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シオンは迷っていた。
夜になり、少しばかり空気が冷えてきた頃、オレンが寒さを訴えはじめた。
火を起こし、その近くに寝かせたが、額には大きな汗の粒が流れ、何やら譫言を言いながら身体を震わせ目はきつく閉じられていた。
オレンの明らかな発熱の症状に、ここでこのまま一先ず落ち着くまで寝かすか、担いででも拠点に走るか、シオンは迷っていた。
シオンが「書」より会得した魔術は他に類をみないほどの術である。
魔術にそこまで造詣の深くないシオンでも、今までに見てきた魔術とは違うことをはっきり認識していた。
なにせシオンの中で一番の上手として信じて疑わないロウの技さえも、完封できるであろう技が書かれているのだから尚更だ。
何故、今、そんな事を気にするかといえば、先程からのオレンの譫言である。
その内容は‘カンテイ’という人物に謝っているようであり、その必死の形相や何度も繰り返される不穏な言葉にただならぬ雰囲気を感じたのである。
シオンは何度もオレンの汗を拭いたり世話をしてきたのでオレンの身体が鍛えあげられたものであることを知っていた。
刀傷もあり、江湖でも名の知れた人物なのだろうと想像ができた。
そこへ来ての譫言、何やら後悔や恩讐絡みの内容にオレンの前で技を使うことに何となく一抹の不安を感じていたのだった。
幸いにも、ここは襲い来る野生動物や魔物などいない谷底、一先ず新鮮な水だけでも汲もうと、オレンの寝息が安定するのを待ってシオンは池まで独り駆け戻るのだった。
シオンはオレンを背負い、夜道を走っていた。
新鮮な水を汲み戻ってみれば、オレンが胸を掻きむしりながら魘されていた。
水を飲まそうにも魘されながらも首を振るだけで、どうにもできない時が続いた。
オレンの体力を思えば、シオンはここにいてもと、拠点を目指してオレンを背負い、走ることにしたのだった。
循環法を駆使するシオンの事、お茶を飲み干すほどの時間で林を抜け出し、後は平坦な道を行くだけだった。
「グッ、ホッ!」
拠点も見えるかという所まで来て、背中のオレンの様子が変わった。
突如、シオンの首にかかっていた腕に力が入り、シオンを絞めあげたのだった。
突然の上、病人とは思えないその力に流石のシオンも足が止まった。
「カンテイ、カンテイ、許してくれ!
成仏してくれー!!」
「オ、オレンさ…ん…」
譫言と共にこもる力にシオンの気も遠くなりそうになったが、オレンの腕との僅かな隙間に指をかけて、循環速度を上げて振りほどいた。
(こ、これはっ…!)
オレンを地に投げ落としてしまったので、慌てて駆け寄ろうとしたシオンだったが、身体の力が突然抜けて躓いてしまった。
それは一瞬のことではあったが、まるであの欠乏症の発作のようであり、魔袋辺りを締めつけるやいなやシオンの身体から力が抜けたのだった。
ただ真一瞬であり、オレンと離れた途端、循環が正常に戻ったので何やらオレンの仕業と思われたが、当の本人は転倒のショックか、意識を失ったようであった。
シオンは気を取り直して、今度はオレンを担ぐと拠点までの残りの道をひた走るのだった。
「また面倒をかけたようだな…」
シオンの首に残る、薄っすらとした痣あとを見てオレンが謝るように言った。
「あぁ、これ? こんなのは直ぐに消えますよ」
シオンはさも何でもないかのように言葉を返した。
「シオン、お主は白掌山派の者なのか?
まぁ、ここは白掌山、不思議は無いが…」
オレンの探る風でもない問いに、多少は話しても良いかとシオンは思った。
「いえ、僕は白掌山派ではありません…
故あって呼吸法の様なものを教わりましたが、白掌山派は身内以外は弟子を取らないそうですよ」
シオンの返事にオレンは暫く深く考え込むような様子を見せてから話しを始めた。
「どうせこの地で果てるのなら、お主に話しても構うまい、世話はさせられ迷惑をかけられながら理由も分からずではお主も気になるだろうからな…」
「い、いえ、別に…」
確かにシオンも気になることは幾つかあった。
しかし初めて人の世話、ましてや目上の男性ということもあり、シオンが知らぬ父や祖父とはこういうものなのかという想像を浮かべたり、何より一年近くもの孤独の時間を過ごしてきた事実から、言葉の通りあまり苦労とは感じていなかったのだ。
「ふむ優しい子じゃのう…
だが、その恩人を害する様な真似までしでかして説明も無しとはいかんからな、長い話になるが爺の懺悔を聞いてはくれぬか?」
シオンはオレンの深く後悔するような顔を見て、誰かに懺悔を聞いてほしいのだと悟り、話しを聞くことにした。
「儂が修めた魔術は、吸魔大法という」
シオンが黙って腰掛けるのを見てから、そう言ってオレンは静かに話し始めた。




