その2
「俺、この戦争が終わったら結婚します」
アシュレイは、バケツのような形をしたヘルメットの奥でそう言った。
狭苦しいコックピットの中で膨れ上がったパイロットスーツは、高い耐衝撃性と引き換えに劣悪な居住性を彼に提供していた。
吐いた生暖かい息がそのまま唇に返ってくるなか、無線の向こう側では、隊員たちの驚愕の声が相次いで響き渡っていた。
『おい、マジかよ、ハウンド4!』
『隊長! どうやらハウンド4は隊で唯一の童貞から、隊で唯一の妻帯者に華麗なる転身を遂げたようですよ』
『隊長として裏切り者の存在は見過ごせんな……』
『戦闘前にそういうことは言うな……だが、いちおう言っておく。おめでとう』
『……作戦行動中ですよ、皆さん。まったく男って……』
今はアシュレイも、隊員たちも、人間としての一個人を捨て、戦闘単位の一つとして存在している。
ゆえにアシュレイはハウンド4だし、隊長はハウンド1と名乗っていた。
そんな状況で一個人のプライベートの幸福を言うの場違いなのだが、それでも隊の誰一人としてそのような些事は気にしていなかった。
超剛性チタン合金製のコックピットブロックのすぐ外は真空だ。このまま生身で放り出されてしまえば、九〇秒足らずで死に至るだろう。
だがアシュレイたちには慣れ親しんだ場所であり、清掃が満足に行き届いていない前線基地の便所よりは、よっぽど居心地の良いものだった。
『結婚ってーと、バーで知り合った美少女か?』とハウンド3。
「はい。あれから色々あって一緒に住むことになって、それで……」
『あの大きなおっぱいは堪能したかぁ?』
「え、あ、いえ、その……」
『照れるなって。童貞卒業おめでとう! そして結婚という墓場へいってらっしゃい!』
「その、どーてーってどういう意味……」
『クソ野郎のハウンド3。女性兵士のいる前でそのような卑猥な会話は謹んでください。軍法会議であなたの去勢を進言しますよ? っーか、するわね。あとで殺す』
返事に困っていたアシュレイに、隊で唯一の女性であるハウンド6が助け船を出してくれた。無論、ハウンド3への私怨もこもってそうだが……。
『やれやれ、ハウンド6ちゃんは手厳しい。ま、ハウンド4。これが終わったら俺が私物の秘蔵映像とともにレクチャーしてやるから、楽しみにしてろよ』
「はい! ご教示よろしくお願いします!」
思わずアシュレイは回線越しの会話であることを忘れて敬礼をしてしまった。
『ハウンド3、うちのエース様に教えられることが性技だけだからって、浮かれるんじゃないぞ。そろそろ作戦宙域だ。各員、気を引き締めろよ』
隊長がそういうと、隊員は一斉に寡黙な戦士へと変貌を遂げる。
アシュレイも操縦桿の感覚を確かめるかのように両手を握り直し、制御用モニターに映る戦闘宙域に意識を集中させた。
星暦一四一年一二月。四ヶ月の沈黙を破って火蓋は再び、それも強引なかたちで切られた。
帝国内の過激派がクーデターを起こし、軍を掌握。
その勢いで連合の一時休戦宣言を砲火一つで問答無用に破り、玉砕覚悟の大攻勢を仕掛けてきたのだ。これにより前線は再び血に染まっていく。
待機任務後は本土防衛の任に当たっていたアシュレイたち〈魔女狩り部隊〉だが、つい先日戦況が急変し前線に駆り出されることとなった。
『その理由がこれだ』
隊長機から送られてきたデータには、たった一機の戦術兵器についての情報が書き連ねられていた。
ヒロイックな外見の人型をしたそれは、アシュレイたちにとっては見慣れた“悪魔”である。
『帝国軍最強の魔導遣い(ウィザード)、〈真空の大火〉だ』
魔導遣い。ほんの二〇〇年前にはファンタジー小説の世界にのみ存在したような異質な響きのそれは、間違いなく現実世界に存在した。
FL粒子と呼ばれる本来は観測不能な“質量を持たない物質”が発見されて以降、世界は変わった。人々の生活や争いのかたちを一変させたそれは、人間の女性のみがなりうる新人類の発見にも繋がる。
彼女らは西暦時代より「魔女」や「シャーマン」などと形容され、そして現代では「魔導遣い(ウィザード)」という正式名称を受けていた。
心臓の右側に魔力器官と呼ばれる極小の臓器を有し、それを用いてFL粒子を様々な超常現象―――魔導へと変質させる。
『奴は天蓋都市〈ベルシ17〉付近に展開していた第三艦隊を強襲。単独で第三艦隊を撃滅後、増援に向かった第七、第八艦隊を半壊へと追い込んだ。その後、廃棄された天蓋都市へと逃げ込み、追撃に向かった第二〜第六特務部隊及び第一、第二連合魔導部隊と現在交戦中』
これがたった一機の戦術兵器によるものだと、誰が信じようか。もはや戦略兵器だ。
『だが連合魔導部隊のMWの損耗率も高い。我々の加勢は必要不可欠だろう』
MWとはその名の通り、魔導遣いにとっての“魔法の杖”である。
しかしそれは杖ではなく人型の戦術兵器というかたちをしており、星暦の戦争における最重要戦力として君臨していた。
『我々の任務は彼らと協力し、〈真空の大火〉を討伐することだ。いいな?』
『ハウンド2、了解しました』
『ハウンド3、了解だぜ。今度こそ、あの可愛げのないケツに鉛弾をぶち込んでやる』
「ハウンド4、了解。奴はここで落とす」
『ハウンド5、了解だ。気楽にはいけなさそうだな』
『ハウンド6、了解しました』
アシュレイは先行する隊長機に続いて、廃棄された天蓋都市へと入っていく。
中央の巨大な重力制御塔が破壊され、天蓋を覆う大気シールドが破れた結果、都市内部の物体はすべからく浮遊していた。
破壊されたビルは半ばで折れて、真空に浮かぶコンクリートの塊として視界を遮っている。
そんな瓦礫に紛れて人間の遺体が散見できた。市街地に残る戦争の爪痕だ。
ここが最前線であるがゆえに、誰も遺体を回収しないのだ。今はこの灰色の光景が彼らの墓標だった。
そんななかを、〈魔女狩り部隊〉を示す黒の装甲色をしたCWが通り過ぎていく。
全長六メートルの鋼鉄。
スリット状のカメラアイに大きく張り出した両肩にはスラスターとサブアームが備えられている。
特徴的なのは二本の前脚と、一本の後脚だ。
普段は前脚で機動戦を仕掛けつつ、後脚は細かな挙動の調整や砲撃時の接地補助などをこなす。
長年の戦争の結果、人類が導き出した兵器としての最適解であった。
魔導遣いの操るMWには遠く及ばないものの、魔力器官のない大多数の人類が魔導遣いに対抗するための手段として用いている。
『ハウンド6、索敵を開始します』
そのうちの一機が立ち止まり、背部に備えられた観測機を打ち出していく。
宇宙ではFL粒子を用いた兵器による戦闘が頻発しているため、その電磁妨害効果によりレーダーの類の信頼性は皆無に等しくなっている。
目視による観測、それが現状もっとも有効な索敵手段であった。
『ハウンド6はここで観測役だ。あとは俺についてこい』
まずは現地の味方と合流することが先決だった。
しかし出会うのは残骸ばかりで、いっこうに生存している味方と合流できない状態が続いていた。
胴体を溶断された緑色の装甲をした一般機が、アシュレイのCWの真横を通り過ぎる。
あれでは墓の下に埋める骨一つ残らないだろう。
『今日のお嬢さんは随分と不機嫌なようだぜ』
「ああ。いつもはコックピットを外しているのに―――」
アシュレイたち〈魔女狩り部隊〉は魔導遣いとの戦闘を前提に編成された精鋭部隊だ。
〈真空の大火〉とも過去に何度か交戦したことがあったが、彼女は徹底的な不殺主義だった。
攻撃箇所は武装と推進器に限定さている。
ゆえに〈真空の大火〉の撃墜数は桁違いだが、それによる死者は極端に少なかった。
MWとCWに絶対的な性能差があるにしても、生死を賭けた戦いで不殺を貫けるのは間違いなく彼女の実力によるものだろう。
逆に言えば、彼女が不殺をやめてしまった場合、今まで以上の脅威になりうるということだが。
「……その矜持を貫けなくなったか。愚かな」
アシュレイは〈真空の大火〉の掲げる不殺主義が嫌いではなかった。
戦争であっても、死人は少ないほうがいい。
ごく単純な理屈かもしれないが、誰かが死ぬより生きているほうがいい。
そう思える純粋な心を、戦争という狂気の中でもアシュレイは持つことができた。
『こちらハウンド6! 味方機の反応、確認できず―――敵機反応、一一時の方向、距離七〇〇〇。上空映像、送ります―――』
追撃に向かっていた味方が全機やられたことを聞くと、アシュレイは迫りくる死の予感をあらためて実感した。
戦場では常に感じていることだが、今回のそれは桁違いだ。
『かなり消耗しているようだな……。どうやら〈真空の大火〉は長い演目で疲れ切っているようだ。ここらで俺たち〈魔女狩り部隊〉が千秋楽を迎えさせてやろうじゃないか。全機、戦闘態勢に移行―――!』
隊長の号令とともに、各機散開。
ハウンド3のCWは宙を漂うビルの側面に接地し、眼前に浮かぶ巨大な広告看板を遮蔽物にして、背中にマウントされたスナイパーライフルを構えた。
後脚の足先が展開され、固定用の鉄杭がビルのコンクリートに打ち込まれる。
『ハウンド3、狙撃ポイントに到着。美女のハートを射抜く準備はできてるぜ』
広告看板に描かれていたのは、瓶ビール片手に微笑む金髪水着美女だった。
『ヒュー……いいね。勝利の女神が俺に谷間を見せつけてやが―――』
瞬間、ハウンド3の軽口が消えた。
その一秒後、アシュレイたちの後方にて激しい爆発が起き、動力部から光輝く粒子が噴き出す。
FL粒子だ。CWの動力であり、戦場で兵士たちが最期に散らす命の輝きであった。
振り返れば、看板を貫いた熱線がハウンド3の乗っていたCWの胸部を溶かしていた。
そしてハウンド3の生命反応が消失。
『ハウンド3、応答願います! ジャック先輩! いやぁッ!』
ハウンド6の悲鳴が回線に響き渡る。
『全機! 奴は未知の魔導により、こちらの位置をすでに把握している! 遮蔽物も無意味だ! 足を止めると狙い撃ちにされるぞ!』
「なッ……この距離で遮蔽越しに!? 新しい魔導か……くそっ、ハウンド3!」
アシュレイは制御用モニターに拳をぶつけたい気持ちを抑え込み、フットペダルを蹴りつけた。
『連合軍の種馬が死にやがった……クソッタレが!』
『奴の仇は俺たちで取る、必ずな。今は悲しみよりも怒りを身に宿せ』
激情に駆られるハウンド5をハウンド2が制するように前に出て、
『ハウンド2、対魔導シールドを展開。正面に出る!』
『ハウンド6、私も戦線に加わります! 先輩の仇を取らせてください!』
『落ち着け! 君は観測役として後方支援に徹しろ!』
ハウンド2の駆るCWは前脚のローラーを展開。
地面を荒々しく削りながら前進する。
背中の武装マウントのアームが伸びて、両手にアサルトライフルが握られる。
サブアームも同様にサブマシンガンを装着。それら銃口を前方に構えた。
さらに胸部の装甲から傘の骨のような装置が展開し、そこから特殊な電磁フィールド―――対魔導シールドを広げて機体前部を覆う。
魔導由来のエネルギーを分散させる機能を持つ対魔導シールドだが、過信はできない。
「どこから来る……! ハウンド6、敵位置は!?」
『かッ、変わらず一一時の方向……距離、二〇〇〇!』
一つ廃墟のビルを越えるたびに、地獄が近くなっていく感覚がした。
惨たらしく撃墜されたCWの残骸、残骸、残骸、遺体、残骸、肉片、残骸。
そして全てを焼き尽すほどの激しい炎がそこかしこから吹き出し、連鎖的に火災が起きている。
ただの炎ではない。
たとえ酸素のない宇宙空間であっても、発生源が力を発揮し続ける限り決して消えない超常の炎だ。
これこそが〈真空の大火〉たる所以―――。
『ハウンド2、敵機を目視で確認』
『ハウンド5、同じく!』
「ハウンド4、同じく……確認した!」
燃え盛る廃墟のビル群の隙間から、赤い機体は見えた。
鎧を纏った騎士のように完璧な人型のフォルムに、灼熱の炎を纏ったマントがたなびいている。
兵器というには些か合理性が欠けた姿だった。
まるでコミックのヒーローが現実の泥臭い世界に迷い込んできたかのような違和感がそこにはあった。
右腕は破壊されており、無骨で重々しい大剣を左腕の基礎フレームの強度だけで保持しているような状態だ。
全身に銃弾を受け、双眸の片方が抉れて赤いFL粒子の残滓を漏れさせている。
しかし、それでもなお“弱っている”などとは思えないほどの力強さがあった。
〈真空の大火〉の駆るMW―――戦場の殺戮者だ。
『ハウンド4、5はハウンド2の援護射撃に入れ』
隊長の指示とともに、対魔導シールドを展開しているハウンド2が突貫する。
アシュレイはハウンド5とともに両翼に展開し、向こう側にいる赤いMWへ照準を合わせた。
『射撃!』
両翼に展開したハウンド5がいち早く射撃を開始。
射程ギリギリの牽制射撃だが、赤いMWは突貫してきたハウンド2に意識を向けていたのか、その装甲に銃弾を浴びてしまう。
銃弾が赤いMWの装甲に炸裂した瞬間、波紋が装甲表面に広がり、銃弾は弾き出されていく。
MWは液体金属をFL粒子の操作によって装甲表面に張っているため、液体金属が広がっていない推進器や関節部に当たらない限り、火器での撃墜は困難である。
『命中! 敵の反応は鈍っているぞ!』
「続くッ……」
アシュレイも機体を疾駆させて、搭載火器の全てを動員して一斉射撃を開始。
銃弾のほぼすべてが液体金属装甲によって阻まれるも、それはアシュレイの計算内であった。
敵は二方面からの時間差攻撃で防御に徹している。
左腕を前に出し、液体金属装甲ではない関節部をかばっていた。
すなわち逆方向から奇襲を受けた場合、対処できない。
半壊したビルの影から飛び出したハウンド1のCWが、後脚のスラスターを全開にして疾駆。赤いMWの背部をとった。
『美女を後ろから襲うのは気が引けるが……ハウンド3の仇だ』
腰部から拳の二倍ほどの長さの高振動ナイフを手に取ったハウンド1のCWは、そのまま赤いMWに接敵。
赤いMWは反応が遅れたものの、左腕をどうにか動かして大剣を持ち上げ、そのまま振り返りざまに薙ぎ払う。
それは一瞬の攻防だった。
ハウンド1は前脚を深く沈めて、赤いMWの大剣を寸前で回避。高振動ナイフを突き出す。
コックピットのある胸部に向けて、深く―――。
だが、それよりも先に天から降り注いだ炎の槍が、ハウンド1を脳天から右前脚まで貫いた。
そして激しい爆発が起き、ハウンド1の生命反応が消えた。
「隊長……ッ!」
アシュレイには何が起こったのか理解すらもできなかった。
敵がいくら魔導という超常の現象を使う相手であっても、それを使用する際の動作は必ず存在する。
それを見切れば回避だってできる攻撃のはずだった。
いつどこで魔導を発動した―――アシュレイにはそれが見抜けなかった。
それは他の隊員とて同じことだ。
今まで相手にしてきた魔導遣いたちとはわけが違う。
不殺という矜持を捨てた帝国最強の魔導遣いは手のつけようのない、正真正銘の悪魔だ。
『とにかく体勢を立て直す……ッ! ハウンド4、聞いているのか、アシュレイ!』
半ば呆然とした思考のなか、ハウンド2の声が彼を目覚めさせた。
「りょ、了解! そちらに合―――」
しかし遅かった。
直後、アシュレイのCWの左腕は炎の槍に貫かれる。
アシュレイは一〇機以上のMWを撃墜してきた連合軍のエースだ。
しかし戦争しか知らない十七歳の思考はあまりにも未熟で、隊長の死という状況に一秒間“も”狼狽してしまった。
その一秒が戦場では決定的な死亡要因となることを、失念していたのだ。
背後では爆発が起こりコックピットが大きく揺れる。
制御不能となった機体が焦土に崩れていった。
「リン、ネ……」
意識を失う前、アシュレイが口にしたのは最愛の恋人の名前であった。
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