目覚めの朝
本編開幕です。
3/13:加筆修正しました。
〇登場人物紹介
夏葉瀬コウ(なつばせ コウ)…終焉の五刃、ロザリンデの守護者として刀を振るい、戦場を駆け抜けた。現在は柳田学園に通う学生として過ごす。
朔良千織…(さくら ちおり)コウの同級生で友人。誰にでも優しく皆から慕われている。
──遠くで、誰かが呼んでいる気がした。
けれど、その声はあまりに淡く、掴もうとすれば指の隙間から零れ落ちてしまうような、そんな儚い響きだった。
光が差し込む。まぶたの裏に温かな陽光を感じ、意識が浅い眠りの底から引き上げられていく。ゆっくりと瞳を開けると薄暗い天井が目に入った。
(……ここは)
寝返りを打つと、冷たいタイルの感触が肌に伝わる。辺りを軽く見回すと、割れた窓ガラス、乱雑に設置された長椅子、埃にまみれたマリア像。どうやらここは教会のような場所らしい。見慣れない場所のはずなのにどこか慣れ親しんだ感覚。それが何なのかは分からない。ただ、漠然とした違和感が胸の奥に残っていた。
窓の外から鳥のさえずりが聞こえる。空はまだうすぐらいが日が昇ってきていた。風が静かにカーテンを揺らす。
(今まで……こんなに静かな朝を迎えたことがあっただろうか)
思い出そうとする。しかし、何も浮かばない。
「……」
深く息を吐き、手を握る。指先には微かな震えが残っていた。
──何かを、忘れている。
それは確信だった。自分が何者で、どこから来たのか。確かに持っていたはずのものが、霧の向こうへと消え去ってしまったような感覚。
だが、思い出せない。
何となくズボンのポケットに手を突っ込むと何かが入っていた。
「…学生証?…柳田学園、高等部一年…夏葉瀬コウ…」
(どうやら俺は学生…らしい。)
軽く目を通すと下の方には住所も書かれていた。
コウは取り敢えず窓から見える港町を目指して歩き始めた。
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「…柳田荘101号室」
辿り着いたのは小さなアパート。ドアに手をかけると鍵は空いていた。
部屋に入ると六畳程のワンルームが広がっていた。
壁には制服が掛けられていた。何故か今着ている服はボロボロだったので、制服に着替えることにした。
ブレザーにネクタイ、折り目のついたスラックス。袖を通してみると、妙にしっくりと馴染んだ。
制服に着替え部屋を散策していると玄関にあるカレンダーに目がいく。シンプルで特に何も書かれていないが1箇所だけ赤文字で「5月7日 登校日」と書かれていた。
果たして今は何月何日なのだろうか。考えていると、不意に玄関に何かが投げ込まれた。投げ込まれたのは今日の朝刊。日付は5月7日と書かれていた。
(今日が登校日…)
柳田学園に行けばなにか分かるかもしれない。そう思ったコウは家を出た。
学園までの行き方は…まぁ誰かに聞けばなんとかなるだろう。
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「おーい、コウ!」
何とか学園にたどり着き、昇降口で靴を履き替えていると、明るい声が後ろから響いた。
振り返ると、そこには黒髪の少女が立っていた。整った顔立ちに柔らかな笑みを浮かべ、制服のスカートをひるがえして駆け寄ってくる。
「おはよう! ちゃんと忘れずに来れたんだね」
「……ああ」
「昨日、電話した時すっごくぼーっとしてたから、寝坊するんじゃないかって思ってたけど」
からかうような笑みに、コウは少しだけ目を細めた。
すると、急にズキっと頭に痛みが走り記憶が流れ込んでくる。
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教室。黒板の前に一人の少年が立っている。
「……えぇ、今日から皆さんと一緒に過ごすことになります。転校生の夏葉瀬コウさんです。皆さん仲良くしてあげてください。…夏葉瀬さんの席は、1番後ろの窓際の…千織さんの隣です。」
少年─コウは言われた通りに席に着く。すると隣の席の少女が話しかけてくる。
「私、朔良千織。よろしくね」
朔良|
「…あぁ、よろしく」
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「……ぅ、コウ!どうしたの?またぼーとしちゃって…」
「何でもない」
彼女の名前は千織。昨日、クラスで最初に話しかけてきた人物だった。
「……何か、忘れたりした?」
「……いや」
「ふーん?」
千織はじっとこちらを見つめてくる。まるで心の奥を覗き込むような視線。
だが、コウはその視線から目を逸らさなかった。
(本当は、忘れていることだらけなんだけどな)
何をどう言葉にすればいいのか分からない。だから、何も言わない。
それでも千織は気にした様子もなく、「よし!」と頷くと、コウの腕を引いた。
「じゃあ、行こっか!」
突然のことに、コウはわずかに目を見開いた。
「……?」
「教室まで案内してあげる。長期休み明けって、色んなこと忘れちゃうでしよ?例えば教室の場所とか」
「いや……それくらいは、分かる」
「でも、迷うかもしれないし?」
「迷わない」
「じゃあ、私が一緒に行きたいっていうのは?」
「……それは、千織の自由だろ」
千織は一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑った。
「そういうところ、ちょっと面白いね」
何が面白いのかは分からないが、千織が笑うのなら、それでいいのかもしれない。
(……俺は、どうしてこんなことを考えてるんだ?)
このやり取りに、何か特別な意味があるわけではない。ただの日常の一幕だ。
それなのに、妙に心に引っかかる。
(こんな感覚、久しくなかった気がする)
だが、"久しく"というのはおかしい。何せ、今のコウには"久しぶり"と呼べるほどの記憶が残っていないのだから。
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授業は静かに進んでいった。
窓の外に広がる景色をぼんやりと眺めながら、コウは静かに息をつく。
(ここで……俺は、生きていくのか)
教室には人の声が満ちている。誰かが笑い、誰かが冗談を言い合い、誰かがため息をつく。
戦場とはまるで違う音の響きだった。
(悪くはない……のか?)
ふと、隣を見る。
千織はノートに何かを書き込みながら、時折こちらをちらりと見ていた。
(何だ?)と視線で問うと、千織はニヤリと笑い、ボールペンをくるくると回した。
(……よく分からない)
けれど、その"分からなさ"が、ほんの少しだけ心地よいと感じたのも事実だった。
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放課後。
「ねえ、今日、時間ある?」
教室を出ようとしたコウに、千織が声をかけた。
「……あるけど」
「じゃあ、ちょっと付き合ってよ。行きたいところがあるんだ」
「どこへ?」
「それは着いてからのお楽しみ」
そう言って、千織は歩き出す。
コウは数秒の間を置いて、彼女の後を追った。
どこか懐かしさを感じるこの世界で、最初に出会った"友人"の背中を見つめながら。
──そして、この小さな旅が、失われた記憶を巡る"旅"の序章となることを、今はまだ知らなかった。
閲覧ありがとうございました。
誤字脱字等ありましたらすみません。




