恋愛エンディング・聖
綺麗な水と、綺麗な妻と、可愛い子ども達。これ以上に必要なものはなにもない。
妻のあづまがとびはねるようにしてやってきた。「旦那さま、これ、これ、はやく網!」
子どもらがきゃーっと叫びながらまわりをとびまわっている。手を叩き、ころげまわり、大騒動だ。
僕は妻が捕まえてきたたこを網に捕り、掲げた。
「ほら、今夜はお母さまがたこ焼きをしてくれるよ」
きゃーっ、と子どもらは元気だ。妻は手についた吸盤の痕を見てくすくす笑い、子どもらにそれを見せて笑わせている。
乳母達が走ってきて、子どもらを捕まえた。昼寝の時間だそうだ。子どもらは不満そうだが、ひったてられていく。なかにはすでに眠ってしまっている子も居て、乳母に負ぶわれていた。
「大丈夫? あづま?」
「はい、もうよくなりました」
うっすら跡の残る手を見せてくれた。僕はその、小さな手をとって、ちゅっと口付ける。
「こんなことまでしなくてもいいんだよ」
「でも、あの子達喜びますもの」
あづまはからからと笑う。その笑顔が、ひどくまぶしい。
妻と知り合ったのは、天宮学園でだ。
天宮学園には、アウラをわずかに持った人間の女生徒が、大勢居る。その多くが、幼少期にアウラが発覚し、天宮学園でずっと過ごしてきた子だ。なかには、十歳を過ぎてから転入してくる子も居るけれど、十六歳にもなって来る子はめずらしい。
その上、あづまはあの帝朱月や、鏡守このみと親しくしていた。
多分、妻には呆れられてしまうから、いったことはないが、あの学園に居るのは僕や朱月のようないい家柄の男子生徒を狙っている子ばかりだ。
僕にしても朱月にしても、勿論将来家を継ぐ者としての義務があるから、それをいやだと思ってはいけない。寧ろ、子どもを得る為には彼女達の誰かで手を打たなくてはいけなかった訳で、だからありがたいと思うべきだった。
でも、そうは思えなかったのだ。
天宮学園では、女生徒に無駄な知識を教えすぎだと思う。僕が妻に求めていたのはたったみっつだけだ。年相応の美しさと、健康な肉体と、僕をないがしろにしない優しさ。それさえあれば、究極をいえば子どもをうんでくれなくたっていい。
知識を多く持って、頭でっかちになった女性に、魅力はない。そう思っていた。
でも、あづまはそんな僕の考えをかえてくれた。
僕は、女性に関しては、そこまで厳しくはないつもりだ。「どうしてもゆるせないこと」が多すぎると、父からお説教されたことはあるが、だからってどうだというのだろう。
誰だって、いやなことはある。僕は女性が大口を開けて欠伸をするのはみっともないと思うし、女性が肌をさらす格好でスポーツにいそしむのはいかがわしいと思う。それに、女性が家事をできないのは致命的だ。
だから、はじめ、あづまが転入してきたばかりの頃、僕は彼女にそこまで注目していた訳ではない。彼女は食堂でよく見かけたのだが、淑女らしからぬ大きな声で鯛の話を職員にしていて、辟易したものだ。
でも、あの生意気でいけ好かない性悪の三ノ院瑠奈が、僕の蒙を啓く手助けをしてくれた。
あづまはあの三ノ院に、目をつけられていた。それは、あづまが可愛らしいからだ。そして、人間の女生徒達からは孤立していた。あづまは十六歳まで、家族に大切にされて育った。そのことが、物心つく前から家族と引き離されて育った大半の女生徒には、不公平に思えたのだろう。
三ノ院は、そういうはぐれ者が、それなのに朱月や鏡守このみと親しくしているのを、やっかんでいた。
三ノ院がなにをしたかったのか、僕にはよくわからないが、あづまを追い詰めて体調を崩すつもりだったのではないかと思っている。
今まで鏡守このみだけがライバルだと思っていたのに、あづまという魅力的な女性が出てきて、朱月を魅了しはじめたのだ。朱月にご執心だった三ノ院には、あづまは相当目障りだったに違いない。
それで、三ノ院はあづまに陰湿ないやがらせをした。あづまの好物を、絶対に提供するなと、職員を脅していたのだ。
それを知るのはずっと後のことだが、三ノ院があづまに難癖をつけ、土下座しろと騒いだ場には、僕も居た。朱月のばかが対応を誤った所為で、あづまは大変まずい立場に追い込まれたのだ。三ノ院は愚かなことに、あづまと鏡守このみに謝罪を要求していた。
でも、あづまは平然としていた。そして、僕は彼女と、朱月との会話を、聴いてしまった。彼女はとても小さい声で、自分が謝るのは幾らでもできるが、このみさまに謝らせるのは違うと思う、だから謝らない、といっていた。
それを聴いた瞬間には、結局そうはいっても自分が謝りたくないだけじゃないのか、と、ちょっとしらけた気分になった。魚が好きらしく、見る度に鯛の塩焼きを食べている彼女には、半分海で暮らしているような僕は、妙にシンパシィを感じていたのだ。でも、女の子がよくいう自分ではなく他人の為というやつが、僕はどうにもきらいだから、彼女もそういう手合いなのだとちょっとがっかりした。
だが、彼女の顔を見て、それが本音だとわかった。まっすぐで、なんの濁りもない目をしていた。彼女は端的に、美しかった。
おそらく、その時から僕は彼女を意識していたのだろう。だがまだ、そうはいっても三ノ院の要求は無茶だ、どうするつもりだろう、と意地悪に考えていた。三ノ院のバカ娘は、あづまに十五段の跳び箱を跳べと要求していたのだ。
だが、彼女はそれを、軽々こなした。かわった柄のTシャツがめくれておなかが見えるのも気にせずに、二回も跳んだ。僕はそれを、こっそりと、体育館の窓の外から見ていた。
三ノ院がどかどか走り去るのはまったく可愛く見えなかったが、僕はあづまが勝ったことに何故か満足し、体育館からはなれた。その晩、女性が肌をさらしてスポーツをしているのに、いやな気持ちにならなかった、と気付いて、訳がわからなかった。
その後も、不思議なことは続いた。
あづまはしょんぼりと肩を落としていることが多く、慣れない環境によく眠れないのか、欠伸をしていることもままあった。だが、まるで顔中口みたいに、大きく口を開けて欠伸をする彼女を見ても、嫌悪感はなかった。寧ろ、ダンゴウオみたいで可愛い、と思った。
彼女のクラスの調理実習で、彼女が鍋を爆発させたと聴いても、みっともないとか女性のくせにとかではなくて、心配が先にたった。あづまさんは大丈夫だろうか、と思ったのだ。のちのち、それは同じクラスの戦原が、彼女に悪さをした所為だと知ったのだけれど……。
そう。僕は彼女に魅了されていたのだ。
僕は何度も、彼女をデートに誘った。本当はしたくないお茶会も開いたし、ピクニックも好きではないけれど、活動的な彼女が興味を持つかと思って計画した。でも、彼女は僕よりも鏡守このみと一緒に居るのが楽しいようで、僕の誘いに気持ちいい返事をしてくれたことはない。
それも、僕には驚くようなことだった。僕は聖家の跡継ぎ、魚人族の王子なのだ。その誘いを断る女性が、天宮の女生徒に居るなんて、考えたこともなかった。
僕は彼女に気にいられようと、彼女の好みやほしがっているものを調べさせた。そして、彼女が食べたがっているものが「鯛」ではなくて「たい焼き」だと知った。
彼女はたい焼きが好きだ。それも、並みの好きではない。彼女の生活はたい焼きを中心にまわっている。
それだけたい焼きが好きな彼女を苦しめようと、三ノ院がたい焼きの搬入を阻止していた。そのことを突きとめた僕は、あづまに誉めてもらいたくて、そのことを伝えようとした。
のだが、あづまは居なかった。同じクラスの生徒を問い詰めると、なんと朱月とデートに行ったという。僕は目の前がまっくらになった気分だった。
移動室の前に行くと、彼女と同じクラスの戦原が居て、移動室担当の職員に朱月とあづまの行き先を訊いていた。だが、職員は守秘義務がどうのといって、教えてくれない。
それで僕はつい、手が滑ってしまった。軽く殴ったくらいだから、たいしたことじゃない。魚人族全員をつかって学園を潰してもいいんだぞというと、職員は急に親切になった。
朱月は、朱月のくせに気が利いていて、彼女を彼女の地元へつれていっていた。僕と、不本意ながら戦原も、そこへとんだ。
僕は常々、女性というのは物静かで、おとなしくて、声を荒らげないひとが素敵だと思っていた。
だがあづまは、その僕の価値観をひっくり返してくれた。三ノ院の悪事を知った彼女は、いつもの柔和な表情とはまったく違う表情を見せた。それは美しかった。本当にそう感じたのだ。
それはそうだ。その時、彼女は僕にたい焼きをくれたのだが、あんなおいしいものを制限されたら誰だって怒り狂う。だから、怒りをきちんとおもてに出せる女性は美しいのだと、彼女は僕に知らしめてくれたのだ。
その後、ふてぶてしい戦原が僕を差し置いて彼女を負ぶい、僕達は学園へ戻った。朱月達と一緒に居た、朱月の弟の火風や、鏡守このみも一緒だ。
僕らは血眼になっていた。だって、あづまがいったのだ。三ノ院をこらしめた人間と結婚すると。
最悪なことに、三ノ院をぶちのめしたのは僕ではない。朱月だ。
がっかりはしたが、朱月なら信頼できる。ばかだけれど、いいやつだ。だから僕は、諦めるつもりだった。
でも、僕はこの上なく幸運だった。彼女が約束を覚えていないからなしにしようと、鏡守このみが提案してくれたのだ。
そして、僕達は別の条件で競った。彼女はやっぱりたい焼きが好きで、「自力で十種類、おいしいたい焼きを買って持ってきてほしい」といったのだ。僕と戦原、火風、螺旋木がそれを競い、僕が勝った。何故って、あづまの影響で僕もたい焼きが好きになっていたから、お店の場所も把握していたからだ。
結婚してすぐにわかった。僕は最高の女性と結婚したのだ。
あづまは可愛らしく、元気で、僕が思っていたような結婚生活は訪れなかった。僕が考えていたのは、僕が仕事をして帰ってくると、物静かな妻が迎えてくれて、静かに食事をして風呂にはいり、責務をこなす、ということだ。
あづまは結婚式が終わって、僕の家に来た日から、まったく想像もつかないことをしてくれた。彼女の嫁入り道具はたい焼きの型で、目を白黒させる僕の父と母に、彼女は手作りのたい焼きを振る舞ったのだ。
それからも、彼女は並みの女性ではなかった。ある日など、僕が戻ってくると彼女は屋根の上に居て、瓦がおちたから修繕しているという。また別の日は、庭の松の木を剪定していた。
なにより嬉しかったのは、彼女が海をきらわないことだ。
僕は海が好きで、時間があると泳ぎに行く。魚介類をとってくることも多い。はじめ、彼女は僕が持って戻った魚をさばいたり、貝を調理したりしてくれるだけだったが、次第に僕と一緒に海に出るようになった。
家の裏庭から降りればすぐに砂浜だ。彼女は妊娠してからも、僕が泳いでいるのを砂浜に座って見ていた。人間らしく肌が日に焼けるのも、気にならないらしかった。
僕と彼女は相性がいいらしく、彼女はすぐに子どもをうんでくれた。それも、三つ子や四つ子をだ。
だから、子どもは沢山居る。僕は休みの日になると、子どもらと海に来て泳ぎ、魚の捕りかたを教える。妻はそんな時に、話を聴いているのかいないのかわからない顔をしていたのに、今では子どもらと一緒に魚を捕り、貝を掘り、たこを捕まえてはきゃあきゃあ騒いでいる。
おとなしくて優しいだけの妻を求めていたら、こんなに楽しい日が来ることはなかっただろう。
「あづま、少し泳ごう」
僕がそういうと、彼女はすぐにはいといって、砂浜を走っていく。潮と日にさらされて少し色がぬけた髪が、ぴちぴちはねるみたいに揺れた。僕はそれを追いかける。
「たこ焼き、干し鱈いりのも食べたいな」
「はい」
「牡蛎がはいったやつも」
「旦那さまはくいしんぼなんだから」
「デザートはたい焼きにしよう」
僕の言葉に彼女はにっこりした。目尻にうっすら皺が寄るのが可愛らしい。彼女は幾歳になってもきっと、僕を魅了し続けるんだろう。
綺麗な水と、綺麗な妻と、可愛い子ども達。一体、これ以上になにが必要だというのだろう?




