たい焼きを求めて……
抱き枕を抱えてごろごろした。これは、実家から持ってこられたものだ。わたしがここへ送致されたあと、持ち込み可のものだけ運ばれてきた。それができて、どうしてたい焼きの型を持ってこられないのか。
たい焼きの形をしたの抱き枕だ。甘い匂いの柔軟剤の香りは、もううすれた。あんこ……。
起き上がって思いっきり洟をかんだ瞬間、誰かが部屋のドアをノックした。「あづまさん?」
「はい」
袖で目許を拭って、洟をすすりながらベッドを降りた。泣きすぎて耳がぼーっとしており、よく聴こえない。先生かな。ちなみに、教師も職員もアウラはまったくなく、男女両方居る。もし生徒と色恋沙汰になったら即逮捕、という厳しい労働環境だ。
涙を拭いながらドアを開けると、絹糸みたいな長い黒髪の女の子が立っていた。
しっとりと豊かな髪は、上半分を頭の左右で大きめのお団子をつくり、下半分は垂らしている。床に届きそうなくらい長い。
細面で、唇は紅をさしたようだ。黒目がちで、どこを見ているかいまいちわからない。身長は170cm以上。すらっとした体型だ。
「……副会長」
「まあ、泣いていらしたの?」
副会長の、このみさまだ。神族の女子生徒。このひとが、わたしを助けてくれるかもしれないひとである。
わたしはけれど、喜べない、だって、たい焼きないし。
このみさまは、制服のポケットから優雅にハンカチをとり、さしだした。わたしがぼーっとしていると、顔を拭ってくれる。「まあ、まあ。淑女がこんなに泣くものではありませんわ」
「ごめんなさい」
「いえ、怒っているのではないのよ」
わたしは洟をすする。このみさまはポケットティッシュをくれた。わたしは大きな音をたててはなをかみ、このみさまはふふっと笑った。
本来、一週間目でこのみさまがこんなふうに笑ってくれることはない。
主人公ちゃんは学園到着直後、メイン攻略対象である帝朱月という名字も名前もイカつすぎな銀のベリーロングイケメンとばったり会う。
ていうか、動揺した主人公ちゃんが逃げようとして、帝さまにぶつかり、主人公ちゃんが気を失ってしまったので部屋までお姫様抱っこで送ってあげる、というくだりがある。
このみさまは帝さまのことが好きなので、これが面白くない。なにかと主人公と対立し、帝さまルートではいろんなイベントで顔を合わせることになる。
といってもそこは乙女ゲーム、意地悪されたりすることはなく、ライバル宣言されて正々堂々戦うか尻込みするかの選択肢が出るくらいのものだ。尻込みすると帝さまに「奥床しい」と思われるし、うけてたてば「勇気がある」と誉められる。その後のイベントが分岐するだけのことである。
だがわたしはその記憶がある。だから、このみさまと帝さまを穏便にくっつける為、帝さまとは出会わないように、たい焼きの匂いが残る箱を大事に抱え、職員の指示に従って移動した。
のだが、帝さまが偶然、わたしの通る廊下に居た。で、わたしを見た瞬間ふきだして笑った。
そのあと咳をしてごまかしていたが、絶対に笑われた。どうして笑われたのか、謎なのだが、とにかく笑われたのだ。
それで、帝さまは罪悪感を覚えてしまったらしい。職員さん達にわたしのことを尋ね、わたしが送ろうといって、わたしを抱え、部屋まで運んだ。室内履きが汚れたら可哀相だから、といって。だからまあ、おそらく部屋着に室内履きだったのが面白かったのだろう。
その後も、毎日のように顔を合わせる。その度、なにか困ったことはないか、と訊いてくださるので、たい焼きを食べたいと相談した。帝さまはなにかをこらえているような顔をしていた。もしかしたら、帝さまもたい焼きがお好きなのかもしれない。
そんなふうに、不本意ながら帝さまと接点ができてしまったので、当然このみさまにはきらわれると思っていた。
しかし、実際はその逆だ。このみさまも、帝さま同様、なにかにつけわたしに便宜を図ってくれる。たい焼きのことも相談したのだが、副会長であるこのみさまでもどうにもならないらしい。おかしな話だ。
はなをかんだティッシュを、室内のくずいれへ捨てた。このみさまがわたしの部屋を覗きこみ、目をぱちくりさせる。「なにか?」
「あ。あの……かわった形のクッションね」
「あれがたい焼きです」
胸を張る。このみさまは苦笑みたいな顔になった。
このみさまは、ご飯に誘ってくれた。いつの間にかお午になっていたのだ。わたしは顔を洗って、部屋着のまま、小さなたい焼きクッションを抱えて食堂へ行った。その間、このみさまはちょっと頬をひくつかせながら、わたしをはげますようなことをいってくれる。
「淋しいのはわかるけれど……ああ、いいえ、わたくしは家族と縁を切った訳ではないから、本当の意味ではわからないけれど、でも、あなたがそういうふうに泣いてしまうのは当然のことなのよ。とてもあたたかい、優しいご家族だったのでしょう」
頷く。食べたいだけたい焼きを買ってくれる、最高の親だった。あんなに尊敬できるひと達は居ない。弟も、わたしの元気がないと、少ないお小遣いからたい焼きを買ってくれたこともあったし。
このみさまは、わたしの髪の毛を耳にかける。
「でも、あなたがずっと泣いていたら、ご家族が心配してしまうわ。なにかあったら、わたしが力になります。朱月さまもいらっしゃるわ。だから安心して」
「……はい」
「なにか、召し上がりたいものはある?」
「たいやき……」
このみさまが顔を背けた。肩が震えている。もしかしたら、わたしがあまりに情けない顔をしていて、優しいこのみさまはもらい泣きしてしまったのかもしれない。もっとしゃっきりしないと。