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十三話 偽者令嬢と国境鉄道計画2

前回のあらすじ・エレオノーラの偽者が出たという情報を得て、二人は国境の街へ。

 ◇◇◇

 広場には怒号が飛び交っていた。


「金をよこせ!」


「騙しやがって!」


 失業者や偽物エレオノーラ様に踏みにじられただろう人々が、あるいは物を破壊し、あるいは立ち並ぶ店から強奪を始めている。中には「天使の唇」を求めている者もいるようだ。


「天使の薬をよこせ……!」

「もう薬がないんだよぉっ!」


 中毒者の一人が、俺たちの方へふらふらと近づいてくる。目が血走り、手が震えている。


「アハト、下がってちょうだい。ここはわたくしが」


「いやいや、何を言っているんですか。多少は俺のこともアテにしてくださいよ」


 俺はエレオノーラ様の前に立ち、短剣を構える。

 けれど次の瞬間、エレオノーラ様は茶色の髪を翻し、腰に差していたレイピアを静引き抜きながら俺の横を駆け抜けていた。その動きは、貴族の嗜みなどという生易しいものではない。鋼の刃が夕焼けを反射しきらりと光る。


「エレオ――じゃない、レオ、殺しちゃダメですよ!」


「分かってるわ。けど、傷つけないようにっていうのは、ちょっと難しいわね」


 その言葉と同時に、中毒者がナイフを振り回して襲いかかってきた。

 俺は素早く間合いを詰め、男の手首をひねり上げる。ナイフが地面に落ちた瞬間、エレオノーラ様のレイピアが迷いなく男の脇腹へ突き込まれる。だが、一度引き抜かれたはずの刃は鞘に収められていて、局所的な打撲に収まったようだ。それでも男は呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。


 けれど、周囲にはまだ何人も中毒者がいる。

 俺はエレオノーラ様と背中合わせに、次々と襲いかかる男たちを制圧していく。殴りかかってくる腕を受け流し、足払いで転ばせ、時には短剣の柄で意識を飛ばす。


「レオ様、後ろ!」


「任せてちょうだい」

 

 エレオノーラ様をエレオノーラ様と呼べないのがもどかしい。

 けれどつい小さい頃の愛称で呼んでしまったからか、エレオノーラ様は上機嫌にレイピアを振るい、華麗な足さばきで男たちを蹴散らしていく。

 一本の細剣が、まるで生きて踊っているような軌跡を描く。突進してきた男の棍棒を、レイピアの鍔で弾き、逆手に持ち替えた瞬間、相手の肩口を的確に突く。もう一人が背後から抱きつこうとしたが、エレオノーラ様は体をひねり、レイピアの柄で相手の顎を打ち上げた。男は白目をむいて倒れ込む。

 三人目がナイフを持って突っ込んできた。エレオノーラ様は一歩下がり、ナイフの軌道を見切った上で、レイピアを引き抜き男のズボンの帯を切り裂く。落っこちたズボンに足を取られ、男は盛大にスッ転んだ。


「ふぅ……」


 気づけば、広場には呻き声だけが残っていた。

 領主が派遣した兵士達が、とりあえず片っ端から暴れた者達を捕縛していく。

 俺は乱れまくった息を整えつつ、エレオノーラ様に声をかける。


「やっぱり、暴力は最終手段ですね」


「必要な時は、遠慮なく使う主義よ」


 レイピアの刃先を軽く払う仕草すら、優雅で隙がない。貴族の令嬢でありながら、女戦士を装ってもこの違和感のなさ――まさにエレオノーラ様の真骨頂だ。


 ◇◇◇


 その日も、俺たちは偽物エレオノーラ様の護衛という名目で、領主館にいた。

 広間では、偽物エレオノーラ様が今日もご機嫌に贅沢三昧。俺は例によって、エレオノーラ様の隣で、警戒の目を光らせていた。

 ……いや、正直言うと、最近はもう警戒というより観察に近い。偽物エレオノーラ様の動きはほぼ毎回ワンパターンで、豪勢に買い物しているか豪遊しているかだし、取り巻きの従者たちも、甘い汁にたかりたいのが丸わかりの、衣装だけのド素人。従者としての訓練も受けたことがないだろう。


 エレオノーラ様はこの街の未来のために、夜を徹して企画書を練り、書類をそろえてあちこちを回って根回しし、街の人たちを根気強く説得したり励ましたりしているってのに。この間なんて、ご自分で炊きだしにまで参加してたんだぞ。まあ料理の腕やら盛り付けやらはサッパリだけど、食材を刻むのは役立ってた。包丁じゃなく剣でやってたのは、一回目をつむろう。うん。食えりゃいいんだ。


 なんか腹立ってきた。


 もう、全員殴って終わりでいいんじゃないかな? 黒幕とかもうよくね? 実行犯やっつけりゃ、とりあえず終わるだろ。

 ……そう、俺が思いかけていたとき。


 領主館の執事が「エレオノーラ様、後見のマラディー様がいらっしゃいました」と報告に来た。

 偽物エレオノーラ様が、パッと嬉しそうに顔を上げる。

 入ってきたのは、黒い高級な服を着た初老の紳士。鋭い目つきと、無駄のない立ち居振る舞い、高位貴族に見えるが、その割にたくましく、腰には剣をさしている。


 そのとき、エレオノーラ様の表情が消えた。

 いや、違う。消えたんじゃない。

 血の気が、スッと引いた。顔がまっしろになった。

 普段は気丈なエレオノーラ様が、まるで蝋人形みたいに固まっている。


「レオ様……?」


 俺が声をかけても、エレオノーラ様は小さく震えていた。

 まさか。あの向かうところ敵なしのエレオノーラ様が、こんなふうになるなんて。

 マラディー? 誰だ……?


「……グリムハルト侯爵……?」


 エレオノーラ様が、かすれた声で呟いた。

 その名前に、俺は思わず体を硬くする。

 グリムハルト侯爵――うちのアロガンテ公爵家が革新派と呼ばれるのに対して、保守派の筆頭。いわば、アロガンテ公爵家の天敵であり、政敵だ。

 そして……公にはなっていないが、エレオノーラ様はグリムハルト侯爵に、幼い頃のトラウマを抱えている。

 しかし、紳士はエレオノーラ様に目もくれず、偽物エレオノーラ様に向かって微笑むと、優雅にお辞儀をした。目尻が下がると、今までの厳つい雰囲気が一掃され、親しみやすい好々爺然とした雰囲気になる。


「やあやあエレオノーラお嬢様、今日もご機嫌ですな?」


「もちろんよ、マラディーおじ様に会えたんですもの。この街にも少し飽きてきたところなの。王都と違って、ろくなものがないのですもの」


 偽物エレオノーラ様は、まるで恋する乙女のように紳士に笑いかけた。紳士は手を伸ばし、猫の子を撫でるように偽物エレオノーラ様の髪を撫でつける。


「それはいけませんな。エレオノーラお嬢様に気晴らししていただくのがこのマラディーのつとめ。一緒に観劇でも参りましょうか」


「嬉しいわ」


 偽物エレオノーラ様が紳士の手を取る。


 その茶番劇を見せられながら、エレオノーラ様は、直立不動のまま、微かに肩を震わせている。俺は、そっとエレオノーラ様の手に触れた。

 その手は、氷のように冷たかった。


 ◇◇◇


 護衛の勤務が終わり、控え室に戻った瞬間、エレオノーラ様は崩れ落ちるように床へ座り込んだ。

 そして、顔を両手で覆う。


「ダメね……もう、乗り越えたと思ったのだけれど」


 小さな声だった。普段の毅然とした口調とはまるで違う、弱々しい声。


「エレオノーラ様……」


「あの人……グリムハルト侯爵よ。いえ、本人かと一瞬思ったけれど、弟の一人ね。わたくし、昔からあの兄弟を見ると、震えて何もできなくなってしまって……」


 エレオノーラ様の肩が、細かく震えている。その姿は、俺の知っているどんなエレオノーラ様とも違っていた。

 完璧で、気高くて、誰よりも強い――そんな人が、今はただ一人の幼女みたいに、肩をふるわせて怯えている。

 俺は、そんなエレオノーラ様のトラウマの元を知っている。


「当然です。殺されかけたんですから。怖くてもいいんです。完璧じゃなくてもいいんですよ。エレオノーラ様だって、人間なんですから」


 俺は、エレオノーラ様の肩をそっと抱いた。

 下僕の分際で生意気よ、なんて怒られるかとも思ったけれど、俺の腕の中で、エレオノーラ様は小さく嗚咽を漏らし、ぽろぽろと涙を流した。

 きれいだ、と思った。弱くて、強くて、本当にきれいだ。


「……アハト……ありがとう。あなたがいてくれて、良かったわ」


「いつまでも、どこまでも、俺は、エレオノーラ様の味方です」


 どんなに強がっても、どんなに完璧でも、エレオノーラ様は人間だ。それが切なくて――なぜか、嬉しかった。

 


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