第二百八十二話 ナムルドの畜舎にて
アステンポッタは放牧されているので、明るいうちは空になっている畜舎。
そこでマイの家の隣に住んでいるというタイランさんが働いており、後でプリンを御馳走してくれるという。
それまで、隣にあるナムルドの畜舎を見に行く。
今そこで、タイランさんのお爺さんが働いているらしいのでこれから行くところだ。
「隣って…… 何も無いよ」
『ほら見えるじゃん。あそこだよ』
「あー、あそこね」
マイが指を差す。
ナムルドの畜舎は五百メートルほど離れていた。
拓いた土地の、向こうの丘に建っている。
隣っていう距離感覚がまさに田舎だ。
『じゃあみんな、飛んでいくからね』
再びパティと手を繋ぎ、私たちはふわりと空中移動でナムルドの畜舎へ向かう。
---
「なんかブヒブヒと聞こえるね」
ナムルドの畜舎入り口前に到着すると、そういう鳴き声が聞こえてきた。
やっぱり豚の仲間なの?
肉を食べた時も似たような味だった。
入り口から入ると、マイは大声で呼びかける。
『おーい! おっちゃあーん!! いるかあ!?』
ブヒブヒうるさいので聞こえないのか、返事が無い。
その鳴き声のナムルドの姿は……
猪? いや、黒豚?
その中間みたいな姿で、まるまると太っている。
みんなキュンとくるような可愛いつぶらな瞳で、食べるのが可哀想になるくらい。
広い畜舎の中にはそのナムルドが百頭以上いるように見えた。
日本の豚舎のように仕切りがあり、各仕切りの中に十頭ぐらいのナムルドがうろうろしてたり昼寝をしている。
その一つの仕切りに親子のナムルドたちがいた。
「まあ! あの子たち可愛いいいい!! キュウウウン!」
うっ…… ナムルドの子供は私が見ても、もふもふしたいくらい可愛い。
パティはその子供をこっそり持って帰りそうなので、監視しておかねば。
『おほお! これもまた食べ甲斐があるやつだな! じゅるり』
アイミは別の仕切りにいる大きなナムルドを見て、ウキウキ顔で舌なめずりをしている。
彼女の頭の中では、いったいどんな料理が思い浮かべられているのだろう。
ああ…… とんかつ、叉焼、生姜焼き……
この世界に来てから当然食べていない。
イスパル料理の、豚肉のソテー、豚肉のトマト煮込み、豚肉ステーキ、生ハムも美味しいけれど、日本の料理も恋しくなってきたなあ。
その点では、マイの家で御馳走になった鍋料理には感激したけれどね。
『おっちゃあーん!! いたら返事しろい!!』
奥へ進みながらマイが声を掛ける。
すると数ある仕切りの一つに、人影が見えた。
勿論ナムルドもいたが……
「こ、これは……」
『あらら……』
『これじゃ返事してる場合じゃないよね』
「はわわわわ」
『うっひっひ ナムルドも精が出るのう』
パティは両手で半分目を隠しながら気になってみている。
おいおい。アイミが言ってることは懸命だとかよく励む意味なので確かにそうなのだが、私たちが見ている光景は文字そのままの意味でもある。
そう、ナムルドの雄と雌が交配をしており、タイランさんのお爺さんはその介助をしているのだ。
前に日本で聞いたことがある。
雄豚は交尾がとても下手で、効率よくするためには人の手で介助が必要だという。
ナムルドの雄もそれと同じなのか。
我々は安く当たり前に豚肉を食べられているが、育てるのはとても大変なのだ。
『おっちゃん、頑張ってるね』
『ああ? マイか、久しぶりだな。今日はなんだ?』
タイランさんのお爺さんは短髪で見た目は三十歳くらい。
マイのお爺さんとお婆さんのマハさんも、とてもそう呼べない若さだった。
人間から見たらとても不思議だけれど、三眼族視点では老若の区別はすぐにつくらしい。
『ディアボリから人間族の友達を連れてきたんだよ。
それでアステンポッタとナムルドを見てみたいって言うからさ』
『人間族だって? ええいっ おまえこっちじゃないだろ! 動くなよっ』
お爺さんは雄豚の大事なところを掴んで誘導する介助の真っ最中。
邪魔しちゃ悪いかな……
『ああ、見ての通りで残念だが相手してやれねえ。
メイファもいるのか。だったらおまえたちで好きなように案内してやってくれ』
『そうだねえ。さっきの可愛い子豚ちゃんのところへ行こうか』
あ、子豚って言った。
やっぱりナムルドは豚の仲間なんだな。
『じゃあおっちゃーん、頑張ってねえ!』
『おうよ。もっとも頑張るのはこいつらだけどな! ハッハッハッ』
お爺さんは続けて介助に奮闘。
気のせいか、雄豚は気持ち良さそうな表情をしているように見えた。
いやはや、いろんな意味ですごい。
さすがのパティでもアレを見て顔を赤くすることなく、何事も無かったかのように私たちと移動する。
ピギーッ プギーッ フィィィッ フィィィッ
再びナムルドの子供たちがいる仕切りへ。
母豚が一頭と、子豚が十匹いる。
うろうろしている子たち、母豚の乳を飲んでいる子たちもいる。
『あの子たちは生後十日か二週間くらいかな。
一ヶ月もすると母豚から離されるんだよ』
「そんなに早いんですね。
それで、お肉にするのは何日後なんですか?」
『もう十ヶ月か一年以内にはそうなっちゃうかな。
三眼族ばかりじゃなくて、別の魔族の村へも売りに行くんだ』
「お肉になるために十ヶ月生きる……
命を頂戴するんですから、残さずきちんと食べてあげないといけませんね」
パティはしっかりした考えだな。
こんな可愛い子たちの豚肉食べられません、なんて言い出すかと思っていた。
「あっ 一匹だけこっちへ来ましたわ!」
ちょこまかと一匹の黒い子豚が私たちの近くまでやってきた。
それを仕切り越しにマイがひょいと抱き上げる。
『パティちゃん、抱っこしてごらんよ』
「まあっ いいんですか?」
フィィィッ フィィィッ フィィィッ
ジタバタしてる黒子豚をマイがパティに渡そうとする。
「あら、男の子ですわね」
「あらら、これは」
子豚のアレが、地球の豚と形状が違う。
何というか馬に近い。
細かいところで違いがあるもんだと感心するが、インキュバスでも人間とは違っていたからな。
いや、アレは特別だ。
それにしてもパティは恥ずかしがることなくアレを見ているが、弟たちもいるしそういう感覚なのだろうか。
パティはマイから子豚を受け取った。
「キュウウウン! 可愛いいい!」
ピギーッ! ピギーッ!
子豚はつぶらな瞳でパティを見つめた。
そして思いっきり抱きしめる。
ああ…… この子もいつかお肉に……
と、感慨にふける。
口に出すような野暮なことはしない。
ツンツン
後ろから誰かが私の脚をつついてる。
ははーん、アイミがいたずらをしてるのか?
「おいアイミ、なんなんだ?」
『ああ? おまえこそなんだ?』
「あれ?」
彼女の背が低いので気にしてなかったが、よく見るとアイミは私の隣にいた。
ツンツンツン ブヒブヒッ
「ブヒ? じゃあ後ろにいるのは……??」
後ろにいるのは、でっかい黒豚。いや、ナムルドだ。
私のふくらはぎや太股をつついていたのはこいつか!
なんで仕切りの外に出ているんだ?
ブヒーッ ブヒヒッ ブヒブヒッ
「おぉおぉおお!?」
私がナムルドと対面になったとたん、私の股間にナムルドの鼻が突っ込んできた。
何でえ!? 匂いを嗅いでるのか?
ブブブヒッ フガフガクンカフンカクンカ ブヒッ
「ああやっぱり匂いを嗅いでるうう!!」
「キャァァァ! マヤ様!?」
『おいおい、マヤの匂いにおびき寄せられたってか?』
マイが言う。
私のいちごミルクの匂いがナムルドに反応したってことか!
ということは、みんな雄のナムルド?
『わははっ ここでもマヤが面白いことをやってくれるのか?』
「アイミってば、俺がやってるわけじゃねーよ! わわわわわっ」
『ああっ!? マヤさんっ 他のナムルドも次々にこっちへ来てます!』
メイファちゃんの言うとおり、ナムルドが十頭くらい私の方へ突進してきた。
ええっ!? みんな仕切りから飛び出しちゃったの!?
ブブブブブヒヒヒィィィィィィ!!
「ギャァァァァァァァ!!!!」
ナムルドに囲まれ、鼻が私の股間へ前から後ろから左右から突っ込んでくる!
俺のいちごミルクはそんなに強烈なのかあああ!?
『ガハハハハハハハッ ヒイィィィィィッ 面白過ぎるわ!』
アイミは腹を抱えて笑っている。
パティは子豚を抱えながら、どうしたら良いのかわからずオロオロしていた。
マイとメイファちゃんは私からナムルドを引き離そうとしている。
『おいっ クソッ マヤから離れろ!』
『こいつら案外力が強いね!』
私もナムルドを蹴飛ばせばすぐ逃げられるけれど、大事な飼育動物だから傷を付けるわけにはいかない。
だが三眼族の二人が頑張って、持ち前の力である程度引き離すことに成功すると、私はグラヴィティムーブメントで飛び上がって逃げた。
ドドドドドドッ ブヒブヒブヒイィィィィィィ!!
それでも追いかけてくるので、高速で一気に畜舎から脱出した。
ナムルドから見えないように高く上がり、上から様子を見る。
外に出てしまったナムルドを、マイとメイファちゃんが必死に捕まえて畜舎へ追い込んでいる。
ゴメンよお。もうあそこには近づけそうにないや。
ホッとして、ナムルドの畜舎から距離を置いて地上へ降下した。
「ふえー やれやれ。酷い目に遭った」
降りた場所は草原になってるが……
あっ ここって…… アステンポッタの牧場か。
すると何かがお尻を押す感触があった。
え? なに?
後ろを振り返ると、大きなアステンポッタが三頭いる。
その中の一頭が、鼻で私のお尻をつついていたのだ。
「はぁー なんだびっくりした。こいつらか。
でもいつのまにこっちへ来たんだろ」
降下したときは見えなかったけれど、アステンポッタってそんなに動きが速いのかな。
バイソンの特徴のようにもじゃもじゃの毛並みでデカいし迫力有るけれど、大人しそうで可愛いな。
おお、子供も一頭だけいた。一見、鹿みたいに見える。
みんな乳房があるし、牝だよな。
それなら襲われることもないだろう。
グルルル ブルルッ
またお尻を突かれる。
さっきのとは違うヤツだ。
「あははっ もうやめろって」
ゴルルル ブフーッ
今度は三頭目が前から私の股間を突いた。
あれ? ナムルドの状況と似てるような……
グォォォォォ ブルルルルッ
アステンポッタの鳴き声は日本の牛と違い、猛獣みたいでちょっと怖い。
バイソンもこんな鳴き声だったっけ?
ゴルルルル グルルルルッ グォォォォ
今度は三頭が私の股間やお尻を突いて匂いを嗅いでいる!?
ええ!? 牝なのにどうして!?
「あわわわわわわっ やめろおおおお!!」
私は直ぐさま飛び上がり、逃げることが出来た。
もし飛べないパティが一人でこうなっていたら大変なことになっていただろうが、いちごミルクの匂いは私とアモールしかしないので心配ない。
でも…… せっかく牧場へ来たのにじっくり触れ合うことも出来ないとはなあ。
まあ、これで十分か。
何故、牝のアステンポッタが私の匂いに反応したのか分からないが、元々男だから生き物の種類によって牝の方が匂いを感知するのか、勝手に想像する。
それを実証する種牛になる牡のアステンポッタを探して反応を見るか、アモールにもやってもらうしかない。
無理してやる必要無いことだし、後者は絶対ダメだ。恐ろしい。
さて、ナムルドの方はマイたちに任せて、お爺さんの家へ先にお邪魔してみよう。
タイランさんもいるかも知れない。
---
タイランさんのお爺さんのお宅へ着いた。
北海道の開拓時代のような家で、こう言ってはいけないがチャオトン村の家々と比べたらみすぼらしい。
だが庶民感あって何だか安心する。
「ごめんくださーい!」
玄関で声を掛ける。
すぐにタイランさんが出てきた。
良かった。それなら話が通りやすい。
『ん? 君か。マイたちはどうしたんだ?』
「実は斯く斯く然々(しかじか)……」
私はタイランさんに、ナムルドの畜舎で起きた経緯を話した。
アステンポッタについても。
勿論彼はびっくりする。
『なんだって!? うーん……
俺も行った方がいいか…… いや、マイとメイファがいれば何とかなるだろう。
それにしても君の匂いって…… コホン』
タイランさんは顔を赤くした。
うわーっ その顔はやっぱり私の匂いに反応したのか?
益々以て、女でいる間は男に近づかないほうがいいな。
マイのお父さんと本当のお爺さん、ディアボリのお店には男性店員もいたけれど、言わないだけで私の匂いに気づいていたのだろう。恥ずかしい……
『中に入って待っていてくれないか。
婆さんもいるし、今プリンを準備するからね』
「はい、ありがとうございます。お邪魔します」
私は遠慮無く上がらせてもらった。
ナムルドとアステンポッタに突かれて、気分的に疲れてしまった。
早く休みたい……
おかしな体質になってしまったけれど、男になるまであと半月足らずの我慢だ。
サキュバスメイドの三人はアーテルシアの兄であるヒュスミネルの精力をたくさん吸って、当分私の相手は必要無いって言っていたけれど当てにならない。
だからエリカさんが復活する前日に男に戻る術をアモールに施してもらい、当日にエリカさんも連れてイスパルへ戻るのだ。
女の身体は名残惜しいけれどこのままでは結婚出来ないし、女でもOKという人はエリカさんとモニカちゃんぐらいしかいないから、男に戻った方が断然楽しめる。
早く分身君に会いたいなあ。




