帰る場所
昼休憩の時間。
グラウンドの中央では、生徒たちが楽しげに弁当を広げていた。
「お母さんが作ってくれたんだ!」
「えー、いいなー! 私のお弁当も見てよ!」
「お前の親父、相変わらず肉ばっか入れてんな!」
賑やかな笑い声が飛び交う。
その光景を、コウはグラウンドの隅の木陰から静かに眺めていた。
(……家族)
それは自分には縁のないものだった。
誰かと並んで弁当を食べること。
手作りの料理を分け合うこと。
当たり前のように会話を交わし、笑い合うこと。
──そんな時間を、俺は知っていたか?
記憶の奥に、何かが引っかかる。
遠い昔のような、夢のような感覚。
かすかに覚えている。
''天穹の邦''──。
高く聳える雲の城。
澄んだ空気の中で響く、母の優しい声。
──「コウ、ご飯ができたわよ」
──「今日は父さんが狩ってきた鹿肉のシチューだ」
──「一緒に食べよう!コウお兄ちゃん!」
温かく、柔らかな時間。
だが、次の瞬間。
赤い炎と、血の匂い。
「……っ」
コウは、無意識に拳を握りしめた。
思い出せない。
覚えているようで、覚えていない。
ただ、確かなことは──
「家族」は、もういない。
この世界に、俺を迎えてくれる家はない。
──だから、俺はここにいる。たった一人で。
「……コウ」
ふいに、名前を呼ばれた。
木陰に影が落ちる。
顔を上げると、そこには先生が立っていた。
手には、2つの弁当箱。
「……それは?」
「弁当だ」
(それは見たらわかるって…)
「誰の?」と聞く前に先生は迷いなく、コウの隣に座ると、1つの弁当箱の蓋を開けた。
卵焼き、焼き魚、漬物、白米──
どれも、昨日スーパーで見たものばかりだった。
(……昨日の食材)
コウはそこでようやく気づいた。
「……俺のため?」
「当たり前だろう」
先生は淡々と答える。
「お前がいつも、売店のパンだけで済ませているのを知っている」
「……」
「体育祭の日くらい、そんな寂しい顔をするな」
先生の言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
コウは黙って弁当を見つめた。
(……どうすればいい)
迷っていると先生が弁当箱を差し出してきた。
「自信作なんだ。感想を聞かせてくれ。」
「……」
先生の声に促され、コウは静かに箸を取る。
焼き魚を口に運ぶ。
優しい塩気と、炭火の香ばしさ。
卵焼きは、ほんのり甘い。
それを白米と一緒に噛みしめると、不思議と胸の奥が温かくなった。
「……美味しい」
「だろう?」
先生はどこか得意げに腕を組む。
コウはその姿を見て、少しだけ口元を緩めた。
そんなコウを先生は見つめながら口を開く。
「お前が何を好むのか、何を嫌うのか、俺はまだ知らない」
「……」
「だから、お前のために作るなら、まずは知ることからだろう」
先生の目は、まっすぐだった。
まるで、コウという存在そのものを知りたいと言っているように。
「……どうして、そこまでするんだ?」
「……さあな」
先生は少し考え込んだ後、静かに言った。
「本当の家族にはなれない。俺も、お前も」
「……」
「だが、お前が帰る場所がないというのなら──帰る家くらいは、作ってやりたい」
帰る家。
その言葉が、コウの胸の奥に響いた。
(俺に……帰る場所がある?)
かつて、俺には家があった。
だが、それは燃え、壊れ、跡形もなく消えた。
その悲しみが、俺を戦場へと駆り立てた。
──魔物と化した妹を、自らの手で殺したあの時から。
俺には、何もなくなった。
ただ、戦うことだけが残った。
けれど。
今、この手の中には──
ほんのりと温かい弁当がある。
「……そう」
コウは静かに箸を進める。
それを見て、先生はゆっくりと視線を落とす。
(この青年に、家族の暖かさを知ってほしい)
本当の家族にはなれない。
けれど、せめて。
帰る家があるという安心感だけでも、与えられたら──。
先生は、静かに弁当の蓋を開ける。
風が吹き抜ける。
2人を見守るように、木漏れ日が差し込んでいた。
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