第百八十八話 その後の日常 其の五/エレオノールさんとデート
リーナ嬢にタコ吸いキッスをされている時にエレオノールさんが部屋に入ってきそうだったので、思わず遊んでいるフリしてふわふわ浮かせてしまった彼女を降ろす。
ニコニコして立っているエレオノールさんの姿は、薄いベージュのチノパンにひらひらの白いブラウスという簡素なコーデだが、美人は何を着ても似合う。
何か買うつもりなのか、ナップサックのような空の袋を背負っていた。
「やあ、エレオノールさんの私服を初めて見ました。
やっぱり白い服がお似合いですね。
あとベージュのパンツも私とお揃いだ」
「私、あまりたくさん服を持っていなくて失礼が無いかと思いましたが、良かったです。うふふ」
ああ…… 眺めているだけで尊い。
ぱつんぱつんのコックコートと違い、ブラウスはゆったりしていて予想Eカップの大きな胸は目立たない。
リーナ嬢が何か言いたげにずいっと前に出る。
「なんじゃ。服もろくに買えぬほどのお金しかもらっておらんのか?
お祖父様に言っておいてやるぞ」
「いえ、そういうわけではないんです。
将来のために貯金したいのと、あまり外へ遊びに出掛けることはしていませんので……
市場へ出掛けて野菜やお肉を見るのが好きなんです」
「偉いぞエレオノール。頑張って貯めるがよい。
もっと美味しい物を作れたらお祖父様に進言しておくぞ」
「ありがとうございます、お嬢様」
エレオノールさんはリーナ嬢に一礼をする。
さて、そろそろ出掛けるとしよう。
「あの…… マヤ様。お願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
エレオノールさんがもじもじしながら何か言いたげだ。
お願いならおじさん何でも聞いちゃうぞ。
「私も…… 空を飛んでみたいのですが…… よろしいですか?」
「ハッハッハッ! おまえも飛びたいのか。
眺めが良くて気持ちいいぞ」
「そういうことならお安いご用ですよ。じゃあ早速……」
エレオノールさんも子供っぽいところがあるが、まだ二十二歳だもんね。
若いウチは好奇心があったほうが良い。
私は部屋の窓を開いた。
「えっ? そこからですか?」
「じゃあ手をつなぎましょう。しっかり握っていて下さいね」
私はエレオノールさんの手を初めて握った。
女性にしてはやや無骨な手であるが、料理人の立派な手だ。
私など仕事で多少パソコンを使うことしかしていなかったからおっさんでも死ぬ前は子供みたいな手だったが、今は刀を使うためマメやタコが出来ている。
余談だが、八重桜が折れたままなのでローサさんから予備の刀である桃花を借りて稽古をしている。
出来ればエレオノールさんを背負っていきたいところだが、男性に慣れていなさそうで緊張するかも知れないので前にパティやリーナ嬢を遊覧飛行したときみたいに手をつないで飛ぶ。
背負うよりスピードは出せないし気を遣うが、市街の上を飛ぶだけだから問題無い。
スペシャルなおっぱいを背中で感じられないのは残念だが。
「じゃあリーナ、行ってきます!」
「お嬢様、行って参ります!」
「おお、気をつけて行くのだぞー!」
リーナ嬢に見送られ、私たちは窓から飛び出した。
「はわわわっ きゃー!! 落ちるぅぅぅぅ!!」
「絶対に落ちないようにしますから心配ありませんよ」
初めて空を飛ぶ人らしい反応だが、私が死ぬか気を失わなければ落ちることはない。
飛行機でもグラヴィティを使いまくっているし、グラヴィティマスターと呼んで欲しい。
「うーん。あやつら、大丈夫なのかのう。
エレオノールの料理はすごく美味しいのに、それ以外のことは妾より子供っぽいところがあるからマヤを困らせなければ良いが」
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ガルベス家の屋敷はマドリガルタの西の街にある。
遊覧飛行を兼ねて、王宮の上を通って行き慣れている東の街へ行く。
東の街にはインファンテ家の屋敷と公園、市場がある。
エレオノールさんは市場が好きなようだから、まずそこへ向かってみよう。
私たちは片手同士をつなぎ、上空二十メートルのところを時速三十キロほどのスピードで飛んでいる。
街ゆく人々で気づいた人は指を指したり見上げたりしているが、こんなことが出来るのは私ぐらいだとわかっているのでそれほど騒がれない。
「エレオノールさん、気分はどうですか?」
「ま、まだ怖いです……
宙に浮いているのがすごく不思議です…… ぶるぶる」
「喋られるならすぐ慣れますよ。
ほらっ もう王宮が見えてきましたよ!」
「わあっ ガルベス家も広いですが、やっぱり王宮は建物が綺麗ですよねえ。
私はまだ一度も入ったことが無いんです」
「じゃあ後で寄ってみましょうか?」
「え!? よろしいんですか!? ありがとうございます!」
エレオノールさんはウキウキで喜んでいるが……
はっ しまった!
モニカちゃんに女の子とデートしていることがバレてしまうかも知れない。
まあ、その時はその時だ。
飛んでいるうちにエレオノールさんは慣れてきたようで、あっという間に東の街の噴水公園に着いて、人が居ない場所を選んで降り立った。
「わあ、東の街は初めて来たんですよ。
買い物は辻馬車の運賃がもったいないから、いつも西の街でしていたんです。
この公園はとても綺麗ですが、上から見ていたら西の街より庶民的なんですね」
「それなら連れてきた甲斐がありました。
私は何度か来ているので案内しますね」
馬車賃も節約して頑張るエレオノールさん。
庶民的というと聞こえはいいが、西の街の市場より東の街の市場はジャンキーな雰囲気が強い。
当然治安も落ちるのでゴロツキが時々出る。
前にもいちゃもんつけてきたバカがいたから締め上げてやったが、今日はどうかな。
「じゃあ市場へ歩いて行きましょう。
エレオノールさんが気に入る物があればいいんですが」
「はい、よろしくお願いします。うふふ」
二人で並んで歩いて行くが、手をつながず腕も組まず普通にである。
まだお友達段階なのだから当然だろう。
パティやエリカさんだったら向こうから腕を組まれてベタベタしてくるんだが、そういえばルナちゃんやジュリアさんと個人的にデートをしたことがなかったなあ。
今度時間を作らねば。
いやいや、デート中に他の女の子のことを考えるのは良くない。
口にも出そうものなら嫌悪されることがある。
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東の街の市場だ。
屋台がたくさんで、かつて魔物にめちゃくちゃにされてしまったが、今は全くの元通りでとても活気がある。
インファンテ家の屋敷が近いのでついでに寄ることが多い。
「へぇぇぇぇ! 西の市場ってこんなに大きいんですね!
東の市場は綺麗だけれどここの半分も無いんですよ。
いろんな物が売れていて目移りするなあ」
エレオノールさんはエトワール国から来て二、三年くらいらしいので、この国のことがまだ珍しいのだろう。
通りを歩きながら目をキラキラさせてあちこちを見ていた。
そしてセルギウスがいるときによくリンゴを買っているお店の前に着いた。
「よぉ! マヤ様久しぶり!」
今日はしゃべる馬じゃなくて、綺麗なねーちゃんかい。いいねえ!
なんか買っておくれよ。」
「おっちゃん相変わらずだね。
そうだなあ、ちょっと見ていくか。」
エレオノールさんはすでに興味津々で並んでいる野菜や果物を真剣に見ている。
料理の食材のこともあるので目利きがあるのかな。
「あっ リンゴがありますね!
イスパルでは珍しいのに、このお店には入っているんだ!
へぇ~ すごいなあ。」
「おうねえちゃん。これはエトワール国の国境に近い地方で作られているんだ。
よしっ マヤ様とのよしみだ。一つ食ってみないかい?」
「ありがとうございます! 頂きます!」
「エレオノールさん、ちょっと待って」
私は店主のおっちゃんからリンゴを受け取ると、まずグラヴィティでリンゴを浮かせながら水魔法で小さなウォーターボールを出して水洗いし、指先から小さなライトニングカッターを発して四等分にスパパッと切った。
最近は魔力の加減も細かく出来るようになり、攻撃魔法でも生活魔法として役立てるようにした。
「まあ! マヤ様鮮やかですね!」
エレオノールさんにそう言われるとドヤ顔をしたくなる。
男は女の子にキャー素敵と言われるのに弱いのだ。
「エレオノールさん、どうぞ。私も一切れ頂こうかな」
浮いたままにしてある切ったリンゴをエレオノールさんは一切れ手に取ってモグモグと食べ始めた。
「くぉれはおいひいでしゅね!(これは美味しいですね!)
もっひょたふぇていいでひゅか?(もっと食べていいですか?)」
「ええ、どうぞどうぞ」
一度に口の中に入れてしゃべるのはパティと同じで、意外にお行儀が悪いエレオノールさんだった。
残った二切れも口の中に押し込んで、小動物みたいにほっぺたを膨らまして美味しそうに食べている。
私も食べてみたが… うん、このリンゴは当たりだな。
堅さも酸味も甘さもバランスが良くてすごく美味しい。
「ごちそうさまでした。
これはお嬢様にも召し上がって頂きたいですね。
オレンジばかりお召し上がりになるので、たまにはアップルパイを作ってごちそうしてあげましょう。
すみません、リンゴを十個頂けますか?」
「おう! ねーちゃんありがとうな!」
エレオノールさんはリンゴ十個を銅貨三枚で購入し、袋に詰め込んだ。
やや高めであるが、この品質なら納得する。
袋はほぼパンパンになっているが、デートの始まりでこんなになって何か買っても持ち帰られないぞ。
異世界物語の類いは亜空間が使えるアイテムボックスがあるが、そんな都合がいいものはこの世界には無い。
魔法が存在するだけでもびっくりだよ。
エレオノールさんはゆさゆさと袋を背負い、再び私と市場の通りを歩いて行く。