先輩に缶コーヒーを貰ったあの日を繰り返す話
(リハビリ作品)
「はい、どうぞ」
後ろから見ると情けなく縮こまっているであろう背中の方から伸ばされた、白くか細い手に握られていたのは温かい缶コーヒー。柔らかな声と共に差し出された缶を、僕は何も言わず静かに受け取った。それが今の僕の精一杯であった。
「私なんて新人の頃にさぁ―」
変に慰めるわけでもなく、頑張れと背中を押すわけでもない。僕がことごとく何かに失敗して落ち込んでいる時、ただただ横に並んで座り、自分の失敗談を面白おかしく話すのだ。そんな優しく温かな時間が僕は好きだった。だから、ずっと続けばいいと願わずにはいられなかった。それが例え誰かの記憶の中をループしていたとしても、都合のいい夢だとしても。
***
僕は死んだ。
生きている頃に「死んだらどうなるんだろう」とぼんやり考えたことがあるが、どうもこうもあまり実感がない。天国や地獄があるわけでもなく、天使や閻魔様が姿を現すわけでもない。ただぼーっと、世間が当たり前に動いていく様子を俯瞰して見ているような、そんな感覚であった。
ある日、同じ日の同じ時間を繰り返していることに気が付く。
僕が仕事で大失敗をしたあの日。上司に怒鳴られ、取引先のお偉いさんからは呆れられ、もういっそのこと辞めてしまおうと思ったあの日だ。直属の先輩から差し出されたコーヒーはブラックで、甘党の僕は無理をして缶に口を付ける。そして先輩の話を聞き、2人で笑い合ったあの日。
自分の気持ちを相手へ伝えることが苦手だった。だからあの日も言えなかった。本当は甘党なことも、ブラックコーヒーが飲めないことも。そして彼女へ密かに想いを寄せていることも。
何度も繰り返すうちに気が付いたことは、会話の変化だ。あの日とは異なる返事や会話をすると、先輩からの言葉もその都度変化する。どうせ同じ日を繰り返すのなら、ブラックが飲めないことも、先輩のことが好きなことも全部伝えてしまおう。そうすれば成仏というものも出来るのかもしれない。
「…先輩、僕ね」
「ん?」
「実はブラックが苦手で」
「うそ!ごめんね!聞いてから買えばよかった…」
「でも先輩から貰えたって思ったら不思議と飲めちゃいます」
「あははっ何それ」
「好きだからです。先輩のことが」
丸く大きな目が、キョトンとさらに大きくなる。
次第に赤く染まっていく頬、愛おしいあの笑顔を僕は絶対に忘れないと思う。
***
気が付くと、見慣れた景色が広がっていた。ああ、自分の家だ、と気が付くのにそう時間はかからなかった。先輩が柔らかな表情で僕の写真を見つめている。
「・・私に都合のいい夢ばかり見せてくれるねえ、君は。」
そう呟いた先輩の顔は、切なさに押しつぶされ今にも泣きそうな顔。
仏壇に置かれたカフェオレを見て、僕は少しだけ泣いた。




