勇「墓場には私もついていくんですよ」
「あー! 全然、勝てませんねぇ!」
リビングで行われたババ抜きは案の条、私のボロ負けで終わってしまいました。優に「あの写真を皆に公開されるかも知れない」そんな恐怖心でジョーカー以外を彼女に差し出し続けた私。
とはいえ、今日のババ抜きには全裸パレオのような屈辱的な罰ゲームは用意されていませんでしたし、私としては皆が笑ってゲームを終えたのでよかったかなぁと思います。
ですが――ゲームに勝てなかった悔しさは確かに胸中に宿していた私。バスルームにて順番にシャワーを浴びて各々の部屋にて就寝の流れとなると、私は勝負の余韻を拭いきれずに優へと罰ゲーム抜きのポーカーを挑み――結局、惨敗致しました。
「お前さん、意外と顔に出るタイプだよなぁ」
優は掴み取りまくった勝利を片手にご満悦、とばかりに笑みを浮かべつつ私の心理戦に対する脆弱さの原因を口にしました。
うーん。そうなのでしょうか……。
まぁ、傍から見ている優が言うのですから、そうなのですかね。
勝負事には強くないと私自身が重々承知した所でふと、私は室内に設置された「ある物」を注視します。
この個室も木目調の内壁が印象的で、照明の柔らかな輝きを伴って温かい雰囲気が醸し出されています。家具も雰囲気に寄り添うよう木製のものが選ばれており、素朴さと気品さを伴った家具でこれだけ固めているこだわりは凄まじいと感じさせる中――寝具。
そう、ベッドが問題だったのです。
「優、何度見てもベッドが一つしかないような気がするのですけれど……」
「あぁ、俺もそう感じていた所だ」
私の言葉を揶揄する事無く、真面目なトーンで同意した優。
どうやら互いに同じ感情の様子。
真奈から事前に聞かされていました。この部屋は真奈の家族が利用した際、彼女の両親――つまり、一組の夫婦が利用するように整えた部屋だと。その意味をあまり深く考えていなかったんですが――そう、ダブルベッドが堂々たる威厳を湛えて部屋と外界を隔てる洒落た窓に寄り添って設置されているではないですか。
ですから、私達は同じ感情になるのです。
そう、それは途方もない緊張。
「まぁ、俺達ってば一応、今日のメンバーには全員知れ渡っている、謂わば公認の夫婦って事で……そういう関係性ならばベッドは一つでいいって思われるよなぁ」
「で、ですよねぇ……」
至極、平坦なトーンで言葉のやり取りを行う私達。
何せ、自宅でも私室を分けている私達。一緒に眠った事は入れ替わった当初、入居審査を待っている時のホテルだってベッドが二つあったので……今までそういったシチュエーションなどなかったのです。内外共に相手を好いている現状、一緒に眠る事を互いに拒否する理由はないのですが何となく今日まで寝室を別にしている状況が続いているもので、こういった状況になってみてひたすらに緊張してしまいますね。
「…………」
「…………」
「は、初めてですねぇ……こんな事。一緒に、ね、ね、寝るなんて!」
「そ、そうだな。緊張、するなぁ」
私と優は互いに顔を見合わせ、ごくりと唾さえ飲み込んで暫しの時を無言のまま過ごします。互いに現状の回避を考えているという事はないと思うのですが、しかしこのシチュエーションに飛び込んでいく勇気はなかなか持てないようで。
うーん。どうしたものでしょうか。
それでも――いつかは訪れるべき展開として、ここは一歩前へ進んでおくべきでしょう!
「――よ、よろしくお願いします!」
私は三つ指を突いて礼儀正しく優に申し入れました。
しかし――。
「何をだ!」
私の態度に緊張を伴いつつも、目を丸くして驚愕を露わにする優。
おや……恥じらいつつも同様に「よろしくお願いします」などと言って同意され、そのまま私と優にとって夫婦の記念すべき第一歩を踏み出す展開になるのではなかったのでしょうか……?
優の胸中に羞恥心は火を灯していないらしく、純粋な驚愕のみが差し向けられている状況。
私は伴っていた緊張も次第に解け、胸中には懐疑的に優と自分の中で起きている「すれ違い」を考察する心と、期待していた事象に発展しない事への「恐怖心」が混在していました。
ちょっと……幾らなんでも、それはないでしょう!
「……そ、そういう事ではないんですか?」
自分の妄想が行き過ぎていた疑惑を胸中に宿し、妙な羞恥心さえ伴い始めた私は頬をポリポリと掻きつつ目線を彼女から逸らします。
「そういう事とはどういう事だ?」
心底分からない、と言わんばかりに懐疑心を込めた問いを投げかけてくる優。
逸らした視線を彼女の方へと滑らせると、やはり優の表情は頭上に疑問符でも浮かんでいて然るべきもの。
ですので私は咳払いをし、優の耳元でアルファベット三文字、片仮名四文字のワクワクして堪らないワードには発展しないのか――と、問いかけます。
すると瞬間――優は茹でた蛸みたいに顔を真っ赤にし、耳からは煙を噴き出しそうなくらいに脳内をオーバーヒートさせ、唇はわなわなと混乱に痙攣。そんな、ベタでウブな反応を見せつつ、「お、お、お、お」と私の事を「お前さん」と呼びたい言葉が上手く口から飛び出ない焦燥感。
あー、やっぱり優はただ私と眠るシチュエーションに緊張してたのですかぁ。私もそれなりにその状況に緊張は感じますが――やはり男としてはそっちに期待を寄せてしまうではないですか!
「そ、そ、そそそそそそそそそ、そういう事は俺達まだ、婚約段階だし。キスだって口と口じゃしてーねし。つーか、家では一緒に寝てないし。何より、こんな所でする事じゃねーし。第一、そーいうのは結婚式をきちんと挙げてからっていうか」
優は羞恥心に耐えかねて両手で顔を覆いつつ、早口で語りました。
普段の強気な感じからのギャップで超可愛い――とはいえ。
私は優の言葉を聞き終えると呆れたように嘆息します。
「寝ましょうよ。疲れましたし」
「何だよ。そういうお楽しみ抜きだとそうもお前さんは簡単に緊張の糸を切っちまうのかよ!」
私のあっけらかんとした態度に不服そうな表情を浮かべて、不満を申し立てる優。
そんな言葉に私は自分が「性欲で突き動かされているみっともない人間」という風に言われている感覚を受けますが――しかし、否定は出来ないですね。
漫画、アニメ、創作の世界ならばそういった感覚は省かれがちなものの、現実の人間は綺麗ではありません。トイレに行く事があれば、異物感に嘔吐する事もありますし、放屁する事だって人間起こり得る上に――そう、性欲だって溜まってしまうのです。
目の前に好きで好きで仕方がない女性が自分の妻として存在していて、そして一緒に眠る事になったら単なる性欲解消の意味ではなく、優とそういう行いによって自分達の感情、情欲をぶつけたい欲求――それは恋があって、愛があるこの世の中において全然、汚らわしい事ではないはずです。
目の前の愛する人と一つになりたいだなんて――当然ではないですか。
などという感情を、やはり溜まり募った欲求が助長しているのは否定しませんが――しかし。
「落差、ですよ。私も優と眠るとなれば緊張もします。鼓動も高鳴ります。でも、あなたを好きであるがために抱く、そういった行いへの憧れは人間として抑えられません。抑えられないくらいの魅力を持つ優に責任がないなんて、私は言ってあげません。……それでも、我慢はしますけれど――やっぱり恥ずかしい話、そういった欲求は溜まっちゃうのですよ」
内面はずっと女性だった優に対して、外見がずっと男性だったから――と理解が得られるのではないかという期待はすぐさま捨て去りました。相手を思って、そういうような欲求を抱く気持ちに体は障害でしかありません。枷でしかなくて――女性に対する憧れは女性の体の時から、私にはありました。
入れ替わったって、変わらないもの。
一貫して精神は男性だった私。
だから、ナルシスト夫婦ではなく、一人の男と一人の女性のすれ違いのように普遍的で、ありふれた理解の伴わない領域、狭間だと――そう思っていたのですが。
「いや、分かるとは言わないけれど――知ってるよ」
「――え?」
優の言葉は私を呆気に取られ、瞬間――驚愕に掌握された胸中が空っぽになって硬直する……そんな自分を作りだすには十分な、衝撃。
私に対して微笑みを浮かべ、しかしどこか恥じらいを添えた表情は直視を躊躇って私から視線を逸らし――そして、語ります。
「アダルトサイトを見てたり、しきりに俺の胸を触ろうとしたり、あとは勝てないポーカーで意地になって俺を水着姿にしようとしたり。そんでもって、海へ行こうと言い出したのは外出先でこういう風に俺と一緒に眠るシチュエーションを作れば、えーっと、何だ……そういう行いに及べるかもって、思ったんだろ?」
優の語った全てに、私は返す言葉もありませんでした。
完全に私の意図や内面は見抜かれていた……まぁ、あからさまだった部分はあるのでしょうけれど、それでも――生まれつきの男性でありながらも、ずっと女性だった優は女性なりの思考で必死に、私の内面を察してくれていたのでしょう。
私がアダルトサイトを覗く事を一応は怒ってリアクションを取っていたものの、あまり強く私には「やめろ」と言い聞かせはしなかったのは……自分にも多少の責任があると思っていたからでしょうか。
体を許せない自分では、私の悩みはどうにもならないから――と。
「あんな言い方じゃあ愛衣ちゃんにはギャグ的にしか伝わってねーぞ。カメラを外せって、何度も言ってたのもなんとなく……言いたくないけど、理由は分かる。やっぱり……キツイもんなのか?」
優は私から顔を背けつつ、視線をこちらへ送ってそう言いました。
これは……この展開はもしかして!
「はい! キツイです!」
「そっか。じゃあ、俺は寝る」
「な、何でそうなるんですか! しかも『じゃあ』の使い方、おかしいでしょう!」
優は私を面倒くさそうに一瞥し、しかし何も言わずにベッドへと向かってしまいます。
何だ、つまらないですねぇ……などと思っていた私。
不意にベッドへと向かう優を見つめると、ベッドの上、腰を下ろすと着ていたピンク色のパジャマのボタンを上から三つも外して欠伸を一つ「ふわぁあ」と漏らすと、そのまま身を横たえて仰向けになってしまいました。
そ、そういうサービスくらいはしてくれるのですか!
私はごくりと唾を飲むと、テーブルの上に置いていたスマホを手に取りカメラを起動。ゆっくりと優の方へと歩み寄り、ばっくりと開かれた胸元を露わにする彼女をフレーム内に収めて、シャッターを切ろうとするのですが――、
「そーいうのは無しだからな」
目を閉じたまま、表情一つ変える事なくぴしゃりと言い切った優。
唇を尖らせ、不服そうにしつつシャッターを切る事なくスマホをテーブルに戻した私は暫しの時間、優の大サービスを見つめていました。しかし、案外と胸ではなく普段見られない目を閉じ夢の世界へと誘われる最中の貴重な妻の表情――その美しさに見とれ、自然と微笑みを浮かべてしまったのでした。
「でも、眠ってないですよね?」
私が問いかけると、少しの間を置いて、
「まぁ、電気ついてたら眠りにくいわな」
「……ですよね」
優の返答を聞き、私も「そろそろ眠ろう」そんな思考を合図として部屋の電気をオフにすると暗闇の敷き詰められた室内を慎重に進みつつ優の隣、そのベッドの上にゆっくりと体を横たえます。
「失礼します」
「失礼はさせんぞ」
「失礼したいですけどね」
私はそう語りつつ、暗闇の中で放り出した手が優の手に触れたのを感じました。そのまま自ずと互いは、相手の手を手繰り寄せ、結ばれると温かさと心地よさに心にじんわりと染み入る感情。
そこには確かに、私を受け入れてくれる存在がいるのだと――肌の感触、体温、心に伴った満たされる感覚が教えるのでした。
「まぁ、そういう事をしてーなら、俺にウェディングドレスを着させるんだな」
「分かってますよ。頑張って働いて、絶対に式は挙げます。何故なら私――実は新しい職場を見つけたんです」
「本当かよ!」
優は驚きで握る手に込める力を強めました。
女性らしく、か弱く守りたくなるような、しかし柔らかく守られているような感覚になる不思議な力で。
もの凄い驚き方ですね……。
「今の職場を辞める申し出も店長には行ってますから――、たくさん稼いだら今日のメンバーを巻き込んで盛大に結婚式を挙げましょう」
「へぇー。そっか……俺、ウェディングドレス着られるんだなぁ」
「お嫁さんは皆、着る権利があるんですよ?」
「うん。そうだよな」
間近に優を感じる――甘く酔いそうな鼻腔を擽る彼女の匂い、共有して中和された感覚さえする互いの体温、自分の中に下世話な欲望があるのは事実ですけれど――こうしているだけで満たされるものが確かにあると知る事もまた、心地いいものですね。
ですから、私の口から零れるようにその言葉は具現しました。
「優、愛してます。言った事はなかったと気付くと、口にしたくなっちゃいました」
私がさらりとそれを口にすると、驚愕の具現として握った手をそのまま潰さんばかりの握力で締め上げてくる優。
「いたたた!」
「あぁ、すまん。突然だからびっくりして」
慌てて、握力を緩めつつ申し訳なさそうに語る優。
案外、握力強いじゃないですか……って、この場合はそもそも私が優の体で生きていた時に握力が強かったかって話ですけれど。
「とはいえ、英語で言った方がよかったですか? あいらぶゆー、って」
「やめろよ、それ。俺の黒歴史なんだから。墓場まで持っていくんだよ」
「その墓場には私もついていくんですよ?」
「愛が重い!」
「とはいえ、そういう事を言いたい気分だったのですよ」
「そうかよ、分かったからさっさと寝ろよ」
「ですね」
優の恥ずかしそうに、しかし胸中では喜んでくれているであろう表情。こんな暗闇ですけれど、容易に想像がつきます。そんな彼女に対する妄想を枕に、どんな素敵な夢が見られるでしょうか――って、こんな状況で易々寝られるわけがないでしょう!