その1
リンネは夢を見ていた。
自分がまだ魔導遣い以外の人生を考えたこともない、暗闇の中にいた頃の記憶だ。
星暦一四一年、天蓋都市連合軍が一時休戦を宣言した頃、リンネは前線を離れて中立地帯である天蓋都市〈グルド98〉へと赴いていた。
リゾート開発が進んだ西部とは反対側の旧市街地、その地下に帝国軍の研究施設はあった。名目上は中立地帯である〈グルド98〉だが、帝国派資産家たちによって旧市街地の土地は私有化されており、そのいくつかは実質的な帝国領として機能している。
コンクリート打ちの天井をいくつもの柱で支えた広大な空間に、白衣着た研究者とローブを纏った魔導遣いたちが共同で研究を行っている。電子機器の上に積まれた魔導書、FL粒子観測機の前で魔導陣を刻む少女たち―――ここは魔導と科学が混在した、世界でも有数の研究機関となっていた。
「博士、軍からリンネ・アーガルベルト大尉がお見えになりました」
研究員の一人がそう言うと、博士は研究書類をテーブルの上に置いて、自らの乱れた白衣を正して前を向く。藍色の髪をワックスで固め上げたオールバックと、彫りの深い顔立ちが特徴的な美男子にも見えた。ガッチリとした筋肉質な体型をしており、研究室よりもアメリカンフットボールのフィールドのほうが似合うような男だった。
正直なところ、彼は研究者ではなく生粋の軍人なのではないかと思うほどの威厳で、相対していたリンネは思わず息を呑んだ。
「君が噂の〈真空の大火〉であり―――」
白髪混じりの藍色の髪を櫛でサッと整えると、コーヒーを一口飲んで早足で前進する。
「僕の娘か」
「はじめまして。第七宙域ヘイムダル要塞方面MW部隊所属、リンネ・アーガルベルト大尉であります」
リンネは窮屈な軍服の胸元を張り出して敬礼をするが、そんな彼女を見て微笑みを浮かべるだけで敬礼を返そうとしない男に奇妙な違和感を覚えた。
「あの……敬礼は……」
「自分の娘にそのようなことはしないさ。たとえここが公的な場所であったとしても、僕にとって君は“大尉”である以前に“娘”なのだから」
「あ、え、っと……そうでありますか……」
魔導遣いの家に生まれて、母親から愛情を注がれたことがない身として、リンネは博士の言葉にどう返せばいいか困惑せずにはいられなかった。家族というものは、血の繋がりというものは、そこまで大切なことなのだろうか。
「会いに来てくれて嬉しいよ。僕の名前はガラルド・イヴァン。帝国軍特秘魔導研究施設〈ファクトリー〉の所長をやっている」
そう言ってガラルドはリンネを抱き寄せた。
「ひゃ、え、えっと……」
不思議な感覚だった。今まで自分のことを魔導遣いだと恐れて触れることすら誰もしようとしなかったのに、こうも簡単に抱き寄せてくる人間がいたのだから驚きだ。怖くはないのだろうか、恐れはしないのだろうか。
リンネは戸惑わずにはいられなかった。
「今まで父親らしいことを何一つできずに、本当にすまなかった」
「い、いえ……」
父親らしいこととは何なのだろう。魔導遣いの夫は屋敷にすら入れない以上、自分の娘がどう育ったのかすらろくに分からないまま、手切れ金を渡されるのがこの世界の常だというのに。いったい何をしようとしているのか。
「わ、私が来たのは転生魔導術式の体系化と技術提供のためであって―――」
リンネには“子供は両親から愛情を注がれて育てられる”という当たり前の認識がなかったため、謝られたところで何も思うはずもなかった。
「そうだ、リンネ」
ガラルドはポケットからショットガンの弾のような形の何かを取り出して、リンネに渡した。
「これは何ですか? 研究に必要な資材とは思え……」
「口紅さ。リンネぐらいの年頃の女の子となると、化粧品の一つも持ちたくなるだろうと思ってさ」
「え、化粧……?」
「誕生日プレゼントだ」
一瞬、なにがなんだか分からなくなった。自分は目の前の研究者に対して何か恩を売るようなことをしたのか。人違いで渡しているのか。見返りを求めてきているのか。打算的な考えがいくつも浮かんだ。
だって、何の理由もなく他人に物を無償で提供するなど、ありえないのだから。
「誕生日は人にとっては特別な日なんだ。生まれてきてくれてありがとう、その感謝を込めて親が子供に送るもの……それが誕生日プレゼントさ」
「生まれてきてくれて、ありがとう……? 戦果を上げたことへの感謝、でしょうか?」
「戦果なんて関係ない。リンネがこの世に生まれてきたこと、それ自体への感謝さ」
訳が分からなかった。
魔導遣いとして何かしたわけでもないのに、どうして。何度もリンネは自問自答した。そのうち胸の中が暖かくなり、それが喜びだと気づいた頃には理解していた。これが家族というものなのではないか、と。
「……ありがとう、ございます」
この感情こそが、魔導遣いの修練や戦場などで忘れていた、人間らしいものなのではないかと。リンネはそのとき初めて気がついた。人と人との繋がり、その温かさに。
だから自然と涙がこぼれ落ちてきた。
「リンネ、今日から僕は君のお父さんだ。だからなんでも言ってくれ」
「本当に、いいのですか?」
「ああ、遠慮するな。それが家族というものだからな」
それが全ての始まりだった。
「はい! お父様……!」
胸の内に湧き出した温かな想いを抱きしめて、リンネは元気よくそう言った。
深い眠りが覚めた頃、リンネは静かに瞳を開けて、目の前の真っ白な天井を見つめた。
「ようやく目が覚めたか。ようこそ、VIPルームへ」
その声は復興区画で激戦を繰り広げたキリエとかいう魔導遣いのものだった。リンネは見開き、声のする真横へ視線を向ける。しかしそこにいたのは寝袋のようなものに全身を覆われて、辛うじて頭だけ出して不機嫌そうな面を見せる美少女だった。キリエらしき女性の姿は見当たらない。
「あなたは……」
「は?」
「いや、あなた誰ですか?」
別に記憶喪失したわけではない。ただ、目の前にいる緑髪の少女が、あまりにもイメージからかけ離れた存在だったからである。その瞳は大きく美しく、そして輝いていた。まるで穢れを知らない聖女のような麗しさだ。
「いや、オレだよ、オレオレ!」
「……詐欺ですか? あなたがそんなに可愛いわけないでしょう。サングラスかけたビキニの露出狂で、クチャクチャとお行儀の悪い下品な食べ方をして、暴言と暴力をほぼ同時に繰り出してくるような狂人が、そんなに可愛い顔をしているわけないじゃないですか」
「てめぇ、ブッ殺すぞ」
それからしばらくの問答の後、ようやく目の前の美少女がキリエであると認識できた。太古の昔に滅亡したはずのティラノサウルスが、実は人類の祖先だったということのほうがまだ信じられるが、残念ながら事実だと証明されてしまったようだ。
「……だからサングラスしてんだよ。こんな顔だと舐められッからよ」
「そうですか」
あの後、第二十三艦隊と合流した後、一時的にリンネは拘束される身となった。元帝国軍のエースなのは乗機のアグニヴァールでバレていたし、リンネも承知の上だ。そして麻酔で眠っている間に寝袋のような拘束具(全体が対魔導素材でできており、魔導を用いた行動の一切が制限されるもの)をつけられて、艦内にて隔離されている。
「彼氏に裏切られたのかもなァ」
「いえ、当然の処置です。私は元帝国軍所属の魔導遣い。あなたは帝国軍残党に雇われていた傭兵。いずれも敵ではないといくら主張しても、信じてもらえるわけありません」
ましてや魔導遣いは人々から畏れられる存在だ。この部屋だって一見なんてことのない空き部屋だが、対魔導加工が部屋一面にされているのが分かった。
「まぁアシュレイの交渉が進めば、私のほうは問題ないと思いますよ」
「冷静なこって……もっと取り乱せば面白かったのによォ」
「あいにく、あなたのように知性と品性の欠片もなく喚き散らすような、趣味は持っていませんので」
「オイオイ、股からタケノコぶっ刺して脳天まで貫き抉って欲しそうな口ぶりじゃねぇか。いい度胸だぜ、ブッ殺してやる」
「幼年学校の子供のような可愛らしい顔で言われても、ぷぷっ……微笑んでしまうだけですよ。脅迫にすらなっていませんが?」
「見た目が小学校低学年のような奴に言われたかねぇんだが? ランドセルをお忘れのようだが?」
「好きでこの体に転生したわけじゃないんですけどねぇ!」
拘束具で二人とも身動きが取れないなか、芋虫のような動きで近づいていくと、互いに頭突きで攻撃をし始める。腹筋を使って体を逸らせて、頭部を鈍器代わりにして互いを殴り続ける醜い争いだ。
「死ね! 死ね! 死ね!」
「品性! 下劣! 暴力女!」
だがそのような攻撃が決定打になるはずもなく、互いに体力を無意味に消耗し続けた挙句、ほぼ同時に息を切らして止まった。
「ぜぇはぁっ……はぁっ……クソッ」
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……もうっ」
魔導遣いとはいえ、魔導を封じられたらこんなものだ。
「畜生……お前、なかなかやるな……へっ、見直したぜ」
「いやなんで友情芽生えたみたいに言ってるんですか、嫌ですからね私は」
「なんでオレに対してそんなに辛辣なんだよ。嫌われることしたか、オレ?」
「あなた、私を殺そうとしてきたじゃないですか。あと自分の価値観押し付けまくってきましたよね。そりゃ根に持ちますよ」
「あ、そうか! そうだったな!」
思い出したように叫んだキリエに、リンネは怒りを通り越した呆れを抱き、ジトッとした目で見つめる。こいつ相当頭が悪いぞ、と。
「あなたにとってはただの仕事なんでしょうけど、私にとっては……これでようやくアシュレイと一緒に平和に暮らせたのに」
そう口に出すと、どうしてか悔しくなって涙が止まらなくなった。リンネは掠れた声で言葉を紡ぎ続ける。
「魔導遣いになんてなりたくなかった……! 戦争だってしたくなかった! ただ私は人間らしくありたいだけだったのに。それも許してくれないのですか、あなたは!」
「さぁな。オレ個人はテメェだって幸せになって欲しいと思うぜ? 本当さ。オレは自分とは無関係の人間は幸せでいて欲しいって願うことにしている。他人の幸福を疎ましいと思うほど陰気な人間にはなりたかねぇからな。だがオレが雇われて、テメェを始末しに来たってことはよ。この世界はテメェの行いを許しちゃいねぇってことだろうさ」
「どうしてですか! どうしてこんな、私に……」
すぐ傍にアシュレイがいないと、どうしても弱音が口から漏れ出してしまう。考えても仕方のないこと、受け入れること、ケジメをつけなきゃいけないこと。すべて分かっているのに。
リンネが嗚咽を漏らす様子を見て、そっと優しい言葉が喉の奥から出かけたキリエだったが、それを飲み込んで静かに言った。
「全部、テメェが選んだ道の結果だろ」
「え……それは、そう、です」
「オレはテメェのことをスゲー強い魔導遣いだとしか知らねぇ。だが、魔導遣いとして生きることを決めたのも、戦争に参加したのも、全部テメェの選択だろうが」
「だけど戦争を断れば、一族が罰せられて……」
「一族を見捨てりゃ良かったろうが。だが、テメェは選択しなかった。全部上手くやったつもりだろうが、そうじゃねぇ。テメェは戦争に加担し出世した。その結果、一族は罰せられずに済んだろうが、テメェのせいで戦局は変わった。良くも悪くもテメェは戦争に関わりすぎた。その結果が今の苦しみなんだろうさ。まぁオレからしたら羨ましいぐらいだがな」
キリエの瞳には刃のような鋭さがあった。
「争いごとで功名を積み上げていく。それがオレたち魔導遣いらしい生き方だ。だが、それを拒否しながらも、魔導遣いとして生きていく道を一度でも選んだのなら嘆くな。たとえ生まれが不幸だとしても、不幸のヒロインになろうとするんじゃねぇ」
「…………」
「ケジメをつけろってことだ、自分の選択に対してな」
この言葉に関して言えば、リンネはキリエのことを“ひどい人間”と思うことはできなかった。キリエの言っていることは正論だ。言い訳ならいくらでもできる。だが結局は自分が選んだ結果であり、人間らしく生きたいと願ったがゆえの責任でもあるのだ。
「あまり多くのことを求めすぎるなよ。苦しくなるぜ」
そう言ってキリエはリンネから視線を外して背中を向けた。
「まぁ、戦闘のときに言い過ぎたことは謝る。そのついでに一つ教えてやるよ。テメェがどこにいるか分かった理由―――」
そして彼女は真実を口にする。
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