雨の夜に
お久しぶりです。
これからぼちぼち投稿していきます。
体育祭まであと三日。
グラウンドでは、リレー以外の競技の練習も本格化していた。
「はい、玉入れのチーム、こっちに集まってー!」
「綱引きの練習、次のチーム交代!」
活気に満ちた声が飛び交い、生徒たちの熱気が夜風に乗って広がる。
コウも練習に参加していたが、どこか気がそぞろだった。
──今夜、俺はどこで寝るんだろうか。
柳田荘。
一人で暮らしていたあの小さな部屋が、老朽化の為今日をもって取り壊されることになった。
数日前、管理人から告げられた時は特に何も感じなかった。
(ただここを出るだけのことだ)
それだけの話だったはずなのに。
いざ現実となると、行く当てもなく、思いのほか途方に暮れていた。
(別に、どこでもいい……どこで寝たって構わない)
そんなことを考えながら、校門を出た瞬間だった。
ぽつ、ぽつと、冷たい感触が頬に落ちる。
「……雨」
気づけば空は灰色に染まり、すぐに雨脚は強くなった。
生徒たちは慌てて傘を開くか、校舎へ引き返していく。
コウはその場に立ち尽くし、しばらく雨を眺めていた。
──行く場所がない。
足を向ける先がないという現実が、今になって重くのしかかる。
ポケットに手を突っ込みながら、ふらりと歩き出した。
───────
たどり着いたのは、あの廃教会だった。
屋根が崩れかけた礼拝堂。割れたステンドグラス。
壁には苔が生え、かつて人々が座っていたであろう木製の椅子は朽ちかけている。
(ここなら、雨はしのげる)
静かに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げた。
──戦場での夜を思い出す。
雨の降る野営地で、仲間と焚き火を囲んでいた記憶。
濡れた衣服を乾かしながら、誰かと交わした言葉。
「……」
誰か、いた。
俺のそばに、いつも……
ふと、雨音の中に足音が混じるのを感じた。
「こんなところで何をしている」
低く、静かな声。
コウが顔を上げると、そこには先生が立っていた。
「先生?」
先生はコウをじっと見つめる。
雨に濡れた髪を払いながら、教会の奥へと歩み寄った。
「……どうしてここに?」
「お前を探していた」
「……俺を?」
「ああ。お前が住んでいたアパートが取り壊されると聞いた。それで、今日の放課後からお前の姿が見えなかったからな」
先生はふっと息をついた。
「案の定、こんなところにいるとはな」
「……」
コウは何も言わなかった。
何か言うべきなのかもしれないが、言葉が浮かばなかった。
先生はしばらくコウを見つめた後、静かに言った。
「家が見つかるまで、俺のところに来い」
コウの眉がわずかに動く。
「…先生の家に来いって?」
「あぁ」
先生は少し笑う。
「別に広い家ではないが、お前一人くらいなら置いてやれる」
「……」
コウは一瞬だけ考えた。
だが、拒む理由もない。
雨音だけが響く中、コウは静かに頷いた。
──────
先生の家は、学園から少し離れた海の見える場所にあった。
派手さはないが、どこか温もりを感じさせる家。
窓を開ければ潮の香りが漂い、遠くに波の音が聞こえる。
「好きに使え」
先生はそう言って、空いている部屋を指し示した。
部屋には簡素なベッドと机、それに本棚が一つ。
だが、不思議と落ち着く空間だった。
「……ここでいい」
「そうか」
先生は軽く頷き、ソファに腰を下ろした。
コウもベッドに座る。
「……そういえば」
先生がふと口を開く。
「昔も、こんなことがあった気がする」
「……昔?」
「そうだな。あまりよく覚えていないが、誰かがずぶ濡れになって、俺のところに転がり込んできたことがあった」
先生はどこか懐かしむように目を細めた。
「その時も、こうして部屋を貸した」
コウは、その言葉を聞きながら、ふと感じる。
──自分も、それを知っているような気がする。
だが、それがいつの記憶なのかは分からない。
先生はコウを見つめながら、ふっと小さく息を吐いた。
(……なんなのだろうか、この感覚は)
この青年を見ていると、心の奥底に何かが引っかかる。
懐かしいような、温かいような、それでいて掴みきれない感覚。
だが、記憶を探ろうとしても、何も思い出せない。
「……そんなことがあったんですか?」
コウがぼそりと呟く。
先生は静かに笑った。
「あぁ、一体…誰だったんだろうな」
このやり取りすら、以前どこかで交わしたことがあるような気がする。
だが、それもまた、記憶の霧の向こう側にあるものだった。
コウはゆっくりと目を閉じる。
(ここは……居てもいい場所なのかもしれない)
不思議と、そう思えた。
窓の外には、雨の匂いと、遠くに響く波の音が満ちていた。
閲覧ありがとうございました。
誤字脱字等ありましたらすみません。