勇「流石は可愛かった、私の体」
無事にホテルまで辿り着き、借りている部屋のベッドに腰を下ろす私と優。
そういえば、同じ部屋で寝泊まりする事を決めた時、優は恥じらいを見せていました。やはりそういう部分は女の子というか女性なりの貞操観念を発揮しているのかなぁと思いましたが、避けられたり拒否されていないという事は即ち――これは優の側も嬉し恥ずかしといった胸中である証明となるでしょうか。
しかしまぁ、出会った初日で夫婦になったとはいえ私も彼女に手を出すように下世話で反紳士的な事は致しません。まだ、全てを許した仲というわけではないですから。私の方は全てを許しても構わないのですが……。
ちなみにホテルの室内は簡素なものです。上等なホテルにチェックインしたわけではないので文句を言う権利など私達にはないのでしょうが。まぁ勿論シャワーはありますし、ベッドも横並びに二つ設置されているので優としては安心な――そして、私としては残念としか言いようのない配慮。その程度で室内の概要はおおよそ語りきれてしまうでしょう。
つまり大きなソファーに巨大なテレビ、絶景の外界を独り占めできるオーシャンビューなんて存在しないという事です。
まぁ、そもそも私達の地域って内陸部ですし。
しかし、この街は田舎というわけではありません。というより比較的、都会化の進んでいる方だと思いますね。周囲の過疎地域に住む若者にとって、この街は休日を過ごすためのスポットとして定番となっていますから。
などと、ちょっと話は逸れましたが、取り敢えず私達はホテルに帰ってくるとまず優が「シャワーを浴びたい」と言って浴室に飛び込んでしまいました。
ですので私は浴室とを隔てるドアに耳を押し付けて、甘美で妖艶なる女性の肌上を流水が弾き滑る音を聞こうと半ば興奮気味に待機していたのですが、「調子に乗っていると四肢を縛って、湯を張った浴槽に沈める」などとなかなかどうして女性らしい恥じらいを口にしたため、私はそれだけで満腹という事にしてベッドの上に腰掛けてぼーっとしておりました。
しかし、沈めるだけでなく湯を沸かしているという点が実に猟奇的です。果たして火傷で死ぬのか、溺れて死ぬのか……。
そんな意味なき思考をしていると浴室のドアが開く音。
そちらの方へ視線を向けると、優がホテルから貸し出されるナイトウェア着て出てきたわけですが。何という事でしょうか……湯気を帯びた女性というのは艶やかというか、色めかしいというか。本人の造形的ポテンシャルと相まって、相乗効果が凄まじいですね。
カップ焼きそばの湯切りをした時に上がってくる湯気には、男性をこんな感情にさせる効果はないというのに!
何か、幻想的ですねぇ。
私が呆けた面で優をじっと見つめている事に対して、彼女は鬱陶しさを感じたのか蔑視の視線を返してきます。しかし、何を言うでもなくその足で備え付けられていた冷蔵庫に歩み寄ると、缶ビールを取り出しました。
その缶ビールは確か優の体がアルコールに強いと私が教えた所、「それならば」とここへ帰ってくるまでに嬉々としてコンビニで購入したものでした。
ホテルに備え付けられた飲み物は高いから、と優は購入して持参する事を選んだようですがコンビニもスーパーなどに比べれば割高だったのではないでしょうか……? まぁ、私はお酒を飲みませんから知りません。
ちなみにこの体だとロング缶一本も飲み切れない内に酔いが回るそうです。経験という意味では飲んでもいいかな、とは思いますけど。
それにしても缶ビールを開けた時のプシュッという音。
……あぁ、幻想的な優の姿が現実的なものに。
それでも腰に手をあて、喉を鳴らして飲む優の姿は中年男性的なテンプレートであり、内心で「ツッコミ待ちなのでしょうか?」と思うくらいにベタなものですが、やはりそれでも絵になりますね。
流石は可愛かった、私の体。
「くあぁー! 入れ替わって一番の幸福って、これかもしれねぇなぁ!」
恐らく半分ほどを一気に飲み干したのでは、という勢いの後に缶から唇を離した優は奇声にも似た高揚を露わにしつつ、あろう事か女性になった幸福を差し置いてアルコール耐性を一番の至福と言い出しました。
確かに、あの一杯のために生きている人種がいるとも聞きますが、そんなステレオタイプ化したサラリーマン像が優とは水と油であって欲しいと願う私の胸中。
しかし変な話ですが、性の不一致は手術である程度対応できてもアルコールに対する強弱は医学でどうこう出来るのでしょうかね?
そう考えれば、どうにもならない事がどうにかなった喜びも正当なものですか。
……それにしても、優が飲むと随分と美味しそうに見えてきます。
と思っていると、私は無意識に唾を飲んでしまいます。そう、傍から見れば優の飲みっぷりに対して「私も」という欲が具現したような図式。そして、それを偶然にも察した優は冷蔵庫からもう一本買い置いていた缶ビールを取り出し、私に手渡します。
「ほら、折角だしお祝いって事だ……まぁ、先に飲んじまってるから乾杯だとかそういう形式めいた事の順序が滅茶苦茶だけどな」
優に薦められるまま、私は缶ビールを受け取ります。
缶は冷蔵庫内に張り巡らされた冷気に順応しており、絶妙に冷え切っています。私は個人的に苦いものが得意ではなく、珈琲に加えてこのビールというものも苦手です。そういう事を他人に語ると「ビールを舌で飲むからだ。喉で飲め」などと、味覚全否定な事を言われて酒に対する興味はどんどん削がれたものです。
しかし。酸いも甘いもあれば苦いもあるのが大人。ほろ苦さを楽しめる小粋な成人にいっちょ、なりきってみますか!
そう決心して私は缶を開け、独特のビールの香りに「あぁ、お酒だなぁ」などと思いつつ口に運び――瞬間、噴き出しました。
「うわっ、不味っ!」
「ちょっ、おい!」
無論、私に缶を手渡した優が目の前に居るのですから、噴き出したビールの飛沫は全て彼女のガウンに被弾します。濡れた部分が色濃くなり、布が吸いきれなかった余剰がぽたぽたと床に滴を垂らしています。
引き攣った表情で「またかよ」とでも言いたげに優はこちらを見つめていますね。
これは一大事、またやってしまいました。
「これはいけない。そんなガウンを着ていては風邪を引きますよ!」
そう言って私はベッドのバネを利用して、腰掛けていた体制から立ち上がると瞬間――優の体温管理に支障をもたらすであろう濡れたガウンを脱がすために飛びかかります。予め言っておきますが、これは優しさです。私としては自分の妻が風邪を引かないようにという配慮の下、行われた行動であってラッキースケベを装った狡猾な策略などでは全くないと明言しておきましょう。ですから必死です。無我夢中です。もう、ビールの缶なんて放り投げて彼女に飛びかかりました。
勿論、その後――私の頬にはベタにも真っ赤な手の平の形で跡が残りました。
なかなか頬の引っ叩き方を心得ているのかいい音がしました。こんな結果も含めて、全部分かってましたが、それでも我慢できなかったのです。
何せ、二十数年間こういった欲が満たされる事はなかったのですよ?
下世話な欲望ですが――溜まるものは溜まってしまうのです。




