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十一話・悪徳とバイオレンスの香り4

前回のあらすじ・違法薬物製造工場に忍び込み、とらわれていたトロン爺さんを助けた。

 

 俺がトロン爺さんを降ろし背中を支えると、マロニエ婆さんが呆然とした顔で呟いた。


「……よくぞ、無事で」


 涙ぐむマロニエ婆さんに、トロン爺さんは、プイッとそっぽを向いた。


「……助けてくれなんぞ、頼んじゃいなかったが」


「アンタこそ、勝手にわたしらを助けたんじゃないか……! 文句言える立場かい!」


 ミナが「トロンじいちゃん!」と駆け寄り、トロン爺さんに抱きついた。

 ああやばい、鼻がツーンとしてきた。良かったな爺さん、なんて思ったら最後、涙腺が崩壊する。そんなとこを、エレオノーラ様なんかに見られたらなんて言われるか。


 そこへ、カミーユが木製のカメラを抱えてやってきた。


「新聞のほうは任せてちょうだい。完膚なきまでに大っ々的に報道してやるわ」


 ニィと笑ったカミーユが、トロン爺さんに視線を止めた瞬間、顔色が変わる。


「……まさか、院長先生!?」


 普段は女らしい声を出しているカミーユの声が、地声になった。

 その声に、トロン爺さんも目を見開いてカミーユを凝視する。


「まさか、カミーユ……か?」


「……そうよ……院長先生に育てられたカミーユよ……! どこに行ってたの……院長先生が急にいなくなるから……アタシ……」


「すまなかったなぁ。俺がいなくなっちまったから、孤児院は……」


 トロン爺さんの声が、かすかに震えていた。

 カミーユは、へにゃりと眉尻をさげてトロン爺さんの手を握った。


「……大丈夫よ、まだ孤児院は残ってる。みんなもちゃんと暮らしてるわ」


「いったいどうやって? 孤児院にはカネがかかる。俺の蓄えも、もうとっくになくなってるはずだ」


「……院長先生と同じよ」


 トロン爺さんは、震える手でカミーユの肩を掴んで、しばらく何も言わなかった。


「……お前、盗人になったのか」


「ええ。アタシにできるのはそれしかなかったの。でも、義賊紅狐なんて言われて調子に乗って、アロガンテ公爵家に忍び込んだところで、お嬢様に捕まっちゃってね」


 カミーユがフフッと自嘲気味に笑う。


「でもね、打ち首も覚悟したんだけど、事情を聞いたお嬢様が、孤児院を助けてくれたのよ。盗みのカネは一時的なものだって、本当に必要なのは一生食べていける職や技術だって、新聞の印刷工場を建ててくれたの。みんなそこで働いてるわ。アタシも今は新聞記者として、お嬢様に恩返ししてるのよ」


「……そうか。そうか」


 トロン爺さんは薬物で濁った目に涙を浮かべ、震える手を合わせてエレオノーラ様を伏し拝んだ。


「ありがてぇ、ありがてぇ……俺だけでなく、カミーユや、子ども達まで助けてくだすってたのか。こんな老いぼれ、ミナを逃がせただけで上出来、思い残すこたぁねぇと思ってたが、未練ができちまった。もう一度、あの子達に会えるかもしれねぇなんて……」


 エレオノーラ様は照れるでもなく、ニヤリと悪役の笑みを浮かべた。


「わたくし、お金と権力は腐るほどあるの」


 ……感動的な雰囲気がぶち壊しだっていう自覚は……ないんだろうなぁ、きっと。

 まあおかげで涙もろい俺の涙も引っ込んだし、結果オーライか?

 エレオノーラ様の前で泣くなんて、恥もいいとこだ。


「金持ちの道楽だから、気にしないでちょうだい。そうそうカミーユ。そろそろ仕事に戻らないと、特ダネを逃すわよ?」


 エレオノーラ様の言葉に、カミーユはハッとして懐中時計を取り出した。


「これから戻って記事にして一面差し替えで印刷して……時間がないわ!」


 カミーユが涙を拭いて、すぐにいつもの調子に戻る。


「皆には悪いけど、徹夜で印刷作業ね! まあいつものことだけど!」


「……子ども達に徹夜で仕事させるのか?」


「元子ども達よ、アハトちゃん。印刷工場で働いているのは孤児院の卒業生達。子ども達も昼間は取材に印刷に手伝ってくれてるけどね。字も覚えられるし、一石二鳥なのよ! さあ、急いで戻らなきゃ。エレオノーラ様、院長先生を頼むわ」


「任されたわ」


 エレオノーラ様が請け負うと、カミーユは大きく手を振りながら去って行った。ゴツイ三脚に木製の蛇腹カメラを軽々と担いでいるあたり、見た目のたおやかな美女とのギャップがひどい。

 まあ、中身、三十の男だしな。

 ふと、視線をやると、トロン爺さんの側にマロニエ婆さんとミナが座った。

 マロニエ婆さんが、しみじみと呟いた。


「……アンタが生きてさえいたらね、どんなことでもして、私が治してやろうと思っとったんだわ」


「余計な世話だと……数分前の俺なら言ってたな」


「ふん、心残りができたんだろう。腕のいい薬師に恩を売っといたことに感謝するんだね」


 口調はどうかと思うが、なんだかんだで、二人とも嬉しそうだ。

 ミナもトロン爺さんの手を握って離さない。


「トロンじいちゃん、わたしもししょうといっしょに、トロンじいちゃんを治すからね!」


「……ああ、ミナが付き合ってくれるなら、マロニエの薬より効きそうだ」


 エレオノーラ様が、そっと合図を送ると、アリス達が車を寄せてきた。

 その車に、疲れ切ったトロン爺さん達を乗せる。


「これで、ひとまず一件落着かしら」


 日傘を手に満足げに微笑むあるじに、俺はずっとツッコミたかった言葉を継げる。


「……エレオノーラ様、日傘の使い方、絶対間違ってますよね」


「何を言っているの、アハト。護身用なのよ。正しい使い方でしょう?」


「傘っていうか、鈍器ですよ、それ」


「鋭器も仕込もうかしら」


「洒落にならないんでやめてください」


 アリスあたりに改造させたら、本気で人をスパスパ切れる日傘が爆誕しそうだ。いくら公爵家の威光があっても、惨殺死体ともなったらもみ消せない。


「……俺、カミーユのこと、公爵家出入りの記者だと思ってました。あんないきさつがあったんですね。孤児のために印刷工場なんて……トロン爺さん拝んでましたよ」


 珍しく素直に感心したというのに、うちのあるじは含みのある笑みを浮かべた。


「ふふ、これからは、貴族達特権階級じゃなく、民衆が国を動かしていく時代よ。その民衆の世論を煽るのが新聞。ウチがこれからも生き残っていこうと思うなら、新聞社のひとつも握っておかなくちゃね」


「ええぇ、エレオノーラ様。黒い」


「わたくしは正義の味方じゃないわ。わたくしはわたくしの好きに生きるの。わたくしの道を阻む物を取り除くためなら、印刷工場のひとつくらい、安いものでしょう」


「いや普通マネできませんから」


 マジにカネと権力がある人間の思考回路だ。

 でも、これがエレオノーラ・アロガンテ。ふふふ、と微笑む様は何よりも美しい。

 傲慢で、権力が好きで、裏工作や情報操作だってお手の物。でもその裏で、困っている子ども達や、弱い人たちのこともちゃんと考えている。新聞社を作りたかっただけなら、孤児達を雇う必要なんて、なかったはずだから。

 清濁併せ持つこの人は、誰より魅力的だ。


 ◇◇◇


 マロニエ婆さん、ミナ、トロン爺さんは、俺たちと同時に街を離れた。

 俺たちは車で、マロニエ婆さん達は馬車。途中の道で別れて、マロニエ婆さん達はシェーヌ嬢の花屋がある街に向かう。

 マロニエ婆さん達には、ガッツリと公爵家からの護衛が付いている。

 シェーヌ嬢と一緒に暮らすと巻き込むかもしれないと反対したマロニエ婆さんに、エレオノーラ様は同じ街の違う屋敷を借り、公爵家の別荘とすることで解決した。


「そこなら安全よ。薬関連のものも一通り揃えてあるわ」


「そ、そんな……お嬢様に、そこまでしてもらうわけには……」


「気にしないで。わたくしの道楽みたいなものよ。ただ、お願いしたいことがあるの」


 エレオノーラ様が告げた条件は、違法薬物の解毒薬を作るための研究だった。

 国で流通し始めている違法薬物『天使の唇』は、もともと、マロニエ婆さんが品種改良したとある花を原料に、マロニエ婆さんが作ろうとした強力な痛み止めだったそうだ。

 それに依存性や幻覚、幸福感などの副作用があることに、とある権力者が目をつけ、マロニエ婆さんを攫った。解毒薬は、おそらくマロニエ婆さんにしか作れない。


 トロン爺さんは、マロニエ婆さんと一緒に暮らしながら、薬を抜くためのリハビリをすることになった。孤児院の子ども達に会いに行くのを目標に、マロニエ婆さんの研究や薬草の世話を手伝うという。

 ミナは、シェーヌ嬢の花屋で働きながら、マロニエ婆さんの知識を受け継げるよう、薬師の修行を頑張るそうだ。


「……本当に、ありがとうございました」


 別れ際、マロニエ婆さんが深々と頭を下げる。


「礼には及ばないわ。わたくし、シェーヌの喜ぶ顔が見たかっただけですもの。貴女がシェーヌのおばあさまでなかったら、助けなかったかもしれなくてよ」


「……ふふ、そんなわけはないだろうに。あんたは、本当に不思議な方だね」


「よく言われるわ。シェーヌによろしくね」


 ◇◇◇


 夜、とある旅館の庭で、エレオノーラ様と俺は紅茶を飲んでいた。


「アハト」


「はい、エレオノーラ様」


「わたくし、やっぱりこの旅が好きよ」


「……そうですね。悪党どもを蹴り飛ばすエレオノーラ様は、実に生き生きとして……お美しいです」


 実感を込めて言うと、エレオノーラ様は軽く目を見開いた。


「まあ。あなたに褒められたのなんて、シェーヌの髪飾り以来かしら」


「そうでしたか? いつも讃えてると思ってたんですがねぇ」


「言わせたのと、自然に口をついたのとでは価値が違うのよ」


 なんだか嬉しそうにじんわりと微笑むエレオノーラ様に、なぜだか胸のどこかがキュウッとした。


 おいおい、しっかりしろ、自分。確かにエレオノーラ様は美しいし、たいそう魅力的ではあるけれど、あるじだぞあるじ。この国で一番カネも権力もある公爵家のご令嬢だ。借金という生殺与奪を握られた下僕が、簡単によろめいていい相手じゃない。うっかり惚れでもしたら、生き地獄もいいとこだ。


 軽く頭を振って雑念を払っていると、エレオノーラ様は雲一つない月夜を見上げた。


「そう、あなたから見て、わたくしのやりようが不快じゃないなら良かったわ。カネと権力と暴力。わたくしにできることも、まだそれなりにあるってことね」


「ご謙遜を」


「ふふ、美しくない物を、美しく。わたくしにとって、ね」


 俺は、エレオノーラ様の横顔を見つめた。

 この人は、傲慢で高慢で、でも誰よりも努力家で、優しい。この先もこの人を見ていられたら、なんて、下僕の分際でおこがましくもそう思ってしまった。


「さて、次はどこへ行こうかしら」


「……またトラブルの予感しかしませんが」


「世直し旅だもの。トラブルこそが醍醐味よ」


「……はいはい、付き合いますよ、どこまでも。エレオノーラ様」


 エレオノーラ様は、満足げに微笑み、紅茶のおかわりを要求してきた。

 俺たちの旅は、まだまだ続く。


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