第二百七十六話 チャオトン村のおやつ
マイの実家に着いた。
うーむ、デカい。
村のどの家も昔の庄屋みたいな大きい家で、マイの家は一際大きかった。
爺じは長老と仲が良いみたいだし、この一家は村の中でも偉い家なのだろうか。
腹が減ってきて、今更ながら昼食を食べていないことに気づく。
パティたちは持って来たクッキーなどおやつを機内で食べていたようだけれど、アイミとパティがみんな食べてしまったから操縦中の私は食べそびれた。
『みんな上がれよ。ディアボリの家とは違うから気を付けてな』
「それではお邪魔しまあす」
おお、玄関土間から式台、上がり框のやたら段差が高い日本の古民家にある玄関のようだ。
バリアフリーなんて全く考えていたいが、あの爺じなら大丈夫だろう。
パティとアイミはこのような玄関が初めてで戸惑っていた。
「パティ、アイミ。ここは靴を脱いで上がるんだよ」
「そうなんですの? よくご存じですね」
「私が産まれた国も同じだったんだよ。
ローサ様が修行に行っていたヒノモトの国もこうだったと聞いたよ」
「それは初めて聞きました!
私もまだまだ勉強しなければいけませんね」
パティはスカートを押さえながらそろりと玄関を上がる。
さすがにこっちのガードは堅い。
アイミは背が低いから上がるのは大変かと思ったが、その心配は無かった。
何のことは無い。靴を脱いでフワッと浮いて廊下に着地した。
でも二人とも靴がバラバラ。
「脱いだ靴は自分で揃えるんだよ」
「あらっ ごめんなさい」
『なんだ、この家の者がやるんじゃないのか』
と言われつつも、私が靴を揃えて自分も玄関を上がる。
野菜を入れた木箱は頭上をふよふよと浮いている。
「ねえマイ。この野菜の箱、どこへ置いたらいいのかな?」
『そうだねえ。そのままお母さんにあげるから付いてきてくれる?
パティちゃんたちはこっちの部屋で待っててくれるかな』
「うん」
「はーい!」
『おお、そうか』
パティとアイミは玄関に近い準客間的な部屋へ通された。
私の田舎の実家もそれなりに大きくて普段はあまり使わない部屋があり、襖を外せば居間と繋がって大人数で宴会が出来るくらい広くなる。
たぶんそこの部屋のそうなのだろう。
だが畳ではなく板の間で、そこに座布団が置いてある。
パティは座布団も初めてだが使い方を察したのか女の子座りをし、アイミは行儀悪く座布団の上で寝転んだ。
「アイミ、行儀悪いからちゃんと座ってろよ」
『あーもう、うるさいな』
『良いって良いって。小さい子だし疲れてるんだろう?』
『おまえわかってるな。うひひ』
「はぁ……」
小さい子じゃねーよ。
マイはアイミが人間ではない何かだということに気づいているのか?
まさかね……
---
マイが私を連れていった場所は、台所だった。
土間があって炊事は釜炊き式だ。
昔の日本の台所とよく似ている。
そこにはマイによく似た可愛らしい三眼族の女性がいた。
『お母さん。人間の友達を連れて来たよ
野菜たくさん貰っちゃってさあ、どこに置いておけばいい?』
『マイのお友達?』
マイのお母さんなのか。
姉妹かと思うほど若いが、三眼族が歳を取り出すのは千何百歳からと聞いたから若いのは普通なんだな。
箱をお母さんの前へふよふよと浮かせたまま持っていく。
「初めまして。マヤといいます」
『あらまあ、私たちとよく似た名前ね。
私、マムっていうの。
野菜がこんなにたくさん。見せて見せて!』
お母さんがマムさん。
英語のマムだけに…… ぷっ
そのマムさんが、持って来た野菜箱を覗き込む。
『すごいすごい! ナスやキュウリ、キャベツがたくさんある!
ここではあんまり採れない野菜だから助かるわあ』
「それは良かったです」
野菜箱は台所の隅に置かしてもらった。
アモールの館で、私たちが食べる分の野菜を厨房から急遽持ち出してきたので、出掛ける前にジュリアさんには追加の買い出しを頼んでおいた。
ナスはパエリア、他は生野菜サラダに使うことが多い。
『それにしても、マヤさんはずいぶん変わった格好をしてるのね』
「いやその、いろいろな事情で…… あはは」
グゥー
『あら、お腹減ったの?』
「朝食べてから、ずっと食べてなくて……」
腹が減りすぎてお腹が鳴ってしまった。
マムさんが何か作っていて良い匂いがしているから余計である。
『ああそうか。他の魔族や人間族と違って、三眼族は昼飯を食べる習慣が無いから気にしてなかったよ。ごめんごめん』
マイがアモールの館へ来たときから食事をしていないのにケロッとしているのはそういうことか。
パティとアイミはお菓子を食い過ぎてお腹が減っていなかったろうが、そろそろ文句を言ってくる頃か。
『じゃあお母さん、パオズある?
他に二人友達を連れて来たんだけれど』
『そこにさっき作っておいたのがあるから、持って行ってあげなさい』
『はぁーい』
見た目がほぼ同じの若さの二人が、四十歳くらいのお母さんと高校生くらいの娘の会話をしているから、不思議でしょうがない。
マイは木製の広い物置テーブルに置いてある、二段積みになっている木のケースを持って行く。
日本ではお餅を入れておく木箱と同じような物だ。
パオズって何だっけ?
地球では確か中華まんの中国語呼びだった気がする。
『マヤ、さっきの部屋へ戻るよ』
「うん。お母さん、御馳走になります」
『足らなかったらまだ有りますからね。
あっ みんな食べたら晩ご飯が食べられなくなるわね。ふふ』
ああ、この親子の感じ…… 懐かしいな。
五十歳を過ぎればこの時に戻ってみたい気持ちが出てくるけれど、彼女らは三百年近く変わらずこういうやりとりをやっているだろうから、人間の私では感覚が掴めない。
不老長寿を羨ましく思うが、悩みはどんなことがあるんだろう。
---
パティとアイミが待っている部屋に戻った。
パティは大人しく座っているが、相変わらずアイミは行儀悪く寝転んでいる。
「おーい、パティ、アイミ。
マイのお母さんが美味しい物を作ったから御馳走してくれるって」
『おお? それは楽しみだな!』
「まあ! チャオトン村の食べ物ってどんなものなのかしら?」
この二人はいつも食べ物のこととなると、ちょっと面白い笑顔になる。
まあ、食べ物で済むなら扱いやすくて良い。
『マヤ、そこに机が立て掛けてあるから真ん中へ置いてくれ』
「わかった」
私は部屋の隅に立て掛けてある座卓を真ん中へ置く。
重厚でとても立派な机だけれど、これって漆塗り?
こんなのを今の日本で買ったら高そうだなあ。
私は日本人女性らしく正座。
だがミニスカがずり上がっていて、机の下から見たらぱんつ丸見えだな。
正座の太股が色っぽくて自分で欲情してしまいそうだ。
マイは机に木箱を無造作に置いてから、箪笥の上に置いてある木製の大きな饅頭皿を机の真ん中に置いた。
『じゃじゃーん! お母さん特製のパオズだよ』
マイが二段の木箱からパオズを取り出して饅頭皿にどんどん移し替える。
あれ? 中華まんかと思っていたのに、見た目が違う……
うーん…… どこかで見た焼き饅頭っぽい。
みるみるうちに饅頭皿はパオズで山盛りになった。
『ちょっと緑っぽいのが辛いので、白いのが甘いんだ。
今お茶を持ってくるから先に食べてて良いよ』
マイはいったん席を外し、台所へお茶を取りに行った。
パティとアイミは初めて見るパオズをどうやって食べるのかわからず、ゴクリとしながら私の顔を見た。
「パンやクッキーみたいに、そのまま手に取って食べればいいんじゃないかな」
『そうかそうか。私もどこかで見たことがある気がしたが、すっかり忘れてな』
「それではこの白いほうを頂きます……
モグモグ…… むむむむっ 本当に甘ふておいひいでふわあ!」
『私は緑のほうだ。モグモグ…… なに!?
その昔、地球で食べたことがある味だぞ!』
二人とも好評のようだが、アイミが食べてる地球の味というのが気になる。
どれ、私も食べてみよう。緑色のを…… モグモグ……
「おおおおおお!! これは懐かしのおやきだ!!」
長野県の名物、野沢菜入りの「おやき」にそっくりだ!
中にごまラー油で炒めた菜っ葉が入っている。
まさかこんなところでおやきが食べられるなんて思わなかった!
もう一口…… モグモグ……
「むおおおおお!!」
『うるさいぞマヤ。これがどうかしたのか?
あああああ美味い美味い! バクバクバク……』
「アイミ! おおお俺の分まで食うなよ!」
おっと。懐かしい味で感激してしまい、つい俺なんて言ってしまった。
ピリ辛の菜っ葉がパオズの皮に絡んで絶妙な味である。
アイミは大層気に入ったようで食べるスピードが上がる。
「マヤひゃま! こっちもおいひいでふから是非食べてくだひゃい!」
「うんうん!」
白くて甘い方のパオズの中には何が入っているのだろう。
どれどれ。パクッ モグモグ……
「ふおおおおお!! これも懐かしい味!!」
『何だまだ騒がしいな』
粒餡が入っている!
ちょっと甘すぎるぐらいだけれど、普通のあんまんやあんパンと同じくらいだ。
粒餡入りおやきだなんて想像もして無かったから、衝撃のあまり声を出して固まってしまった。
マカレーナではスペインやフランス料理のようなメニューで満足していたから日本の食べ物なんて忘れてしまうほどだったけれど、いざ口にすると懐かしさで感激した。
『お茶を持って来たぞー』
「ぐぬぬぬぬ…… ううう…… 美味いよおおお うぇーん!」
『ええ? マヤ、何で泣いてんだ?』
お茶を持って来たマイが私を見て驚いている。
懐かしさと美味しさのあまり、思わず泣いてしまった。
食と味を大事にする日本人の心は失われていなかったのだ。
「マヤ様のお里の食べ物とよく似ていて、とても懐かしいそうですよ。
甘くて美味しい…… いくらでも食べられますわ!」
『そうかあ。泣くほど美味しかったんだね!
それじゃあお母さんに言って、明日のお土産にもっと作ってもらわないとね!』
「え!? いいの!?」
『私は作れないけれど、お母さんは昔からたくさん作っていたから頼んでおくね』
「嬉しいなあ…… ううう……」
と、マイが持って来たお茶を頂く。
これは…… 番茶!?
「ううう…… お茶も懐かしいよおおおお うぇーん!」
『あららら…… マヤの生まれ故郷ってそんなにチェンホンに似てるのかな』
お茶までそっくりとは思わなかった。
ホームシックに掛かったような気分だ。
舌の記憶というのは人間にとってそこまで深いものなのだろうか。
『むむむむ! むぐむぐむぐ…… 苦じい……』
『ああもう、そんなに頬張るから詰まるんだよ。ほらお茶!』
『ゴクゴク…… プハーッ 助かった……』
アイミが一気に大食いし食べ物を喉に詰まらす、何というお約束展開。
マイがアイミにお茶を差し出し、命が助かったようだ。
あれ? もしかして喉に詰まったらアイミって神なのに死んじゃうの?
アーテルシアと戦った時はあれほど苦労したのに。
今度何か邪神が襲って来たら、美味いものを飲み物無しで食わせたら勝ってしまうのではないかと浅はかなことを考えてしまった。
パティが甘いほうのパオズの中身をじっと見て、マイに質問する。
「マイさん、この甘くて黒いものは何ですか?」
『それは小豆って豆を砂糖で煮て潰したものだよ』
「やっぱり砂糖ですか……
それでは食べ過ぎると太りますね。うふふ」
ここの粒餡は小豆で作られていたのか。
日本の甘味の代表といえば餡子だから、思いつきでやって来たこの村で食べられるなんて、来て良かったあ!
「え? じゃあチェンホンでは小豆を作ってるの?」
『うん。うちの畑でも作ってるよ。
他に芋とか大根、小麦もだね。
他の家の農産物と物々交換して成り立っている。
お父さんが一日中畑仕事をしているし、今は妹のマオも出掛けてる。
ちょっと離れたところに畑があるけれど、夕方には帰ってくるよ』
「へぇー そうなんだね!」
そうなると今晩の食事はチェンホンの畑の集大成が出てくるというわけか。
全体的に村の感じは和風にやや中華風が混じっているけれど、食事はどんなものが出てくるのかとても楽しみだ。
『はあああ 食った食った!』
アイミが満腹になったようで、満足してまた寝転ぶ。
晩飯はどうするんだよ。
「あっ! 全部無くなってる! 二個しか食べてないのにいいいい!」
アイミが食べ尽くす危険性は何となく予想していたけれど、悪い意味で期待を裏切らないとはこのことか。
『アイミちゃん、あんな小さな身体でよくお腹に入ったねえ』
「すみません、マヤ様……
美味しかったので私も調子に乗って十個以上食べてしまいました……
でも晩ご飯分はお腹に余裕がありますからね!」
「そ、そうか…… あははははは……」
出かける時、今度からこの二人は別々に連れて行くことにしよう。




