表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

前編

 ブルーワース伯爵家のルカを知らない貴族はよほどの世間知らずか社交界のモグリだ、とは誰が言い出した噂だっただろうか。それほどまでにブルーワース家長子のルカは社交界の有名人だった。


 家名の通りの青い瞳は海のような深い色をしていて、涼し気な切れ長の目は長い睫毛に縁どられて輝いていた。少し癖のある焦げ茶色の長い髪はうなじの位置でまとめられ、華奢な背中でさらりと揺れた。背はすらっとして高く、同い年の少女たちよりも頭一つ分飛び抜けている。細身の体についた手足はしなやかに長く、ただ立っているだけで目を引く華があった。

 そのうえ穏やかで優しい性格のルカは性別を問わず人に好かれ、特に同年代の少女たちはいつでもルカに夢中だった。どんな時も優しい笑顔を振りまいて女の子に親切なルカに、婚約者がいる令嬢ですらルカが憧れだと言い出すほどの人気だった。


 ルカの存在が大きく知れ渡ることになったのは父親が体を壊したことがきっかけだった。父親のブルーワース伯爵はルカが14歳になる年に事故で足を悪くしてしまった。さらにその時の怪我が原因で感染症を患い、寝たきりの生活を余儀なくされた。不幸中の幸いとでも言おうか、命こそ助かったがこれまでのように領主として活動的に動くことができなくなってしまったのだ。

 夫人は夫たる伯爵の介護に付きっ切りで祖父母はすでに亡く、頼れる親戚もいない。身内の男といえばまだ8歳になったばかりの弟ただ一人。そんな中でルカは名代として名乗りを上げて伯爵の仕事を請け負うようになったのだ。

 まだ成長途中の若い細身の体に仕立ての良いスーツをまとって社交界へ躍り出たルカの存在は、瞬く間に貴族社会の噂の的となり、1年もする頃には誰もがルカのことを知るまでの有名人になっていた。『ブルーワース伯爵家のルカを知らない貴族はいない』という噂が出始めたのもこの頃だった。


 そんなルカには2人の幼馴染がいた。ゴールディング公爵家のアイザックとレッドフォード侯爵家のマリアンナ。父親に代わり大人たちを相手に立ち回るルカを陰日向で支えていたのは2人だった。

 母親同士が学生時代に親しかった縁で幼少期から仲が良かった3人は男も女もなく庭を駆け回って遊んでいた時から、3人のうちの2人が婚約者同士になり社交界へデビューを果たした後もずっと変わらず仲が良かった。いつも3人で過ごしている姿は貴族の中では見慣れた景色になっていた。

 アイザックは漆黒の髪にきらめく金色の瞳を持つ美男子で、優秀な頭脳としっかりとした体躯を持ち、次期公爵にふさわしくいつも自信にあふれた堂々とした態度で周囲をまとめる存在だった。

 マリアンナはたっぷりとした金色の巻き毛に燃える炎のような紅い瞳の美少女で、可憐な見た目とは裏腹になんでもはっきりと口にする勝気な性格で強い正義感を持っていた。

 そんな二人の中に穏やかでいつも笑みを絶やさない優しい性格のルカが加われば、案外バランスの取れた3人組で、見目麗しい3人がそろった姿は人目を引いて3人の存在は同年代の令嬢令息の憧れの的だった。


 しかしそんな3人の関係に、今年になって歪みが生じ始めていた。

 きっかけは、3人を含めた貴族の子息令嬢が通う国立学園に、市民出身の女子生徒が編入してきたことだった。

 学園には13歳から18歳までの貴族の子息令嬢が通っている。学園に通う前からの顔見知りが大多数であるうえ、中途入学もほとんど例がないこともあって顔ぶれは6年間で変わることはほとんどない。まして5年生からの編入だなんてそう滅多にあることではない。

 ピンカー男爵家の娘として編入したエレノアはそれだけで学生からの目を引いた。


 5年生に進級した新学期にルカたちの同級生として編入したエレノア・ピンカーは、ピンカー男爵が若い時分に屋敷に勤めてたメイドを妊娠させてしまった庶子だという。メイドを辞め、市井で暮らしていた生母が亡くなったことでピンカー家に引き取られ、この春から学園に通うことになったらしい。

 16歳まで街で過ごしていたエレノアは貴族の慣例にとらわれず振舞い、その無邪気なかわいらしい仕草に新鮮さを感じた令息たちは少しずつ彼女に惹かれていった。

 やわらかいミルクティー色のふわふわした髪の毛に桃色の瞳のエレノアはとても愛らしい少女だった。小柄で華奢で、年齢の割にあどけない笑顔が特徴のエレノアは女性の目から見ても庇護欲にあふれた少女だった。

 男性にも気軽に触れたり、手足を大きく動かして話す姿や、口を大きく開いて笑う姿はとても淑女とは言えない仕草だったが、それが魅力的だとエレノアの崇拝者は日ごとに増えていった。

 そんなエレノアに鬱憤をためていくのは令息たちの婚約者の令嬢たちだった。はじめのうちは慣れぬエレノアに親切に声をかけていた彼女たちだったが、エレノアは令嬢たちの親切に対してはすげない返態度で何かにつけて令息たちを頼るのだった。そんなことを続けるものだから、自然とエレノアは令嬢たちの中では浮いた存在となっていき、その結果エレノアはますます令息たちと過ごすようになるのだった。


 そんなエレノアが誰よりついて回ったのは他でもないアイザックだった。

 今年から生徒会長を務めることになっていたアイザックは前例のない編入生の世話役を任せられ、同じクラスに配属されて授業や日常生活のサポートをすることになった。編入当初に親切にしてくれたからと、エレノアはアイザックにとてもよく“懐いた”。

 学園のことをもっとよく知りたいと嘯いては生徒会室に入り浸り、何かにつけてアイザックを頼り、いつでも隣を陣取って過ごした。自分以外の誰かがアイザックの側にいるとあからさまにへそを曲げ、幼子のようにまとわりついた。その態度に例外はなく、ルカとマリアンナにも同様だった。


「ザック、先日珍しい茶葉をいただいたの。今日これから我が家でルカと試してみようと思うのだけど、一緒にいかがかしら。久しぶりにゆっくり話がしたいわ」


 アイザックが編入生の世話をすることはルカもマリアンナも事前に聞いていたが、まさかこんなにずっとべったりになるとは思っていなかった。

 5年生になってから少し経ったある日、そろそろ編入生も落ち着いた頃だろうとルカとマリアンナはアイザックに誘いをかけた。折よく生徒会の面々と一緒にいるアイザックを見つけてマリアンナが声をかけた時、返事を返したのはアイザックではなく隣にぴっとりと張り付いていたエレノアだった。


「アイザック様は今日はあたしと街へ行く約束なんです! あたしからアイザック様を取らないでください!」


 ぎゅっとアイザックの腕に抱きついたエレノアを見て、ルカもマリアンナも目を丸くした。アイザックもさすがに驚いたようで、エレノアから腕を引き抜きながらルカたちに向き直った。


「アンナ悪い、今日は生徒会で街へ行く約束なんだ。また今度誘ってくれ」

「……その子を優先するってことかしら?」

「そんな風には言ってないだろ」

「アンナ、先約なら仕方ないよ。今日は2人でいいじゃない。ザック、また声かけるよ。ピンカーさんたちと楽しんで来て」


 文句を言おうとするマリアンナの背中を押してルカはアイザックたちに笑顔を向けて立ち去った。


「ルカ! 文句の一つも言わせてよ! ザックってば……!」

「そんな怒らないでアンナ。ザックは責任感が強いから仕方ないよ」


 苦笑を浮かべながらマリアンナをなだめたルカの顔にも隠し切れない寂しさが浮かんでいた。あんなにも一緒にいた幼馴染3人は5年生になってからすっかり疎遠になってしまっていた。

 去っていく2人を見ながら少し寂しそうな表情を浮かべるアイザックを見て、エレノアはむっとした表情でアイザックの袖を引いた。


「アイザック様!」

「ああ、じゃあ行こうか」


 ようやくエレノアに目線を戻したアイザックは、さりげない仕草でエレノアの手を外しながらにこりと笑いかけると校門へ足を向けた。一方、アイザックの後を追いながらエレノアはむっつりとした表情隠そうともしていなかった。



--



「きゃあ! これかわいい!!」


 街へ出たエレノアは雑貨屋や菓子売りなどにいちいち足を止めては声を上げた。学園の生徒会の役員たちはほとんどが高位の貴族の子供で自分の足で町に出ることは少なく、社会科見学を兼ねてそろっての外出だった。

 だが生徒会役員でもないのに押しかけてついてきたエレノアが都度足を止めるのでなかなか進まずにいた。生徒会にはエレノアへ陶酔している令息も多いが、一部の役員はエレノアの行動に眉を顰め始めていた。


「……みんな、今日はそれぞれで街を見て回ることにしよう。明日改めて感想を話し合うのはどうかな」

「……そうですね、なら私はあちらに」

「私も。では会長、また明日」

「僕は会長とエレノアとご一緒します」

「僕も」


 アイザックの一声で役員たちはそれぞれ興味のある場所へ向かっていった。アイザックは残った数名の男子生徒と一緒にエレノアに付き添った。


「ピンカー嬢、そろそろ移動しないか」

「エリーと呼んでくださいアイザック様! でもこのブローチすごくかわいいんですよ」

「……あぁ、本当だ。確かにいい意匠だな」


 アクセサリーを扱う露店の前で足を止めたエレノアの隣に立ってアイザックも1つブローチを手に取った。青い石がついた燕の意匠のブローチはシンプルな作りをしていて、ユニセックスなデザインはアイザックにもよく似合いそうだった。


「随分安いな。これはガラスか?」

「ええ、腕のいい職人がいましてね。カッティングを工夫しております。光が当たれば宝石にも負けないくらい輝きますよ」

「うん、いい技術だ。せっかくだから1つもらおうかな」


 露店の店主に声をかけながらアイザックは手に取った燕のブローチを差し出した。するとすかさずエレノアはアイザックにすり寄り猫なで声を上げた。


「わぁ、鳥さんかわいい! でもあたしは青よりピンクの方がかわいいと思うなぁ」

「お兄さんどうします?」


 上目遣いでウルウルとフランツを見つめたが、アイザックは穏やかに微笑んで店主に首を振った。


「いや、これは私が自分で使いたいと思うから。どうした、私には似合わないかな?」

「え!? い、いえ……お似合いだと、思いますけど……」


 店主から簡単に包まれたブローチを受け取ったアイザックはエレノアに見せることなく鞄へとしまった。そのまま露店から離れようとするアイザックにエレノアは慌てた。


「アイザック様! あ、あたしもブローチほしいです!」

「そうか、いいものがあれば買うといい。ここで待っていよう」

「えっ……でもあの……あたし今日は持ち合わせが……」


 ぼそぼそと口ごもるエレノアだったが、アイザックは穏やかに笑顔を向けたままそれ以上口を開こうとしなかった。見かねた一人の男子生徒がエレノアに声をかけた。


「エレノア、よければ僕が贈るよ」

「えっあたしはアイザック様に、じゃなくて、そんなの申し訳ないわ」

「そうか、なら仕方ないな。今度また家の人と来たらどうかな? それじゃあ行こうか」

「えっ! あ、アイザック様!」


 そう言って露店から離れようとしたところで、アイザックは露店の隅に目を取られて足を止めた。駆け寄ったエレノアがアイザック様? と問いかけるも返事すらせず、1つのブローチを手に取った。

 細かく砕かれた黄色い石が散りばめられたそれは複雑な意匠が凝らされた小ぶりなもので、よく見れば獅子のモチーフだとわかるデザインだ。


「なんですかこれ? ごちゃごちゃしててよくわかんない……」

「獅子だ。石の組み合わせ方が見事だな」

「お目が高いね。でもそれはうちの職人が半ば趣味みたいに作ったやつだからさっきのより高いよ」

「いや、いい。これも貰おう。贈り物用に包んでくれないか?」

「えっ? 買ってくれるんですか? それならあたしぃ、これよりも……」

「君にじゃないよ。婚約者への贈り物だ」


 エレノアの言葉に耳も貸さずにアイザックは店主にブローチと代金を渡した。


「えっ、こ、婚約者?」

「そうだよ。知らなかったかな? まぁ最近だと学生のうちに婚約するのは減ってるからな……。あぁ、メッセージカードも頼めるか? “愛しのマリーへ”と」

「ま、マリー……?」


 唖然とした表情を浮かべるエレノアを見て、アイザックはやっと周りの存在を思い出したようにはっとして、そして少し照れたようにはにかんだ。


「あぁ、悪い。今のは聞こえなかったことにしてくれるかな。彼女は私がマリーと呼んでいることを学園の人に知られるのを恥ずかしがっているんだ。……ああ見えて、我が婚約者殿は恥ずかしがり屋なんだ」

「ははは、これは意外な事実ですね。ただまぁ、からかうと後が怖そうですし、忘れることにしましょう」


 アイザックと男子生徒はそう言って笑い合った。

 先ほどと打って変わり綺麗に包まれたブローチを店主から受け取ったアイザックは大切そうに鞄にしまい、エレノアに声をかけ今度こそ露店を離れた。アイザックの一歩後ろを歩くエレノアを、通りすがりにすれ違う人がぎょっとした表情で目を向ける。少しうつむいて顔を覆うように流れたミルクティー色の髪の隙間から垣間見えるエレノアの目は鬼のように吊り上がりアイザックの右手に持たれた鞄を忌々し気に睨みつけていた。


「マリー……。――マリアンナ・レッドフォード!」


--


 また今度、と言ったのが幻だったかと思うほど、ルカとマリアンナはその後もアイザックに近づくことができなかった。いつ見かけてもエレノアはアイザックにべったりで、声をかけようとする気配を察するとエレノアは言葉巧みにアイザックを遠ざけてしまう。聞くところによると休日も何かと言ってはアイザックにまとわりついているという。


「もう! ザックってば何を考えているの!? 昼休みも放課後もあまつさえ休日ですらピンカー様とばかり過ごすなんて……!」

「アンナ、そう怒らないで…」


 今日もアイザックに近づくことができなかったルカとマリアンナは2人だけでカフェテリアでランチを取っていた。先ほど淡々と断ってきたアイザックの姿を思い出してマリアンナは深紅の瞳を釣り上げた。ぷりぷりとした態度のマリアンナにルカは眉を下げて苦笑を浮かべる。そんなルカにマリアンナは一層眉間のしわを深くした。


「ルカがそうして甘やかすから! だいたい何ですのあのブローチは!」


 マリアンナの怒りの矛先は、少し前からアイザックとエレノアが制服の襟につけているブローチに向った。なんでも街中で露店を出しているアクセサリー店のものらしく、2人以外にも制服につけている生徒は何人かいる。しかし、2人がつけているデザインがマリアンナの怒りを過熱させていた。


「2人とも鳥のモチーフなんて信じられませんわ! 何を考えているのかしら!!」


 件のアクセサリー店は職人による手作りが売りで、全く同じものは2つとないという。動植物や自然界の意匠など様々なモチーフを扱う中で、アイザックとエレノアが2人そろって鳥のモチーフをつけていることを邪推する人が少なくなかった。微妙に違うデザインではっきりお揃いとは言えないものの、有体に言えば“匂わせ”のようで一層意味深に感じるのだ。


「ザックから聞いたでしょう? そんな意図はないって」

「ルカ!」


 語気を強めるマリアンナにもルカは困ったような笑顔を返すのみ。マリアンナはしばらく怒ったままの表情でルカを見つめていたが、やがてため息をついて眉を下げた。


「もういいですわ、ルカがそういう態度ならわたくしから彼女に話します」

「アンナ…」

「わたくしがやりたくてすることですの。ザックにも何も言わないというのでしたら、わたくしにも文句言わないでちょうだい」


 それからマリアンナはエレノアに苦言を呈するようになったが、当のエレノアはどこ吹く風で一向に聞き入れる気配がなかった。


「ピンカー様、そのように口を開けて笑うだなんてはしたないですわよ」

「楽しい時に楽しい顔をすることがどうして駄目なの?」


「婚約者のいる方に馴れ馴れしくするものではありません」

「お友達と仲良くすることが悪いことなの? そんなのおかしいわ」


「殿方に気軽に触れるなんて! 淑女のすることではないわ!」

「転びそうになったところを助けてくれたのに、そんなこと言うなんて……」


 マリアンナとエレノアの諍いは学園のそこここで見かけられるようになった。ひどくなる前にルカが間に入って諫めていたが、エレノアが態度を改めるそぶりは一向に見えなかった。

 マリアンナがエレノアに苦言を呈している中でもアイザックはエレノアに対して中立の、つまりは以前と変わらない関係を保っていた。幼馴染3人の間に亀裂が入ったのでは、などという噂が学園に流れ始めた頃、ついにマリアンナの堪忍袋の緒が切れた。


 その日、午前の授業を終えたルカとマリアンナは連れだってカフェテリアに足を運んでいた。


「ブルーワースさん少しいいですか」

「はい先生。アンナ、先に行っててくれる?」

「ええ、いつものところで待っているわ」


 教師に呼び止められたルカは廊下でマリアンナと別れた。そのままカフェテリアに向って歩いていたマリアンナは学園の中央にある大階段の踊り場でばったりエレノアと出くわした。珍しいことに側にアイザックがいない。いい機会だとマリアンナはにっこりと笑顔を浮かべてエレノアに近づいた。


「あら、ピンカー様。ごきげんよう。ザックと一緒にいないのは珍しいですわね、ようやく目が覚めたということかしら?」

「……マリアンナ様こそ、ルカ様の姿が見えませんね。目が覚めたって、どういう意味ですか?」

「ザックには正式な婚約者がいることはご存知でしょう? 常々申し上げておりますが決まったお相手がいる殿方に馴れ馴れしくするなんて淑女のなさることではありませんわ」

「あたしはただアイザック様と仲良くしているだけです。そんな風にいじわる言うなんてひどいです!」

「仲良く? 物は言い様ですこと。大体そのブローチも何のつもりですの? 婚約者がいる殿方と同じモチーフの装飾品を身に着けるなんて恥知らずにも程がありますわ」

「鳥のブローチなんでどこにでもありますよねぇ? 私が何をつけようとマリアンナ様には関係ないじゃないですか? ……大体、婚約者だからっていうの、おかしいですよ。決められた相手と結婚しないといけないなんて……。市井では結婚は好き合った男女がするものなんですよ!?」


 次第に言い合いが激しくなってきた2人を囲むように人垣ができていく。ヒートアップしていく2人はそれにも気づかないようでお互いに語気を強めていく。


「それが何? だからと言って貴女がザックにまとわりつく免罪符にはなりませんことよ。少し親切にしてもらえたからって、自分ひとりが特別扱いだと思わないで頂戴」

「そんなこと知ってます!! でも、でも、婚約者だからってアイザック様を縛り付けてる方も悪いんじゃないですか? 考えを押し付けているのはマリアンナ様も同じです!」

「なんですって……!?」

「アンナ!!」


 マリアンナの深紅の瞳がかっと怒りに燃え手を振り上げた瞬間、ルカが人垣をかき分けて飛び出した。怒りに震えるマリアンナの肩を抱いて落ち着かせる。


「離してちょうだいルカ! 貴女という人は……!」

「アンナ! 落ち着いて。……ピンカーさん、大丈夫?」

「ルカ様……! ありがとうございます!」

「ルカ!!」

「アンナ、大丈夫。わかっているから」

「ルカ様……あたし、あたしはただアイザック様と仲良くしているだけなの。なのにマリアンナ様が……」


 うるうると瞳を潤ませてエレノアはルカに近寄ろうとするが、さっと一歩引いてエレノアから距離を取ったルカはマリアンナを背に隠しエレノアとしっかり向き合った。


「ピンカーさん。ここで二人が揉めるのが良いこととは思えないから止めただけであって、私は貴女の味方ではないよ。勘違いはしないで。貴女とどう付き合うかはザックが決めることだから私は何も言わないだけで、貴女のことを……よく思っているわけではないよ」


 ルカはマリアンナの肩を抱きながら厳しい目をエレノアに向けた。びくりと体を震わせてから、きっと強く2人を睨むと、エレノアはギャラリーを押しのけて階段を駆け下りで去っていった。残されたルカとマリアンナを遠巻きに見ながら、人垣も徐々に崩れていく。



「……もう、もう! 耐えられませんわ……!」

「アンナ、マリアンナ……。落ち着こう、大丈夫だから」


 細かく震えるマリアンナをルカは優しく抱きしめた。ルカの腕に支えられながら、マリアンナは奥歯を強くかみしめた。



--



 大階段での騒動の翌日、カフェテリアでランチを楽しんでいたルカとマリアンナのもとへ、エレノアを連れた生徒会一同が――アイザックが姿を現した。学園を騒がしている人物が勢ぞろいしたとなって、カフェテリアはにわかに騒ぎ始め次々とギャラリーが増えていく。

 アイザックの隣をぴったりと陣取ったエレノアは、マリアンナと目が合うとびくっと大げさなほどに震えてさっとアイザックの背に隠れた。忌々しいとでも言いたげに眉を顰めたマリアンナはカトラリーを置くと立ち上がりアイザックと目を合わせた。


「ごきげんようザック、生徒会の皆様。お揃いで何か御用でしょうか」

「昼食を楽しんでいる時にすまない。実は、ピンカー嬢から、とある令嬢から虐めを受けているという相談を受けた」


 アイザックの言葉に、マリアンナは目を見開く。ルカも思わず立ち上がってアイザックを見つめる。アイザックは少しためらいを見せた後、マリアンナとルカに目を合わせてから口を開いた。


「マリアンナ・レッドフォード嬢から虐められている、と」

「あたし、あたし、編入してからずっとマリアンナ様に虐められていて……!ずっと怖かったんです。でもずっとずっと我慢していて、でも昨日、叩かれそうになって、もう耐えられないと思って……!」


 アイザックが言い終えるやいなやエレノアは涙をこぼしながら訴え始めた。最後はわあんと声を上げてアイザックの胸に飛び込んだ。咄嗟にエレノアを抱き支えたアイザックは大声を上げて泣くエレノアに戸惑いながらマリアンナに目を向けた。


「私は生徒会長として、生徒からの相談には向き合う義務がある。幼馴染と言えど、虐められたという声を無視することはできない。アンナ、正直に答えてほしい。ピンカー嬢の言ったことは本当か?」


 さめざめと泣くエレノアに絶対零度の視線を向けてから、マリアンナは姿勢と正してアイザックに向き直った。


「何をもってピンカー様が虐めとおっしゃるのかわたくしには理解しかねますが、ピンカー様の行動が目に余るものでしたので何度か注意をしたことは事実ですわ」

「ザック! アンナは虐めなんて、そんなつもりじゃない!」


 悪びれた風はなく、つんとした態度で言い募るマリアンナにルカの方が慌ててアイザックに訴える。


「注意とは?」


 声を上げて泣くことを止め、すんすんと鼻を鳴らすエレノアにアイザックが問いかけると、未だ涙をこぼしながらエレノアは口を開いた。


「笑う声がうるさくて耳障りだって」

「口を開いて笑うなんてはしたないとお伝えしただけです」

「アイザック様と話すなって怖い顔で怒られたの!」

「婚約者がいる殿方と馴れ馴れしくするのはよくないと言っただけで、話すなだなんて言った覚えはありませんわ」

「お友達と仲良くするのもよくないって…!」

「淑女として殿方に気安く触れるべきではないという指摘が間違ったものとは思えませんわ」


 つんとした態度を崩さずに反論するマリアンナに、エレノアはきっと目を吊り上げて声を上げた。


「そんなことを言って、マリアンナ様はいつもルカ様といるじゃないですか! 自分のことは棚に上げてあたしだけ責めるなんて、酷いです!」


 エレノアからの予想外の言葉に、マリアンナだけでなくルカも動揺した。


「ル、ルカは友人ですもの。何がおかしいとおっしゃるの?」

「友達だからって、婚約者以外と一緒にいることには変わりないじゃないですか!」

「それは、そうですけど、でも」

「自分だって婚約者以外の人とべたべたしてるのにあたしだけ責めるなんて……! 婚約者だからってあたしがアイザック様と仲良くしたことに嫉妬して虐めるなんて本当に酷い人! こんな人が婚約者だなんてアイザック様がかわいそうよ!」


 ん? とその場にいた全員の頭にに疑問符が浮かんだ。


「ピンカー嬢……少し、整理させてほしい。君はマリアンナに虐められたと、そう言ったな」

「はい! とても怖かったんです!」

「君と私が仲良くしたから、私の婚約者が嫉妬して虐めた、とも言ったか?」

「ええ、そうです」

「なるほど……」


 この状況を最初に正しく理解したのはアイザックだった。取り囲むギャラリーの何人かも気が付いたようで、さざ波のようにささやき声が広がっていく。


「エレノア・ピンカー嬢。今一度問おう。これは君の訴えに間違いがないかを正確に確かめるための質問だ。君を虐めたというのは、誰だ?」


 3度目になるアイザックの問いかけに、エレノアは怪訝な表情をしながらも、しっかりと、はっきりとマリアンナを指さして宣言した。


「アイザック様の婚約者である、マリー様です!」

「えっ」


 エレノアの宣言に思わずというように声を上げたのは、ルカだった。

 そしてここで全員が理解した。そして思い出した。『ブルーワース伯爵家のルカを知らない人間はよほどの世間知らずかモグリ』だと。

 男爵の庶子として生まれ、生母を失ったことで社交界入りしたエレノアは、女子生徒を敵に回しまくったおかげで令嬢の友人は1人もおらず、お茶会にも呼ばれないし、学生の時分では社交場にもそうそう顔を出す機会もない。貴族なら当たり前に耳にする常識も噂も知らない。間違いなく貴族社会では世間知らずで、社交界のモグリだった。

 ざわざわと大きくなるギャラリーの声と、驚いた表情で戸惑う様子のルカ、そしてあきれた表情のマリアンナを目にして、エレノアは何かがおかしいと気が付いた。

 戸惑いながらアイザックに目をやると、アイザックまでもが冷めた目でエレノアを見下ろしていた。

 何が起きているのかわからず、きょどきょどと目線をさまよわせたエレノアは、ルカの制服にさりげなくつけられたブローチを目にして驚愕に目を見開いた。


「ど、どうしてそのブローチを、貴方が……!?」


 ルカの制服の襟には、複雑なデザインで獅子をかたどった、黄色い石が散りばめられたブローチが輝いていた。


「何を勘違いしているのか知らないが、私はマリアンナと婚約した事実は過去一度もない」

「え?」

「わたくしをマリーと呼ぶ方もこの学園にはおりません」

「え??」

「彼女は君に虐められたと言っているが、真意はどうなんだ、マリー。……いや、我が婚約者殿、マルカ・ブルーワース嬢」


「……ピンカーさんが訴えるようなことを、口にした覚えは一度もありません」


 アイザックにマリーと呼ばれて、少し頬を赤く染めたルカが答えた。


 マルカ・ブルーワース、通称ルカ。女だてらに異性装をして、幼い弟が成人するまでの名代として、父親の代わりに社交界に繰り出す変わり者の男装令嬢。社交界にいれば嫌でも耳に入る有名な話だ。


「ええぇぇえ!?」


 カフェテリアにエレノアの絶叫が響いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ