かにスイーパーはカタギとは言いがたい仕事だが、それでも正直、いい気分はしない。

 さては、メリヤが事務所におうかがいも立てず、勝手に作ったヤンチャな彼氏にでも間違えられたか?

 いやあ、モテる男は辛いねえ。

 俺はそんなことを一瞬考えたが、すぐに邪念を頭から排して、きりり、と仕事モードの表情に戻る。

 「さて、紹介が終わったところで、次に行きましょう。

 具体的には、今後の対策なんスけど……

 明日からどうするか、考えておいたほうがいいでしょうね」

 ここでぜひとも、俺が頼りになるってところを見せておきたい。

 そのためのあえての仕事口調だが、実際、ガルキ駆除の専門家としては、状況を把握し、

 対策を立てる必要があると思ったんだ。

「今後……?」

 まずメリヤ、続いてラズロとかいう若手マネージャーとマーシャが、はっとした顔をする。

「あいつがガチでリ・ボーンしかけのガルキ憑きだとしたら、自然治癒はまず見込めません。

 また、どこかメリヤに執着しているような雰囲気がありましたよね。だったら、また現れる可能性が高いんスよ。

 対策は必須になると思うけどね」

 目を見合わせる3人。

 ガルキ憑きがレッド・ゲイズの兆候まで見せて、リ・ボーン寸前の状態で誰かにつきまとう。

 原因は、いわゆる痴情のもつれが多い。

 元恋人が、「振った振られた」の流れで心を病んだ挙句、ガルキゲニマの侵食を受けてリ・ボーン。

 愛憎入り乱れたつきまといの結果、悲劇に至った事件。

 そんなケースはそこまで多くはないけれど、やっぱり、俺が知っている範囲でもいくつかは存在する。

「ちなみに、相手に心当たりはないかな? ストーカー的行動に出そうで、心に闇を抱えてそうなヤツ」

 俺は、メリヤに質問する。

「放置しとくと……最悪の結末になるかもしれないからさ」

 場の雰囲気が、一気に緊張した。


 ……だが、分かったことはごくシンプルな事実だった。

 今のところ、元彼とかそういう存在には心当たりはない。

 仕事柄、熱狂的な彼女のファンである可能性がわりに高いが、対象を特定できるような要素も皆無だった。

 まあ、それもそうだよな。

 駆け出しのアイドルのファンなんてどこに転がっているかわからないんだから。

 メリヤによると、少し前から、日常生活の中で誰かに見られているような感じを覚えることは何度かあって、

 それが具体的になったのはここ一週間ばかりのできごとだったらしい。

 一通りのことを話したあと、メリヤはおずおずと切り出した。

「あの、いい? 実はあたしさ、ジギーくんに頼めればなって思ってるんだけど…いろんなこと含めて」

「俺? 特保警察とかじゃなくていいの?」

「うん。ジギー君なら、安心して任せられるかなって」

 精神潜伏型のヤツじゃなくて、こういった形で現実世界で暴れるガルキ憑きに対処するのも、確かに俺たちの商売の範囲内だ。

未確定情報が多い状況を考慮し、少し考えてはみたが、0.1秒で答えは出ていた。

「ああ、いいぜ。任せてくれ!」

 ドン、と胸を叩かんばかりの勢いで即答する。

もちろん、正義感からだ。いやまあ、半分は「昨年以来ずっと来彼女がいない」っていう、俺の私的事情もあるにはあったんだが……。

「た、頼もしい……さすがプロですねぇ」

 感心したようなマーシャの声。

 メリヤの顔も、パッと明るくなる。

だが、ラズロのほうは……なんだか複雑な表情だ。

……男性同士、俺の下心が伝わって、妙な虫が付かないかって、警戒でもされてるのかな?

 ま、知ったこっちゃないがね。

 今ここで俺がメリヤの力になれるのも間違いない事実なんだ。

 まさに、ここでやらなきゃ男じゃないよな。

「じゃ、じゃあさ……あの、ちなみに報酬ってどれくらい?」

 メリヤが恐る恐る、といった感じで訊ねてくる。

 まあ、マインド・スイーパーに直接仕事を頼むなんて、そこまであることでもないだろうからね。 

「そうだな……」

 俺はちょっと思案したあと、携帯の計算機能を呼び出して数字を弾いてから、画面をメリヤに見せる。

「今回はわりに特殊なケースだから、ターゲットの割り出しと調査に十日前後として……そう、ざっとこんなもんになるけど?」

「そ、そっか……」

 その数字を見た瞬間、メリヤは困ったような表情。

 駆け出しアイドルがそうそう金回りがいいわけもない、か。

「ちなみに、前金は一部もらうけど、残りは成功報酬だから、そこらへんは安心していい。

 ま、確実性ならやっぱり特保警察って手もあるけどな」

 メリヤの顔がまた少し曇った。

「……実はさ、ちょっと今は事情があって」

 ここまで言って、ちらり、とラズロのほうに意味ありげな視線を送る。

 ラズロのほうは、しぶしぶ、と言った様子でうなづいてみせた。

 それを受けて、メリヤが続ける。

「実は今度ね、あたし、初めての単独ライブをやるかもしれないんだ。それに近々、ネットドラマの大きな役ももらえるかもって……

 だからさ、スキャンダルみたいなのは困るんだって。

 身辺に気をつけるようにって社長に言われてて、あまりヘンなウワサを立てたくないの、今は」

 なるほど。これでラズロの、妙な表情の理由が分かった。

 メリヤたちは、ヴェガ・プロモーションとかいう事務所にとっての、大事な商品。

 あまりカタギじゃなさそうなやつに、近寄ってほしくなかったってわけだ。

 失敬な話ではあるが、分からなくはないね。

 マインド・スイーパーは、確かにまともな勤め人志望が選ぶようなジョブじゃないもんな。

「だから、あまりハデにしないで解決したいんだ。ね、ジギー君に頼めるかな? 

 ちなみに、料金ちょっとオマケしてくれるんだったら、すごく助かる! 

 申し訳ないけど、お願いします!」

 メリヤはそう言って、深々と頭を下げる。

 金銭的理由は、メリヤにとって、ひょっとしたらかなりデカいのかもしれない、とちらりと思う。

 そういやこの部屋だって、決して派手な感じではない。

 むしろこの年頃の女の子の部屋としては質素なほうじゃないだろうか。

 俺は貧乏性な駆け引き癖で、また一応考え込むふりをしようかと思った。

 でも実を言うと、アリグラの馬鹿が先日も仕事でスペル・バレットを撃ちまくったせいで、今月はちょっと赤字見込みだったんだ。

 だから事情が事情だし……美人に頼まれて断るなんて選択肢、ハナから俺にはなかったんだよ。

「まあ、いいぜ。値引きする形で引き受ける」

「ホント!? ありがとう!」

 こういうのを、花が咲いたみたいというのだろう。

 メリヤは、実に嬉しそうな表情を浮かべる。

 ちょっと緊迫していた部屋のムードが、さっと華やいだ。

 俺は彼女を安心させるべく、わざとニヤリと余裕の笑いを見せてから、言う。

「ああ。その依頼、確かに受けたよ……将来の大物女優の頼みだしな」



 そのまま明け方になるのを待ち、俺は今度はマーシャを最寄の駅まで送っていった。

 その途中、俺はマーシャから、メリヤについてのいろんなことを聞いた。

 メリヤは今、ようやくちょっと売れてきたというところ。

 でも少し前までは、実は本業より喫茶店のアルバイトのほうが稼げるくらいの状態だったらしかった。

 仕事は、アイドル業だけではなくて、女優やコンパニオンみたいなこともやってるらしい。わりと何でも屋だな。

「まあ、人気商売っていうところはありますし、苦労はけっこうありますよ……。

 メリヤは歌手志望だったんですけど、アイドルの卵として出た最初のライブなんて、お客さんは5人くらい。

 夜はいつでもいっぱいの人気ライブハウスががらんとしてて、

 せっかく覚えた歌詞も忘れちゃうくらい頭が真っ白になったって。

 なんていうか、ショックと悲しさで頭がクラクラしたって聞きました」

「そうなのか」

 ちょっとその様子を想像してみる。

 まあ、確かに若い女の子が「世間の誰もが自分になんて興味がない」ってことを思い知らされるのは、あまりいい気分じゃないだろう。

 特に元優等生で、ちょっと都会に夢を見て出てきた女の子が直面する事態としては。

「あいつも、なんだかんだで大変なんだな」

 俺はつぶやく。

「……でもね。大変なの、メリヤだけじゃないですよ。私だって。私の時は……3人だったですもん」

 マーシャはそう言って、苦笑する。

「あ、そうなんだ……」

 うわ、それはそれは……

「いつもプレッシャー、感じてます。このままどんどん年だけとっていって、仕事なんていつなくなるかもしれないって。

 辛いですよ、そういうのって」

「そ、そうだねえ……」

 お嬢様風のおっとりした雰囲気とはあまり合わない、しみじみした調子。

 どう対応したものかと俺は困った。

 そもそもこっちの業界のことなんて、あまり詳しいほうじゃないしね。

 アリグラなら、いつものように適当なことを言ってフォローするんだろうが……。

「で、でも、二人とも綺麗だし。ぱっと見もイケてるし、何とかなるんじゃないの?」

 必死で考えた挙句ひねり出した、これは半分以上本音の言葉。

 だが、マーシャの顔は全然明るくならなかった。

「う~ん、ジギーさん、毎日この街で何人、美人を見かけますか?」

「え?」

「そう言ってもらえるのは嬉しいです。

 ……でも、私たちぐらいの子は、いくらでもいるんです。

 事務所にだって毎月のように、新しい子が入ってくるし。

 ルックスだけじゃない、歌やダンスも上手くて、自分で歌詞まで書けるセンスのある子だって」

「……うーん」

 俺はもう、苦笑するしかない。

「あのね、こういう仕事って、そのへんはすごいシビアなの。

 それこそ、誕生日ごとに自分の価値が下がってくるような……二十歳を越えたら、ひょっとしたらもうオバさんなんですよ? 

 そのうち、自分の立ち位置が、よくわからなくなってくるんですよね……」

「……」

「こういう業界の人で、新興宗教に入ってたりする人、多いでしょ? それは別に業界の人が“個性的”だからってわけじゃないんですよ。

 華やかに見えるけれど、将来の保障もなにもなくて、本当はとても厳しい場所だから」

 もう、俺は返す言葉もなかった。

 場が妙にシリアスな雰囲気になったのに気づいたらしく、あわててマーシャは言う。

「ご、ごめんなさい……ヘンな話しちゃって。

 だめだな、私。気遣いがちょっと足りないですよね!」

 マーシャはえへへ、と小さく笑ってみせる。

「でも、メリヤは、私と違って才能があると思うから……

 知ってます? 歌もすごく上手いんですよ。だから、応援してあげてくださいね! 

 私もこれから、まだまだ頑張ろうと思ってるんですから!」

 無理に取り繕ったような笑顔は、ちょっと虚ろ。

 俺のせいでもないのに、なんだかチクリと胸が痛んだ。


 駅で別れたマーシャの後ろ姿を見送りながら、俺は考える。

 オクタ・カテドラルに夢を抱いてやってくるヤツは多い。

 でも、どんな場所だって、人間が住むところは結局、光と闇がまじり合ってできている。

 光だけが降り注ぐ美しい楽園なんて、神話か空想の中にしかないのかもしれない。



 事務所に帰って、俺から一部始終を聞いたアリグラは、少し顔をしかめて面倒そうに言う。

「やれやれ、レッド・ゲイズね……面倒な仕事だな」

「ま、まあね。ちと厄介かもな、確かに」

「もしかすると、本人の意思じゃなく、ガルキゲニマが自分の宿主をコントロールしてる可能性もあるじゃないですか」

「ああ」

 今回のストーカー野郎については、実は、表に出ている異常行動が、力任せな凶暴化やストレートな欲望発散型じゃないのが問題なのだ。

 具体的には、行動が理性をある程度保ちつつのストーカー行為に留まっているところだな。

 最初に遭遇したとき、ヤツは俺の気配を察して逃げることさえした。

 劣勢、マズイ状況だっていうのを理性で「判断」できたってことだ。

 つまり、宿主の精神をすぐに暴走させず、じっくり潜伏したほうが目に付かず、結果として良策であることをガルキ自身が理解しているってことだ。

 それが意味するのは……

「ターゲットのガルキゲニマに、知性がある可能が高い。仮にランクがB以上で、なおかつ狡猾なタイプだった場合は、厄介ですよ。

 ウーズやインプみたいな小物とはワケが違ってきますし。

 ヘタすりゃ、精神世界の中で僕らのほうが返り討ちだ。

 それで料金がコレって、ちょっと安請け合いすぎじゃないですか?」

 じろり、とメガネ越しの冷たい視線。

「……どうせ、依頼人が美人だから、彼女の前でカッコつけたんじゃないですか?」

「な……?」

 このインテリメガネ、ついに読心術でも覚えたのか!?

 俺の動揺を見た後、アリグラはふぅ、と大げさにため息をついた。

「図星か……まったくね、単純なんですよ、君は。

 僕に依頼内容と一部始終を語る口調が、もう依頼人が女性で、しかも魅力があるタイプってのをイメージしてる感じだったし」

「ぐ……う、うるせえな、ほっとけ!」

 嫌なタイプの以心伝心だな!

「まあ、いいですよ……僕も少し、興味がないわけじゃない。手伝ってあげますよ」

「え?」

「その代わり……紹介してください、彼女のこと。個人的な推測含みですが、なかなかの美人と見ましたからね」

「ふざッけんなッ!」

 途端に、俺は動物園のチンパンジーみたいに、唇を思いっきり突き出して叫ぶ。

「い~や、お断りだ! 絶~~対にダメッ! 依頼者は俺の大事な友達なんだからなッ!」

「いやいや。僕だって君の友人……親友であり仕事上のパートナーですらある。

 必要なのは信頼関係でしょ? ね?」

「黙れ、この色魔め! ガルキ憑きより始末が悪いわ! 

 だいたい、てめえとの間に、ハナから信頼関係なんざねえよ!」

「そういえば、以前お情けで飲み会をセッティングしてあげた化粧品会社の広報さんチーム……

 ジギーがお気に入りの子、いましたよねぇ? 彼女の携帯アドレス、知りたくないですか?」

「な、なに? てめえ、いつの間に……」

「どうしましょうかね? まあ物事には等価交換の原則、というものがありますが」

「ぐぐ……」

「近々、また飲み会やることになってるんですよね~。あ、そうだ、君を呼んであげてもいいですよ?」

「ぐおおお! だ、ダメだダメだ! 断る断る断るッ!」 

 俺は虎のように吼え、悪魔の誘惑を断ち切る。

 やれやれ、同じ邪悪で狡猾でも、ガルキのほうがまだマシな気がしてきたぜ……!


 ……が、結局アリグラの魔の手(?)からメリヤを守りきることはできなかった。

 理由は、商売上の判断ってやつ。要するに、今回相手にしなきゃいけないかもしれないガルキは、いろいろセコい技を使いそうなタイプだってこと。

 この場合は、クソメガネのスペル・バレットと、その知識の世話にならなきゃいけない場面が、けっこうあるかもしれないのだ。

 そして何より、悔しいけれどコイツは。精神世界の中でガルキが使ってくる妙な呪法や能力にも、対処するすべを数多く知っている。

 アリグラの本名は、アリグラ・ゼ・クルスニカ。

 クルスニカ家は、ガルキの正体が明らかになる以前から、「ザウートの聖職者」として彼らの侵入を退け、魔を払ってた由緒ある退魔の家系だからな。

 そこいくと、俺はどっちかというと肉体派で、愛用の駆除ロッド・バジュラで直接ぶん殴れない相手はニガテなんだよね。


 それでもアリグラとメリヤを初めて会わせることになったときは気が気じゃなかったが、どうやらアリグラの魔力も、時々は通用しない相手がいるらしい。

 一通りの挨拶を済ませたあと、早速の軽めのちょっかいを適当にあしらって、メリヤはごくごく普通に話を進めていった。

 アリグラのヤツも相手に脈がないことを悟ったのか、それ以上モーションをかけるでもなく、大人しくしている。

 まあ、夜討ち朝駆けなんでもアリな野郎だけに、正直まったく信用できないけどな。


 金額は約束どおり相場よりおまけした額を提示し、契約は完了。俺たちはしばらく、メリヤの住んでるマンションの近くで張り込みをすることになった。

 根城はレンタカー屋で借りてきたバンだ。商売道具一式を詰め込んで、交代で見張りって流れ。

 泥くせえが、これもまあ仕事のうちさ。

 ときどき、メリヤやマーシャが、それとなく差し入れをくれる。マーシャはけっこう、友達想いのいい子なんだ。

 で、アリグラの野郎、なんだかんだでマーシャとは結構仲良くなっていやがる。たまに冗談を言って「イヤだー」とかいいながら笑いあってたりして。

 ネタは流行のスイーツと動物、旅行に占いときた。

 やれやれ、こいつの悪魔的笑顔と、女の子の警戒を解かせ、心にするりと侵入する話術……

 ガルキゲニマよりよっぽど危険な気がするね。とっとと駆除したほうが世の中のためだぜ、まったく!

 そういや依頼が成立したあとメリヤに、緊急連絡用の小さなポケットサイズの携帯を持たせたのも、アリグラの提案だったっけ。

 あり合わせの携帯パーツを組み上げ、ジャンクショップのパーツも加えて改造したとかいう代物を渡しながら、

 まさかの時のため、とか言ってたが……よく考えたら怪しいもんだ。

 連絡にかこつけて口説いたりしやがったら、絶対に邪魔してやる!


 そんな俺の内心の葛藤とは裏腹に、最初の一週間は、特に変わったことはなかった。

 だが、八日目。深夜に携帯TVを見ながらカップ麺をすすっていると、後部シートから双眼鏡で見張っていたアリグラの、やや緊張した声。

「ん? 怪しい奴がいますね……」

 俺はがばりと、助手席のシートから跳ね起きた。

「マジか? 服装は?」

「うーん、フードをかぶってて、顔は見えないなぁ」

 目深にかぶったフード。俺の中で、直感がピンと跳ねた。

「そいつは、有望だな……!」

「ナップザックを背負って……手に……何か持ってますね? よく分からないが」

「ちょっと貸せ」

 ひったくるようにして、アリグラから双眼鏡を奪い取る。

 丸く切り取られた視界の中、確かにたたずんでいる小柄な影。

 今夜は、地味な茶色のパーカーを着込んでいる。背丈はこの前のヤツと同じぐらい。やはり、かなり有望だ。

 影は、立ち止まって、マンションの窓を見上げている。ややあって、街灯の影に入ると、こそこそと何かしているようだった。

 ガルキ憑きとはいえ、侵食されたガルキにコントロールされてるタイプなら、得物や道具を扱う知性は持ち合わせていてもおかしくない。

「……どうします?」

 ここはバンの中だから気にする必要もないのだが、心なしか小声でアリグラが尋ねてくる。

 先日の逃げ足の速さを考えると、奇襲しかないだろう。

 こんな時に備えて、ドアは音を立てないように、布切れをかましてある。

 俺は、ゆっくりとうなづき、こんなこともあろうかと考えておいた案を、アリグラに話した。


 目線で合図を送ると、アリグラも無言でうなづく。

 それからアリグラは、そっとバンの前部ドアから忍び出た。

 そのまま、ヤツの後ろ側の路地に移動する手はず。挟み撃ちってわけだ。

 ややあって、双眼鏡を覗いて相手を監視してるうち、尻ポケットの携帯が一瞬、震えてから沈黙する。

 アリグラからの合図。瞬間、俺はバンのドアを開け、さっと飛び出す。

 ヤツの逃げ道をふさぐように、道路の真ん中に立ちはだかる。


 野郎ははっと身構えたが、反応は素早い。すぐに俺とは逆の方向に、風を切って走り出した。

 スニーカー姿に背中の派手なナップザックが揺れ、その拍子に、目深にかぶっていたフードが外れる。

 ちらりと見えた金髪と、耳の銀色のピアスが印象に残った。

(逃がすかよ!)

 俺はバジュラを柄だけに縮めて専用ホルダーに収めると、すぐさま後を追いかける。

 ヤツの走る速度は、先日ほど速くはない。今日はガルキの、肉体の潜在能力を高める力の影響を、あまり受けていないのかもしれない。

 やがて少し先の角を曲がった途端……パーカー野郎の足が止まった。

 じりじりと、あとずさりする。俺は余裕の笑みを浮かべ、逆から距離を詰める。

「ふん。こっちが何の用意もないと思ったのかよ」

 男の行く手に、長身の影が立ちふさがっていた。先回りし、呪法銃・アガーテを構えたアリグラ。

 こちらも威圧するかのように、じりじりと数歩前へ。

 次の瞬間、パーカー野郎が動いた。

 路地の塀に取り付き、乗り越えようとする。

 その動きを察して、俺は内心、舌打ちしつつヤツに追いすがった。

 「アリグラ、援護を!」

 と見ると……もう、済ました顔でアガーテのトリガーを引いてやがる。続いて響き渡る轟音。

 「おいおいッ!?」

 生身の人間相手に呪法銃をぶっ放すなんざ、協会にバレたらコトだ。

 だから、今アリグラが撃ったのは、せいぜい高圧電流を流す「ショック」のバレット程度だと思いたいが……ああ、そう思った俺がバカだった!

 直前までストーカー野郎が足をバタバタさせていた壁の表面に爆炎が吹き上がり、俺は間一髪、頭を抱えて路地に転がると、すぐに起き上がって天を仰いだ。

「またかよ、この野郎! ……あっ! 畜生!」

 アリグラに向かって吼えると同時に、俺は焦った。

 塀を越えるのに手間取っていたパーカー野郎が、爆風に持ち上げられるような形で、ひょいとそれを乗り越えてしまったのだ。

 俺は必死で追跡しようとしたが、なんとか塀のてっぺんに登った時には、もうどこにも姿が見えなくなってしまっていた。

 「なんてこった……!! てめえ……おい、いったいどういうことだよ!?」

 塀から飛び降りるやいなや、失策をやらかしたメガネザルの胸ぐらを掴まえ、怒鳴る。

「おお、僕としたことが、うっかりしてましたよ……まさか装填が爆裂弾のままだったなんて!」

「……とぼけんな! ここは"リアル”だぞ、しかも街中でぶっぱなしやがって!!」

「そんなことないですって……ついうっかりですよ。ああもう、そうキレないでください。血圧があがりますよ?」

「高血圧で死ぬより、爆発好きのイカレた相棒に殺されるほうが早い気がするんだが? 

 しかも、ヤツを逃がしちまっただろうが! どうすんだよ!?」

「いやいや、大丈夫ですよ。結果オーライ」

「はぁ? なにがどうオーライなんだよ!?」

「ほら、ホシは重大な手がかりを落としていきましたから」

 胸ぐらを掴まれたまま、アリグラがひらひらと右手を振った。

 人差し指と中指の間に、黒くて四角い何かが挟まれている。

 俺はどん、とアリグラを突き放すと、黒皮製らしいそれをむしりとった。

「なんだ……定期入れか何かか?」

「……ご名答」

 乱れた襟元を直しながら、肩をすくめつつアリグラが言う。

「定期の住所は、名前からしてどっかのアパートかマンションでしょう。場所はここからかなり近い。

 たぶんですが、そこに向かって逃走しているんじゃないかと……

 ほら、怒ってる場合じゃないですよ! 

 ヤツが間抜けな落し物に気づかないうちに、すぐに向かいましょう!」

 刑事ドラマばりのキリッとした表情で、ごまかしやがって。

 だが、確かに今は緊急事態だ。

 ちっと舌打ちして、俺はあごでバンの近くに停めてあったフローターバイク・ハンニバル550RXを指す。

 こんな場合は、小回りが利かないバンより、こっちが確実だ。

「乗れよ」

「OK!」

 親指を立てて、キラリと歯を見せて笑顔。はらわたが煮えくり返る思いだが、今は仕事が優先。

「これは貸しにしとくからな! まったく、男なんざ乗せたくねえんだ、ホントならよ!」

 ぶつぶつ言いながら、俺は2ケツでハンニバルを飛ばす。

 途中、携帯で一部始終をメリヤに伝えておくのは忘れなかった。


 着いたところは、確かにアリグラの読みどおり、ちょっと小綺麗な新築アパートだった。

 急いで定期に書いてあった住所――103号室に突撃。

 もちろんドアには鍵がかかってたが、アリグラの衝撃系実体弾が、たちまちそれを粉砕する。

「おいおい!」

 リアルワールドじゃ、器物損壊罪に引っかかるんじゃないかと俺はかなり心配になったが、もうやっちまったもんは仕方がないわな。

 さっと部屋の中に踏み込んだ瞬間――。

「うおおおお!」

 部屋の片隅から不意に飛び出してきた小柄な影が、何かをぶん、と振り下ろす。

 でもまあ、反撃は予想済み。アリグラは左に、俺は右に。

 回避のついでにちらりと確認すると、得物はどこかで拾ったらしい、鉄パイプみたいなもんだった。

 やれやれ、物騒だな。

 でもまあ、これで正当防衛って大義名分が立つかな?

 さっさと身をかわし、バジュラで一発、軽くぶんなぐる。それだけで、相手は簡単にのびた。

「ったく、手間かけさせやがって」

 気絶したところでよくよく見ると野郎、わりにイケてる顔立ちだ。

 金髪にピアスもあいまって、そこらで軽音楽でもやってそうな学生ミュージシャンって雰囲気。

 地味なパーカーの下のシャツは、意外にもけっこう仕立てが凝ってて金がかかってそうだ。

 胸にはシルバーアクセサリー。お、けっこう高いブランドものか。

「ふぅん……」

 ちょっと意外な面持ちで、のびてるストーカーを眺める。

 見るからにチャラいが、女にもなかなかモテそうだし、駆け出しアイドルに執着するような根暗野郎には見えない。

 ま、もちろん人は見かけによらないってのは、この商売やってれば真っ先に到達する真理だけどね。

 目を見張る美人やイケメンのエゴや内面世界が、実際はどろどろで歪みきってるのは、よくあること。

 ちやほやされそうなルックスのヤツほど、気をつけたほうがいいんだ。

 そう、たとえば俺の横で涼しげな顔してるクソメガネとかもな。

「……なんです? 僕の顔になにかついてますか?」

「別に」

 ついてるとしたら、背中とケツにだな。ねじまがった角と、黒くて尖った尻尾がね。

 ま、これで仕事は一段落だろう。あとは確保したこいつを、どこかの精神外科か政府の特保機関にでもぶちこんで、精神洗浄してやるだけだ。

 ひとまず、さっさとメリヤに連絡することにしよう。

「もしもし? ストーカーのガルキ憑きは押さえたぜ。で、どうする?」

 俺は二言三言、メリヤと言葉を交わす。ややあって、俺は通話を切る。

「おい、アリグラ」

「はい?」

「ここでいいや、早速やっちまおう」

「へえ、病院に運ばないんですか? マインド・スイープについての第三者立会い、キッカー配置についての規定も無視?」

 やや意外そうだが、どこか楽しそうな口調。

「そもそもメリヤが、あまりコトを大きくしたくないってことだからな。クライアントの意向は大事にしようってことだ」

 今回、実際に被害は出ていないからな。

 正直、あまり歓迎はしないけど、このまま当事者同士での手打ちにだってできるかもしれない。

 ガルキに憑かれたなんて、あまり世間体の良い話じゃないから、こういった手打ち、事件の顛末が表に出ないケースだって、ざらにあるんだ。

 ただもちろん、俺らの本分――ガルキ狩りはきちんと実行して、もらうもんはもらうけどな。

 ギャラがクライアントからになるか、“治療してもらった本人”からになるかは、ケース・バイ・ケース。

 でもまあ、今回はこのチビのチャラ野郎か、その親から頂戴することにしたいけどね。

 だいたいこういう学生野郎は、甘やかされて育ったに決まってる。

 心が弱いから、簡単にガルキに憑かれたりするんだ。

 まったく、俺は大学に行くどころか、この稼業を始めるにあたって、道具屋や事務所を押さえるのすら、自前だったんだぞ?

 ……ま、これはさすがに貧乏人の私怨すぎるか。

「さあ、悪いガルキは、さっそくお払いしなくちゃな」

 俺はぐったりしてるヤツをベッドに運び、精神同調用のエンジェル・リングを設置。D・D……ディメンション・ディガーと精神同調カプセル入りのタブレットを取り出す。

「ん……?」

 しばらくして、俺は異変に気づく。

 ガルキゲニマの侵入跡を、再びこじ開けるはずのD・Dが、いつまでたってもチャラ男のシェルに隙間を見つけられないのだ。

 ガルキゲニマは侵入時に、精神外殻――シェルを破壊する。

 その跡から侵入孔を広げるってのがD・Dの機能であり、先日整備したばかりだから、故障もまず考えられないはずなのだが?

「妙だな……」

「……?」

 俺たちは顔を見合わせる。そして、次の瞬間、俺はある可能性に思い当たる。

 偶然だが同じことをアリグラも考えたようだった。

「もしかして……」

「そうですね」

 俺は急いで、気絶しているヤツのまぶたを人差し指でこじあけ、瞳孔を調べる。何か決定的な間違いがないなら、発症中ではないかもにせよ何かしらレッドゲイズの兆候があるはずだ。



 ……十分後、俺はゴホン、とせき払いをして重々しくアリグラに言った。

「非常に残念な結果だ」

「ええ。何か、手違いが起きたようですね」

「……不幸なすれ違いだな、うん」

「ふむ……意外に、それで済みますかね?」

「済めばいいな」

「やっぱダメじゃないですかね」

「そうかな?」

「そうですよ」

 しばらく、間。

「……ね、どうしよっか?」

「僕に聞かれても……」

 最悪も最悪、大外れの大凶。

 あろうことか、このチャラ男には、レッド・ゲイズどころか、身体のどこにもスティグマやブランデッド(精神侵食に反応して被規制者の肉体に浮き出る、ガルキの侵入痕)すらない。

 つまり、リ・ボーン間際の重度の侵入どころか、ガルキの被寄生者ですらなかったってオチ。

「いや、でも……だってコイツ、俺たちを見て逃げたじゃねえか!? 

 それに、スネに傷がないヤツが、深夜に誰かが訪問してきたってだけで、鉄パイプで殴りかかるか?」

「そりゃそうですけれど……あ」

 アリグラが、手近にあった作業机の上から、薄い紙片みたいなものをつまみ上げる。

「ん?」

 俺も覗き込んでみるが……そこには、スケスケのSFチックな衣装を着込んだ女の子の写真。

 アングルがけっこうきわどい。どうやら、ゲームかコスプレイベントか何かの衣装写真だとアタリが付く。

 その気になれば、こういうのはネットにたくさん落ちてるからな。

 俺だって健全な男子だから、興味半分に裏サイトのURLをクリックしたことぐらいある。

 アリグラと顔を見合わせて、作業机の上や引き出しの中を調べると……出るわ出るわ。

 高解像度で印刷された、多数のカラー写真。

 さっきのコスプレ系やら、駅の階段とおぼしき場所での女子高生のパンチラ写真、それから素人のヌードを彼氏目線から自撮りした、イカガワしい写真などなど……

 壁に掛けてあった見覚えのあるナップザックの中からは、高性能な赤外線撮影と望遠レンズまで付いた高級カメラ。

 部屋の片隅には、高精度の業務用プリンター。、

「……なんだよ、ただの盗撮野郎か! クソ! まぎらわしいこと、すんじゃねえよ!」

 俺はプリントアウトされた写真の束を、壁に投げつけて悪態をついた。

「僕たちを攻撃してきたのも、盗撮趣味がバレたらマズいってことみたいですね……」

「ちっ。でもまあ、普通の訪問者は、ドアのカギをド派手に破壊したりはしないけどな!」

 じろりとにらんでやると、アリグラはトボけた顔で口笛を吹く。

 どちらにせよ、真相は、目の前で気楽にノビてる盗撮魔のチャラ男が目を覚ましてから、ということになりそうだった。



 少しばかりして目を覚ました途端、ヤツは状況を察したらしい。

 で、いきなりがばりと土下座。

「す……すいませんでした! でも、俺は頼まれただけなんだ!」

「はあ?」

「ウラ系のアングラ掲示板で、メリヤって女を盗撮してくれって! なにせ報酬がでかくてさぁ!」

「ああん?」

「だめです、ジギー。あまりに君の人相が悪いから、びびっちゃってるじゃないですか。ここは僕がソフトに尋問しますよ」

「ちぇっ…勝手にしろ」

 俺が締め上げ役のコワモテ、アリグラが人情味のあるカツ丼おごり役ってか。

 話をよくよく聞いてみると、こいつは近所の某私立大学の、写真サークルに所属してるらしい。

 で、ちょくちょくそういったバイトで小遣いを稼いでて、裏サイトではけっこう知られた名前だった、と。

 それで五日ほど前、声がかかった仕事内容が、メリヤへの盗撮の依頼ってワケだ。

 やれやれ、学生の本分は……もう昨今は勉強じゃないにしても、犯罪ってことはねえだろうが。

 ジアスポリカの高等教育と最高学府の名前が泣いてるぞ?

「依頼人に会ったか? 顔は?」

「いや、掲示板でやりとりしたあとは、メールだけだ……です。報酬はネットバンクからマネーカードIDで振り込まれることになってて」

 顔を見せない依頼人なんて、信用するなよな。

 でも、詳しく聞いてみるとコイツも当然、そこらへんは不信感を抱いていたらしい。

 だが、ご丁寧にも手付金が先に振り込まれたことで、ようやく動く気になった、というわけだ。

 しかし……俺は考える。メリヤが見たというレッド・ゲイズの症状。

 そして俺も、確かに最初の夜、ストーカー野郎の赤化した瞳を見ている。

(……あの時のヤツとこのチャラ男は、別人ってことで決まりかな)

 メリヤを付け回している本当のガルキ憑きは、ほかにいるってこと。

 それにしてもこのタイミングで盗撮者とはね。しかも、コイツは男性にしてはちょっとタッパが低め。

 体格まで、あの時のヤツによく似ている。言い訳するわけじゃないが、俺たちが間違えたのも無理はない。

 まるで、タイミングが良すぎるぜ。

 その時、俺はハッとした。

 そう、“タイミングが良すぎる”のだ――嫌な予感がした。

 すぐ携帯を取り出し、メリヤに電話する。が、つながらない。

 家の電話にもかけ直すが、誰も出る気配はない。

 頭の中に、ガランとしたメリヤの部屋で、電話が鳴り続けている様子が浮かんだ。

「畜生!」

 自分の間抜けさ加減がアタマにきて、俺は思わず拳を握り締めた。

「なんです?」

「マズい、メリヤと連絡がつかねえ」

「どういうことです?」

「お前、ここに残って、この盗撮野郎の証拠画像とか押さえてくれ! 俺はいったんメリヤの部屋へ戻る!」

「ちょ、ちょっと!?」

「そいつのカメラから、データを証拠用にコピーしとけばいいんだよ! 

 何かあったら出るトコへ出るって脅して、コイツが妙な動きをするのを封じろ! じゃあヨロシクな!」

「分かりましたけど……ねえ、ちょっと!?」

 何かいいたげなアリグラと、ぽかんとした顔の盗撮野郎をその場に残して、俺は猛烈な勢いで部屋の外へ走り出した。


※※※


 ……部屋には荒れた気配はない。だが、メリヤの姿は忽然と消えていた。

「畜生っ!」

 俺は唇を噛む。すぐにマーシャに連絡して(携帯は事前に聞いてあった)一部始終を伝える。

 彼女はショックのせいか、最初はなんだかぼんやりしていたが、

 メリヤからは、特に連絡は受けていないということを、途切れ途切れに話した。

 ちぇ、こうなりゃ、ヤマを大きくしたくないも何もない。

 マネージャーのラズロ、特保警察にはマーシャから連絡するように頼んでおき、俺はいったん電話を切る。


 さて、どうしたものか。

 今は深夜だが、非常事態だ。

 マンションの付近の部屋の住人に、物音を聞いていないかとか、情報を聞いて……それから……忙しく頭をめぐらせるが、考えがまとまらない。

 それにしても……もし、凶暴化したガルキ憑きに、メリヤが危害を加えられたら?

 ガルキが、被寄生者の知性を維持して利用するコントロール型らしいとはいえ、それは時間の問題でしかない。

 やがては、被寄生者の欲望や破壊衝動は100%解放され、リ・ボーンが完成する。

 まず精神を乗っ取り、最終的には存在自体を崩壊させて生命エネルギーを吸い出すのが、この手のガルキゲニマの生態なのだ。


 こういったケースで、最後に事件の証拠として記録されることになる写真画像の数々を思い浮かべる……

 裸に剥かれ、股から引き裂かれたり、食らった痕さえ残った被害者のグロ画像。

 そしてすべてが終わったころには、犯人自体までもが綺麗さっぱり存在崩壊して、どす黒い塵の山と化しているって寸法。

 まったく、冗談じゃねえ!

(クソッ…!)

 俺は頭にきて、床にあったソファを蹴り飛ばした。

 そんな時、俺の携帯が鳴った。飛びつくようにして通話キーを押すと、アリグラだ。

「ジギー、どうでした?」

 のんきな声が妙にイラつく。

「だめだ、畜生! やられたよ、誰もいねえ」

「そうですか…こっちは、やはり盗撮の依頼者ってのが、はっきりしません。そもそも顔すら見せてないわけだし、おそらくこのチャラ男君は、おとりですね」

「ああ、偶然かもしれないが、その可能性は高い。今度のガルキの野郎、相当にずるがしこいぜ」

「多分、混成発症ですかね……」

 混成発症。それはつまり、侵入を受けた被寄生者の側に、人間として培った生活の知恵や社会的知識が器としてまだ残っており、それが知性的なガルキによって悪用されているということだ。

 被寄生者が一般人ならまだいいが、警官や軍人などの戦闘訓練を受けた人間だったり、政治家のような社会的立場や権力が強い人間だった場合、面倒なことになる。

 例えるなら、高級スポーツカーに、性悪なガキが乗っかったようなもの。

 最近だと、海の向こうの軍事大国・ニーベリングの軍人の例があったっけ。

 彼は休暇中にガルキの侵入を受け、そのまま軍務に戻って数ヶ月、周囲に気づかれずに生活していたのだ。

 その後、リ・ボーンしたことでついに状況がバレて、追い詰められた末に悲劇が起こった。

 やぶれかぶれになったガルキのやつは、その哀れな兵士の肉体と脳に残っていた記憶を利用して、武器庫から奪った銃火器を操作し、基地内で暴れまくらせたのだ。

 表向きは過酷な訓練により、精神に異常をきたしたとして処理されたけれど、実態はそういうこと。

「これは……最悪のケースになってきたな。ヘタするとリスクと報酬、ぜんぜん割に合いませんよ、今回の仕事。まったく、君が安請け合いするから!」

「あのな、もうそんなこと言ってる場合じゃ……」

「ふぅ、分かってますよ。実は、用意と手立てはあるんです」

「あん?」

 いくぶんか落ち着いた調子で、アリグラは続ける。

「こんなこともあろうか、とね。もしものときのための連絡用として彼女に渡した小型携帯、覚えてます? 

 あれって現在地を特定するための、特殊な電波発信機が仕込んであるんですよ」

「何ィ!?」

「ま、僕は何事もスマートに、が信条ですからね。さ、今から位置を特定します……」

 アリグラは、電話の向こうでノートPCを開いたらしい。

 簡易発信風の画面に、光点が表示されている画像がメールで送信されてくる。

 俺は急いで、そいつをネットから引っ張った地図と照らし合わせた。

 光点の場所は……開発計画が立ち消えた、港湾地区の廃ビル区画みたいだ。

「おおっ!」

 俺は思わず歓声をあげる。シャクだが今度ばかりは、クソメガネのお手柄だ。

 チャラ男のアパートからはそこそこ近い場所だったが、俺はいったんメリヤのマンションに戻ってるから、

 今から向かうと、少し余計な時間を食うことになる。

 だが、是非はない。一刻も早く、メリヤのいるところに向かいたかった。

「どんなもんです? 今から、そちらでも光点の詳細を追跡できるように、認証コードを送りますよ。

 じゃあ、僕も早速そっちへ向かいますから。……あ、この貸しはしっかりつけときますよ」

 どこかで言った台詞を、そっくりそのまま返される。

「バカ野郎、さっきの爆裂弾の件と帳消しだ! にしても、ったく! こんな仕込みがあるなら、俺にも教えとけよな」

「ふふん、どうせあの改造携帯、僕が口説きのツールにするつもりだとでも思ってたんでしょ?

 つくづく、君は単純すぎますからね」

「お前の日ごろの行いが悪すぎるんだ!」

「とにかく、君に教えるとすぐ顔に出ちゃいますからね。

 万一のための仕掛けは、相棒どころか依頼者本人にだって隠しておくに限るんです」

 のうのうと言うから、呆れてしまう。

「お前、パートナーってのは信頼関係が大切だ、とか言ってなかった?」

「そうですよ。値が正直な君は、致命的なウソや隠し事ができない、という意味において、とても信頼できます。

 ああ、ちょっぴり脳味噌のシワが足りない哀れな赤毛虎君! 君はどれだけ食い詰めても、詐欺に手を出しちゃ絶対にいけませんよ? 

 相棒からの忠告です、 心しておくように!」

「へ、騙すより騙される側の人間のほうが、心は上等なのさ」

 これは精一杯の負け惜しみ。

「無垢とバカとは紙一重、ともいいますが。世渡り上手に見えて、けっこう不器用ですよね、君は……特に、女性にはね!」

「余計なお世話だ!」

 通話を切ったあと、俺はすぐに部屋から駆け出す。

 なんだか走ってばっかりな気がするが、俺は足で稼ぐタイプなんだ。

 ま、確かに肉体労働のほうが性にあってるってことさ。


 俺がハンニバルをかっ飛ばしてその廃ビルについたのは、アリグラより先だった。

 ここんとこの景気の後退で工事が中止になったらしい放棄区画。

 金網の破れ目から中に入ると、そこはがらんとした広場みたいになっていた。

 廃材や工事用具なんかが放置され、錆びていくに任せられている寂れた場所。

 ビル建築予定地といっても建物はガワだけで、実質何も建っちゃいないんだ。

 敷地の中央に、小さなプレハブ小屋があるばかり。

 この一帯が、ほとんど倉庫代わりに使われてたんじゃないか、と当たりはつく。

 アリグラが送ってきた画像と地図と照らし合わせた住所を再度、確認。

 認証コードを使い、改めてサイズを拡大した現場写真を手に、うろつくこと数分。

 地図の上に、ふと光点が落ちる。

 その小さな点は、ビル本体ではなく、そばのプレハブ小屋を指していた。

 なるほどね。ま、ガルキ憑きがさらったメリヤの身柄と一緒に潜むのには、かなり適した場所ではある。

 アリグラの到着を待つのがセオリーだが、正直、あまり待ちに入ってる状況じゃない。

 そうこうしてるうちに、取り返しがつかなくなっちまったらどうする? 

 ……告白すると、正直、俺はこの時、ちょっとばかし焦ってたかもしれない。


 ひとまずプレハブ小屋にこっそり近づき、窓から中をのぞこうとするが、窓は完全にテープで目張りされていた。

 仕方ない。いちかばちか。

 俺はバジュラを使って、ドアを一撃で叩き壊す。そのまま、体当たりするように転げ込みながら、部屋の中を急いで把握する。

 ぼんやりとした軽油ランプの明かり。

 そこは予想通り、雑多なものが置かれた倉庫だった。

 広さはちょっとしたマンションのリビング程度か。

 だが、人影らしきものはどこにもない。

 ただ、視界の片隅に、毛布をかけられた小さな山が一つ。

 よく見るとその毛布の端から、見覚えのある栗色の髪の毛の束と、ひと目で女のものだと分かる白い腕が覗いている。

(メリヤ……!)

 それを見た瞬間、俺の心に軽い動揺が走った。その直後。

「キシャアアッ!」

 奇妙な絶叫とともに、俺の右腕に激痛が走った。

 反射的に身体を投げ出して、倉庫の一方の壁を背後にし、反撃体勢を整える。

「ぐるるる……」

 まるで飢えた狼みたいな、低い唸り声。

 らんらんと光る、赤い眼。

 その小柄な身体は、数メートルはある倉庫の天井の片隅に華奢な両手をつっかい棒みたいに突っ張り、まるで蜘蛛のように張り付いている。

 さっき、異様な力で蹴りをかましてくれたスニーカーを履いた両足は、わずかな壁の築材の出っ張りに引っ掛けてあるのが見えた。

 やがて、その小柄な影は素早く俺を襲った高所を捨て、ジャガーのような敏捷さで、倉庫の床に着地。

 そしてもう一度、まるで俺を威嚇するかのように、一言だけ大きく吠えた。

 その拍子にはらりとフードが落ち、長い黒髪がこぼれ落ちる。

 俺たちが追っかけてた相手――レッド・ゲイズ。赤い瞳。俺を捉える狂気じみた視線。

(……!)

 一瞬の混乱と絶句。

 フードの下にあったのは、意外な顔だった。

 だがすぐに、俺のあまり回転が滑らかでない脳味噌の歯車がぎしぎしと動き、どうにかこうにか、真相らしきものを導き出す。

 燃えるような熱と激痛を発する右腕をかばい、左腕で愛用の駆除ロッド・バジュラSSをホルダーから抜き、頭上に掲げる。

 ガルキゲニマの影響で異様に強化されているらしい、相手の身体能力。

 正直、左腕一本で対処しきれるかどうか……

 緊張で背筋がすっと冷え、額に汗がにじむ。

 それを見て、俺と真っ向から対峙したそいつは、血走った眼と顔をゆがめ、余裕の笑みを浮かべたようにも見えた。


 だが、次の瞬間。

 倉庫内に響く、一発のうつろな音。

 ドアの方から轟いた銃声とともに、俺に対して身構えていた小柄な影――マーシャ・エイワスの細い身体が、大きく跳ね上がる。

 次の瞬間、それはほとぼしった青白い雷光に包まれ、崩れ落ちるように昏倒した。

 同時に、ちょっとカッコつけた、クールな声。

「ふぅ、なんとか間に合いましたね」

 視線を向けた先には、ランプの光に照らされて輝く金髪と、余裕しゃくしゃくの小憎らしいツラ。

 アリグラは細いフレームのメガネを人差し指で押し上げつつ、得意げに言った。

「今度こそは、正真正銘の“ショック”のスペル・バレットです。

 弾体は特殊樹脂製ですが、威力はばっちり100万ボルトってね。まったく、君は先走りしすぎですよ。

 僕はあのチャラ男君を拘束して、手近な警察に放り込んだあと、タクシーで来なちゃいけなかったんですから!」

 あとでタクシー代立て替えてくださいね、と念押ししたあと、アリグラは、つかつかと倒れたマーシャに近づく。

 それから人差し指と親指で、彼女のまぶたを裏返して眼球を調べた。

「兆候アリ。間違いなくレッド・ゲイズの症状だ……ジグザ、君の怪我のほうは」

「それよりも、メリヤが」

 俺の視線を追って、倉庫の片隅をアリグラが見やる。

 そこに、俺の目に最初に飛び込んできた、毛布をかけられた女の身体がある。

 俺は歯を食いしばり、うずく右腕をかばいつつ、よろよろと立ち上がった。

 畜生、骨にヒビくらいは入ってるかもしれねえ……でも、今はメリヤのことが先だ。

 そんな俺の動きをそっと手で制し、アリグラは、今度はメリヤのそばに近寄っていく。

 毛布を剥いでそっと手首を押さえ、口元に手をかざす。、

「呼吸、脈拍ともにあります。正常かどうかまでは判断しかねますが、メリヤさんのほうは、気を失ってるだけみたいですね」

「そうか、よかった……」

 俺は大きく息をついて、その場に座り込む。

「やれやれってとこだな。コトの経緯はまだはっきり分からねえが……」

「はい、その究明は後回しかと。ただマーシャさんの精神世界へのガルキの侵入は、かなり進んでますから……一刻を争いますね」

「ああ、さっさと潜って駆除しちまおう。立会人およびキッカーはなし。“現場の判断”な」

 俺たちは小さくうなづき合うと、早速、マインド・スイープ――精神世界への潜入と駆除作業の準備に入った。 


※※※


 ――マーシャ・エイワスが見せた精神世界の第一層は、薄暗い建物の中だった。

 長い長い回廊が続いてる、冷たいコンクリートに覆われた灰色の空間。

「……幻像空間イリュージョンか」

 それは、真夏の陽炎のような無意識の残滓。

 夢や願望の断片が、精神世界の中に作りかけのダンジョンみたいに散らばっていることがあるのだ。

 その名の通り複雑に入り組んでいることもあり、ときに踏み込んだスイーパーが、そのまま出られなくなることもある。

「……行くか」

 俺たちは、そんな中を用心しながら進む。

 だが、幸いこの“マーシャの世界”は、迷宮みたいなタイプではないようだった。

 ただただ、長い回廊が、どこまでも螺旋を描いて続いているのだ。

 あたりは、静寂が取り巻いていた。

 コツコツコツ……歩いていく俺たち2人の靴音が、やけに大きく響く。

 回廊の通路には奇妙な形の窓が並んでいる。

 外には終始、真っ暗な夜の帳が下りていた。

 見渡す限り平坦な地平線が、まるで夜の砂漠のように黒々と伸びている。

 やがて行く先に、無機的な鉄の扉が現れる。

 回廊は相変わらず静まり返っていたが、その扉に近づくにつれ、小さな振動が伝わってくるようになった。

 耳を澄ますと、それは、轟く人間の声らしい。それも、一人や二人じゃない。怒号のような、遠く響く声。

「……」

 目を見合わせた後、決意を固めた俺とアリグラは、その扉を力任せに開いた。



 たちまち、光と音の津波が俺たちを飲み込む。

 あふれ出す熱気と興奮。揺れるサイリウムの光。数百、数千人の観客の歓声が轟く。

 そこは閉じられた、古代の円形劇場みたいな場所だった。

 ずらりと並んだ客席に、数百、数千の顔のない群衆の影。

 あるものは立ち上がり、あるものはサイリウムを振りまわし、手を叩き、興奮と熱狂に身をゆだねている。

 そして、その注目の集まるところ……ステージの中心にあるのは、小さなお立ち台とその上で歌い踊る誰かの姿。

 そこに届けられるのは、熱狂的な声援と、色とりどりのスポットライトの渦。

「……まさに、夢のステージってわけか」

 まるで本物みたいな存在感を持った人ごみと熱気の中、俺はつぶやく。

 たいていの幻像空間は、その存在を脅かすもの、外の世界からの侵入者を良しとしない。

 幻像自体、空間自体が、異物を受け入れることに抵抗するのだ。

 それに違わず、その幻影のコンサートホールでは、まるで空気が柔らかいゴムの壁にでもなったかのようだった。

 それらはやんわりと、文字通り“場の空気”そのものとなって、俺たちの侵入を拒もうとする。

 だが、止まってはいられない。

 大河の流れに逆らう小舟のように、独特の粘つく空気や群衆の幻影をかき分け、俺たちは進んでいく。

 俺たちがステージの中央に向かって歩を進めるたび、次第にスポットライトは消え、観客たちの姿も薄まって消えていった。

 やがて中央の舞台に足がかかったころには、あたりはすっかり静まり返っていた。



 光に満ちたステージはいつしか、邪教の祭壇のような禍々しい雰囲気の場所と化していた。

 その中に、ほとんど裸身に近い姿のアバターが一人。

 マーシャの生き写しの姿をしたその哀れな身体には、赤黒い鱗を持つ、巨大な蛇のようなものが巻きついている。

 棘の付いた鋭い鱗が、哀れなアバターの体中の肉に食い込み、とぐろを巻いて締め付けているのだ。

 ぎろりと持ち上げた鎌首には、まるで蝙蝠のような一対の翼があった。

「……タイプは邪知の蛇・ボティスか。僕も実物は、初めて見ましたよ」

 アリグラがつぶやいた。

 俺はバジュラ、アリグラはアガーテを構え、じりじりと近づく。

 マーシャの裸身に巻き付いたボティス――B級の狡猾なガルキゲニマは、すぐに鎌首をもたげ、こちらを威嚇する。

 がばりと開いた青い口からは、びっしり生えた小さな牙と先端が二又に割れた、青黒い舌がちらちらと覗く。

 同時に、目を閉じていたマーシャのアバターの瞳が、ゆっくりと開いた。

 だがその赤い瞳には、俺たちの姿はまるで映っていないようだった。

 半分ガルキに取り込まれたマーシャのアバターは、夢うつつの状態で、小さくつぶやき続けている。

「私は白い馬車……白い馬車に乗った……だから……だから……ごめんなさい、ごめんなさい」

 赤い大粒の涙が、血色の抜けた青い頬に、朱色の具で塗ったような一筋の河をつけていく。

 傷つき、憔悴しきった魂。彼女はいったい、誰に対して謝っているんだろうか。

「こおおおお……」

 再び、ボティス・タイプが小さな鳴き声を上げ、反吐が出そうな匂いのする息を吐いた。

「行くぜ」

 俺は、アリグラの方を振り返りもせず、言う。アリグラも無言で、ガチャリとアガーテの弾倉を回す音で、それに応えた。


※※※


 数日後。俺は第七総合精神保全病院の、ミドルクラスの病室にいた。

 そこには、ベッドが一つきり。真っ白いカーテンの外には、のどかな春の午後の日差しが揺れている。

 メリヤの身柄を預けたアリカ先生から、彼女が目を覚ましたとの連絡を受けて、すぐに駆けつけたんだ。

 だが……

「マーシャ……どうしてあんなことに」

 少し前に意識を取り戻したメリヤは、ベッドの上で、呆然としながらつぶやいた。

 もう、何度目かのそんな台詞。身体の傷は治っても、彼女の精神はまだ、すべてを受け入れられてはいないようだった。

 俺はそんな彼女に、できるだけ優しい口調で言う。

「マーシャはうまくいってなかった、いろいろとね。でも、お前は……」

「あたしが……近々、単独ライブができそうで、大きな役ももらえそうだったから? でも、そんな……」

「特保警察の担当官が、俺の飲み仲間でね。彼女の部屋からは、大量の違法薬物が見つかったってさ……

 最近、心のシェルを薄くするとかで、ガルキ憑きとの関連性が疑われてたヤツだ」

「……」

 がけっぷちの焦燥と嫉妬はいつでも、事件にまで発展する対人トラブルの根強い原因だ。

 薬物が作った心の裂け目に喰らいつかれたマーシャは、少し前からガルキゲニマの侵入による、急激な混成症状を発症していたらしい。

 マーシャが心に秘めていたほの暗い想念をガルキゲニマは受け止め、彼女と同調することで、いざという時、意のままに操れる人形にしたのだろう。

 通常時は何気ないマーシャの意識のままで生活させ、必要な時は、己の隠れ家兼生贄となるように。

 あの盗撮野郎に“仕事”を依頼した人間のメールアドレスが、マーシャのPCに残されていたフリー取得のメールアドレスと一致したことで、すべてはほぼ確定した。

 最初に遭遇した夜は、俺がレッド・ゲイズ状態のマーシャを取り逃がした直後、彼女は混成状態のままで、パーカーを脱ぎ捨てて着替えた。

 意識がどれくらいはっきりしてたのかは分からないが、マヌケな俺がちょっとボヤボヤしてる間に、彼女はどこかに隠れて追跡をやり過ごした。

 それから、その異常な脚力でメリヤのマンションの前に舞い戻ったのだ。

 そこで、ガルキは彼女の心の手綱を開放。

 あとはごく普通に、素のままのマーシャ・エイワスとして、俺と「初対面」を果たしたってわけだ。

 

 そして、メリヤが拉致された日。

 俺はメリヤを見失った後、わざわざその犯人に、特保警察への通報を頼んでいたことになる。

 当然そんな通報はされるはずもなく、特保の動きを待っていたら、事態は完全に手遅れになっていただろう。


 今回の場合、今後の事件処理の焦点となるのは、ガルキゲニマがどれ程度マーシャの意思に介入していたのか、という点だ。

 彼女自身の悪意と、ガルキゲニマの心理操作の影響の配分……

 それ次第で、今後のマーシャへの法的対応は変わってくる。

 それらはこれから、特保警察とそのバックアップをしてる研究ラボ、そして法務聴取官が明らかにしていくことになるはずだった。

 結局、マーシャ自身に聞かなければ分からないところも多いのだが、これもすぐには難しいようだ。

 彼女については、俺たちがガルキゲニマは駆除したものの、すでに存在自体がリ・ボーンしかけていた。

 だから、すぐさま万事元通りってわけにはいかないらしかった。

 目は覚ましたものの、意識は空ろなまま。薬物で心のシェルやコアが弱りきってたこともあり、精神の完全再生はかなり難しそうだという。

 俺のたっての頼みで、マーシャとメリヤ、両方の事後治療を担当してくれたアリカ先生は、気の毒そうにそう言った。

 そして、事件のことを無理に思い出させるのは、文字通り「精神衛生上」あまり良くないらしい。

 だからメリヤと彼女を引き合わせるのは、できればマーシャの精神が安定するまで、避けたほうがいいのだとか。

 けれど、彼女の精神が完全に安定するかどうかは、さっき先生が説明してくれた通り――


「……今は、身体と心を休めるのに専念しろよ。ほら、リンゴ、食うか?」

 見舞いに持ってきたフルーツバスケット。それから取り出し、ナイフでしゃりしゃりと剥いてやった高級リンゴを、皿に載せてそっと差し出してやる。

 右腕は少々痛むが、なに、たいしたことはねえ。

 だが、メリヤは力なく首を振っただけだった。

「ごめんね……でも、今は、どうしてもそんな気になれなくて」

「そっか……いいよ、気にすんな」

 やがて、遠慮がちにドアがノックされ、アリカ先生が顔を出す。

 悪いけれどもう面会許容時間が過ぎている、と気の毒そうに言われて、

 俺はメリヤに小さく手を振ると、そっと病室を後にした。

 

 数分後。俺とアリカ先生は、病院の屋上で風に吹かれていた。

「やりきれないわね、ああいうのは……でも、彼女、まだ若いからさ。すぐに心の傷も消えるでしょう」

「時間が解決してくれるってわけですか」

「まあね。だいたい、彼女自身はもう週末にでも退院できるし。これについては、あのマーシャって子が混成発症だったのが幸いだったわね」

 被寄生者にある程度の理性が残されていたから、悪意と理性の間で、マーシャの内面はひどく不安定になっていた。

 結局、ガルキゲニマにそそのかされるようにしてメリヤを狙い、薬物で昏倒させたものの、そこでためらいが生じた。

 マーシャを利用してたボティス・タイプも、わずかに残った理性に邪魔されて、彼女の奥に潜むメリヤへの攻撃衝動を、完全に引き出すことができなかった。

 それで、まずはターゲットを人目に付かないところへ移動させた可能性が高い、という。

「結果として、すぐには最悪の事態には至らず、ジギー君たちが間に合ったわけね」

 先生の静かな声が、俺に告げる。

「それはそうスね。でも……」

 心の傷は治るかもしれないが、メリヤは親友を一人、失ったことになる。たぶん、永遠に。

 俺が浮かない顔をしていたせいだろうか。

 先生はふと、何かに気づいたようだった。

 意味ありげに笑って、からかうように言う。

「あれ、なに? ジギー君 ちょっとイイ感じなの、あのメリヤさんと?」

「え? いや、別にそういうわけじゃ……いやあ、ただのハイスクール時代の同級生ですよ」

 俺はそれとなくごまかそうとしたが、アリカ先生はさすがにお見通しらしかった。

「ふぅん……結構美人さんだもんね。気になるか、やっぱり」

「いや、はは、は……」

「ふふ。そういえばアリグラくんは、どうしたの? 今日は一緒じゃないみたいだけど?」

「あ、あいつは“当面の彼女”とデートの約束があるとかで……もう、事件のことなんてすっかり忘れたみたいなツラですよ。

 いや、まったく軽薄で薄情な野郎ですからね! マジでマジで!」

 俺は仏頂面で言った。この隙に将来を見据えて、アリカ先生の中の「アリグラ株」を暴落させておきたいという目論見もあるが、半分は本気だ。

 だが、アリカ先生はふと、真顔になって言う。

「でも、彼はクールだわね……そう、これ以上はあまり、深入りしないほうがいいかもね」

「え?」

「何となく、ね。……ま、余計なお世話か。

 まあキミも、まだまだいろいろあっていいトシだもんね。ふふ」

「なんスか、そりゃ」

 俺は頭を掻いて、苦笑いした。


 だが結局は、アリカ先生の言った通りだった。

 この一連の出来事は、これで全然、終わりじゃなかったのだ。

 万事が綺麗に終わらないことだって、世の中にはある。

 そして、ややこしいところにわざわざ首を突っ込んじまうのが、俺の哀しい気質さがってわけだ。

 ガルキを駆除した時点でビジネスは終了、面倒にならないうちにとっとと全部を切り上げたアリグラは、

 やっぱりある意味、冴えてたってことなんだろう。

 だが、俺はそうじゃない。あいつと違って、そんなにスマートな生き方じゃないんだ。


 数週間後。とあるマンションの前で、夜の八時ごろ。俺は女を一人、待っていた。

 やがて、俺の“待ち人”が現れる。

「よう」

「ジギー……君? なんで……」

 メリヤ・エグバルトのおびえたような瞳が俺を見つめる。

 今日の彼女の化粧は少し、派手な感じ。

「ちょっと聞きたいことがあってな。このマンション、お前んとこの事務所の社長が住んでるんだって?」

「う、うん……これから、ちょっと相談したいことがあって」

「こんな夜遅くに、ずいぶん仲良しじゃねえか、ええ?」

「……なに? なんなの?」

「でもよ、お前の事務所……ヴェガ・プロモーションっつったっけ。そこの社長、ずいぶんネット上で評判悪いな」

 途端に、メリヤの目つきが変わる。

 ……調べたんだ、とでもいいたげな、ちょっぴり非難がましい視線。

 俺は、一瞬だけ目をそらす。

 やっぱりまだ、迷いがあったんだ。

 だが……やっぱり痛みは、一瞬のほうがいい。

 それでもできるだけ、短いほうが……

 メリヤのためにも。


 そして、俺は、不意にその言葉を突きつけた。

 まるで、罪人の首に斧を突きつける処刑執行人みたいに。

「マーシャ、妊娠してたぜ。で、子供を堕ろしてた」

 どういうこと、とでもいうように、メリヤは目を丸くする。

「ガルキを呼び込んだ精神のほつれ、禁止薬剤を使ってまで忘れたかったことは……それだ。親友へのやっかみと葛藤なんて、ただのオマケでな」

 精神世界で、ボティス・タイプの刃の鱗に絡み付かれながら、メリヤのアバターが謝っていた相手……

 それはきっと、世に生まれ落ちることがなかった小さな生命。

 何か言いたげに、メリヤの唇が動く。

 だが、言葉は出なかった。俺は冷徹に続ける。

「そんで、相手は分からない…って、ありふれたパターンでもないんだよな」

「……!」

「“白い馬車”ってな。ちょっと調べてみたのさ。ネットの裏情報サイトってのは便利なもんだね」

 あの世界の中で、マーシャのエゴがつぶやいていた言葉。

 それが気になっていた俺は、関連検索で特定のキーワードをいくつか打ち込んだ。

「白い馬車」「ヴェガ・プロモーション」、「マーシャ・エイワス」etc。

 その結果、分かったことがある。

「なあ、お前、近々単独ライブと、大きな役がもらえそうっていってたよな」

「それは……社長の取引先の人が、私のことを気に入ってくれて……」

「あくまで実力で、ってか。そう言い張りたいのは分かるけどな」

「……」

「前もって、振りがあったはずだ。なあ……」

「やめて!」

 俺が言わんとするところを察したらしく、メリヤは激しくその先をさえぎろうとする。

 だが、俺はやめなかった。

「お前、今日、駅からここまで歩いてきたろ? 

 ちょっと“約束の時間”より遅れたのはそのせいだな?」

「……」

「マネージャーのラズロが運転してる事務所のクルマ、車種は白のランスロットだっけ? 

 結局、駅まで迎えにこなかったろ? そりゃまあ、俺がシメあげてたからな。

 すぐにゲロったぜ。

 ここのマンション、社長の家じゃなくて、ホントはその知り合いのゲスな業界プロデューサーの“別宅”なんだってな?」

 俺は、一気に畳み掛ける。

「で、“白馬車”ってのは、社長のコレクションの白い高級車……ランスロットZEXのこと。

 そして、そいつに乗って女の子がそこに行くことが何を意味してんのか」

「……!!」

 マーシャの目が、一層大きく見開かれる。

「“初めてのご招待”の時は、いつもそれ。カボチャの馬車のつもりか知らねえが、下卑た趣味だな。

 ネットの掲示板で話題になってるようなネタ、事務所の子なら、知らないはずがねえだろ。

 で、マーシャは“処理”に失敗した。

 それが分かった瞬間、社長はマーシャに対する態度を一変させてるな……仕事を減らして遠まわしに引退を示唆。

 自分のスネにつきそうな傷には、早々に消えてもらいたいってわけだ」

 ふと、メリヤの目の色が変わった。冷徹で、ガラス玉のように無機質な目。

「……ここで、会いたくなかったな」

 その声は静かだった。

「俺もだよ」

「はは。そうだね。ジギー君、あの頃からいつでも自由だったよね。

 今も気ままで気楽そうでさ、ホントにいいよね。

 でももう……あたしも覚悟、決めたんだ」

 そう言うと、メリヤはまっすぐに俺を見つめてくる。

 瞳が、興奮で濡れたように光っている。その視線の強さに、一瞬気おされた。

「私は、もっと大きな役を獲りたかった。もっと大きなステージに立ちたかった。

 ジギーくんには分からないでしょ……私みたいな田舎のフツーの子がさ、この世界でやってくって、どれほど大変なことか。

 有名人の娘だってだけで大きな仕事が決まって、どんどんチャンスが与えられる人もいる。でも、私には何もなかった。何もね」

「……けどよ」

 俺はしばらく黙ってから、次の言葉をつむぐ。

「そりゃあ、そういうこともあるかもだけどさ。でもな……俺は、最初に会った時にさ」

 ちぇっ……ガラじゃないけどな。でもまあ、こういうシチュエーションじゃあ仕方ない。

「お前のこと、十分に綺麗だし魅力的だと思ったぜ。コネなんてなくても、自分だけの力で……頑張っていけるんじゃねえかって。バカみてえだけどな」

 俺ができるだけ真剣な表情で言葉をつむぐと、メリヤはかすかに笑った。

「ありがと。でも……」

「ん?」

「でも、だったら君があたしに大きな仕事、メジャーになれる仕事をくれるの? ねえ、この仕事ってね、何の保障もないの。

 いつ仕事がなくなるかって……才能なんてないんじゃないかって、不安ばかりでさ。

 なる前は、本当にアイドルや歌手になんてなれるのかって不安になって……

 なったらなったで、いつまで続けられるのかって不安になって……はは、バカみたい。不安ばっか」

 言ってるうちに、また、気分が高ぶってきたようだ。

「そういうの、ジギー君にはどうせ分からないでしょ!?」

 どこかで聞いたような台詞。

「だったら……よ」

 俺はぶすっとした表情で言った。

「そんなに辛けりゃ、やめればいいだろ」

 メリヤの目が再び、大きく見開かれる。

「やめればいい? ナニいってんの。やめたらあたし、もう“ただの人”なんだよ?」

「じゃあ、最後まで頑張れよ……精一杯、根性張ってな」

「!! 分かってないよ、やっぱ分かってない……

 なによそれ、くだらない精神論! 世の中って、奇麗事だけじゃダメなんだよ!」

 ふぅ……

 俺は一つ、大きく息をつく。

「当たり前……だろ!?」

 さっきまでとうって変わった俺の語気の強さに、メリヤはびくりと一瞬、肩を震わせたようだった。

「知らねえよ。お前が好きでやってることなんかな!」

 こんな時、あのクソメガネ……アリグラなら、もう少しうまく言うんだろうがな。

 つくづく俺は無骨・無粋な人間だ。

「……夢を叶えんのはしんどいよ、そんなの当たり前だろ。やっても上手くいかねえってこともあるだろ、そりゃ……

 みんなが夢を叶えられりゃ、“平凡な勤め人”はこの世界に誰もいなくなっからな。

 でも、自分のために、自分が好きで選んだ道だろ?

 そしてお前は実際に、その夢に手が届く場所までこれたんだろ?」

「……それは」

「それだけでも幸運だ。誰も分かってくれないとか、そんなの当たり前じゃねーか。

 ギャアギャアわめけば、誰かがお前の痛みを分かってくれて当然か?

 ……なあ、甘えた奇麗事言ってるのはどっちだよ?」

「な、何よ……ジギー君なんかにお説教されたくないよ……

 頑張ってもないくせに。やっぱりサイテー」

「まあ、それは認めるよ。悪かったな。

 この前はカッコつけたけど、スイーパー稼業なんて、たいしたもんでもないんだよ、ホントはな。

 典型的な自由業で、浮き草稼業さ。

 3Kだってのもマジな話だし。でもな、これでも、けっこう毎日楽しいぜ」

「……」

「なんつーか、そんなに、生きてくのって不自由なもんか? 

 毎日毎日、気張って神経すり減らし続けて、”誰にも真似できない特別な存在”であるだけが、正しいあり方か? 

 それ以外に価値はないか?」

「……そんなの」

 メリヤはちょっと押し黙ったあと、ぽつりと言った。

「……そんなの、特別になれない人の言い訳だよ……」

 だが、その言葉はどこか弱々しい。

「もうひとつだけ、な。あのよ……“ただの人”がそんなに悪いか?」

「え?」

「この前、ちょいと仕事で芽が出るまで、ずっと仕送りもらってたって言ってたよな? 

 それ、こっちに出てきて、チョイ売れする直前までずっと、ってことだよな? 

 お前の親父さん、普通の役所勤めだって言ってたよな?」

「お、お父さんはカンケーないでしょ……」

「いいや、関係なくないね」

 ここで、弱気にはなれない。

 俺はまっすぐに、力のこもった視線でメリヤの瞳を覗き込んで言う。

 伝わればいい。伝わってほしい。

「たいした稼ぎもねえ親父さんが、必死の仕送りと一緒に、娘をオクタ・カテドラルまで送り出してくれてたんだろ? 

 娘の夢を叶えるために働く普通の人生が、そんなにくだらねえか?

 俺は確かに、お前のことをどうこう言える立場じゃねえ。

 でも、今のお前見て、親父さんがどう思うか、くらいはな……」

「そ……それは……」

 メリヤはそれきり、うつむいてしまった。

 大きな瞳から、真珠みたいな大粒の涙がひとつ。

 俺はちょっと空を仰いで、ため息をついた。あ~あ、また泣かせちまった。

 女の子の扱いはやっぱり苦手だ。


※※※


 その後、ヴェガ・プロモーションの社長は、枕営業とは別の容疑で警察にパクられ(罪状は一つじゃない、やるヤツはどうせいろいろやってるものだ)、

事件は新聞記事になり、ニュースでも小さく報じられた。

 メリヤは結局、退院すると同時に、俺の前から消えた。

 携帯も解約されており、連絡手段は途絶えた。

 地元のコミュを通じてっていうのも、ヤボってもんだろう。

 下手すりゃ事件の傷跡を広げることになる。

 そもそも、これは向こうが連絡を取りたくないってことなんだから。

 だから俺は、それ以上彼女に連絡を取ろうとはしなかった。

 去る者は追わず、来たる者は拒まず……それがバランスのいい対人関係のコツだって、親父も昔言ってたしね。

 ……正直、そこまでキレイに割り切れたわけでもないんだが。

 

 一ヶ月ほど経った時、俺はふと思い立って、かつてメリヤが出ていたという、アングラ・ネットアニメの動画データを落として、TV携帯で観てみた。

「ユメを見るのもタダじゃない! 恐喝・心中・暴行傷害、サギにタタキに親族殺人! まったくせちがらい世の中ですが、それでもメルティア、頑張りまぁ~~すぅぅ!」

 薄桃色のコスチュームに身を包んだメルティア・サード、ベリアン・ラズベリー。

 彼女は演じてる“中身”とは似ても似つかぬ天然ボケキャラだったが、澄んだ声だけは確かにメリヤのもので、俺は思わず笑ってしまった。

 まあ、大変なことも多いんだろう。事件の顛末は、ネットでもずいぶん噂になったようだし。


 だが、ホントのことを言えば、俺はメリヤのことについて、あまり心配はしていない。

 駆除作業のギャラは後日きちんとメリヤ本人らしい口座から振り込まれてきたし、

 実を言うとだな、今日、俺が事務所の帳簿をつけてる今さっき、封筒が届いたんだ。


 まずは、唐突に姿を消した非礼を詫びる文章。

 丁寧な文面からも、当時、彼女が本当に傷つき、混乱のただ中にあったことが伝わってきた。

 それから、これは思い切ったように、芸名を変えたことと、所属事務所を変更したという知らせ。


「新しい事務所は、規模は小さいけれどすごく熱意がある感じで、みんな一丸となって頑張っています。

 今度、まだ小さなハコだけれど、グループを組んで、オリジナル曲でライブをやることになりました。

 どこまでやれるかはわからないけれど……頑張ってみようと思います。

 よろしければご来場の上、楽しんでいただければ幸いです」


 直筆の手紙に加え、ライブのチケットがご丁寧に2枚、同封されていた。

 アリグラの分まで用意されていたのはちょいと気に入らなかったが、まあ応援ぐらい、いくらでもしてやるさ。

 それにいろいろあったとはいえ、ルックスはいいんだから、ひょっとしたらメジャーになれるかもしれない。

 もちろん、そう上手くはいかないかもしれないけど。

 

 だが、もし仮に何かをやってみて、上手くいかなかったとして……別に、片手や片足を失ったわけじゃない。

 それで全てが終わりってわけじゃないんだ。

 できるとこまでやってみて、それでもダメだったら……

 そしたら、ただただ、普通に、まっとうに生きていけばいいだけの話だろ。

 誰もそれを笑いはしない。

 そもそも、人の人生をああだこうだいうのは、自分では決して舞台に上がれないか、上がったことのないヤツだけだしな。

 叶うかもしれない、叶わないかもしれない……未来はいつだって、曖昧なものだ。

 だが多分、そういう曖昧さをぐっと飲み込んで、それでも努力できるのが本当の強さってものなんだろう。

 結局のところ、誰だってこの世界じゃ、持ってる手札で勝負するしかない。

 そう、だいたいこの万年不況でロクでもない、ややっこしい世界に生まれてきたこと自体が、狂った博打なのかもしれないんだ。


 面倒な帳簿打ち込み作業の合間に、冷蔵庫から取り出したエナジードリンクを一気に飲み干し、俺は部屋の片隅のゴミ箱に狙いを定める。

 このビンが入ったら、きっとそのうちいいことがある。外れたら……そんときはそんとき。

 ぽん、と放物線を描いて飛んだ空ビンは、ゴミ箱のふちに当たってコン、と跳ね返り……空中でくるりと回って、ゴミ箱の中に収まった。

「おっし」

 小さくガッツポーズを取ったところに、ノックの音と同時にドアが開く。顔を出したのはアリグラ。

「ジギー、仕事の依頼ですよ。シルヴァレイン地区のあのマダムから、直接指名です。

 今度は、マダムの息子さんではなくお嬢さんが、大学受験のストレスでガルキに侵入されたらしい。

 先日の君の仕事ぶりが気に入ったらしくて、明日、一度見積もりがてら打ち合わせをぜひにってコトです」

 ……ちぇ、ビア樽みたいなオバハンにモテてもしょうがねえんだがな。

(お兄サン、たくましいわネェ。しかも若いのにしっかりしてるわァ……)

 ねっとり絡みつくようなマダムの声がフラッシュバックし、思わず背筋がブルッと震えた。

「実は俺、あいにくちょっと風邪引いちまったみたいでな……そうだ、アリグラ、お前が行ってこいよ」

「は? 僕が単独で受けるんですか? この案件を?」

 いぶかしげな表情をした色ボケメガネに、俺は声を潜めてささやいてやる。

「ここだけの話さ……あの依頼人、旦那が留守がちな有閑マダムでね。

 そう、いわゆるオトナ的に、アダルティな意味で、ちょっと美味しいコトがあってさ。

 実は俺、その……すごく“イイ思い”をさせてもらったんだよね」

「ほう……?」

 露骨に興味を示した素振りこそ見せないが、手応えあり。

 この色ボケ野郎、見事に針を食らい込みやがった。

 そのへんの気配は、やっぱり隠せやしないんだ。俺だって、伊達にお前の相棒、やってねえんだからな。

 ま、イイ思いって言っても、ちょっとアダルティな、ブランデー入りの高級フルーツケーキをごちそうになったってだけだけどさ。

「ああ、マジだぜ。その味わいたるや、まさに極上。

 それに、本当は俺みたいなワイルド系より、知的なハンサム面がお好みだってさ」

 これは嘘。でもまあ、きっとワイルド系だろうとインテリ系だろうと、若い男なら気にしないんじゃないかな。

「ふぅん、それは考える余地があるかも、ですね……」

 端正な顔を少し緩めて、ちょっと考え込むアリグラ。

 せっかくの切れる頭も、邪心で曇らせてしまえば何の役にも立たない。

 顔と頭のスペックは特上だが、人間的には本当にアホだな、コイツ。

世間知らずのお坊ちゃんには、少々ハードな社会勉強が必要だろう。

「なんていうか、実に肉感的なマダムなんだ、そう、実に」

 俺はニヤニヤしながらテキトーなことを吹き込つつ、無味乾燥な帳簿の打ち込み作業を中断する。

 面白いことになってきた、とばかりに内心でほくそ笑み、俺はそのままセーブキーを押し、PCをシャットダウンした。


【「#2 偶像と知恵蛇の夜想曲」了】 


#1の続き、#2になります。短編を連ねての連作形式で、全五話程度を想定しています。よろしければ感想などいただければ、励みになります。よろしくお願いいたします。【#3は10月27日アップ予定※少し遅れる可能性あり】

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