突然の
たい焼き屋さんは、神族三人にも動じない。早速たい焼きを焼いている。突然バイトを辞めたことを謝ったが、わたしが天宮へつれていかれたのはこの町のひとには周知の事実らしく、いいよいいよと優しく微笑まれただけだった。
香ばしい、いい香りがしてくる。ここのはあんに、とてもいい小豆をつかっているのだ。だから、うまみは深いがしつこくなく、すっきりした味わいになる。お砂糖は、厳選した数種類をブレンドし、季節に合わせてかえている。気温や湿度などで人間の味覚はかわるから、それにあわせて味のほうを調整してくれるという心遣いが憎い。
ワゴンの前で待っている。親父さんは手際よく、たい焼きの型をくるくるまわしている。
「あづまくん」
「はい」
答えるが、わたしはたい焼きが焼ける様子を見るのに夢中だ。だって、長い間、これを見られなかった。もう少しバイトしたら、焼くのもさせてくれるという約束だったのに、学園へ行くからそれがだめになってしまった。
「ほいよ、あーちゃん」
「ありがとう、親父さん」
たい焼き屋さんは、バイトには親父さんと呼ばせるのだ。彼はにやっとした。
わたしは紙に包まれたたい焼きをうけとり、すぐにかじる。
表面がかりっとした生地は、黄色っぽくてたまごが多い。ふわっとしているが、ふわっとしすぎていないもちもち系の生地だ。
香りが鼻にぬけ、口のなかに甘みがひろがる。甘みは多層的で、三回、波が来る。香りは、トップノートは勿論たい焼きの生地の焼ける香り、ミドルノートは小豆の芳醇な香り、アウトノートはひえたハーブティのような、複雑ですっきりした香りが一瞬だけ。
ああ、おいしい。どうしてこんなにおいしいんだろう、たい焼きって。
「親父さん、五箱ちょうだい」
「五?」
「五。持って帰るから」
帝さま達を振り返る。「帝さま、このみさま、火風さま、ここのたい焼きはとってもおいしいんですよ。召し上がってください。おごります」
「あ……ああ」
帝さまが答え、このみさまが小さく溜め息を吐いた。火風さまはくすくすしている。
「わたくし、あなたがわからないわ、あづまさん」
「え?」
「いえ、わたくし達神族の考えで推し量るべきじゃなかったのでしょうね」
このみさまはそういって、にこっとした。「ぜひ、戴きたいわ。あなたが毎日食べたがるたい焼きがどんなものか、ためしてみたい」
ひと言でいうと、たい焼きは三人にも好評だった。特に、火風さまは目をまんまるにして、ひとつ、ぺろっと食べてしまった。このみさまや帝さまも、おいしいといってくれた。
「でしょう」
胸を張る。別に、わたしの手柄ではないのだが。「ここのたい焼きは、日本で五本の指にはいるおいしさです。材料は最上級だし、親父さんが手間ひまをおしまずに、あんから丁寧につくってるんですよ」
それで、ひとつ240円なのだ。価格破壊である。
「あづまさんの体操が、異形族みたいに上手なのは、ここのたい焼きのおかげ?」
火風さまがふたつ目のたい焼きを食べながら訊いてくる。わたしはこっくり頷いた。
「試合の前には食べていましたし、試合のあとにも食べていました。練習の前にも、あとにも。それに、移動中とか、朝ご飯のかわりとか、おやつとか、お弁当とか、親に頼んで運動会に持ってきてもらったり」
「まあ、ほとんどいつでもということじゃない」
このみさまがそういって、くすくすした。とても楽しそうだ。帝さまが、口の端についたあんを指で拭う。
「あ、居た!」
「あづまさん」
声に目を遣ると、聖さまと戦原さまだった。ふたり揃ってやってくる。
聖さまの宝石のような目が、涙でうるうるしていた。いつもあおじろい肌が、今日はいつにもましてあおい。
戦原さまはというと、こちらは血色がよく、金の垂れ目をご機嫌らしく半月の形にしていた。
「あづまさん、君が朱月とデートに行ったって聴いたから、移動室の職員をおどし……説得して、君達の行き先を訊いてきたんだよ」
「ここってお前の地元だろ? いいとこじゃん」
「あづまさん、どうして僕とのデートはしてくれないのに、朱月とはするの? 朱月、君もどうして、鏡守さんが居るのにあづまさんにまで粉をかけるのさ」
「おう、火風にこのみじゃねえか」
「鏡守と呼んでくださいと申した筈ですわ、戦原さま」
帝さまがもごもごいう。たい焼きを頬張っているからなにをいっているかわからない。聖さまが呆れた顔でそれを見てから、わたしを向いた。
「あれ、あづまさん、おいしそうなものを持ってるね」
「お前以外にも鏡守は居るだろ」
「それをおっしゃるなら、このみという名前もめずらしくはございません」
「はい、おいしいですよ! 聖さまもいかがですか?」
「え、いいの? わあ、嬉しいなあ、あづまさんから食べものをもらえるなんて」
「じゃあ鏡守このみ」
「敬称をつけようという気はございませんのね」
「あづまくん」
たい焼きをのみこんだ帝さまがいい、ほか全員が黙った。わたしが渡したたい焼きをかじった格好で、聖さまはかたまっている。
帝さまは小さめだけれど、しっかりとおっしゃった。
「結婚して我が家へはいってほしい」