十三話 赤い花の村1
前回のあらすじ・王太子殿下との婚約破棄は、合意の上のもので……
俺の職業は、確か執事だったはずだが、最近は「苦労人」とか「万屋」とか名乗ったほうがしっくりくる気がしている。
毎日お嬢様――エレオノーラ様に振り回され、事件に首を突っ込み、命がいくつあっても足りない。今日もまた、俺はエレオノーラ様の隣で、見知らぬ村の風景に頭を抱えてることになる。
「アハト、あれを見て」
エレオノーラ様が窓の外を指さす。
俺は運転席から身を乗り出し、山あいから見え始めた村を見下ろした。
一面が――真っ赤だ。麦畑の黄金も野菜の緑もない。地平線まで続く赤い絨毯。よく見ると花、花、花。
「エレオノーラ様、これ……観光用にしては、ちょっとやりすぎじゃありません?」
「そうね。資料によれば、この村は昔から穀物の産地だったはず。観光業に力を入れているようでもないのに……変よね」
変どころじゃない。俺のカンが「一面の赤い花畑」イコール「ろくでもない事件」だと告げている。ああ、嫌な予感しかしない。
車を降りて村の道を歩く。
道端では、赤い花を摘む子どもたちがちらほら見える。だが、みんな顔色が悪い。目の下にクマを作って、ぼんやりしている。
大人たちも背中を丸め、肩を落として畑を歩いている。声をかけても、視線を合わせてくれない。
――うん、これは完全に「何かを抱えている村」だ。できれば関わりたくないけど、積極的に首を突っ込んでくのが、うちのエレオノーラ様なんだよな。
「アハト、どう思う?」
「……正直、警戒されてますよね。みんな、まるで『余所者は災厄を持ち込む』みたいな顔してこっち見てますよ」
「まあ、私たちは見た目が浮いてるしね。貴方なんか、都会の詐欺師みたいな顔してるし」
「なんつぅ言い草ですか」
エレオノーラ様は俺のツッコミを華麗にスルーし、ふとしゃがむと、広場の土から何かをつまみ上げた。指先からこぼれ落ちた乾いた赤い花びらが一枚、ヒラヒラと舞い落ちる。
「この花、どこかで見覚えがあるのよね」
「俺もです。……あ、ひょっとして、『天使の唇』の原料だって、前にマロニエ婆さんが見せてくれたやつでは」
「そう、それだわ。マロニエが品種改良して、悪人達が違法薬物を作っていた花。でも、これは少し花びらの形が違うわ。原種じゃないかしら」
エレオノーラ様は、種がこぼれて自生したのだろう、広場近くに生えていた花の根を引き抜き、熱心に観察している。
俺はその様子を横目で見ながら、周囲の村人たちの会話を盗み聞きした。いや、こういう時は「情報収集」って言うんだ。決して「盗み聞き」じゃない。
「……今年もまだ代金はもらえねぇ。もう米も麦もねぇぞ」
「代官様が花ばっかり作らせるせいだ。うちの子の熱がひかねぇのも、あの花のせいなんじゃねぇか」
不穏な空気。エレオノーラ様も何かを察しているらしく、眉間にしわを寄せている。
「アハト、子どもたちの手を見てみて」
言われてよく観察してみると、花を摘んでいる子どもの手が赤くただれている。中には、指先がしびれているのか、時おり苛ついたように手を振っている子もいた。
「……これ、花の汁が原因ですか?」
「ええ。この花――正確には未成熟な実だけど――を集める作業は、皮膚から毒が入ることがあるの。微量だけど神経毒や、麻痺成分が含まれている。大人ならまだしも、子どもには危険よ。ほら、あの子……」
エレオノーラ様が指差す先、ひとりの少年が花摘みの最中にふらりとしゃがみこんだ。顔色が悪く、唇がわずかに青い。
そばにいた母親らしい女性が、少年の背中をさすりながら「また……」と呟いている。
「子どもですもの、花を摘んだ手で目をこすったり、物を食べたりするでしょう。そうすると、花の成分が体に入ってしまう。しびれや吐き気、時には幻覚や、ぼんやりしたり眠気がひどくなったりするの。大人でも長く作業してる人は、慢性的な不調や皮膚炎に悩まされることが多いそうよ」
「マロニエ婆さんやシェーヌ嬢もですか?」
「マロニエやシェーヌはちゃんと対策してるわ。プロですもの。正しい知識を与えられず、毒にもなる植物を扱わされているここの人たちは、かなり無防備だけれど」
「代官が花を撒かせたって言ってましたよ。その代官は、危険性を知らないわけじゃないでしょうに」
「知らないふりをしてるのかもね。違法薬物の原料になる花を栽培させて、金は払わず、村人を搾取して……最悪ね」
エレオノーラ様は、腫れた指で花を摘んでいた女の子に近づき、しゃがんで目線を合わせると、水で濡らしたハンカチで手を拭いてやりながら、優しく声をかける。
「指が痛いのかしら? この赤さは、花の色が移っただけじゃないわね。こうしたら少しは良くなる? 花を摘むのに、汁を付けるなっていうのは無理な話よね……でも、この花の汁はあまり体に良くないの。できるだけ小まめに洗って、もしもっと腫れたり、しびれたり、気持ち悪くなったりしたら、すぐわたくしに相談して」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん。あの、ね……あたしのことじゃないんだけど……」
女の子は俺の方をチラチラ見ながら、エレオノーラ様に顔を寄せてポツポツと何かを話し出した。えぇえぇ、俺は詐欺師顔なんでしょうとも。子どもに好かれる顔はしてませんよ。
俺は少し離れ、しゃがみこんでいた少年に革袋の水を渡してうがいさせ、手を洗って、薬箱から軟膏を取り出して塗った。お母さんはおろおろとしながらもお礼を言ってくれたけれど、少年本人はどこかぼーっとしていた。
ふと、隣の畑で、年配の男性が腰をさすりながらしゃがみ込んだのが見えた。顔色が悪く、時おり腹を押さえて苦しげな表情を浮かべている。
「エレオノーラ様、あの人も……」
「ええ、そうでしょうね。花の成分が体に蓄積して、無気力になったり、寝てばかりいるようになったり、依存症になることもある。違法薬物の原料を育てているからといって、無理強いされていたここの村の人たちに罪はないわ。見過ごせない話ね」
その時、村の奥から怒号が響いた。
「みんな、集まれ! このままじゃ、子どもたちが死んじまうぞ!」
農具を手にした男たちが、続々と広場に集まってくる。顔はやつれ、みんなどこか具合が悪そうで、顔色も悪いけれど、はち切れんばかりの感情を抱えているように見えた。
「アハト、これって」
「間違いなく農民一揆の前兆でしょうね」
「やっぱり。話には聞いていたけれど、実際には初めて見るわ。王太子殿下がおっしゃってた、民衆の声の発露っていうやつね」
「エレオノーラ様、何を冷静に。巻き込まれないように少し下がってください」
農民たちの怒号が広場を埋め尽くす。
「代官のとこに行くんだ! このままじゃ、みんな飢え死にだ!」
「花ばっかり作らせやがって、金も食い物も寄越さねぇ!」
「力尽くででも交代してもらわにゃ、俺らのほうが死んじまう」
俺が止めるのも聞かず、エレオノーラ様はツカツカと歩み寄り、村の代表格らしい老人に声をかける。
「少し、話を聞いてもいいかしら?」
「……ハァ? あんた、誰だ? どっかのいいとこのお嬢さんなんだろうが、この状況が見えてねぇのか?」
「わたくしはただの通りすがりの、困っている人を助けるのが趣味なだけの旅人よ。わたくしに何かできることがあれば、力になりたいと思って声をかけたの」
――いや、趣味って言われても。それで信用しろってほうに無理がある。
俺は心の中で全力ツッコミを入れ、なんならエレオノーラ様を引っ担いで逃げようと算段をめぐらしていたが、村人達は俺が思うより冷静だったらしい。
周りと顔を見合わせつつ、ポツポツとこぼした。
「どうせ話したって何もできやしねぇ」
「こんなんなっちまったのも、よそ者の代官のせいだ」
「いいとこのお嬢さんに、興味本位で顔を突っ込まれてもな」
「まぁまぁ、助けてくれるってんなら、この人が悪魔でも魔物でもいいさ。すがれるもんなら藁だってな。こうなりゃダメ元だ」
老人は、周りをなだめ、語り始めた。
「三年前、代官が変わったんだ。それから、赤い花を作れってみんな種を配られて……最初は少しだけだったが、今じゃ畑のほとんどが花、花、花だ。花は代官が全部買い上げるって言うから撒いたが、金はろくに払われねぇ。代わりに借用書ばっかりが増えていく」
「穀物を作るなって命令されてるの?」
「“花のほうが金になる”ってさ。けど、誰だって食い物がなきゃ生きていけねぇ。畑の隅で細々と芋や豆を作ってたが、それも見つかれば兵士どもが踏み潰しやがる。もう限界だ、このままじゃ死人がでる」
「子どもたちの症状は、いつから?」
「前からかぶれやなんかはあったが、今年に入ってから深刻になってな。花の世話をよく手伝ってる子に多い。手がしびれる、腹が痛い、幻覚が見えるって……寝込んで起きられない子もいる。代官に訴えても、“気のせいだ”の一点張り。医者も呼んじゃくれねぇ」
エレオノーラ様はしばらく黙って話を聞いていたが、やがて静かに言った。
「分かりました。わたくしも参加しましょう」
「ハァ? どこぞのお嬢さんがかい? 百姓一揆に? 代官の回し者じゃねぇのか?」
「疑うならそれでもよくってよ。ただわたくし、美しくないものは許せない主義なの。毒になる作物を無理に作らせ、作らせた作物を受け取っておきながら代金を払わない……その行いは、美しくないわ」
老人は、わずかに目を細めてエレオノーラ様を見つめた。
「……あんた、どうかしてるな」
「よく言われるわ。おもに執事に」
エレオノーラ様は、にっこりと微笑んだ。
一方で老人は、エレオノーラ様の後ろに控えていた俺に目線をよこした。
「見た目によらず、アンタも苦労してんだな」
その『見た目』ってのは、俺が苦労知らずに見えるのか、それともさっき女の子に怪しまれたように詐欺師顔だと言いたいのか――
ちょっとやさぐれそうになったが、雰囲気を読んで口をつぐみ、執事らしい苦笑を浮かべるにとどめておいた。
そういえば俺、執事だった。
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