第二百八十五話 整流の指輪
チャオトン村、マイの家。
見送りしてくれるメイファちゃんも含めて、ゆうべ三人で寝た客間に集まっている。
お土産も買ったし、もうディアボリへ帰るだけだ。
三眼族は昼食を食べる習慣が無いのだが、マムさんが私たちのためにわざわざおむすびを握ってくれていた。
具も何も無い塩むすびだけれど、味は日本の米にも引けを取らないほどの極上だった。
「うう…… 美味いなあ…… モグモグ」
『何だよマヤ。その天国へ上がって行くような顔がウケる。ぷぷっ』
「本当に美味いんだぞ。生まれ故郷と同じ、懐かしい味だなあ」
コシヒカリのような甘みと程良い塩気。
そして柔らかめに握ったおむすびは適度に空気が入っており、口の中でホロッと崩れる舌触りは米を噛みしめると味が一層引き立てられる。
『そりゃ父さんたちが作った米だから美味いに決まってるよね。フフン』
と、マイはドヤ顔で言う。
寒暖差が大きい山間部の気候であれは米野菜の味が引き締まって美味しくなるとしても、手間を掛けて育てているのがこの味でわかる。
『モグモグガツガツバクバクバク…… ムグッ! ムググッ!? 水ぅ!』
『ああもう! ――はいお茶!』
アイミは、おむすびを勢いよく食べて喉を詰まらせるという、漫画でもお約束のことをやってくれている。
マイがお茶が入った茶碗をアイミへ差し出し、グビグビと飲み干して命を取り留めた。
ん? 神なのに息が詰まって死ぬことがあるのか?
すっかりギャグ要員になってしまったアイミである。
最初のアーテルシアみたいな、不気味で妖艶な雰囲気とは何だったのか。
『おお、おまえたちイイ物を食ってるな』
アイミが騒いでいるのを聞きつけたのか、爺じがガラッと障子戸を開けて入ってきた。
相変わらず暇そうだ。
そこへマイが爺じに向かって、子供みたいに口を尖らせて言う。
『爺じにはあげないよー。ディアボリへ帰るから腹ごしらえしてるんだ』
『誰もくれとは言うとりゃせん。
マヤ、おまえさんにこれを渡しておこう』
「え? 何ですか?」
爺じは右手に握っていた小さな物を差し出すと、私は両手で受け取った。
これは…… 指輪?
『それは三眼族に伝わる「整流の指輪」と言ってな。
この整流の指輪を着けていると身体の中の気や魔力の乱れを整える効力がある。
それでおまえさんはとても大きな力を持っているが、それを今はグッと抑え込んでいるのがわしにもわかる。
気の乱れは技の乱れ、敵にも不審に思われる。
自分で気と魔力が完璧に制御できるまで着けておくがよい』
「ええっ!? そんな秘宝を頂いていいんですか?」
『いやあのね。秘宝と言うほど、大した物ではないんじゃが……』
「あ…… そうなんですか。ははは……」
シルバーの指輪は三ツ目の紋様が刻み込まれており、デザインが中二病っぽい。
でも良い物もらったなあ。
早速右手の中指に嵌めてみた。
『ああそれから、やるとは言っとらんぞ。死ぬまでに返しなさい。
人間族の寿命だと、わしのほうが長生きするかもなあ。ホッホッホッ』
『あっ 爺じ。それあたしが若い頃に着けてたやつじゃん。
いいよマヤ。爺じが先に死んだらあたしに返してくれればいいから』
「そうなの? じゃあ有り難く使わせてもらいます」
『マイよ…… 会うたびにわしの扱いが酷くなってないか?』
『爺じに会うたびにスケベの度が酷くなってるからだよ』
『うっ……』
ふふっ マイと爺じのやり取りは漫才みたいだな。
マイも使っていた指輪かあ。
となると百年や二百年も前の物ってことになるから、普通に凄いぞ。
確かにマイの気の流れはとても綺麗で、効率よく最適化されていた。
爺じもそうだったし、さっきのスイランさんだって後ろに立ってたのが声を掛けられるまで気づかなかった。
三眼族ってとんでもない武術族だ。
『さてと、みんなそろそろ出発しようか。爺じも見送りしてくれるんだろ?』
『勿論じゃ。マヤとパティの乳をしっかり目に焼き付けておかねば。うっひっひ』
「まあっ!?」
「ええ……」
『はぁ…… だから爺じは……』
この場にいた皆が皆、爺じに呆れていた。
嫌うわけじゃないが、まともにやり合ってもしょうがないからだ。
『あら爺じいたの。
マイ、玄関前に米二俵置いておいたからあんたの分とマヤさんとこの分で持って帰りなさい。
あの飛行機って乗り物なら簡単に運べるでしょ』
マイのお母さんであるマムさんもやって来て、お米をお土産に用意してくれたようだ。
まるで帰省先のおばあちゃんみたい。
有り難いなあ。そのままマカレーナへ持って帰ってみんなに食べさせてあげたい。
『ありがとうお母さん。米俵で持って帰るの初めてだよ』
「ありがとうございます。おむすび、感激するほど美味しかったですよ」
『あらそう? うちの自慢のお米だからねえ。うふふっ』
マムさんはニコニコしていた。
やっぱりお母さんがいるっていいよね。
私の母親は早くに事故で亡くしてしまったけれど、アマリアさんを始めとして優しくしてくれる女性がたくさんいるから、この歳になって愛情をたくさんもらった。
帰ったらアマリアさんにこっそり抱っこしてもらおうっと。むふふ
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マムさんは家のことがあるので玄関でお見送り。
妹のマオちゃんや他の家族は畑仕事があるので、朝食の時に挨拶を済ませておいた。
米俵が二俵、玄関前にドカンと置いてある……
一俵が六十キログラムだからかなり大きいが、今の日本じゃ大きい紙袋でも三十キロだから、俵の状態で見たのは初めてだよ。
マイはこの一俵を一人で食うのか?
一日一合で四百日分あるから、きちんと保存しておけば食べられるが。
『じゃあねマイ。次は早めに帰ってくるんだよ』
『うんお母さん。病気しないでね』
お互い手を振るだけだが、微笑ましい光景だ。
例え長い間離れていようとも、実家というものはあたかも数日前に出掛けて今日帰ってきたような居心地の良さであろう。
二俵の米俵をグラヴィティでふわふわ浮かせながら、飛行機を置いている広場へぞろぞろと歩いて行く。
メイファちゃんは長老を呼ぶため先に帰り、爺じが後から付いてくる。
腰が少し曲がっているのに軽やかに歩いているのだから不思議だ。
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広場ではメイファちゃんと長老が先着しており、昨日ほどでは無いが野次馬の村民がうじゃうじゃと見に来ている。
私は先に米俵を飛行機の中へ放り込んでおく。
パティやアイミが雑貨店でしこたま買い込んだお土産の包みは後ろの貨物室へ。
『ではな。またいつでも来るが良い』
「ありがとうございます長老。いろいろお世話になりました」
『次はそんな道着よりも、あのミニスカっちゅうもんをずっと履いておってもいいんだぞ』
『そうじゃそうじゃ。美しいむちむち太股を見せないのは勿体ない』
またこのエロジジイたちは……
昨日到着したときといい、村の長たちが大衆前でも構わずセクハラ発言するのだからどうしようもない。
それだけ村の雰囲気も緩いのだ。
『お爺ちゃん! 三眼族の恥さらしよ!』
『メイファ…… そこまで言わんでも…… シュン』
『爺じ! また痛い目に遭いたいっていうの!?』
『おまえ仮にも警察官なのに、無体じゃのう』
メイファちゃんとマイが抑えるも、反省している様子は無い。
死ぬまで治ることはないだろうが、まあ押し倒したりしなければいいだろう。
パティにそういうことをしたらさすがの私もギタギタするかも知れないが、その前に大火炎で消し炭にされるのではないか。恐ろしや。
「まあまあ二人とも。わざわざお見送りに来てくれているのだから穏便にね」
『優しいのうマヤは。うひひ』
「とか言いながらお尻を撫で回すのはやめて下さい……」
ボカァァァ!!
爺じが私のお尻を触ると、マイの表情がキリキリと変わり爺じ頭にチョップする。
爺じの三ツ目から星が出て地面に転げ回る。
『あいたたたた!! ほんにおまえは加減というものを知らんやつじゃのう!』
『全然学習しないからだよ。さっ みんな。飛行機に乗ろう』
マイはわたしたち三人を飛行機の中へ押し込むように搭乗して行く。
アイミはさっきから大人しいけれど、食べ過ぎと眠気でボーッとしている。
パティが手を繋いでタラップを上がっていった。優しいねえ。
一番後ろのマイがタラップを上がりきると振り返る。
『じゃあみんな、またね!』
マイが手を降った後、私が中でスイッチを押すとタラップドアが上がり閉じていく。
窓からはメイファちゃんや子供たちが手を振ってバイバーイと言ってるように見えるが、機密性が高いので私たちに声が届かない。
私たちはそれでも窓から大きく手を振って応えた。
名残惜しいけれど、離陸してチャオトン村に別れを告げた。
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夕方、無事にアモールの館の庭へ着陸した。
暗くなる前に飛行を終えないと、完全な目視飛行なので夜の暗黒の中では飛ぶことが出来ない。
これが飛行機の最大の欠点で、レーダーみたいな都合の良い魔法があればいいのだが。
アモールに聞いてみようかな。
「おい、アイミ。着いたぞ」
「アイミさん、起きて下さい!」
『――うにゃあ?』
飛行中、アイミはずっと眠っており私とパティの二人がかりでやっと起きた。
まるで私たちの娘のようで、アイミは長く女児の姿でいるせいか心まで幼児化してる気がしてきた。
これが世界を震撼させた邪神だったとは思えない。
マイの分の米俵を降ろし、館の皆へあげるプリンだけ持って皆が降りる。
マイは軽々と片手で米俵を担ぎ上げた。すげえな。
『じゃあみんながイスパルへ帰る前にまた遊びに来るから。
ありがとう! すっごく楽しかった!』
「うん、私も楽しかったよ。
次に会うときは男に戻ってるかもね。ふふ」
『あっ そうか。魔法で性転換してるんだったね。
それなら今度…… にっひっひっひ』
「ええ…… 何をするのかな……」
マイが何か思わせ振りなことを言うからパティがジト目で睨んでいる。
でもエッチなことをするんだと思うと分身君がムクムクと……
あ、今はいないんだった。
『それじゃあねえ! にっひっひ!』
マイは俵を担ぎながら駆け足で門へ向かい、ゆるゆると飛び上がり帰っていった。
何だろうねえ。
やっぱり爺じの血が流れているからマイもエッチなんだろうか。
マハさんもお風呂ではその気があったから、本当にそうなのかも知れない。
お風呂の思い出…… ああ、最高に良かった。むっひっひ
「マヤさま…… 今絶対マイさんのエッチなことを考えてますね?」
「ええ!? あいや、違うよ。マイじゃないよ。あっ……」
「この場でマイさん以外のことを考えてるなんて、もしかして私のことですか?」
「うんうんうん! 今度はパティとチャオトン村の温泉に入れたらいいなと思ってね」
「マヤ様ったら…… うふふ。もうちょっと待ってて下さいね。
次に行く機会は、私たちきっと結婚していますから一緒に入れますよ」
「そ、そうだね! うん、楽しみだ!」
パティの勘違いでうまい話へ持って行けた。
彼女と温泉へ入るのもそれはそれで楽しみだが、マイとマハさんも一緒に……
それはダメかなあ。
『おい、腹減った。早く館へ戻るぞ』
私とパティが飛行機の前でグズグズしているせいか、アイミが私の袖口をひっぱる。
えええっ!? 腹減った?
「あれだけおむすび食ったのにもうお腹が空いたのかよ。
お米は一体どこへ……」
『食ったら出すに決まっておろう』
「あっ そう……」
はぁ…… アイミにも淑女の嗜みを教えておいた方が良いだろうか。
――いや、絶対に放り出しそうだ。




