03.わたしのスキ
シークバーを動かし、もう一度、挨拶を聞く。
大恐あやの声は、確かに都夏紗のものだ。
「すごっ、すごいよこれ」
でも、待って。わたしは周囲をうかがい、声のトーンを抑える。
「でも、高校生だといろいろマズくない? お金の振りこみとか、親にバレるでしょ?」
「うちは親がアレだから、そういうのは叔父さんに頼んでるよ」
「学校には?」
「言ってるわけないよ。入ってくるお金もバイト代みたいなもんだし、バイト禁止でも、みんなやっとるやろ~?」
「確かに。さっそくチャンネル登録しておくね」
指はもう大恐あやのチャンネルを登録していた。
まさか、そばに本当のバーチャル配信者が居たなんて。
それも高校生で。
今のわたしには、都夏紗が明星さん以上に輝いて見えた。
「でも……」
申しわけなくなってしまう。
「配信とか動画、見れないかも。ホラーですよね?」
都夏紗は笑って「なんで敬語? 都夏紗って呼んで」と言った。
「瑞希はホラー無理な人?」
「推しのホラゲ実況すらろくに見れないよ」
「あたしもキャーキャー言ってるけどね。苦手な人のほうが多い気がする。なんなら、平気過ぎても撮れ高無いし」
「悲鳴聞くために見てる人も多いみたいだよね」
「それな。素が出るからね……」
都夏紗が、おもむろに目を細めて身を引いた。
「……へっくち!」
鼻をかむ都夏紗。
わたしが思わず「くしゃみたすかる」と言うと、彼女はティッシュを鼻に当てたまま笑った。
「今の時期は特に言われるよ。叔父さんちの近所、めっちゃ花粉多いし」
都夏紗は目も鼻もまっかだ。
配信部屋は自宅じゃないらしい。親バレの心配はないのかな。
スマホにメッセージが入る。明星さんからだ。
『都夏紗とVの話してるの? 楽しそう。ズルい!』
スタンプつきの可愛いメッセージだ。
『一緒に話す?』と誘うも、やっぱりあっちのグループから抜けるのは難しいと返された。
だけど明星さんは、そのうちVを布教すると息巻いていた。
わたしは立て続けに、都夏紗にもメッセージを送った。
『教室で話すと身バレしない?』
『おっしゃる通り。家族にも言ってないしね。ふたりだけの秘密で』
ふたりだけの秘密。
なんだか甘い味のする言葉だ。
わたしは口の中でリピートして、スマホから顔を上げる。
目が合った。
そんでもって、リアルの大恐あやはまた笑っていて、またくしゃみをした。
帰りの電車の中で、大恐あやと山田都夏紗について考える。
彼女は動画の編集技術を学びたいと言っていた。
プロ並みに稼いでいそうでも、編集技術が未熟な配信者も珍しくない。
逆に、どんなに編集がしっかりしていていようと、アバターが高価な3Dモデルだろうと、スタジオを借りたフルトラッキングを頻繁にしようと、伸び悩む人は伸び悩む。
大恐あやのチャンネルも、一万人の壁を超えてはいたものの、三万以降は登録者数の増加が停滞しているらしい。
本気で仕事にしようと考えているのなら、進学先に動画関連の技術が学べるところを書いたのにも納得がいく。
都夏紗、喜んでたな……。
進学先の選び方のアドバイスには感謝をされた。
チェックしていなかった配信者とはいえ、本物からお礼を言われたんだと思うと、電車の中だというのにニヤけてしまう。
スキなことを久し振りに共有できたのもうれしかった。
だけど、ちょっと疲れてしまった。
都夏紗はノリも軽いし、よくしゃべるし、表情がくるくると変わる。
ああいうタイプと友達になったのは、小学校ぶりだ。
そもそも、友達付き合いらしいことも、ご無沙汰だった。
わたしは中学生のときに、イジメに遭いそうになったことがある。
遭いそう、だ。遭ったわけじゃない。
ターゲットにされた子は友達だった。
アニメやマンガの熱心なファン……いわゆるオタクで、それをきっかけにからかわれて、本格的なイジメに発展したのだ。
彼女が教室に来なくなったあとに一度、保健室で姿を見たけれど、わたしは目を逸らしてしまった。
あの場には、養護の先生と彼女しかいなかったのに。
イジメに加担していたわけじゃないけど、今思えば、わたしも同罪だ。
あんなふうになる前は、同じ作品へのスキを語りあっていた親友同士だったのだから。
三年生になるころには、名簿からも名前が消えて、空席も取り除かれた。
転校したとか、自殺したとか言われていたけど、本当のところは分からない。
ただ「あの子」は、わたしたちの現実から消えてなくなった。
わたしと彼女を分けたのは、ほんの少しの差だったのだと思う。
わたしは小さいころから、両親から無難に生きるようによく言われていた。
危ない場所には近寄らない。目立つことはしない。あらかじめ失敗を想定しておく。
一歩引いて、よく考えてから動くスタンス。
おかげさまで、事件事故に巻きこまれた経験もない。
いっぽうで消えた彼女は、教室のまんなかでキャラ愛を叫んで、臆面なくセリフを口にしていた。
だからといって、スキなことをやめてしまうなんてことは、したくない。
イジメていた子たちに合わせることなんて、できない。
学校では黙っていたけど、家ではアニメに漫画、ゲームと動画漬けだった。
兄からお下がりのパソコンをもらってからは、特に拍車がかかった。
もちろん、無難な高校へ進学できる程度には勉強もしておいたけど。
バーチャル配信者と出会ったのは、その頃だった。
きっかけは金欠。
あれこれとゲームやグッズを買えるほど、中学生にお金は無い。
ゲーム実況者の動画をはしごしているうちに、可愛らしい3Dモデルのキャラクターによる実況動画に行き当たったのだ。
なんのゲームだったか。難しいアクションゲームの実況だったと思う。
アニメキャラクターのような可愛い声をした子が、ミスをするたびに汚い声で悲鳴をあげたり罵ったりする内容だ。
それが面白くて、その人の動画や似たような動画を漁るようになったのだ。
バーチャル配信者たちは、変わっている。
生身の配信者とは違って、素顔をさらしていないし、キャラクター名を名乗り、キャラにまつわる設定もついている。
学級委員長だとか、魔界の住人だとか、海賊船の船長だとか。
アニメや漫画のキャラクターみたいなもの?
ちょっと違う。
バーチャルだけど、ちゃんとこちらの世界とつながっている。
生配信ではリアルタイムでコメントに答えることもあるし、予想外のアクシデントだって起こりうる。
特に面白いのが、キャラを演じている配信者がいる一方で、「そういう設定」であることを平気で言ってしまったり、現実世界のできごとを話したり、旅行に行って実写映像を使ったりする配信者もいることだ。
最初のうちは、いいの? って思ったけど、コメントをつけるファンや、スタンスの違うコラボの共演者たちも、了解しているようだった。
Vはまるで、現実と仮想のあいだを行き来しているような、不思議な存在なのだ。
歌の上手な人も多くて、ひとたび歌えばアイドル。
地域密着型のVなら地元のイベントや観光地の話をするし、企業所属ならわたしたちが手にする商品の売りこみがメインだ。
けれども、雑談や失敗談をすれば友達に早変わり。
キャラクターを演じながらも、ときおり見えてしまう画面の向こう側は、バーチャルでありながらも、確かにわたしと同じように生きているのだ。
そんなVたちは、息苦しい中学校生活の癒しとなった。
中でもうれしかったのは、配信者たちはスキなものを堂々とスキと言ってくれたことだ。
当たり前といえば当たり前だけど、オタクも多いのだ。
オタクだけじゃない。やたらと失敗をする人や、実際の生活では困りそうな性格の人も少なくない。
現実では口にしづらいことを話す配信者たち。
バーチャルで画面越しなのに、まるで垣根が無いみたいに思えた。
垣根が消えるのは配信者たちだけでなく、ほかのリスナーもだ。
一緒に見ているどこか遠くの人たち。
わたしにはちょっと無理だけど、上手にコメントをする人は配信を盛り上げる。
みんなも確かに生きている。
そんなバーチャル配信者の世界は、わたしの目にはキラキラと輝いて見えた。
Vたちとの「付き合い」は、心地がいい。
現実と違って、こちらから無理に何か言う必要もない。
変なコメントをしなければ、嫌われることもない。
イヤになったらブラウザを閉じてさようなら。
わたしたちは安全だ。むしろ、Vたちの安全を守りたいと思えるくらいに。
学校から消えた「あの子」は、Vのことを知っていただろうか。
彼女が居なくなる前にVに出会えていたら、絶対に教えていたのに……。
わたしはVの沼にズブズブとハマり、いつしか息をひそめる中学生がバーチャルで、モニターの前でツッコミを入れるわたしのほうがリアルになっていた。
部活も、受験を理由にして早めにやめてしまった。
中学のときは演劇部だった。演技にはもともと興味があった。
といっても、小学校の行事の演劇に打ちこんだ程度だけど、違う誰かになったり、役を通して何かを伝えられるのは素敵だと思っていた。
でも、舞台では緊張して声が震えて、貧乏ゆすりも止まらなくなるから役をもらえず、ずっと裏方だった。
好きなだけ声を出して、台本のセリフを自分なりに考えて表現している子たちを、遠巻きに見ているだけ。
主役はもちろん、顔のいい子だ。顔だけで選んでいるわけじゃない。
容姿のいい子には確かな自信があって、それが演技にも映し出されるから。
わたしは、あまり顔がいいほうじゃない。
無表情で怖いと言われたこともある。
女優やアイドルはもちろんだけど、本来なら容姿が関係ないアニメ声優だって、見た目のいいほうが人気が出やすい。
芸人や生身の動画配信者には顔がよくない人も多いけど、素顔をさらして人前で何かをするのは、わたしには無理だ。あんなふうにはなれない。
あの輝かしい舞台は、わたしには決して手の届かない世界なんだ。
Vと出会うまでは、そう思っていた。
バーチャル配信者になりたい。
わたしのスキを伝えて、消えた「あの子」のような誰かのスキを肯定したい。
進路を決める段になって、色々と調べた。家族には内緒で。
現実は甘くない。
調べれば調べるほど、難しいことが分かった。
動画の配信者になること自体は簡単だ。動画サイトのアカウント登録をして、スマホで撮影してアップロードをすれば、誰にだってなれる。
バーチャルのほうも、3Dモデルとまでいわずに、ヘタクソでも自分で書くか、勝手に使っていいキャラクター画像を貼り付けてしまえば、名乗れてしまう。
だけど、収入を得て生活をしていくとなると、話は変わってくる。
動画の世界は厳しい。
テレビでいうところの「チャンネル」が無限にあるようなものだ。
いっぽうで、人の一日は二十四時間と決まっている。時間の奪い合い。
テレビに出ているようなプロの人がスタッフを引き連れて参入しても、素人から始めたベテラン配信者の足元にも及ばないということも珍しくない。
さすがに、ヌードル高橋レベルということはないけれど、単純な再生回数だけでいったら、明星きららのショート動画にも負けるかもしれない。
明星さんは百万再生の動画をひとつ持っている。流行のダンスを模倣しただけのものだけど、ちょっとしたものだ。ショートの界隈だと一回の再生時間やサイトの性質上、数字が大きくなるものだけれど、それでも百万はすごい。
プロじゃなくてもいいかもしれないけど、本業とかけ持ちをしつつ、わたし自身の趣味も続けていくと考えると、現実的じゃない気がする。
本気で打ちこめないで恥ずかしい数字をさらすくらいなら、あっちの世界でも居ても居なくても同じなら、やらなくてもいい。
だから、今度も夢見るだけにして、諦めるつもりだった。
容姿もよくて、学校内のカーストトップの明星さん。
だけど彼女は、わたしのスキを否定しない。
チャットの文字から伝わってくるハマりっぷりは、当時のわたしを思い出させる。
明星さんと同じグループで、すでにVの世界で活動する都夏紗。
彼女はわたしを必要としてくれた。
通学用のリュックの中には、進路希望調査書が入っている。
これはもう、印鑑を捺して、そのまま阪田先生に渡すことになるだろうけど……。
あともう一枚。最後の進路希望調査書は、大きく変わるかもしれない。
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