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(風だ…)
少しばかり休憩を取るために、岩間に立てた松明が、ふいに何かに飛ばされて床に落ち、火が消えた。
拾い上げて火をつけ直すも、もはや松明とよぶのも余りな灯火を同じ岩間に立てた。
立てられた灯火は、暫くすると祈る様な気持ちで見つめるシオンの目の前で、棚引きながら静かに消えて一筋の白煙を残した。
(風だ…)
(風だ…)
(風だ!)
(風だ!風だ!風だ!)
シオンは走っていた。
手には消えた松明を持って。
ただ、ただ、風が吹いてきたであろう方角を目指して走っていた。
これまで、もう五日は彷徨っていただろう。
道具袋にあった湿った干飯もとっくに無くなっている。
先程の休憩も「ここでいいだろう…」と思った末のものであったことは否めない。
走って走って走って、躓き、走って…
たどり着いたのは、岩壁だった。
「ち、ちきしょー!」
壁にもたれ掛かるようにして、シオンは床へ崩れ落ちた。
壁に背をあずけるように足を投げ出し、荒い息を繰り返すばかりであった。
もし、近くに聞く人がいたなら、その荒い息に嗚咽が混じっていることを直ぐにでも気付いたであろう。
だが、当の本人であるシオンは自分が涙を流していることにさえ気づかないのか、拭うこともなく暗闇の中、ただ虚空を見つめているだけだった。
そうして幾ばくかの時が過ぎ、洞窟に静寂が戻った。
(眩しいなぁ…)
(まだ、眠いんだ…カーテンを閉めてくれ…)
(ねぇキャス、聞いてる? いやスゥなの? なぁ、カーテンを…)
「痛ってぇーえ!」
跳ね起きたシオンは、天井に頭をぶつけた。
痛む頭を抑えながら辺りを見回して、いつの間にか、行き止まりによる絶望の末、寝てしまったのだと思い出した。
が、シオンは気付いた。
辺りを見回す事が出来ているということに。
自分が寝ていた場所を見れば、どこからか光が当たっていた。
それは紛れもなく太陽の光であり、洞窟の中を僅かに照らしていた。
シオンの瞳は潤んでいた。
炎とは違うその光に、何故かシオンは優しさを感じて心が震えたのだった。
七日ぶりの陽の光だった。
細くて僅かでも、たった七日ぶりでも陽の光であった。
その、光が差す割れ目の近くに耳をあてると小鳥の鳴く声が聞こえた。
壁と思われた岩肌は、よく見ればシオンの背を超える大きな岩と、その上に天井まで敷き詰められた岩の集合体であった。
もちろん人の手で積まれたものではなく、過去に崖か土砂が崩れて作られたようであり、その一角に隙間が出来て、陽の光を届けているのだった。
シオンは逡巡した。
目の前の岩に比べて小ぶりとはいえ、積まれている岩も両手で抱えるほどのサイズである。
この先が出口なのならば、他のルートから同じ方位を探すことで洞窟を抜け出すことも可能なのでは?と思ったのだ。
だが、目の前を照らす陽の光には、他を選ばせないほどの魅力と説得力があった。
シオンは陽の差す隙間に、松明の持ち手にしていた鍾乳石を入れてみた。
差し込まれたシオンの腕の長さ程の鍾乳石は、詰まることもなく吸い込まれて落ちていく音をシオンに聞かせた。
希望のみえたシオンは、まずは積まれた岩をよく観察することにした。
陽の当たる時間に、それぞれの岩のサイズや力のかかり具合、隙間を埋めている小石や砂を確認した。
陽が落ちてからは洞窟を戻って、道具になりえそうな鍾乳石や石を拾い集めた。
間王の残した道具袋にはナイフもあったのだが、それを使うのは最後にしたかった。
そうやって丸一日を費やして、再び光が差し込むのを待った。
前の一日を準備に費やして、岩の除去を始めたシオンだったが、作業は困難を極めた。
長年、そこで崩れずにあるバランスは、伊達ではなく、力押しでは一つの小さめの岩を取り除くことさえできなかった。
それでもと岩間の砂や砂利を描き出すのだが、道具もまともにない状況では遅々として進まなかった。
また、除去作業をしている行き止まりは、道の曲がった先であり、色々な物を置くスペースもほぼ無い為、掻き出した砂なども洞窟内を戻り、捨てに行かざる負えなかったのだった。
それでもシオンは一心不乱に作業を続けた。
陽が暮れ、夜になって初めて一つの岩を落とすことができた。
それにより広がった隙間は極僅かであったが、差す月光はシオンにとって希望の光であった。
とはいえ、月の光は角度的に直接でもない限り、洞窟を明るく照らすとまでは叶わず、とても光を頼りに作業ができるものではなかった。
シオンは明日への期待を胸に眠ることにした。
岩肌に背を預けて目を閉じると、今度は期待より不安に襲われた。
一日掛かりで腕を通すこともできない隙間が一つなのである。
「目を逸らしている…」分かっているからこそ頬を伝う涙は止められなかった。
今日も陽の光と小鳥の声に起こされた。
小鳥がいるということは、その餌になる何かがあるということ、空腹の中、それだけを思い、シオンは作業を開始するのだった。
陽の光から察する昼頃、また一つの岩を落とすことができた。
今度の穴は、明らかにそれまでよりも得られる光量が多く、よじ登って覗いて見ると、強い光の先に緑の草が見えた。
シオンは歓喜した。
出られる、生き延びれると、喜んだ。
が、その喜びも束の間、何かが崩れる音と共に、折角の隙間が新たな土砂に埋まってしまった。
シオンは叫びたかった。
しかし、あまりにも無情なその出来事に、声をあげる気力さえ奪われてその場にへたり込んでしまった。
それでも光も塞がれた暗闇の中、フラフラと立ち上がった。
苛つきから何かを蹴ったが、蹴ったのは詰んでいた岩の破片であったらしく、崩れて粉状のものは舞い上がった。
先程の土砂や、舞い上がった埃を吸わないように、シオンは気力が出ないまでも洞窟の奥に下がった。
暗闇はシオンの心を蝕んでいった。
頭を過るのは自身の死だけだった。
最早、キャスの事もスゥの事も思うこともできずにいた。
ただそれでも暗闇で死んでいくのは嫌だった。
手元に見つけた燃えかすのような松明だったものに火打ち石で火を着けた。
なんとなくこの火がなくなる前に、奪われた希望だったものを見ようと思った。
松明をかざそうとして曲がり角に差し掛かった時、予期せぬ轟音と共に物凄い衝撃波がシオンを襲った。
何が起きたか分からぬうちに、岩肌に叩きつけられて、シオンは意識を失った。




