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ここへ来て二年が経った
もはや我は死んだと思われているのだろうか…
だが、何故あの方まで我を迎えに来てはくれぬのか…
あの日より五年が経った
我が植えた木々もうまく実をつけたものだ
五年だぞ、五年…
もはや江湖に我を知るものなど無いであろう…
だが、何故あの方まで迎えに来てくれぬのか…
全てはあの方の為であったのに…
十年か…
もはや我が江湖に戻るべくもない…
この地は素晴らしい
食うに困ることもない…
でもあの方はいない…
もはや何年経ったのか覚えていない…
我の人生は何だったのか…
あの方も我は必要無いというのか…
我が人生も、紙の残りもあと僅かであろう…
せめて有縁の者に書き残すとしよう…
我が名はコンプ…
四雌雄の一人、リートの兄と言っても、もはや知るものはいないであろう。
リートに付き合って超常会議に来たが、誰も我になど関心をもたぬ。
奴らは何者ぞ、我とてリートの兄ぞ、なぜ誰も敬意を払わん。
そんな中、あの方だけは我に笑いかけ、話を聞き、共感してくれる。
素晴らしい、まさしく聖女様だ。
明日で会議を終えるという日、夜半に我の下へ我の聖女が訪ねてくれた。
聖女は言ってくれた。我の価値を認めてくれた。
我に比べればリートなど、どれほどのものかと語ってくれた。
そして我を頼ってくれた。
我は応えた。
聖女の為に手をかけた。
我は走った。約束の地を目指した。
だが我は焦っていたのであろう、おこなった悪事を恐れ、追っ手を恐れ、弟に手をかけたことを恐れ、視野が狭くなっていたのであろう…
気が付いたら滑落していた。
密集した木の枝に引っ掛からなければ死んでいただろう。
それでもあちらこちらを打ち、暫く動けないでいた。
動けなかった間に浮かぶのは後悔ばかりであったが、もうすぐあの方の笑顔を見れると無理に打ち消した。
動けるようになって帰ろうとしたが、この地は完全なる谷間であって出口が無かった。
何日もかけて調べ尽くした。食料になる物も、綺麗な水も見つけたが、出口だけが見つからなかった。
それでも我の手にある物を思えば、誰かが探しに来るであろう、その最初が我の聖女であるに違いないと思っていたが…
思えばリートには済まないことをしてしまった。
奴には常に劣等感を突きつけられて不満も溜まっていたが、奴は奴なりに努力を怠らずにいた事を我も見て見ぬふりをしてきた事に改めて気付かされた。
我の人生もそう時を待たずしておわるであろうが、我を見つけし者にこの書を託す。
泰平こそリートの願い、後世に遍く広がるように、この書が役に立つよう江湖に戻されることを願う。
日記…帳ではなく、束ねた数枚の紙を読み終え、シオンは溜め息を吐いた。
何度、突きつけられても、谷からの脱出路が無いということに胸を抉られるような痛みを感じ、それに慣れることはなかった。
この地で人生を終えた先駆者が、長き時間の中で何を思い、最後の時を迎えるにあたり、自分の罪過を振り返ることにしたのかは分からなかったが、同じく文字通り、出口の無い人生をこれから送ることになる身としては多少の同情は禁じえなかった。
次にシオンはコンプの日記?独白文?にあった書を手に取った。
こちらはきちんと製本されており、正に書であった。
コンプの日記は炭で書かれたようで、所々、引っかかりや細くなったり太くなったりしていたが、書は墨で書かれており、書体もしっかりしていた。
しかし、文字を読むことが得意ではないシオンには、書かれている内容は理解できていなかった。
が、書の中には所々に挿絵が書かれていた。
その中でシオンが強く興味を惹かれたのは、剣を持つ男の挿絵であった。
剣を持つ男の絵は幾つもあり、まるで一連の套路のようであった。
シオンは、足元に転がっていた木の枝を拾い、挿絵の通りに構えて振ってみたが、なにかしっくりこない感じがして、直ぐに止めてしまった。
二冊の書と一つの紙束を抱え、シオンは迷っていた。
ここの地下室の中は、暖かな谷の中でも更に数度上のようで、もし一年の中に寒い季節があるのならば、この場所の方が拠点として優れているのではと考えたのである。
コンプという男が長年住み、最後を迎えた場所という実績に、心惹かれる思いがあったのだが、もし、シオンを探すものがいるならば、あの洞窟の川を通して訪れるだろうとも思い、ならば今の拠点の場所の方が良いのでは、とも思ったのだった。
どちらにしても探索の準備に用意したものが日を置かず無くなるので、一旦は今の拠点に戻らざるおえないと結論付けた。
シオンはその夜、地下室の小部屋で寝てみた。
壁に囲まれながら眠るのは久しぶりであったが、人はそこに安心感を持つことに初めて気が付いた。
拠点を移そうと思いながら、シオンはいつの間にか眠りについていた。




