第百七十七話 知らせるつらさ
2024.7.24 軽微な修正を行いました。
ラフエルに来て三日目の早朝。
察しの通り分身君は元気だったので、これなら今日はマカレーナへ帰れる。
問題は帰った後、エリカさんが亡くなったことについていろいろと気が重い。
パティはスヤスヤと寝顔が可愛い。
こう見ると天使だなあ。
私は分身君を諫めるために部屋の外にあるトイレへ向かう。
元気なときにおしっこをするのは体勢に難があるが…
部屋へ戻るとパティが起きていた。
「ふわぁぁ…… マヤ様…… おはようござますぅ。早いですねえ」
「おはよう」
「んん…… お元気そうで良かったですわあ……
今日は帰れそうですか?」
「うん。午前中には出発できたらいいね」
「わかりました。ふわぁぁ……」
パティはもそもそとベッドから起き上がり、何故か私の目の前に立つ。
彼女はもじもじしながら、照れているように見える。
「その…… マヤ様……
この頃いろいろあってしてませんでしたが……
キス、して頂けませんか?」
「うん……」
私はゆっくり顔を寄せ、唇が引っ付くだけの軽いキスをした。
マドリガルタからマカレーナへ帰った日の晩以来だから久しぶりというわけではなかったが、とても安心した気持ちになった。
「うふふ…… じゃあ着替えてきますね」
パティはご機嫌良さげな様子で自分の部屋へ戻っていった。
若い彼女には悲しい思いをさせたくない。
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朝食を終えて、帰る支度をする。
元々荷物らしい物は持って来ていなかったが、折れた八重桜とエリカさんの遺品を持って……
屋敷の玄関前で、エンリケ男爵夫妻とイサークさんが見送ってくれる。
「皆さん、とても厳しい戦いだったのに片付けまで手伝って頂いて、本当にありがとうございました。
あとの復興はお任せ下さい。
マカレーナへも野菜をたくさん出荷しなければいけませんからね」
「イサークさん、こちらこそお世話になりました。
どうかいつまでも美味しい野菜を作っていけるよう願っています」
筋肉質で体格が良いイサークさんがとても頼もしく見える。
エンリケ家の次期頭首としてラフエルを支えていってくれるだろう。
「王女殿下、マヤ様、ジュリアさん、そしてパティ……
この街を守って頂き本当にありがとうございました。
おかげさまで、住民は怪我人が多かったものの犠牲者は一人もいないとの報告がありました。
エリカ様を失い大変悲しくお辛いことでしょうが、どうか元気を出して下さい。
慰霊碑については是非実現させたいと思います」
「はい、よろしくお願いします。
エンリケ男爵もこの先大変でしょうが、頑張って下さい」
エリカさんがエリサレスと戦って消えた場所は昨日のうちにエンリケ男爵を案内しておいた。
ちょうど避難していた教会の神父さんが戻ってきており、お祈りをして頂いた。
教会でアーテルシアとエッチなことをしたのを思いだし、いくらあのサリ様といえど何だか後ろめたくなってしまった。
「パティ、マヤ様、こっちへいらっしゃい」
グロリアさんに呼ばれて側へ行くと、両手で私たち二人を抱きしめてくれた。
「二人とも頑張ったわね、辛かったわね。
でもこれからきっと良いことと楽しいことがたくさんあるわ。
だから元気を出しなさいね」
「お祖母様…… うふふ」
グロリアさんはそう言いながら、グレイテストブレッシングの魔法を掛けてくれた。
グロリアさんの、とても温かく心地よい魔力……
一分ほどであるが、心がすっきりと浄化されていく気分を味わえた。
「次は王女殿下とジュリアさん、いらして下さい」
「わ、私はいい!」
「ヴェロニカ、恥ずかしいことないからしてもらいなよ」
「うう……」
「わたスもいいんでスか!?」
「いいのよ。みんな頑張ったんですから。うふふ」
ヴェロニカは観念したように、ジュリアさんはドキドキしながらグロリアさんに抱かれた。
されている二人を見てると、こちらも温かくなってくる。
(ああ…… なんて温かいんだ。まるで母上のようだ……)
(うう…… お母ちゃんに会いたくなってきた……)
終わると、二人とも目が潤んでいるように見えた。
ここでからかうのは野暮だから、一緒に喜ぶべきだろう。
「二人とも、良かったね。じゃあそろそろ出発しようか」
ジュリアさんはヴェロニカがまだ緊張するみたいなので、それとなくパティを負ぶってもらうことにし、ヴェロニカは帰りも私が負ぶさることにした。
「また遊びに来て下さいよお!」
「皆さん気をつけてね!」
「美味しい野菜たくさん作って送るぞお!」
私たちはエンリケ一家に手を振り飛び立った。
下を見ると、街の広場や畑の一部分に復興作業の騎士団たちが設営したテントがいくつも見えた。
屈強な男たちが中心で魔法使いの女性もいるので、きっと早いうちに作業は完了するだろう。
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ジュリアさんが飛ぶ速度に合わせて進んでいるのでびっくりする速さではないが、それでも一時間ちょっとでマカレーナの屋敷へ帰り着いた。
庭に見えるガーデンテーブル……
エリカさんと外で勉強をするときはいつもあそこだった。
今にでもエリカさんがやあやあと歩いてきそうだった。
玄関へ入ると、珍しくビビアナが出迎えてくれた。
いつものように給仕服を着て明るくニコニコとしている。
「あっ! みんな帰ってきたニャ!
おかえりニャー!
浮かない顔をしてどうしたニャ?
あれ? バカエリカはどうしたニャ?
おしっこか?」
ビビアナにつられて冗談を言う気分にはなれないので、正直に言うことにする。
「エリカさんは… 戦いで亡くなった」
「ニャッハッハッハ あのバカが死ぬはずないニャ。
どうせ後ろに隠れているんだニャ……」
「ビビアナ……」
「――は…… 死んだ??」
ビビアナはかなり動揺していた。
だが言わないわけにはいかない。
「邪神を相手に禁呪を使って亡くなった。
命をかけて私たちを…… この世界のみんなを守ってくれたんだ」
「ははは…… あのバカが真面目にそんなことをするはずがないニャ……
ううう…… あいつ本当にバカだニャ!!」
ビビアナは急に走り出して、方向的に恐らく自分の部屋へ行ったのだろう。
あの二人は喧嘩するほど仲良しというやつで、実際に喧嘩らしい喧嘩をしていたわけではないが、会うたびに揶揄いあっていた。
あれでお互い自尊心を満足していた仲なのだろう。
「マヤさん! わたス、ビビアナちゃんのところへ行きまス!」
「そうしてあげてよ」
ジュリアさんはビビアナを追いかけて走って行った。
玄関が空になるのはまずい……
「ヴェロニカ。エルミラさんとスサナさんを探してここの代わりに来てもらってくれないか?
私たちはアマリア様の所へ行く。王女様を使って悪いが……」
「いや、構わん。わかった」
たぶんあの二人が午前中に外にいなかったら休憩室か自分の部屋にいるはずで、二人とも休みで出かけていることはまず無い。
少し玄関を空けることになるがすぐ見つかると思うので大丈夫だろう。
ガルシア侯爵はこの時間まだ帰宅していないので、パティと私はアマリアさんの部屋へ急いだ。
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コンコン
「失礼します」
母親であるアマリアさんの部屋なので、まずパティから部屋に入ってその後に私が続く。
「お母様、ただいま戻りました」
「アマリア様、ただいま帰りました」
パティはカーテシ-で挨拶し、私は気を付けの姿勢で挨拶をした。
脇にはエリカさんの服を抱えている。
アマリアさんは座ってカルロス君を膝に乗せ、本を読んでいる最中だった。
「おかえりなさい二人とも。無事に帰ることが出来て何よりです。
どうしましたか? 難しい顔をして……」
「お母様…… それが……」
「エリカさんが…… 戦いの中で亡くなりました……」
「なっ――」
アマリアさんは言葉を失い、目を見開いてかなり動揺をしている。
無理も無い。アマリアさんとエリカさんはマカレーナ女学院で歳違いの同級生であって、魔法使いのライバル同士でもあった。
詳しい説明が必要だろう。
「カルロス。お母様は大事なお話がありますから、ベッドの上でご本を読んでいなさいね」
「ハイ! おかあサマ!」
一時は動揺していたアマリアさんだったが毅然とした様子になり、カルロス君は絵本を持って自分でベッドへ歩いて行き、お利口さんに一人で絵本を読み始めた。
以前より行儀が良くなっており、成長が楽しみである。
そしてパティと一緒に、アマリアさんへ詳しく経緯を話した。
毅然としていても、話を進めるとどんどん悲しい表情になり、私も辛くなる。
「そう…… あの子がね……
立派な最期だとは思うけれど、とても悲しいわね…… うう……」
アマリアさんは右手で目を覆ったが、泣くのはこらえた。
私たちの話を一生懸命聞こうとする態度が侯爵夫人として貴い。
「それでアマリア様に相談があるんです。
この服と靴はエリカさんの遺品です。
これを持ってエリカさんのご実家へ行かなければならないのですが……」
「そうね…… わかったわ。
エリカさんのご両親とは私が面識ありますので、マヤ様と私で参りましょう。
早いほうがいいわ。お昼過ぎに行くと急いで使いを出してちょうだい」
「承知しました」
無事を祝うどころでは無く、ロハス男爵家へ出かけるために慌ただしく準備を始める。
パティはアマリアさんの代わりに弟のカルロス君の面倒を見て、私は御者のアントニオさんにロハス家へアポイントメントを取ってもらうことにした。
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貴婦人をおんぶして飛ぶわけにはいかないので、アントニオさんとサナシオンが牽く馬車に乗ってロハス男爵家へ向かう。
ロハス家はマカレーナ市街地の西にあり、馬車でもそれほど時間がかからない。
アマリアさんと二人きりで出かけるのはこれが初めてで、楽しいデートだったら嬉しいのだが今日は悲しいお知らせをするためのお出かけである。
アポイントメントを取っていたこともあり、ロハス家の屋敷に到着するとすぐに応接室まで通された。
ロハス家は製本を生業としていて、魔法書も作っているから家にも豊富にあったとのこと。
エリカさんが小さな頃から魔法の勉強に夢中になった理由の一つらしい。
お茶を出されて数分待つと、ロハス男爵夫妻が現れた。
二人とも五十歳過ぎで、男爵は白髪が増えてきた温厚なビジネスマン風。
お母さんはエリカさん同様に赤毛だが短めのボブヘアーで、細身の巨乳だ。
胸元を隠しているドレスで、美人で品がある。
「アマリア様、ご無沙汰しております。
お急ぎの用事と伺いましたが、もしやエリカが何か問題を起こしたんでしょうか?」
ロハス男爵は不安げな表情でアマリアさんに問うた。
これから話すことにとても心苦しいが、初めはアマリアさん任せることになっている。
「クルス様、アウロラ様。
これからとても悲しいお知らせをしなければいけませんが、どうか落ち着いてお聞き下さい」
「そ…… それは……」
「エリカさんは… 亡くなりました。
ラフエルに邪神が現れ、古の禁呪を使い追い払うことが出来ましたが、身体が耐えきれず霧のように消えて亡くなったそうです……」
「――」
男爵夫妻の二人とも、アマリアさんの話を聞いて言葉を失っていた。
禁呪と聞いたわけではないが、古代魔法は詠唱があり自分の身体まで失ってしまう魔法など禁呪としか言い様がない。
しばらく間が空いた後、私はエリカさんの服と靴を差し出す。
下着は服に挟んである。
「初めまして。私はマヤ・モーリと申します。
これはエリカさんの遺品です。
エリカさんは一緒にとても強い敵と戦い、私とガルシア侯爵の令嬢を守って亡くなりました。
私の力が足りなかった故、私の責任です」
私は立ち上がり、夫妻に向かって深々と頭を下げた。
「どうか頭をお上げ下さい、モーリ男爵」
男爵夫人アウロラさんが優しくゆっくり声を発した。
男爵に殴られるぐらいの覚悟をしていたが、夫妻は落ち着いている。
「モーリ男爵のお話はあの子からよく聞いております。
エリカのことを好きになってくれて、ありがとうございます。
ご承知の通りあの子は破茶滅茶な性格で、魔族の国へ修行に行くと言い出してから命のことは諦めておりました。
でも八年間で無事に帰ってきて、それからしばらくはこの街で討伐隊に参加したりふらふらと生活していたんです。
そこであなたに出会って、時々我が家に帰ってくるととても嬉しそうにあなたのことを話すんですよ。
初めて恋人が出来たって。
あなたの命を守ったということは、自分の命以上の価値をあなたに見いだしていたんでしょうね。
そう…… まさかあの子がそんなことを……」
アウロラさんの言葉に、胸が締め付けられるような深い愛情を感じた。
どうして温厚な男爵と人格者である夫人の間にエリカさんのような性格の娘が出来るのかわからないが、エリカさんのことを認め送り出した素晴らしい両親には違いない。