第九十四話 わらわはリーナじゃ
前話に続いて、王宮のパーティー会場にて。
王宮の厚意により、叙爵式の後に私の叙爵の祝いと魔物討伐の報恩のために催してくれたパーティーである。
女王から王宮メイドのルナちゃんを私に異動させる話を聞いて、三人の可愛らしい淑女からお茶会の誘いを受け、パティに焼き餅を焼かれ二の腕をつねられたところだ。
レイナちゃんたちが立ち去った後、太って頭が薄い年配の男と、彼に連れられた煌びやかなドレスの小さな女の子が、狙っていたように近づいてきた。
あれは確か…。
パティが肘で小突き、小声で私に話しかけてきた。
「マヤ様、ガルベス公爵ですよっ。」
「うん、わかった。」
二人は私たちの前で立ち止まり、ガルベス公爵が声を掛けてきた。
「よろしいかな?
貴公は婦女子に人気のようでなかなか話しかけづらかったが…。
私はエドガルド・デ・ガルベスだ。
そちらのガルシア侯のご令嬢から、名前くらいは聞いたことがあるだろう。」
「これはこれは。
こちらからご挨拶をしなければいけないところを、大変ご無礼を致しました。
マヤ・モーリです。
この度は私の祝いの席へご足労頂きありがとうございます。
今日からお仲間に加えて頂きまして、よろしくご指導を賜りたいと存じます。」
うわぁ…、いざとなると緊張するな。
女王の謁見の時よりはるかに胃が痛くなるわ。
「ふん、挨拶だけは立派だな。まあ良い。
今日はな、この孫娘が貴公の活躍の話を聞いてどうしても会いたいと申してな。
それで連れてきたわけだ。まだ十歳だがとても可憐で麗しいだろう。
さあリーナ、ご挨拶をしなさい。」
「妾はマグダレナ・デ・ガルベスと申す。
貴公の活躍の話を聞いてな。是非会って話をしてみたかったのじゃ。」
可憐で麗しいどころか十歳にしてはちんちくりんだが、やや濃いめのブロンドでロングヘアー、両側の前だけ細い三つ編み、頭にはピンク色の大きなリボン、水色のゴシック調ドレス、色白で目がパッチリ、お人形さんのようで誰かさんなら鼻血が出るほどの美幼女だ。
ガルベス公爵とは似ても似つかないから母親似なんだろうな。
何故かお姫様言葉だが、公爵階級の孫娘ともなればお姫様みたいなものだろう。
「お初にお目にかかります、セニョリータ。
マヤ・モーリです。」
素敵なお嬢様が私などを気に掛けて頂き光栄に存じます。」
私は彼女の身長に合わせる意味でもひざまづいて挨拶をした。
左手を差し出してきたので、手の甲にキスをする。
少しニヤッとしたのは、たぶんこれをやらせてみたかったからのような気がした。
アマリアさんや女王でもしなかったのに、手にキスをするのは初めてだ。
「初めまして、マグダレナ様。
パトリシア・ガルシアと申します。
お近づきになる機会を得ましてとても嬉しゅうございます。」
パティは華麗にカーテシーで挨拶をした。
さっきまで口周りがチョコでベトベトだったご令嬢とは思えない。
「その方ら、そんなに堅苦しい挨拶でなくても良いぞ。
ほれ、先程の娘達やそなた達は軽く話していたではないか。
妾ともそのように話して構わぬ。名もリーナと呼んで良い。」
ということは、私がパティの口周りを拭いていたのも見られたか。
恥ずかしいな…。
しかし、ガルベス公爵の前なのでいきなりため口で話すことはどうかね。
徐々に慣らしていくしかないか。
「わかりました、リーナ様。私のことはマヤと呼んで下さい。」
「私もパティでよろしいですわ。リーナ様、よろしくお願いします。」
「うむ。時にマヤ。
そなたは街で魔物を倒しているときに空を飛んでいたというが、本当か?」
「本当ですよ。ここでは狭いので浮くことしか出来ませんが、ご覧に入れましょうか?」
「おお! 是非見たいのう!」
私はグラヴィティを掛けて、ゆっくり五メートルほど上に上がった。
天井が高いからそのくらいは上がれるが、風魔法を使って移動すると料理が飛び散りそうなので使うことが出来ない。
「おおぉおぉぉおぉぉおお! 浮いておる! マヤが浮いておる!
お祖父様! あれを見てくだされ!」
「うーむ、わしも人が浮くのは初めて見たが、あれが闇属性の魔法か…。」
リーナ嬢が騒ぐもんだから会場のみんなが一斉に私へ目を向け、「おぉぉぉ!」と歓声が上がる。
あんまり目立ちたくないんだが…って、私が主役のパーティーだから今更か。
何故公爵がこれを闇属性の魔法とわかるのが疑問だが、いろいろ調べられているのかもしれない。
いやはや、厄介な相手に目を付けられたものだ。
「マヤ! 今度は妾を抱いて浮かんでくれんかのう?」
子供の好奇心ありきだから、絶対言うと思った。だが…。
「ちょっと危ないですから、公爵閣下のお許しがあれば大丈夫ですよ。」
「本当か!? のう お祖父さまぁ~ 聞いた通りじゃ。
妾も飛んでみたい。良いかのう?」
「うぉっほん まあ、良いだろう。
マヤ殿、貴公なら大丈夫だと思うが、絶対に怪我をさせるなよ。」
「おおぉおぉお! マヤ、お祖父様の許しを得た!
早速妾を抱いてたもれ。」
今のリーナ嬢の言葉は、聞きようによって少し危ない。
そこまで思っていないだろうが、パティがいつものようにジト目で見つめる。
そんな十歳の子供に焼き餅を焼いてどうするんだ。
しかしガルベス公爵は案外簡単に許したのは意外だった。
私を信用してくれているのか、孫に甘いのか。
「それではリーナ様、失礼します。」
「うむ。良きに計らえ。」
私はリーナ嬢をスッとお姫様抱っこをした。子供は軽いなあ。
石鹸の匂いの他に、ほんのりとこの国の特産であるオレンジの香りがする。
さすがに公爵の孫娘ともなると子供でも香水を使うのだな。
十二歳当時のパティと初めて会ったときも香水を着けているのに気づいたが、彼女はローズ系の香りが好きなようだ。
「リーナ様、浮きますよ。しっかり掴まっていて下さいね。」
「わくわくするのぅ!」
私はグラヴィティを自身の身体とリーナ嬢の身体に掛けて、ゆっくり浮く。
「おほぉ! おおぉぉおぉお! シャンデリアがこんなに近く!
人が小さくなっておる! お祖父さまぁ~! おーい!」
リーナ嬢が手を振ると、ガルベス公爵がニコニコ顔で手を振り返す。
やっぱり孫に甘いんだな。
同年齢の子供と比べたらやや小柄のリーナ嬢故に、いつもは人を見上げている立場から、上から見下ろすとなると大層嬉しかろう。
……天井近くまで上がって三分くらい経ったか。もう良いだろう。
「リーナ様、そろそろ下へ降りましょうか。」
「もう降りるのか? もっと上にいたいのう。
「公爵閣下がご心配でしょうし、ここだと動くことも出来ませんか飽きましょう。」
「そうか…、わかった。」
こう言う話だと我が儘令嬢というのが鉄板なんだが、思っていたより素直で聞き分けの良い子だな。
私はリーナ嬢に衝撃を与えないようゆっくり降りる。
グラヴィティで上がるより降りる方が、魔法の調整が難しい。
前に失敗して余計に重くしてしまい地面へ押しつぶされてしまったが、私一人の時だったのが幸いだ。
「ふぅ~ 面白かった。礼を言うぞ。」
「どういたしまして。
リーナ様はオレンジの香水を着けておられるのですね。いい匂いです。」
「うん? 香水など着けておらぬぞ。
妾はオレンジが大好きでな。さっきまで食べておったわ。
そんなに匂うか? たくさん食べ過ぎたか。あっはっは」
何だそりゃ…。恥ずかしい勘違いをしてしまった。
「あは…、そうでしたか。
美味しい物をたくさん召し上がることが出来て良かったですね。
私もオレンジは好きですよ。」
「おー、気が合うのう! オレンジはいくら食べても飽きん。」
ガルベス公爵とはなるべく距離を置きたいのだが、どうも接客業からの癖なのか相手について声を掛けてしまうので、孫娘からの好感度がどんどん上がってる気がする。
それにしても、お姫様言葉と言うより武家のおっさん臭い話し方だな。
「のう、マヤ。今度は外を一緒に飛んでくれぬか?」
「ああ、今日はお時間があまりありませんし、食後に飛ぶとご気分が悪くなると思いますので、残念ですが…。」
「うぬぬ…ダメなのか? そうじゃ! 今度ウチに来てくれぬか?
のう お祖父さまぁ~ マヤとパトリシアも一緒に招待しても良いかのう?」
「う、ううん。今すぐは無理だが、四、五日過ぎたら良いぞ。」
は? はぁぁぁぁぁ??
せっかくやんわりと断ったのに、ガルベス公爵がOKしただと!?
孫は目に入れても痛くないかもしれないが、私だけでなく女王派のガルシア侯爵令嬢であるパティまで招待しても良いなんて、何か裏がありそうだ。
しかも三日後には王都を発とうと思っていたのに、その後か…。
実際はガルベス公爵が呼んで私たちを取り込むことを、孫を出しにして装っているというのは考えすぎだろうか。
いずれにしても公爵ほどの身分の人からのお誘いとなると政略的な絡みになってしまうから、下手に断ると逆恨みされてしまうかも知れない。
ここは受けるしかないのか…。
これが策略としたらまんまとやられたということだ。
「わぁぁ! お祖父様ありがとう! 大好きじゃ!
では四日後じゃ。四日後の…うーんそうじゃなぁ…食事の前なら…十時じゃ!
その前の九時には馬車を寄越すからそれで良いかのう?」
「ええ、わかりました。パティも…いいかな?」
「は、はい。喜んで。」
パティはやや戸惑いながら僅かに苦笑いし、了承した。
彼女も何やら察してそうだ。
「うーん、楽しみじゃー! どこを飛んでくれるのか?」
「マドリガルタをぐるっと回りましょう。
それから、あの…飛んでいると下から下着が見えてはいけませんから、当日は出来たらパンツスタイルでお願いできますか?
ニッカポッカでもお持ちでしたら良いのですが。」
「おお、それなら持っておる。マヤは気が利くのう!」
それから私とパティはリーナ嬢から質問攻めにあい、どんな魔法を使うとか、マカレーナはどんなところか、美味しい食べ物はあるか、パティとはおやつの話をしていたりそこら辺はお互い似たもの同士なのか盛り上がっていた。
ガルベス公爵は後ろからニコニコ孫娘を見ていたが、最初に話しかけてきたときから一時間近く経っていたので少々お疲れのようだ。
孫のためには律儀だが、もしかしていい人?
「リーナや。お祖父さんは疲れてきたから、そろそろ帰ろう。
マヤ殿、また今度な。」
「はい、公爵閣下。」
「お祖父様、申し訳ございませぬ。マヤ、パティ、楽しみにしておるぞ。」
リーナ嬢はガルベス公爵に連れられて、私たちに手を振りながら出入口の方向へ歩いて行き、私たちも手を振り返した。
結局ガルベス公爵と直接話すことはあまり無かったが、今日は孫を使って誘い出すことだけが目的だったのか。
勿論純粋なリーナ嬢はガルベス公爵の思惑など知るはずも無いだろうが、屋敷で接触の本番があるかも知れないから、特にハニートラップには気を付けたい。
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「はぁ~ パティ、いろんな意味でやられてしまったよ。」
「そうですわね。まさかガルベス公爵があれほど孫娘に弱いなんて、裏の顔が見られたのも収穫と考えて良いのかしら。」
「そうだね。君にも付き合わせてもらって悪いけれど、よろしく頼むよ。」
「あれじゃあお断りが出来ないのは仕方ないですわね。
素直でいい子でしたけれど、まさかマヤ様はあんな小さな子まで…。」
パティはまたジト目の疑惑目線で見つめる。
「いやいや、そんなわけないさ。私は子供には優しいんだ。」
「わ、私にも優しくして欲しいです…。」
私はパティに撫で撫でをした。パティの表情がニヤニヤしてわかりやすい。
それにしても立ってパティの頭を撫でると、背が急成長しているからちょっとやりにくくなったな。
「おしゃべりしてたらちょっとお腹が空いてきましたから、ケーキを食べてきますね。」
「え? まだ食べるの?」
「あんなに残ってるのに、勿体ないですわ。ケーキも私に食べられた方が幸せですのよ。」
「運動しないと太るよ。大人になると代謝が減るから余計にね。」
「お母様もよく食べますけれど、全然太らないですよ。きっと大丈夫ですわ。」
「アマリア様もまだ若いからだよ。女王陛下ぐらいになると大変だよ。」
「あら、私が何か大変なことになっているのかしら。」
「あっ マルティナ様!」
「マヤ様! 女王陛下をお名前でお呼びするなんて、どういうことですの!?」
女王が急に後ろから現れたのでびっくりした…。
魔力を感知することも出来なかった。
いつもの癖で女王の名前で呼んでしまったし、面倒くさいことになったな…。
「ああいや、先程ガルベス公爵とお話ししまして、女王陛下もいろいろ大変だなと…。あはは」
「そうなんですよ…。彼の人となりがおわかりになりました?
私たちはいつも見えない手で戦をしているんです。」
「今日はお孫さんを連れてこられまして、意外にとても甘いんですよ。
ガルベス公爵の本来の表なのかわかりませんが、それを垣間見た気がします。
しかも私たちはお孫さんに気に入られてしまって、五日後にお屋敷へご招待されてしまったんですよ。
何か裏があるんでしょうか?」
「そんなことがあったんですか…。
あなたがヴェロニカと仲良くしているのが知られてしまって、向こうもあなたを取り入ろうとしたのかも知れませんね。」
「陛下もそうお考えですか。」
「まあ、あなたを彼のお屋敷へ招いたところでそうボロは出さないでしょうが、何か気づいたところがあれば教えて頂戴ね。」
「承知しました、陛下。
ところで、それでもう少し王宮に滞在する期間が延びそうですが…。」
「あなたがここにいたいと思うときまで、好きなだけ滞在しなさい。
私もそのほうが嬉しいですから。おほほ」
パティはさっきから疑惑ジト目で見つめている。
ごめんな、パティ。
私は毎日女王と秘密でエッチなことをしている悪いやつだ。
君はちっとも悪くないよ。
「あらあら、パトリシアさんは可愛いわね。
あなたのマヤさんを取ったりしないわ。
私の息子と変わらない歳なんですから、可愛いと思っているだけですよ。
私を名前で呼ぶことも許してますから。」
「そうですか…。見苦しいところをお見せしまして、失礼しました。」
それでもパティは釈然としていないようだ。
それならば…。
「さあ、お腹空いてたんだっけ。私もだから、一緒にケーキを食べよう!」
「そうですわね。マヤ様と一緒…うふふ」
「まあまあ、若い子が仲良くしているのって、いいわね。おほほ」
そうして昼食パーティーが終わるまでスィーツを調子に乗って食べまくり、二人とも食べ過ぎて夕食をキャンセルしてしまったほどだ。
翌朝エルミラさんに聞いたら、夕食は私の好物のハンバーグが出たそうだ。
あぁ…、しまった…。
そういえば王女を見かけなかったが、あの後淑女も交えてエルミラさんとべったりだったらしい。
仲良くやっているなら良い傾向だ。