そもそも沼田城は
「沼田城は真田昌幸に返す。」
この言葉に異議を唱えたのが藤田信吉。
「沼田は武田……いえ真田昌幸より城代として預かっていたものであります。故に私の下にお返し願いたい。」
と懇願。しかし……。
「昔の事はわかりません。沼田は真田昌幸より受け取った城でありますので、真田に返すのは当然の措置であります。藤田殿は真田の家臣であったのでありますから、沼田は真田殿と交渉していただきたい。」
との返答。
(……まぁそうでしょう。)
「しかし殿はこの決定に納得する事が出来ませんでした。何故なら殿は……。」
独立を考えていました。
「信長信忠親子が亡くなり、滝川が上野を去ったとなれば北条が兵を進めるのは必定。殿は北条を見限った御立場でありますので、降伏と言う選択は存在しません。一方の真田昌幸は生まれてから滅びるまで武田の家臣を貫いていた事もあり、北条への服属が認められ易い立場。もし真田昌幸が北条の家臣となった瞬間……。」
藤田信吉の命は風前の灯に。
「これを回避するためには、ここで北条の攻撃を防ぐ必要があります。しかし兵力差を考えた場合、野戦は無謀。籠城するにしてもここ沼須の備えでは……。北条と相対し、撃退するためには……。」
真田昌幸を以てしても落とす事が出来なかった沼田城の確保は必須。
「加えて殿には……。」
上杉景勝からのお誘いが。
「織田信長亡き後、越中においては魚津城を奪還したばかりでなく……。」
森長可が去った川中島を獲得。
「その勢いは衰えを知らず……。」
武田家を滅亡においやった張本人木曽義昌が守る深志城にも進出。
「そして殿にもお声掛けをされ、関東にも。との事であります。」
「(……全部。主が居なくなった所ばかりでは無いか……。そうなると上杉が上野に入るのは……。)」
藤田信吉が沼田を獲得した後。
「(それまでは日和見を決め込むに決まっている。)」
「殿は上杉景勝からの誘いに応じ、ここ沼須に兵を募集。『織田打倒』を秘かに念じていた近隣の者共が続々と沼須に馳せ参じている所であります。その数実に……。」
5000。
「沼田を守る一益の甥で家老の滝川益重の兵は4000。攻城には少なくとも3倍。出来れば10倍の兵が必要であり、沼田は難攻不落ではありますが、殿は長年。ここ沼田に居城されていたのに対し、滝川はここに入ってからまだ3ヶ月。城の攻め口を熟知しているわけではありません。ここは一気に片付け、北条への備えを固めると共に上杉の援軍を迎え入れましょう。」




