十話・悪徳とバイオレンスの香り3
前回のあらすじ・マロニエ婆さんとミナを連れ戻しに来た連中を成敗した。
◇◇◇
マロニエ婆さんの話では、違法薬物の製造拠点は山の中の廃工場にあるという。
そこに、トロンという老人が囚われている。
夜、俺たちは廃工場に忍び込んだ。月明かりの下、錆びた鉄扉をそっと開ける。
中は暗く、マロニエ婆さんの家と同じような薬草の匂いが漂っている。床には割れた瓶や、焦げた木片。
気配を殺し、マロニエ婆さんが描いた見取り図を元に入り組んだ工場内を進むと、奥の小部屋から、かすかな呻き声が聞こえた。
「トロンさん?」
エレオノーラ様が低い声をかけると、暗がりの中でもがく影があった。特に縛られたりはしていなかったが、体が不自由なのか、うまく動けないらしい。
慌てて部屋に入り助け起こすと、それは痩せた老人だった。顔は皺だらけで、あちこちに殴られたようなアザがあり、手は震えている。
「お前たち、何しに来た……俺を殺しに来たのか」
「違うわ。貴方を助けに来たのよ」
「助けに? 俺にそんな知り合いは……まさか、マロニエが頼んだのか」
「ええ。ミナも心配していたわ」
トロン爺さんは、しばらく黙っていたが、やがて力なく笑った。
「……俺はもう、役立たずだ。手も動かねぇし、薬漬けにされて……」
「それでも、貴方がいなければマロニエもミナもここから逃げられなかった。違う?」
「そうか、マロニエ達は無事に逃げられたか……」
トロン爺さんの顔が、くしゃりとゆがんだ。黄色くにごった目から、一筋の涙が流れ落ちた。
「お前さん達、こんな老いぼれのとこに来てくれたのは有り難いが、俺なんぞ置いて早く逃げるんだ。マロニエ達が無事だと知れたんだ。もう思い残すこたぁねぇ」
「何を言っているの。殴るわよ」
「エレオノーラ様が殴ったら死んじゃいそうなんで、やめてもらっていいですかね」
その時、背後から足音がした。
「おい、誰かいるのか!?」
その瞬間、エレオノーラ様の体が猫のように素早く動き、男の鳩尾に拳をたたき込んだ。無言で男は崩れ落ちたが、倒れた先にバケツか何かあったらしい。ガシャアンッと派手な音がした。
エレオノーラ様は優雅に立ち、俺にのたまった。
「アハト、逃げるわよ」
「さすがに多勢に無勢ですからね、承知しました」
俺はよいしょとトロン爺さんを背負うと、エレオノーラ様と一緒に廃工場の脱出を試みた。
バケツの音が聞こえたのだろう、途中でゴロツキが三人現れたけれど、一言も発する間も与えられずエレオノーラ様に沈められた。
いやあ、守られる側になると心強い心強い。
本気になったエレオノーラ様の金髪がなびき、ドレスが舞い、白い脚が閃く様は圧巻としか言い様がない。
建て増しを重ねたのだろう複雑な工場内を抜けて行くと、曲がり角にアリスが立ち、目指していた裏口とは別方向の部屋へ誘導した。
「こちらへ」
アリスの後ろには屈強な男が二人倒れていて、たおやかな見た目と反しておそらく一瞬でこの部屋を制圧したんだろうことがうかがえた。
「裏口周りには十人ほど集まっておりました。この窓から庭へ抜けられます」
「ご苦労様、しんがりは任せたわ」
エレオノーラ様がまず窓をくぐり、安全を確保してくれる。主従の役目が逆転してるんじゃないかと思わなくもないけれど、トロン爺さんの安全が最優先だ。エレオノーラ様に爺さんを背負ってもらうわけにもいかないし。
アリスにも手伝ってもらって動けないトロン爺さんを窓から運び出し、再び背負う。痩せてはいるけれど骨格がしっかりしているのか、それなりに重い。
「執事は本来そこまで力仕事じゃないはずなんだけどな……」
「悪いな、若いの」
心の声が出てしまっていたらしい。背中のトロン爺さんに謝られて、慌てて「いえいえこのくらい」とか言っていたら、俺のすぐ前をものすごい勢いでエレオノーラ様の日傘が通過した。横から出てきたゴロツキの喉に、エレオノーラ様がぶん投げたらしい。
クタリと倒れるゴロツキを見ながら、今度こそ言葉に出さずに俺は思う。
――うちのあるじ、ほんとに公爵令嬢か?
トロン爺さんを背負って先導するエレオノーラ様の後を追い、足音を殺して数歩走った瞬間、ピューイと呼び笛の鋭い音が静寂を切り裂いた。
見つかったか――と思った瞬間、俺の目が真っ白に眩んだ。
闇夜を切り裂くサーチライトがいくつも、廃工場をぐるりと囲んで照らしている。
眩しすぎて目が潰れるかと思った。いや、マジで何事? 廃工場を照らしてるってことは、悪党どもじゃないよな?
「動くな! モデスト市警だ!」
「手を挙げろ、抵抗するな!」
警察官や衛兵達が一気に突入してきて、慌てて出てきた悪党たちを数に任せて取り押さえていく。
マロニエ婆さんが、「衛兵は頼れない」と肩を落としていたのが嘘みたいなやる気っぷりだ。
俺とエレオノーラ様、それにトロン爺さんは、横を走り抜けていく衛兵達を無言で目で追う。
この街には衛兵と自警団しかいなかったはずだから、モデスト市警ってことは最寄りの市から警察官を引っ張ってきたのか。
……いや、誰が? ってそりゃもちろんウチのあるじなんだろうけど。
「マロニエ婆さんは、衛兵は買収されてるって言ってたのに」
俺が小声でぼやくと、エレオノーラ様は日傘をステッキのように持ち、優雅に微笑んだ。
「ふふ、公爵家にたてつくリスクより、悪党から渡されるはした金をとる官憲なんて、この世にいるのかしら」
「……ああ、そういう」
納得。めっちゃ納得。つまり衛兵も市警も、我が身かわいさに悪党どもを売ったってことだ。袖の下に義理立てて一緒に捕まるより、捕まえる側になって公爵家にこびを売った方がはるかに美味しいというそろばん勘定。
ずる賢いというか、世の習いというか。
「ご協力感謝です! さすがはアロガンテ公爵家のご令嬢! 見事な救出劇でありました!」
金色の線が入った帽子をかぶった衛兵長が、汗だくで駆け寄り、ビシッと敬礼してくれた。まあこの人も今までは悪党どもから甘い汁を吸っていたんだろうけれど、水面下でエレオノーラ様となんやかんや取引があったんだろう。
正義を貫いてこの衛兵長を糾弾するより、弱みを握って操った方が良いと判断したんだろうな、うちのあるじは。そういう清濁併せ呑むとこ、実に為政者向きだと俺は思うんだけど……まあ、今更言っても遅いんだけどさ。
エレオノーラ様は、衛兵長に涼しい顔で答えている。
「ありがとう。貴方が便宜をはかってくださったこと、しっかり覚えておくわ」
「も、もったいないお言葉です!」
衛兵長の顔が、今にも泣きそうなくらい輝いている。
この人、たぶん今夜一番の勝ち組だ。
この先、しっかりと公爵家の紐付きになるわけだけれど、ある意味、ただの田舎の衛兵長で終わるよりずっと栄達した人生だと言えなくもない。
「うちの単独スクープよぉ!」
不意に、カミーユの声が響いた。
ボンッ! バシュッ! と、フラッシュをたく音と閃光、焦げ臭いにおいが広がる。
捕まっている真っ最中の悪党も、捕まえている最中の衛兵までもが、驚いて顔を上げ、目を細めた。
最新式の蛇腹カメラを三脚に据え、赤茶色の髪の美女が、廃工場の前で入り乱れる衛兵や悪党どもを激写している。
たぶん一面トップ確定だ。
「はい、こっち向いて~! そこ、もっと極悪づらして!」
……いや、それってヤラセって言わないか?
ツッコミたかったけれど、エレオノーラ様にうながされて、俺は騒がしい輪から少し離れた物陰へとトロン爺さんを運んだ。
そこでは、マロニエ婆さんとミナが、ヴィヴィアンたちに守られながらトロン爺さんを待っていた。
カミーユの派手な取材は、こっちから衛兵達の目をそらさせる目的だったのかと納得した。
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