その1
第七特務部隊―――通称〈魔女狩り部隊〉所属、アシュレイ・シモンズ少尉は、同隊の隊長の命を受け、バーで美女をナンパしようとしていた。
いわく「特務隊で未だに童貞の男がいると、それだけで全体の士気に関わる」とのことだが、アシュレイにはその作戦指示の意図が全く理解できなかった。
そもそも“童貞”という言葉が何なのかも、アシュレイには分からないのだから。
かといって上官からの命に背くわけにもいかず、意を決して孤独の進軍を開始していたのだ。
「敵前逃亡は重罪だ。やるしかない」
アシュレイは振り返る。そこでは自分たちの様子を面白おかしく笑っている他の隊員たちがいた。
まるで敵前逃亡する瞬間を待ちわびているかのように。
だからこそ撤退する気にはならなかった。
自らを奮い立たせ、未知なる脅威へと挑む覚悟を決める。
決して高いとは言えない背丈が少しでも高くに見えるよう背筋をピンと張り、寝ぐせが酷い黒髪をササッと整える。
身に纏っている軍服にシワがないかチェックして完了。
三歩のうちにやれることなど、これが限界だ。
ここから先はアシュレイの外見ではなく、喉の奥から吐き出される男としての器量とユーモアが勝敗を左右する。
「あ、あの……」
声をかけた背中はピクリを動く。
バーのカウンターの木目に視線を落としていた虚ろげな瞳が、アシュレイのほうを向いた。
腰まで伸びた藍の髪が揺れ、両目の半分ほどを隠す長い前髪の隙間から垣間見えるエメラルドの眼差し。
白磁のように透き通った肌の指先が、カーディガンの袖口から見え隠れしていた。
赤チェックのスカートから伸びた脚は肉付きがよく、健康体であると一目で分かる。
今まで見た誰よりも可憐で麗らかな美女……いや、幼さを感じさせるその顔立ちは、どちらかといえば美少女と表現するべきであっただろう。
おそらく十代後半、アシュレイと同じぐらいの年齢のようだ。
外野からは早くも
「おいおい、予想以上に上玉じゃねぇか。というか学生か? なぜ学生がバーにいる?」
「いずれにせよ戦力差がありすぎるな」
「あの胸、Gはある、いやHにも見える……」
「アシュレイの奴、俺たちの悪ノリに付き合わされるなんて不憫な野郎だ」
「男って本当クソだわ……」
などと、湧き上がっている。
しかしそんな後方の盛り上がりも、アシュレイにとってはどうでも良かった。
敵を目の前にすれば、どう立ち向かえばいいか思考せずとも分かる。
まずは前進、そして射程距離ギリギリで牽制射撃―――隙ができたところで距離を詰めて、素早く白兵戦で仕留める……これがセオリーだ。
牽制射撃で相手がどう出てくるかで、立ち回りを変えて臨機応変に対応する。
だが、どう考えても目の前の美少女は白兵戦では“落とせない”。
アシュレイは六歳で家族を失って孤児となり、軍に入隊し前線へ出て戦果を上げてきた。
思えばその間、アシュレイは戦うことばかり考えてきた。
そもそもこの世に男と女の二種類の性別があって、恋愛という言葉が存在することさえも意識したことなかったのだ。
相対した人間が男か女か以前に、敵か味方かと反射的に考えてしまう。そんな人間なのだ。だからこそ固まるし、声を出そうとすると詰まる。すなわち緊張していた。
「一緒に、おは、おはな、ッ……」
なんたる失態だ。噛んでしまった。
「貴方」
振り返った美少女は、慣れない戦場に引きずり出されて狼狽えているアシュレイの瞳をまっすぐ見て言った。
「私は不満を抱いています」
「は、はぁ……」
「ガッツリ食べられる料理を目当てに来たのですが、ここにはお酒とそのアテしかありません。山盛りカレーライスや、カツ丼を期待していたのですが……」
よく見れば美少女の手前には、フィッシュフライと棒状のフライドポテトが山盛りになって置いてあった。
その横に添えられているのはオレンジジュース。
どうやらバーに飲みに来たわけではなく、空き腹を満たしに来ただけのようだった。
バーの三軒隣にハンバーガーのチェーン店があったはずだが、なぜそちらに行かなかったのか。
アシュレイは疑問に思いながらも、美少女の語りを聞いていた。
なにしろ彼女の潤った唇は妙に色っぽく、心臓の鼓動が妙な高鳴りを見せていたわけで、そのようなツッコミをする余裕がなかったのだ。
「せめて、他者との会話によって心だけでも満たして帰りたいと思うのはワガママでしょうか?」
「え、や、どーだろう……」
「貴方、私の話し相手になってくれませんか?」
「え、いや、俺が?」
「そうです。貴方は面白い髪型をしていますね。実験に失敗して黒焦げになったような見た目……可愛らしいですよ」
「あ、ああ、ありがとう……あんたも、その、素敵だ。その髪色」
美少女は頬を赤らめながらも余裕を崩すことなく、その百倍真っ赤になった顔を床に向けて慌てふためくアシュレイに顔を近づけた。
床に視線を向けている彼に、あえて視線が合うように懐に潜り込んで、彼女はこう言った。
「ふふふ、ありがとうございます、貴方」
その口調はともかく、外見は息を呑む可憐さだった。
言葉が出なく、胸の奥底から湧き出した何かが喉付近で静かに暴れている。
ドクンドクンと脈打つ心臓の鼓動が、皮下で感じ取られた。
アシュレイは恋などしたことがなかったので分からなかったが、これは俗にいう一目惚れだと誰もが口をそろえて言う案件であった。
「で、返事は如何なさいますか? 私が話し相手では不満でしょうか?」
「い、いや、喜んで、喜んで!」
「ありがとうございます。さぁお互いのことを語り合いましょう、存分に」
「え、え!?」
「私の名前はリンネ。リンネ・アーガルベルトです。貴方のお名前は?」
「あ、あー……」
なぜかナンパした人間に奢られるという奇妙な状況に対し、一言もコメントができないまま会話の流れは互いの自己紹介へと移行していく。
「俺はアシュレイ・シモンズ。見ての通り軍人だ……とはいっても今は非番だが」
結論から言えば、会話は物凄く弾んだ。
リンネはどうやら“いいとこのお嬢様”らしい。外の世界をまるで知らないまま育ったため、バーという存在も今まで知らなかったようだ。
アシュレイも青春の日々を戦争に費やしてそれ以外のことはサッパリだったため、どこか二人には通ずるところがあったのだろう。
ただ一つ失敗したことは、アシュレイが自身の緊張を和らげようと、ビールを大量に飲んでしまったことだ。
そのせいで途中から会話が成立しないほど泥酔したアシュレイは、リンネの大きな胸に顔を埋めるかたちで意識を失った。
いい感じだったのに、最後の最後で不甲斐ないところを見せてしまった。
(あ、やわらかい……じゃない、くそ、なにを、俺は……して……)
アシュレイは消えていく意識の中で壮絶に後悔していた。
きっと目が覚めたときには軍の宿舎で、隊員たちの呆れ顔が待っていることだろう。
「……ん」
「ようやく目覚めましたね、貴方」
しかし次に目が覚めた場所は、軍の宿舎などではなかった。健康的で肉付きのいい―――柔らかな太ももの上で、目の前には昨晩の美少女の顔がある。
いったいどういうことだと、アシュレイは何度も瞬きをして目の前の光景の現実性を確認した。
「なァ!?」
「よしよし。寝顔も可愛いですよ、貴方」
真夜中の公園。噴水前のベンチに座っていたリンネは、アシュレイを膝の上で寝かせていたのだ。そして狼狽える彼の頭を優しく撫でる。猫のように。
時計台の短針は深夜一時を示していた。驚くアシュレイに構わず、リンネは静かに言葉を続ける。
「貴方が意識を失ってから、公園に運んで介抱をしていました」
「あ、ありが、とう……」
「ええ」
リンネは夜空に浮かぶ星々を眺めながらそう言った。
重力制御によって成立している人工の大地の上に、大気シールドという透明な天蓋が広がっている。その向こう側にて煌めく星々の光が、優しく二人を照らしていた。
ここは天蓋都市―――宇宙に浮かぶ人工居住区だ。時代は西暦から“星暦”へと移り変わり、人は地球と月の間に無数の天蓋都市を建造した。
しかしそれでも人類の本質は変わらない。
相容れない思想や立場、あるいは思い違いから争いが生まれ、そして戦争という最悪の災禍を世界に拡散していく。
今この時代のように。
「たしか俺、意識を失う直前、君に向かって倒れて……」
「本当に面白い人です、貴方は。私の胸がそんなに気に入りましたか?」
「あ! いや、あれは事故で……俺の失態だ。俺は……ッ! 君という女性に不埒なことをしてしまったッ…………自首する。警察に行き、自首する。そして軍法会議で裁かれる。 これは重罪だ……」
アシュレイは幽鬼のような挙動でゆらりと立ち上がる。
かなり動揺しているのか、言っていることが支離滅裂だ。
「そこまで嫌じゃなかったですよ?」
「それでも君の胸を許可なしに触った罪は重い……」
「で、あれば……」
リンネは笑みを浮かべて立ち上がり、呆然とするアシュレイの右手を掴んで自分の胸に引き寄せた。
柔らかな感触が手のひらに広がり、ぎゅっと奥まで沈み込んでいく。
「許可します」
「はぁ!?」
「私の胸に貴方が触れることを許可します。これなら貴方が私に不埒な行いをしたという事実も消え、貴方の心の中に渦巻くモヤモヤも消え去りますでしょう?」
リンネは悪戯っぽくそう言った。
浮かべた笑顔はこの世の何よりも美しく見え、アシュレイにとって今までにない感覚―――恋という言葉を世界一わかりやすいかたちで提示していた。
「あ……」
開いた口が塞がらない。
戦争が終わったあとのことが想像できないでいたアシュレイにとって、目の前の相手はまさに“未来”であった。
あるいは戦うことに疲れていた彼が見つけた、別の可能性だったかもしれない。
「んっ……貴方は本当にお好きなんですね、私の胸」
「あ、ああ! すまん……すまん……嫌いじゃないって、だけだ……すまん」
慌ててアシュレイは手を引いて、リンネに何度も頭を下げた。
「許可したのですから遠慮しないでください、貴方」
「んんッ……く!」
この美少女は自分の反応を面白がっているのか。アシュレイはなんとも言えない悔しさを胸に押し込めつつ、
「あらためて礼を言う。ありがとう、リンネさん。あなたには助けられてばかりだ……なにか返せるものがあればいいが、あいにく今の俺には何もなくて」
「そうですね―――」
リンネは一歩前に出て両手を大きく広げて、アシュレイの体をギュッと強く抱き寄せる。突然のことにアシュレイは抵抗も反応もできず、されるがままに耳元でその言葉を囁かれた。
「もし、貴方が私に惚れていらっしゃるのでしたら、ひとつ頼みがあります」
「惚れ……ッ」
ていない、とは言えなかった。だって惚れているのだから。
「私に恋を教えてくださいませんか?」
その言葉に頷いたことが全ての始まりだった。
愛と絶望の奇妙な恋物語の―――。
星暦一四一年、人類は戦争の渦中にいた。
オーディアス朝月面帝国の抑圧的支配と貧富の格差拡大から噴出した人々の不満は、天蓋都市連合という反帝国勢力の誕生に繋がった。
そうして起きた第三次太陽系統一戦争は五年以上におよぶ激戦の末、両勢力の戦力的疲弊というかたちで停滞していた。
連合との和平を望む帝国一派が勢いを強め、帝国は内部崩壊の様相を呈していた。
連合側は帝国の穏健派と協調路線を歩むため、前線での一時休戦を宣言。
終戦に向けて動き始めていた。
アシュレイたち〈魔女狩り部隊〉も中立地帯である天蓋都市〈グルド98〉で、四ヶ月間の待機任務を言い渡されていた。
実質的な長期休暇であり、隊員たちは終戦前の休暇を楽しんでいた。
もっとも、アシュレイ自身は、その休暇の過ごし方を知らずに戸惑っていただけであったが。
そんなときに、アシュレイはリンネ・アーガルベルトと出会った。
戦争によって消し去られていた彼の青春の足音が、少しずつ戻ってきた。
―――が、その四ヶ月後、戦端は再び開かれる
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