恋愛エンディング・朱月
マットレスはかたいものに限る。
「それでね、旦那さま」
わたしの上では、可愛い妻が不満そうに喋っている。わたしは、ああ、と答えて、体を上下させた。
ぎし。ぎし。
「母がなにを持ってきたと思います? シベリヤですよ、シベリヤ! わたしがたい焼き好きなことを知ってるのに、わざわざ似て非なるものを持ってきて」
「ああ」
ぎし。ぎし。
新居の寝室では、夜、こんな時間を過ごすことが多い。妻は昼間あったことを喋り、わたしはそれをばかのひとつ覚えでああ、ああ、と返しながら聴く。
妻は優しいので、話を聴いていないとかもっとちゃんと返事してほしいとか、そういったことは云わない。後からきちんと聴いていたかたしかめるようなこともしない。
ぎし。……ぎし。
「大丈夫です?」
「ああ、後もう少し」
妻はふうっと息を吐いて、ちょっと移動した。わたしはううむと唸る。
「あそうだ、旦那さま、今日はありがとうございます。たい焼き、おいしかったです」
「ああ」
妻の声が弾んだ。小豆の具合がどうの、皮がどうの、と、上機嫌だ。わたしは微笑む。妻が喜んでくれるのは嬉しい。
彼女は寛大な女性で、たい焼きを買って戻れば大概のことはゆるしてくれた。わたしが、彼女の家族が会いに来るのに、どうしても外せない仕事でその約束をすっぽかしてしまっても、彼女はこうやってたい焼きの礼をいってくれる。
妻のあづまと知り合ったのは、天宮学園でだ。微量ながらアウラを持った、我ら神族とも交配できる人間の女性達が、多く在籍している、私立の学園である。我が帝家は、当主が代々天宮学園の理事になる。わたしは今、理事長をしている。
アウラを持った人間は、生まれてすぐにそれがわかることが多い。だが、彼女は十六歳になるまでそれがわからなかった。それだけ、アウラが微量だということで、転入当初は酷くいじめられたらしい。
わたしは幼なじみの鏡守このみからそれを聴いただけで、現場を目にしてはいない。ただ、彼女がこの世で一番愛している食べものはたい焼きなのだが、わたしやこのみが申し入れても、どういう訳だかそれが食堂に置かれない日が続いた。
結局、それはとある女生徒の策謀であったことが発覚したのだが、その際のごたごたで、わたしは彼女の提示した結婚の条件を充たしてしまったのだ。
あづまは義理堅く、わたしとの結婚を承知してくれた。おかげで二年程、弟が口をきいてくれなかったのだが、最終的には彼にもよい縁があり、わたしとあづまに娘ができたこともあって納得してくれた。
たい焼き好き。妻を表現するのに、これほど相応な言葉もない。
あづまは徹頭徹尾、たい焼きを主軸において生きている。子どもが生まれたら子どもを主軸にしてくれているが、その次はたい焼きで、わたしではない。
そういう話をすると、わたしと同様、アウラを持つ人間を妻にした神族には、ひどく驚かれる。そのような粗末な扱いをうけたら、自分なら即刻離婚してやる、と大きな口を叩く者もあった。
そもそも、わたしは彼女がたい焼きを第一に考えることを承知で、結婚したのだ。子どもができたらたい焼きよりも子どもを優先してくれて、驚いたというよりも体調が悪くならないかが心配だったくらいである。彼女はたい焼きから離れていると、具合さえ悪くなるのだ。
それは、天宮学園に転入してきた当初からかわらない。彼女は移動室から出てきた時、たい焼き柄のTシャツに、あんこのプリントのショートパンツ、おさげ髪を鯛のチャームがついたヘアゴムで縛り、たい焼きの形をしたスリッパを履く、という、全身たい焼き(まあ、髪についていたのはまっかな鯛だが……)状態だったのだ。
おまけに、手にはでかでかと「タイ焼き」とプリントされた箱を持っていた。
わたしはそれを見た瞬間、不覚にも笑ってしまった。神族の、いや帝家の男児として、淑女を笑うなどとんでもない。母に殺されかねない無礼である。
しかし、あづまは優しかった。彼女はわたしの無礼な態度に怒ることも泣くこともなく、それどころか怯えもしなかった。
わたしが悪いと思ったのが、彼女にもわかったらしい。部屋への案内を申し出ると、彼女は快くうけてくれた。わたしの面目を潰さないように気を配ってくれたのだ。
なんと素晴らしい人物だろうか。
恋心か、と問われれば、違った。どちらかというとわたしは、彼女を尊敬していた。いや、今もしている。
どんな環境にあろうと、ひとを気遣う心を忘れず、かといって自分を殺して萎縮するのでもない。ひとをないがしろにはしないが、自分の意見はきっちりと口にする。
わたしのまわりの女性は、淑女として相応の礼儀作法を身につけてはいても、「我」というものをあまり持っていない。母はわたし達兄弟をしつける時は厳しいけれど、それ以外はとにかく優しく、自分の意見をあまりいうひとではない。よくよく考えてみると、母の好みもなにも、わたし達は知らない。
そのことが、立派な良妻賢母の証だと思えていたのに、あづまと知り合ってからはそう思えなくなった。母はもっと自由であるべきではなかったのかと思ったのだ。
そういった思考の転換を与えてくれる女性は、時に思い込みでまわりに迷惑をかけるわたしに必要なものだと、そう考えた。
彼女は尊敬できる人柄で、そして、見た目も可愛い。それで、弟は彼女に一目惚れした。それを横からさらう格好になってしまったのだから、わたしは一生弟に頭が上がらないだろう。
「旦那さま」
「ああ」
ぎし、ぎし、とベッドが音をたてている。彼女は退屈そうに、ひとつ、欠伸をした。
「このところ毎晩これですね」
「ああ」
ぎし。ぎし。
彼女をめとる前から、彼女の家族とも交流を持つようになった。今では彼女の家族が、月に一度は遊びに来るようになった。彼女の父母には孫で、彼女の弟にとっては姪甥になる、わたしとあづまの子どもに会う為に。
あづまのアウラは、きちんと増幅させてある。彼女は随分、潜在的なアウラが多かったらしく、今ではその辺の神族とかわりないアウラを持っていた。
パーティなどでわたしがあづまを伴っていると、わたしが人間をめとったことを知っているひとが、たまに驚いた声をあげるものだ。てっきり、人間の妻は子ども用で、このひとは神族かと思った、と。
失礼なものいいなのだけれど、あづまは苦笑いで受け流す。彼女は寛大なのだ。時に、心配になるくらいに。
「旦那さま」
「ああ」
ぎし。ぎし。
「もう三百回過ぎましたよ」
「あと五十だけ」
妻がころころ笑う。
わたしは宣言どおり、五十回上下してから、腕立て伏せを辞めた。腕が伸びきらないように加減しながら、体がまっすぐな状態をキープして上下するのは、それなりに大変だ。軽いといえ、女性ひとりせなかにのせていたら、尚更である。
あづまは体を伸ばすと、わたしの首に両腕をまわした。
「旦那さま、また首がふとくなったんじゃありませんか」
「そうか?」
「スーツを仕立て直さないといけませんね……」
あづまが首筋を撫でるのがくすぐったい。わたしは小さく笑う。
と、なにを思ったのか、彼女はわたしの肩甲骨に手をあてた。次の瞬間、そこにかなりの力がかかる。
「あづま?」
あづまの髪がうなじをくすぐっている。
「旦那さま、あと五十回やってください」
「うん?」
「わたし、その間逆立ちしていますから。このところ、なまってしまって、宜しくないんです。ふとったら、お義母さまにたい焼きを制限されてしまいますもの」
まだまだ十五段の跳び箱でも軽々こなす彼女は、至極真面目にそういった。
わたしは笑いながら、重ったるい腕でまた、腕立て伏せを始める。
やはり、マットレスはかたいものに限る。




