バレンタインデーに貰ったチョコを、勘違いでぶん投げてしまった件
今日は二月十四日。つまりバレンタインデーである。
日本におけるバレンタインデーとは、一般的には女子が好きな男子にチョコを送る日であり、チョコを貰える男子は勝ち組、貰えない男子は負け組と明確に分類されてしまう残酷なイベントだ。
男子にとって、バレンタインデーにチョコを貰えるかどうかは超重要事項である。
どれぐらい重要かというと、貰えたら嬉しさのあまり天にも昇るような気持ちになり、逆に貰えなかったら死にたくなるような悲しみに襲われ、バレンタインデーという日を呪い続けるようになるほどだ。(※個人の感想です)
なので当日になると全世界の男子は全員、自分がチョコを貰える側、つまり勝ち組になれるかどうか、ドキマギしながら生活するのだ。
かくいう俺、斉藤晴人もその男子の一人である。高校生である俺は、浮わついた気持ちが表に出ないよう気を付けながら、学校に向かって歩いていた。
そう、学校に向かっているということは、今日は平日だ。
「(よりにもよって学校がある平日にバレンタインデーとはなあ)」
バレンタインデーって、何となく学校で過ごしづらいんだよな。女子と顔を合わせるのも気まずいし、もう祝日にしても良いと思う。
そんなことを考えているうちに、昇降口の靴箱ロッカーの前に着く。
さすがに靴箱の中にチョコが入っているなんてベタな展開は、フィクションの世界でしか起こり得ないだろうと頭では分かっている。だが、どうしても少しだけ緊張してしまう。
「(よし、開けるぞ!)」
意を決して靴箱の扉を開ける。……うん。やはりチョコらしいものは入っていない。
「(ま、そんなもんだよな。ぜ、全然悲しくなんかないし……。って、ん?)」
よく見ると靴箱の奥に、何やら紙のような物が置かれているのを発見する。腕を伸ばして紙を手に取ると、横書きで一行だけ書かれていた。
『放課後、屋上まで来られたし。来なかったら殺す』
……何だこれ? 差出人は書かれていない。一瞬ラブレターかと思ったが、文面的には果たし状か脅迫状に近い。喧嘩でも仕掛けられるのか?
「(とりあえず、紙に書いてることに従っておくか)」
よく分からないが、殺害される虞があるため無視するわけにもいかない。俺はあまり期待せず、放課後になるまでの時間を過ごすのだった。
★ ★ ★ ★ ★
放課後。靴箱に置いてあった紙の内容に従い、屋上へと向かう。
階段を昇り、屋上への扉の前に着く。さて、開けた先に誰がいるのかによって俺の運命は決まる訳だが。
もし扉の先にいるのが女の子だった場合、あの紙はラブレターだったことになり、俺の人生は薔薇色に染まるだろう。
屈強な男が立っていた場合は、あの紙は果たし状だったことになり、俺の人生は血の色に染まってしまう。
「頼む、女の子であってくれ……!」
そう願いながら、意を決して扉を開ける。
「待ってたわよ、斉藤」
「な……華村!?」
そこに立っていたのは、クラスメートの華村由香だった。黒髪ポニーテールと少しだけつりあがった目が特徴の女の子で、見た目はまあ、そこそこ良い方だと思う。
だが男勝りな性格であり、俺とはそりが合わない。何かとあればいつも俺に突っかかってくるし、会話はよくするものの、口喧嘩や言い合いになることもしょっちゅうである。
俺としてはそんなに嫌いではないが、あっちは恐らく俺を嫌っているだろう。そんな彼女がバレンタインデーに俺を屋上に呼び出すなんて、一体何を考えているのやら。
「わざわざこんな果たし状みたいな手紙で呼び出して、何の用だよ。俺と喧嘩でもするつもりか?」
「そんな訳ないでしょ!? どう捉えたらそういう考えになるのか意味が分からないわ!」
「『放課後、屋上まで来られたし。来なかったら殺す』なんて、文面だけ見たら喧嘩売られてるとしか思えないんだけど」
「そ、それは。……緊張しながら書いたから、変な文章になっちゃって」
後半の方はボソボソ言ってて、何を言ってるのか聞こえなかった。
「ん、何て?」
「な、何でもない!」
「何でもないことはないだろ」
「うっさいわね! それ以上聞いたら殴るわよ?」
「急に怖いな!? すみませんでした……」
手の骨をバキボキと鳴らしながらこちらを睨む華村に、俺は逆らえなかった。
すると華村がわざとらしくコホン、と咳をする。
「あ、あんたを呼び出したのは他でもないわ。その、渡したいものがあって」
「え?」
バレンタインデーに渡すものといったら、それはあれしかない、よな?
「教室じゃ渡しづらかったから、ここに呼んだのよ。こ、これなんだけど……」
そういって差し出されたのは、リボンつきの小さい袋。これってまさか、チョコなのか……?
「中見てもいいか?」
「い、いいわよ?」
リボンを紐解いて袋を開けると、そこにあったのはチョコ……ではなく、禍々しいオーラを放っている紫色の塊だった。
何だろうか、この見るも恐ろしい謎の物体は。一見するとダークマターかヘドロの類にしか見えない。
「……おい華村。袋の中にあるこれは何だ?」
「もう、見ればわかるでしょ? 手作りチョコよ」
「チョコだと!? このヘドロ爆弾のような謎の物体が!?」
「ヘ、ヘドロ爆弾って何よ!? 失礼にもほどがあるわ!」
どうやらこの物体の正体は手作りチョコらしい。一体どんな作り方をしたらこんな毒々しい紫色をした物体が出来上がるというのだろうか。
……ん、待てよ。毒々しい紫色……毒……毒殺!? そうか、分かったぞ!
華村のヤツ、毒を盛ったチョコ、もといヘドロを食わせて、俺を毒殺するつもりか!
教室ではなく屋上を選んだのも、殺人現場を目撃されないようにするために違いない。おのれ華村のヤツ、それほどまでに俺を嫌っていたのか!
危うく命を奪われてしまうところだった。彼女の目的が分かった以上、一刻も早くこのヘドロを処理しなければ!
「ふんっ!」
ブンッ!
俺はヘドロを袋ごと握りしめて、屋上の柵の外に向かって全力で投げ飛ばした。
ヘドロの入った袋は、綺麗な放物線を描いて屋上の柵を越え、地上に落下していった。
ふう。肩だけは昔から無駄に良い方だった。それがこんなところで活きてくるとは。
「あーーー!? ちょっと斉藤、何するのよ!?」
「そっちこそ、どういうつもりだ! 毒物を使って俺を抹殺しようだなんて、悪質にも程があるぞ!」
「はあ、何の話よ!? 私はただ、あんたに手作りチョコを渡したかっただけよ!」
「この期に及んでまだ嘘をつくか! あんなの、どう見てもチョコじゃなくてヘドロだろ!」
「な……!? ひ、ひどい! 私は本当に、あんたにチョコをあげようと思っただけなのに……うう……!」
「え」
華村の目にどんどん涙が溜まっていく。やがてそれは決壊し、ぼろぼろと流れ落ちた。
「う、うあああん……! ひどいよぉ……! 一生懸命チョコ作ったのに、それをヘドロって……!」
「お、おい……マジで泣いてるのか?」
本気で泣きじゃくっている様子の華村に、俺は困惑する。
演技をしているようには全く見えない。つまりあれは、本当にチョコだったのか……。
ということは、俺がやった行為は……女の子が作ってくれたチョコをヘドロ呼ばわりし、投げ捨てただけでなく、殺人未遂の冤罪までかけてしまったということになる。
何てことだ。これではまるで、史上最低のグズ男ではないか……! と、とにかく華村に謝らなければ!
「す、すまん華村! 冷静に考えると、とんでもなくひどいことをしてしまった」
「ぐすん……。そりゃ、ちょっと見た目は悪かったかもしれないけどさ。何も、あんなに全力で投げ捨てることないじゃない……」
「ぐおおおっ……!? 本当に申し訳ない……!」
物凄い罪悪感が俺を襲う。さすがに反省した俺は、慌てて華村に向かって土下座した。
「ぐすっ……ふんっ、斎藤のバカ! もう知らないっ!」
「お、おい! どこ行くんだ!?」
だが、時既に遅し。怒った華村は捨て台詞を吐いて、どこかへ走り去ってしまった。
や、やっちまった……! 勘違いとはいえ、男として最低の行為をしてしまった。あろうことか女の子を泣かせてしまうなんて、あまりにもひどすぎる。
だがやってしまったものは仕方がない。今の俺に出来ることは、責任を取って少しでも華村の気持ちに報いることだ。
となればやることは決まっている。地上に落ちた華村の手作りチョコを探し出して、それを食べる。そして、その感想と感謝の気持ちを華村に伝えることだ。
俺は早速、チョコを探すために急いで階段を駆け降りて、地上へと向かった。
★ ★ ★ ★ ★
地上に着いた後、俺は校舎周りをキョロキョロ見ながら探索していた。
「確かこの辺に投げたと思うんだけどな……」
などと思っていると、小さな袋が落ちているのを発見する。
「あった、これだ!」
急いでそれを拾って中身を確認すると、落下の衝撃で形が崩れてしまったのか、先程よりも無残な姿となったチョコが入っていた。
「ふう……。よし、とりあえず食べよう」
一息ついて覚悟を決めた俺は、ためらうことなくそれを口にする。
「………………うっ」
バタッ……。
刹那、俺の意識は刈り取られ、そのまま地面に倒れてしまったのだった。
★ ★ ★ ★ ★
意識が戻り、目を開けると、見慣れない天井の光景が広がっていた。
「斎藤! 目が覚めたのね!」
声がした方に視線をやると、安堵の表情を浮かべた華村がこちらを見ていた。
「華村……ここはどこだ?」
「保健室よ。学校の外で斎藤がチョコをくわえたまま倒れているのを見つけて、ここまで運んできたの。結構大変だったんだからね」
「そうか……俺は華村のチョコを食べて、気絶しちまったのか」
華村には悪いが、あのチョコは一瞬で意識が持っていかれるぐらい衝撃的な不味さを誇っていた。正直今も口の中が気持ち悪い。
寝ていた状態から起き上がると、頭にズキッと痛みが走る。どうやら倒れた際に頭をぶつけたようだ。しかし耐えられない程ではないので、顔に出ないようにした。
「ごめんね斎藤、あのチョコ不味かったよね。私、昔から料理下手でさ。頑張って作ったんだけど、また失敗しちゃったみたい」
いつも活発的な彼女が、珍しく落ち込んでしおらしくなっていた。
「……謝るのはこっちの方だ。せっかく華村が作ってくれたチョコを、俺はヘドロなんて言って投げ捨てちまった。本当にごめん」
「ううん、いいの。だって斎藤は結局食べてくれたじゃない。それだけで私は嬉しかった」
「……俺を許してくれるのか?」
「うん。今回は特別に許してあげる」
そう言って彼女はニコッとはにかむ。その表情はとても女の子っぽくて、不覚にもドキッとしてしまった。
「恩に着るよ。華村って、意外と優しいんだな」
「『意外と』は余計よ、バカ」
「す、すまん」
「もう。でも、今のは褒め言葉として受け取っておくわ」
そうだ、チョコを作ってくれた華村に感謝しないと。
「華村、チョコを作ってくれてサンキューな。嬉しかったよ」
「え~、ホント? 投げ捨てたのに?」
「そ、それは悪かったって。あの時はてっきり、俺を毒殺するつもりだって勘違いしてたから」
「……あんた、普段の私にどういうイメージを持ってるの? そんな残酷なことをするような女に見えてたってわけ?」
「見えなくもなくもないわけではないな」
「いや分かりにく過ぎるわよ!? えっとつまり…………そう見えてるってことじゃない! ひどいわ斎藤!」
「じ、冗談だって。とにかく、袋の中身がチョコだって分かってからは、本当に嬉しかったよ」
「……ホントにホント?」
「ああ。もちろん」
「なら良かったけど。でも何か誤魔化された気がする……」
「気のせいだ」
華村が訝しげな目でこちらを見ているのに気づかないふりをしていると、ふとある疑問が浮かんだ。
「なあ華村。あのチョコって本命と義理、どっちだ?」
「ふえっ!?」
情けない声で悲鳴をあげる華村。その後彼女は顔を赤くしながら、困ったように視線をあちこちに移動させていた。
「……その。もし本命って言ったら、あんたはどう思う? あくまで『もし』の話だけど!」
『もし』の部分を強調して言う華村。あのチョコが本命だったらどう思うかなんて、そんなの決まってる。
「どう思うって、超絶嬉しいに決まってるだろ」
「え……ええっ!? そ、それってあんたまさか、私のこと好きってこと!?」
「義理でも超絶嬉しいけどな」
「な……紛らわしいのよバカ!」
「ぶべらっ!?」
何故か突然、華村から強烈なビンタが繰り出され、俺の頬にクリーンヒットした。
ちなみにめちゃくちゃ痛い。数分前まで意識を失っていた人間に本気でビンタするとは、なんて凶暴な女だ。
「……おい、急に何しやがるんだよ」
「うっさい、自業自得よ!」
「いや意味わかんねーよ!?」
ちゃんとどっちでも超絶嬉しいって言ったじゃないか。それでビンタされた挙句、自業自得とまで言われるなんて理不尽にも程がある。
「と・に・か・く! 今のは斎藤が悪いの!」
「そうかよ……で、結局本命と義理、どっちなんだ?」
俺は『どうしてビンタされたのか』という謎に対する理解を諦め、話を本題に戻す。
すると華村は頬を染めたまま、視線を斜め下に逸らした。
「………………ほ、本命よ」
「……え?」
「だから、本命って言ってるでしょ! 私、あんたのこと好きなの!」
「ま、マジで?」
コクリ、と頷く華村。どうやら冗談ではなく本気で俺のことを好きらしい。
バレンタインにチョコを渡されたわけだし、何となくそうなんじゃないかと若干期待はしていたものの、いざ本当に告白されると、嬉しいより驚きの方が勝つ。
「いつから好きだったんだ……?」
「……同じクラスなってからすぐよ」
「そんなに早くから!? どうして?」
「……絶対笑わない?」
「当たり前だ、自分を好きになってくれた理由を笑うわけないだろ」
「っ……! 急にそういうこと言わないでよ……!」
「?」
手で顔を隠すように覆う華村。だが隠されていない耳は真っ赤に染まりきっていた。
「…………ひ、一目惚れしたのよ。あんたに」
華村は手で顔を隠した状態のまま、か細い声でこう言った。
「一目惚れだって!? 俺、自分で言うもの何だけど、そんなに整った顔してないぞ!?」
「そんなこと言われても、好きになっちゃったんだからしょうがないでしょ……」
「……!」
恥ずかしそうにそう言う華村はあまりにもいじらしく、可愛らしかった。心臓がキュッと締め付けられる。
「そ、そうか。俺、今まで華村に嫌われてるもんだと思ってたよ。会話しても言い合いになることが多かったし」
「それは、その。あんたと話してると緊張して、つい口が悪くなっちゃうのよ……」
「そうだったのか……」
今までの華村の言動が全部、緊張による照れ隠しだったと考えると、その言動が途端に愛おしく思えてきた。
「あはは、迷惑よね。こんな口も悪くて、気絶するぐらいまずいチョコしか作れないような不器用な女に好かれてもさ。だから何も気にしないでフッてくれても……」
「迷惑なわけないだろ」
「え……?」
手を顔から離し、驚いた表情でこちらを見上げる華村。俺は露になった彼女の目を真っ直ぐ見つめた。
「俺にとって華村は、気を遣わずに話せて、一緒にいて楽しいと思えるクラスメートだ。でもたまに、女の子っぽいところを見せてくれるときがあるんだよ。それが普段とのギャップもあって、凄く可愛いって思ってた」
「へ……? それ、ホントに言ってる……?」
「ああ。俺も、華村のことが好きだ。人が作ってくれたチョコをぶん投げるような、どうしようもないバカ男だけどさ。こんな俺で良かったら、付き合って欲しい」
「…………!」
「もしまだ俺のことを好きでいてくれてるなら、頼む」
「……もう、本当にバカね。好きに決まってるじゃない」
そう言って華村は、天使のような笑顔を浮かべた。
ああ、そうだ。こういう華村の表情や仕草に、俺は惹かれていたんだ。
「今の華村の顔、すげー可愛かった」
「は、はあ!? 急に何言いだすのよ!」
「急も何も、今そう思ったから」
「う……バ、バカ! 照れるからやめて……」
やばい。照れてる華村、めちゃくちゃ可愛い。これからもいっぱい見たい。
「じゃあ、今日から俺たちカップルだな。一緒に帰ろうぜ」
俺はそう言いながら、ベットから降りて立ち上がり、華村に向かって手を差し伸べる。
「……うん」
華村は俺の手を受け取り、お互いにぎゅっと握る。初めて握った女の子の手はとても柔らかくて、小さい。でも、手を通して伝わる確かな温もりは、俺の体を芯まで暖めてくれた。
愛しい人との繋がりを感じられるのって、こんなに幸せなものだったんだな。
俺たちは手を繋いだまま、保健室を後にする。そして二人で幸福感に浸りながら、歩いて下校していった。
「ねえ斎藤……じゃなくて、晴人」
「何だ、由香」
「えへへ、名前で呼んでくれた」
「付き合ってるんだし、由香が名前で呼んでくれるなら俺も名前で呼ぶさ」
そんなことで喜んでくれるなんて、いちいち可愛いやつだな。
「それで、何を言おうとしたんだ?」
俺がそう聞くと、由香は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「来年もまた、チョコ作ってあげるね」
「勘弁してくれ」
「ひどい!? 今度はもっと練習して、見返してやるんだからね!」
この調子だとまたチョコを作ってくる気満々だな。また気絶させられるのは御免なので、是非とも練習してうまく作れるようになって欲しいものだ。
まあでも、来年のバレンタインデーでチョコを渡されたときは、絶対投げ捨てないようにしないとな。
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