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沼田は確か

 沼田城については聞いた事がある。北条と真田の間で長年問題になっていた事を。この問題の解決に乗り出したのが豊臣秀吉。

『沼田領の内3分の2を北条の権益とする。』

と裁定。これを両者が受け入れ真田昌幸は、沼田城を北条側に引き渡す事で解決した。と思われたのでありましたが……。

豊臣秀吉が沼田問題と合わせ北条側に要請していた北条氏政の上洛を北条側が渋る事態に……。

『徳川並み。』

豊臣秀吉の身内を実質人質として出した徳川家康のような扱いを求めた事に豊臣秀吉は激怒。これに追い打ちを掛けたのが

『名胡桃城奪取事件。』

この名胡桃城は秀吉により真田領となった城。この城を奪ってしまった事により、秀吉は小田原征伐を決断。北条は破滅への坂を転げ落ちる事になる切っ掛けとなったのが沼田城。ただこの出来事に……。

(藤田信吉は出て来ない。)

「殿。如何為されましたか?」

「少し考え事をしていまして……。」

「皆殿の決断を待っていますぞ。」

「わかっている。暫し猶予を……。」


 北条が滅亡した後を調べた事がある。氏政と氏照の兄弟は切腹。当主の氏直は高野山。藤田家の当主となった氏邦は前田家へ赴き、後に許され家臣に。氏規に至っては大名となり明治まで続く事になった。しかしこれらの出来事に藤田信吉は登場しない。と言う事は……北条の家臣にはなっていない。

 真田はどうだろう?織田家撤退に伴う混乱を乗り切り、徳川の攻撃を2回も退け。更には大坂の陣でも徳川方を散々に苦しめた真田家に接する機会が多く、史実か否かに関わらず多くの家臣も取り上げられている。しかしその中にも……藤田の名前は無い。そうなると……他の家に身を寄せたか?それとも……。

(沼田城の戦いで命を落としたのか?)

この攻撃は失敗に終わる。しかしここ沼須城に残ったとしても……。

「1つお尋ねしても宜しいでしょうか?」

「如何為されました?」

「私がここに来てどれ位になります?」

「沼田を離れてからで宜しいでしょうか?」

「はい。」

「そうなりますと3ヶ月になります。」

「その間、手を加えたと言う事は?」

「織田の家臣であり、織田と北条は同盟関係。上杉の心配はありましたが、当時上杉は織田の攻撃に苦しめられ関東に入る余裕はありません。加えて上杉が沼須を攻めるためには沼田を抜かなければなりませんので。」

「備えとしては?」

「ここで籠城出来ないから沼田を。と考えられているのは殿でありますが?」

「……ん。わかった。もう少し考えさせていただきたい。」

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