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「儂が修めた魔術は、吸魔大法という」
そこから始まったオレンの話は、江湖を生き抜いてきた老人の一生を綴ったものだった。
早くも星が瞬く街道を、一条の影が駆け抜けて行った。
先ごろより江湖において売り出し中の「剣技盛」のカンの行く道を遮る者など魑魅魍魎にとているわけはなかった。
それでも普段ならば、盗賊の蠢き始める正に逢魔が時を移動することなどないのだが、身重の愛する恋女房を想い、無理をしていたのである。
「誰だっ!」
一条の影が誰何の言葉と共に跳ね上がり、近くの岩場に降り立った。
走りながらも捉えた、草を摺るような僅かな音にカンは反応したのであった。
(今度は何の待ち伏せか?)
飛ぶ鳥を落とす勢いで江湖に名が売れたカンだけに、直接対した相手以外にもやっかむ輩も多く、すでに対処に慣れっこになっていたのであった。
「出てこないならこちらから行くぞ!」
脅しの言葉と共にカンは剣を抜いた。
「ま、待ってくれ、出て行く、出て行くからまってくれ!」
そう言って草むらから転がるように出てきたのはカンより少し歳上の男だった。
「か、金ならやる、い、命だけは助けてくれ!」
商家風の男は足を怪我しているようで、引きずるように歩み出てきた。
(ん、別口?!…三名か)
カンと男を新たな気配が囲んだ。
「お前、何でコソコソ隠れていた?」
男も遅ればせながら囲む気配に気づいた様子だったが、開き直ったのかカンだけを見て言い返した。
「あんたら賊に追っかけ回されたんだ、隠れるに決まってんだろ!」
カンは男の反論に、自分が勘違いしていたことに気が付いた。
と、同時に後悔していた。
足を止めなければ、このイザコザに巻き込まれることも無く家で帰りを待つ妻のビンのもとに帰れたのに、事ここに窮まっては侠を謳う白掌山派としてはこの男を見放すこともできないではないかと、カンはウンザリとした諦めの表情で囲む輩に声を張り上げるのだった。
「名乗らせて頂く!
私は白掌山派のカンと申す者!」
カンの名乗りに、目の前の男を含め、あちらこちらで息をのむ音が聞こえた。
「どちらの兄弟かは存ぜぬが、何も互いに日が暮れてまで仕事をしなくてもよいとは思いませんか?
現に私は帰るところ、今宵はこのまま解散しようと思いますが如何かな?」
カンの問いに一番近くの気配から声が掛かった。
「その男はどうすんだい?!」
疲れ切ったか、カンの前に座り込む男は自分の事かと震えながらカンを見あげた。
「それはもう窮鳥ということで聞き分けてほしい」
カンの言葉に商家風の男はホッとした表情を見せた。カンが請け負うと言ったからには助かったと思ったのだ。
だが男の期待とは違い、男を庇いながらでは自分は無傷でも男の怪我は止むを得ないと戦いになる場合の算段をつけていた。
「へん、テメェばっかり得す…「分かったこちらもソナタと争ってまで欲しいものでも無い、引くことにする!」
手前の男の言葉を遮るように一番離れていた男が言葉を発した。
「ケッ、拾いもので腹壊さないように精々気を付けな!」
近場の男の捨て台詞と共に、四つの気配が遠のいて行った。
カンは小さく息を吐くと、男の方へと目をやった。
(俺もまだまだだな…三人組だとばかり思っていたが…)
カンは自分に気配を読ませなかった賊がいた事に素直に感心するとともに反省もした。
「あのぉ~ 先程は失礼致しました」
気配が去ったことに商家風の男も気付いたのか、カンに話しかけてきた。
「何のことですか?」
「いえ、高名なカン殿のことを賊扱いしてしまい…」
「あぁ、そんなことですか…」
カンは律儀に謝る商家風の男の怪我を見てやることにした。
男の怪我は足首の捻挫であり、賊から逃げる際に軽く捻ってしまった様であった。
カンはいつも持ち歩いている湿布を貼ってやり、シャツの裾を破くと、それを紐状にして湿布が外れないようにしてやった。
「カン殿、忝ない…
この恩は街に帰ったら必ず返しますから…」
男の行き先は、カンの住む村の次の街までであり、幾つかの村から債権の回収をした帰りだったそうであった。
賊に襲われて逃げていたのも、現金はほとんど持って無く、持ち物は賊では換金できない債権ばかりなので、捕まれば腹いせに酷い目に遭わされると思ったようであった。
しきりに自分の失敗談や儲け話をする男を、カンは何故だか気に入り、その晩自分の家に泊めてやり、翌日街まで送って行ったのだった。
カンの家に新たな生命が生まれた頃、商家風の男がカンの家を訪ねてきていた。
男は山程の贈り物を持ってきており、中でもまっ更な布はカンの妻のビンを喜ばせた。
「オレン殿、こんなに沢山の贈り物など、頂いていてよいのやら…
我が家では恥ずかしながら返礼が…」
「何を言ってるんだカン殿、これは祝い品ではあるが、お礼でもあるんだぞ!
俺の生命という返礼品をもう貰ってるじゃないか」
そう言って屈託なく笑うオレンにカンは深く感謝するのであった。
それから二人の友誼が始まり、何度となく互いの家を行き来する中になっていった。




