第三百十五話 幽霊夫人とメイド
今回は少し長めです。
夜中の十一時。
五人揃って、ガルシア邸からモンタネール邸まで飛んで出掛ける。
夜の飛行は暗くて苦手だが、ここらはマカレーナ一番の街中なのでこんな時間でも建物の窓から魔力灯の光が煌々と漏れているうえに、目と鼻の先の距離だ。
自力で飛べないのはパティだけなので私が連れて行く。
昼と同じく玄関前に降り立ち、鍵を開けて中へ入る。
エリカさんが一人でライトボールをたくさん散りばめ、玄関ホールが一気に明るくなった。
ライトボールは案外制御が難しくて、エリカさんが使ったのはライトボールの高位魔法なので出来ることだ。
「へぇー なかなか良い所じゃない。
あっ 魔力灯がちゃんとあるわね。それっ」
エリカさんは指を鳴らすと、今度は天上のシャンデリアや壁にある魔力灯を次々に灯していった。
別に指を鳴らさなくても魔法は使えるけれど、格好いいからだと言う。
だがそのおかげで視界内はライトボールよりぐっと明るくなった。
「で、その大きな絵がある部屋はどこなの?」
「ええ…… もう行くの?」
「当たり前でしょ。他の部屋は後でいくらでも見られるんだから」
「ああそう。二階の奥だよ」
いきなりあの部屋へ行くのは気が引けるからダイニングルームや他の部屋を案内してからにしようと思っていたのに……
『おまえビビってんだろ。ひっひっひ』
『あたしらその幽霊を見に来てんだから早く行こうぜ』
アイミとマイも煽る。
行くしかないのか…… はぁ……
私たちは夫妻の絵が飾ってある階段を上がる。
ライトボールも付いてくるが、明るすぎて眩しいくらい。
エリカさんが魔力灯を見つけ次第、灯していっている。
夫妻の絵がある踊り場へ着くと、皆が立ち止まった。
「この絵がモンタネール男爵夫妻です」
「うーん、男爵はなかなか男前だけどマヤ君ほどじゃないよね」
「いやいやエリカさん、そりゃ買い被り過ぎだよ」
「そんなことありませんわ! マヤ様はマカレーナで一番格好いいですぅ!」
「ええ……」
大きな街のマカレーナで一番というのは嬉しいけれど、何だか微妙な位置だ。
大好き補正はあれど、マヤ様は世界一と言って欲しかった。
『へー マヤの男の姿を知らないから、興味あるな』
『男でもこいつの尻は一級だぞ。いっひっひ』
「何言ってんだおまえ……」
アイミ…… いや、アーテルシアは初めて襲撃してきた時から私のお尻が大好きで、そのおかげで改心のきっかけになったと言っても過言ではない。
そんなことより、私たちはさらに階段を上がり二階に着いた。
ライトボールの灯りを元に、エリカさんは視界に入った魔力灯にどんどん灯を入れる。
明るくてとても幽霊が出る雰囲気ではないな。
「ここだよ、例の部屋は」
『霊だけにな。ぷっ』
「はぁ…… さっきからおまえはなあ」
アイミがつまらんことを言っている間にドアを開ける。
エリカさんが部屋にライトボールをいくつか放ち、同じく魔光灯を灯す。
男爵夫人の大きな肖像画が暗闇から浮かび上がった。
「ふーん。マヤ君が見蕩れるだけのことはあるねえ。おっぱい大きいし」
『マヤはこういうのが良いんだな。』
『絵で残念だったな! 挟むことが出来ないからな。ハッハッハッ』
「三人とも何を言ってるのかな。ハハハ……」
パティの顔をチラッと見ると、いつものジト目で私を睨んでいる。
ただの絵じゃないか。もう……
だがアイミが言うように挟まれたら、アマリアさんよりフカフカかもね。
「あっ 何?」
『絵からなんか出てきたぞ!』
『おまえらも見えるのか。おーおー、これは面白いことになってきたぞ』
出たって?
突然エリカさんたち三人が口々にそんなことを言ってるが、何も見えないぞ。
「ななななな…… あなたたち何を…… 何が出てきたって言うんですの?」
「私も見えないよ。エリカさんたちばかり見えるのって?」
「あの絵から白い塊みたいなのが出てきたんだよ。
マヤ君やパティちゃんからは見えてないの…… そうか」
『あたしも白い塊が見えているね。ほらっ マヤの周りをふわふわ動いてる。
これが幽霊ってやつなの? つまり魔族でいうアストラルボディのことかあ』
「ええ!? 私の周りに!? ひぇぇぇぇぇ!!」
「キャァァァァァァ!!」
パティがマイの話を聞いて怖くなり、叫びを上げてしゃがみ込んでしまった。
嫌だなあ……
日本にいた時も、霊感が強い友人と夜に昔の古戦場があった公園を歩いていたら、白いものがたすき掛け状に私の身体に絡んでると言われたことがある。
全く実感が無かったのでにわかに信じられなかったが……
「アストラルボディは私と同じだよ。
エリサレスと戦った時に私の身体が死ぬ前に魂をペンダントへ移した時だね。
それで今ここにいる魂は二人には見えなくて、私には見える……
でも私が人間だった頃は魂なんて一切見たことが無くて、魔族の身体になったら見えるようになった。
なるほど…… そういうことか」
恐らくエリカさんが言うとおりだと思う。
幽霊や魂が見えるのは魔族の体質なのだろう。
だったら神であるアイミが見えても不思議ではない。
『マヤ。おまえが死んで天界でサリに会ったときのことを思い出せ。
サリからはおまえの身体が見えていたし、おまえ自身も身体が見えていたはずだ。何故だと思う?』
「何故って…… ええっ? まさか……」
『神は死者の魂を完全な形で見ることが出来て、具現化も可能だと言うことだ!
ほれっ おまえにべったり纏わり付いているのは…… 絵の中の女そのものだ! ひっひっひ』
「ゲゲゲえっ!?」
「キャー! キャー! キャー! キャー!」
アイミが怖い言い方をするから、しゃがんだままのパティは目を塞ぎまた叫び声を上げて震えてる。
男爵夫人が私に憑いてるって? 全然そんな感じがしないのだが……
「確かにマヤ君に白いのがくっ付いているけれど、正体はあの絵に描かれている美人男爵夫人ってことかあ」
『マヤ、モテモテじゃん。でも何でマヤなの?』
「幽霊にモテたくねーよ! パティはプロテクションを掛けてるし、三人は魔族や神だから人間の幽霊じゃ取り憑かれないってだけじゃ……」
『おまえも取り憑かれていない。くっ付いているだけで、おまえ自身の力が強すぎて中に入り込めないのだ。
この女、今も一生懸命おまえの中へ入ろうとしているだが、弾き返されている。
バカだねえ。ハッハッハッ』
今朝マルセリナ様が言ってた通りで、私の魔力が大き過ぎるから幽霊を受け付けないのか。
大帝の術で痛い思いをした甲斐があったわけだ。
『さて、もうそろそろ良いだろう。
おまえたちに面白いものを見せてやる』
「何を見せてくれるんだ?」
『さっきも言ったろう? 具現化してやるのだ! それ!』
「なんだって!?」
「ひっ ひいぃぃぃぃ!!」
「パティちゃん、私に抱きついていいんだよお。うっひっひ」
『神ってすげえな。何でも有りかよ』
パティがしゃがんで目を塞いでいるところへ、どさくさに紛れてエリカさんが前から抱きついている。
エリカさんの美少女好きには困ったものだ。
そしてアイミはステッキを振ると、私にベットリしがみついている女の姿がだんだん薄らと見えてきた。
「ギェェェェェェェェェェェ!!!!」
『キャァァァァァァァァァァ!!!!』
私が大声で叫ぶと、女の幽霊のほうがびっくりしてすってんころりんと転んでしまった。
幽霊には今まで私たちが話している声が聞こえなかったのか?
数十秒も経つと、女幽霊の身体がはっきりと見えだした。
気体が凝縮した感じで私たちの身体と比べたら違和感があるが……
『おいおまえ! 私は神アーテルシアだ!
おまえの身体を現世の人間に見えるようにしてやったぞ。名を名乗ってみよ!』
『ははははははぃぃぃぃぃ!!
私はモンタネール男爵の妻、オリビアでございますぅぅぅぅぅ!!』
絵の姿そのまま、ドレスを着た金髪の美しい女性が座り込んでアイミに言われるがままに名を名乗った。
この幽霊、オリビアさんっていうのか。
こんな綺麗な幽霊だったら取り憑かれても良かったかもな。いやいやいや……
『オリビア、なんでこいつに取り憑こうとした?』
『その…… 格好いい男性だからあんなことやこんなことをしようと思いまして……』
『ハーッハッハッハ! 残念だったな! そいつは女だ! 身体だけだがな!』
『え…… えええ!?』
「訳あって今は女に変身してるんでね。こういう訳だよ」
私は貴族ジャケットのボタンを外し、ブラウスのはち切れんばかりの胸を晒した。
あんなことやこんなことって、取り憑いてエッチなことをしようとしてたのか?
『はああああ!? そんなバカな事って…… そんな……』
オリビアは座ったまま床に突っ伏してしまった。
そんなにがっかりするなんて、何のために私にエッチなことをしようとしてたのか?
パティは未だ目を塞いで座っており、エリカさんは笑顔でパティを抱きしめてオリビアのことなどそっちのけだ。
アイミとマイは蔑んだ目でオリビアを見ていた。
『で、こいつにエロいことをしようとして目的はなんだ?』
『ううう……』
『えええい! 言ええ!』
『ウギギギギ!』
「待てアイミ! 乱暴はするな!」
オリビアが突っ伏したまま応えようとしないので、アイミは彼女の髪を引っ張り上げて頭を起こそうとした。
さすがに子供みたいな姿でもやってることは見苦しいので私は止めに入る。
すぐにアイミは手を放した。
私はしゃがんで彼女にもう一度尋ねる。
「ねえオリビア…… 君がやろうとした目的の経緯を話してくれないかな?」
「はい……」
オリビアは上半身を起こし、生気を失った表情で話そうとしている。
もう死んでるから元々生気など無いのだが。
『夫…… アーロンは私が急な病気で死んでから、この絵を自分で描いたんです。
細かいところまで私にそっくり。
とても嬉しかった……
そして毎晩寝る前におやすみの挨拶、翌朝起きたらおはようと……
まるで私が生きているかのように扱ってくれました』
「男爵はあなたのことをずっと愛していたんだね」
『それから何十年と変わらず、毎日挨拶が続きました。
お話もよくしてくれたんですよ。今日は何があったって…… うふふ
私は何故かこの家から動けないので、アーロンの話がとても楽しみでした』
今のところノロケ話じゃないか。
その先何かいけないことがあったのか?
『ですかあの人が亡くなる数年前から変わってしまった!』
「どう変わったの?」
『あろう事か、あの人は使用人の女に手を出しました!
そして毎晩のようにこのベッドで事に及んでいたんです!!
私よりも年増の女に! ジジイのくせして!!』
オリビアはさっきからわなわなと話している。
主人が使用人に手を出すことはよくある話だ。
私だって人のことは言えない。
だが不倫行為を毎晩見させられるのはキツいよな……
いや、奥さんは亡くなってるから不倫とは言えないけれど……
男爵は何十年も我慢していて、歳を取って打ち止めになる前に最後の春を楽しみたかったのだろう。
それにしても男爵の年齢をパティから聞いたら七十歳近いらしいが、毎晩とは絶倫だな。
『ですがある日、アーロンが使用人といつものように行為をしていると……』
ええ…… 屋敷からは出られないけれど、この部屋からは動けるってことだろ?
何だかんだで覗き見してるじゃん。
『あの人はそのまま亡くなってしまいました……』
「それって、腹上死というやつですか?」
『そうです。あの女め…… 亡くなったときのアーロンはとても幸せそうな顔でした!
アヘ顔だったんですっっっっ!!!!
それであの人は、私を置いてそのまますぐ天に召されました!!
何ということなの!! ウキィィィィィィィィ!!!!』
「え…… あ…… そう…… だったんですか……」
オリビアの表情は豹変し、般若のようだった。
使用人には勿論、男爵に対してよほどムカついていたのだろう。
昇天してそのまま亡くなってしまったのか、それにしてもアヘ顔って……
サリ教に成仏という概念は無いみたいだけれど、エッチなことをして満足しさっさとあの世へ行ってしまったからそんな感じか。
男爵の爺さんもハッスルして身体に無理をかけ過ぎだろ。
いつの間にかパティは正気に戻り、エリカさん共々オリビアの話を聞いていた。
マイとアイミもしかめっ面ながら黙って聞いていた。
「あ…… あの。モンタネール男爵の死因は急性心不全と聞いてましたが……」
パティがあれから初めて口を開いた。
腹上死の原因が急性心不全なのはあり得るだろうから、嘘ではないと思う。
だが死亡した原因と、その使用人しか死因を知らないのは問題だ。
『はい。使用人は行為の跡をすっかり消しました。
その後、医者に検死をしてもらった結果で急性心不全というのは間違いではありません。
執事と、行政官にも検死の証人になっています』
「なるほど…… 本当の死因は男爵の名誉のために使用人が隠したということ?」
『仰るとおりだと思います』
「それを聞いてしまったら、使用人の女性に聞き取り調査をいなければいけませんね。
でも幽霊から事の真相を聞いたからと言って行政はやってくれますでしょうか……」
「それ。君のお父さんだったら何とかしてくれるでしょう?
私やアイミの名を出せばね」
「それもそうですわね!」
困ったときのガルシア侯爵頼みだ。
こればっかりはいくら力がある私でも無理だからね。
「調査の前にオリビア、男爵が亡くなった後に使用人がこの屋敷の中の物を盗み持ち帰ったという心当たりはあるのかい?」
『いいえ。盗まれた物は無く、きちんと片付けてこの屋敷を去りました。
元々あの人は極端に高価な物を買いそろえる趣味は無くて、行政が回収した品も未払いの税金分と使用人に支払うべき給金ぐらいだと思います』
「優秀で誠実な使用人たちじゃないか。
唯一の問題は男爵と行為をして死因を隠したことぐらいか……
で、その使用人の名前と歳はわかる?」
『デボラ・サンチェス、三十過ぎだったと思います』
オリビアが死んでからずっと後にデボラさんは屋敷で働き出したんだろうに、よく知ってるな。
幽霊になってから何十年もこの屋敷だけにいるのなら、実質オリビアさんが主みたいなものか。
三十過ぎのメイドさん……
私からすれば全然若いじゃないか。
どんなエッチなメイドさんなんだろう。顔が見たい。
「ここを去った後はどこに行ったのか知ってる?」
『いえ、そこまでは……』
「わかりました。オリビアさん、私の父はここの領主であるガルシア侯爵です。
この話をお父様に報告して、デボラさんを探してもらいます。
故意の殺人ではないので牢屋へ入れるような罪にはならないかも知れませんが、死因を隠していたことは問題なので何らかの処分はあると思います」
『はい、よろしくお願いします……』
「うーん、何か話がまとまっちゃったね」
「いやいやまとまってないよマヤ君。これからどうすんのよオリビアさんを……
今のままではこの屋敷から出られないんでしょ?
私たちが引っ越してもオリビアさん、ずっとここにいるよ」
『はい…… そういうことになりますが……
って? あなたたちここへ住むんですか?』
「そうだよ。競売に掛けられて誰も買わないから私が買うことにしたんだ」
『ああ…… そういうことだったんですね。話の合点が行きました』
『で、どうするんだマヤ? こいつが邪魔だったら魂を消し飛ばすことも出来るぞ』
『ひぃぃぃぃぃぃぃ!!!!』
アイミが残酷なことを言うのでオリビアがまた縮こまってしまった。
本当にこいつは邪気が抜けたのか?
今までも続けてきたが、私がしっかり監視をしておかないとね。
「そんな乱暴ことはしなくていいだろ。あの世へ送ってあげることは出来ないのか?」
『ダメだな。こいつはジジイとメイドの行為が羨ましすぎて、その強い執着心からあの世へ行っても跳ね返されるぞ。
その証拠に、マヤに取り憑いてエッチなことをしようとしてたのだ』
『ウキャァァァァァァァァァ!!!!』
オリビアが恥ずかしさのあまり床で転げ回っている。
愉快な幽霊だよな。
怖くないし、屋敷から出られないんなら一緒に住んでもいいんじゃないかと思ってきた。
『あの世へ行かせたいなら、マヤが男に戻ったらこいつと身体を交えるといい。
もしかしたら行けるかも知れないぞ。ウッシッシ』
「それはぜぇぇぇぇったいダメですぅぅぅぅぅ!!」
オリビアの身体が具現化したとは言え、幽霊とエッチなことが出来るの?
大きなおっぱいが気になるし試してみたいけれど、パティから即行で止められてしまった。
エッチなことは出来なくとも、何らかで生おっぱいは拝んでみたいな。
着替えとかお風呂とか…… でも幽霊にそれ必要ある?
「あう…… じゃあこの部屋へそのまま住んでもらおおうよ。
パティはもう怖くないでしょ?
みんなもいいよね?」
「――仕方ないです」
「私はいいけれどね。面白そうだし…… ふふふ……」
『マヤがいいって言うならあたしもいいよ』
『好きにしろ』
『あああありがとうございますぅぅぅ!』
オリビアは涙を流しながら両手を組んで喜んでいた。
幽霊じゃなくても何だか変わった女性だけれど、これから一緒に住むには楽しくなるかも知れないな。
ジュリアさんやルナちゃんたちには事後承諾になるけれど、見た目が人間と変わらないからわかってくれるはず。
いや、わからせてやるぞ!
ちなみに、古戦場公園のことは作者の体験をこっそり入れてます。




