第百七十五話 Bye Bye
エリカさんがエリサレスに何か特殊な魔法を掛けており、ヴェロニカに背負われその現場に戻ってきた。
エリサレスは緑色の炎で焼かれ、断末魔の叫びを上げのたうち回っている陰が薄らと見えた。
『ぎゃあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁああああ!!』
なんて恐ろしい。
生きながら焼かれるというのはこういうことなのか…
「エリカ…さん?」
「はぁ… はぁ… はぁ…」
エリカさんの美しい赤毛は真っ白になっていた。
まるですべての生気が吸い取られたかのように、顔面も肌も真っ白だ。
「マヤ君… 来ちゃったんだ…
私… やっぱりダメみたいね… ごめんね…」
「な… 何を言っているんだ!?」
「マヤ! 急ぐぞ!」
私はヴェロニカに背負われたまま、すぐにエリカさんの元へ行った。
エリカさんの身体は直接空気へ還元するかのごとく、身体の形成が濃い霧となってだんだんと霧散していく…
「Bye bye マヤ君… いつも愛しているよ…」
エリカさんはそう言い残して、身体のすべてがシュワシュワと霧と化し消えていった…
服と下着、靴だけが地面に残っている。
エリサレスを燃やしている緑の炎は燃えさかったままだ。
「は… はは…」
私は目に入って起こったことが、理解出来なかった。
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その頃、アスモディアの魔女 アモールの館の書斎にて。
(アモール視点)
魔力が大きくはじけて消えた…
エリカが死んだ… 神殺しの禁呪を使ったのね…
まさかあの子が本当に使うとは思わなかったけれど、マヤがあの子を変えたのか…
マヤはいずれここに来よう。
そろそろアレの準備をしなければ…
あれは七百年近く昔のこと…
私がピチピチギャルの時に、邪神たちとネイティシスの魔族との間で大戦があった。
神々の猛攻で魔族の半分が死に絶え、その中で私は神殺しの禁呪であるデウスインテルフェクトルを完成させた。
そして私は戦場で神々に禁呪を放ち、ことごとく倒し残った神も退散させた。
その退散させた邪神たちの中にエリカたちが戦っていたエリサレスがいたはず…
まさかサリとの因縁があったアーテルシアの母親がエリサレスで、またネイティシスにやってくるとは考えもしなかった。
それがエリカと戦い、デウスインテルフェクトルをまともに受けて打ち破るとは…
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(マヤ視点)
私はヴェロニカの背から降り、エリカさんの服の前で手膝を地面について固まった。
今、目の前で現実に起こったことが受け入れられない。
声が出なければ涙も出ない。
エリカさんが死んだ?
嘘だろ…
さっきまでここにいて、しゃべっていたんだぞ?
「エリカ… マヤを守るためにおまえというやつは…
ん? 炎が収まっていく!」
エリカさんが掛けた魔法の、緑の炎が小さくなっていく。
人影がだんだんとはっきり見えてきた。
な… 右腕が動いている?
『グググ…』
小さなうめき声が聞こえた後、緑の炎が完全に消えた。
そこには人の形をした黒焦げの何かが立っていた。
焼死体? いや…
それにしては何かに覆われているように見える。
『ううう… ぉぉぉ…』
「マヤ!! エリサレスは生きているぞ!!」
「バカなっ!!」
黒焦げの何かから、黒い皮がパリパリと剥がれる。
そして姿を現したのは、あちこち火傷がある全裸のエリサレスだった。
エリカさんが命をかけた魔法が…
エリカさんの思いが…
エリカさんの死が無駄になったということなのか…
私はガクガクと震えた。
『ふふ… ふふふ…
耐えたぞ!! 耐えきったぞ!! ウッハッハッハッハッ!!
二度も同じ魔法が通じるか! 愚か者め!』
エリサレスは両手の握りこぶしを肩まで上げて、自分の力を確認しているように見えた。
「エリサレスぅぅぅぅ!!!!」
ヴェロニカが叫んだが、エリサレスはにんまりと笑って私たちを眺めた。
「あいつは死んだか! ハッハッハッ!
これであの神殺しの魔法とやらはあの魔女しか使えん!
間抜けな魔法使いよ。クククク…」
「この外道があ!!」
『何とでも言え娘。それが邪神だ。が… あっ うっ』
エリサレスは急に苦しみだし、右手で胸部を押さえた。
そして膝を落とし、倒れてしまった。
『うう… 思っていたより身体の中のダメージが大きい…
おまえら… いつか必ずこの世界ごと滅ぼしてやる。ぐうぅぅ…』
エリサレスは三叉鉾を呼び寄せて手に取り、降りてきたときのように再び光の塊となって空の彼方へあっという間に消えていった。
その間も私はエリカさんの服を抱きしめ、放心状態になっていた。
「マヤさまぁぁぁぁぁぁ!!」
パティとジュリアさんがこちらまでやってきた。
二人とも状況がわかっているようで、悲しい表情だった。
「それはエリカ様の服… やっぱり… うぅぅ…」
「エリカ様…
きっとご自分の魔力量より大きな魔法をお使いになって、生命力まで使い果たスたんでスよ… グス… うえぇぇぇぇぇん!」
「おいマヤ! しっかりしろ! マヤ!! みんな来たぞ!」
「…………。」
私は何も考えることが出来ず、頭が真っ白になっていた。
ただ立ち尽くし呆然とすることしか出来なかった。
「マヤ様… お祖父様の屋敷に帰りましょう…」
私はパティに手を引っ張られ、無言で歩き始めた。
その時、目の前が強く光り、だんだん淡い光になると女神サリ様が姿を現した。
『事情はわかってるわ…
急いでエネルギーを補充して転移できるようになったけれど、一歩で間に合わなかった…
ごめんなさい…』
「仕方ありませんわ… 誰が悪いとは考えたくないですから…」
パティ、立派だね。
何か悪いことがあると誰かに罪や責任をなすりつけたくなるもの。
私がこんなだから、彼女は心を平静に保つために毅然としていた。
『ところでアーテルシア。そこで何をしているの? 魔力がダダ漏れよ。』
『ギクッ』
民家の壁の陰から、アイミことアーテルシアがそろりと現れた。
俯いてぷるぷると身体を震わせている。
『ん? なんでそんなにちっちゃくなってるの?
確かに邪気が抜けているようね。
何がどうしてどうなったのやら…』
『邪神アーテルシアはマヤに倒されて死んだ。
そして魔法使いアイミとして生まれ変わったのだ。
これから人間として生きるのだ。』
「そんな虫の良いことが許されると思っているのか!!
おまえのせいで我が国…、いや全世界の人たちにたくさんの犠牲者が出たんだぞ!
今ここで成敗してやる!!」
ヴェロニカが剣を構えたが、彼女の言うことはもっともだ。
この世界の悪の権化が目の前にいるのだから倒したい気持ちはわかる。
『お待ちなさい、王女様。
こんなに小さくなっても力はアーテルシアのままよ。
とてもあなたに勝ち目は無いわ。
アイミ…だっけ?
この子の正体は、ここにいる人だけの秘密よ。
私とマヤさんで責任を持って面倒を見る。
神なんだから魔法使いというレベルを遙かに凌駕している。
罪滅ぼしとして、その力を使って世の中に役立ててもらうってのはどうかしら?』
「わ… わかりました。サリ様がそうおっしゃるならば…」
ヴェロニカは釈然としない様子だが、受け入れてくれたようだ。
他のみんなはどうだろうか?
「私はサリ教の信者です。仰せに従います。
でも屋敷にまた女の子が増えるんですよね…
ますますマヤ様が構ってくれる時間が減りますわ… グスン」
「わ…わたスが口を挟むことではありませんが、大丈夫でス…」
二人の顔を見ると完全に賛成ではないようだが、この先の利点を考えるとアイミに何かをさせた方が良いと私も思う。
『さて、私はアイミを連れていったん天界へ帰るわ。
邪神から良神への移籍があって手続きが必要だからね。
それにしても… その姿覚えがあると思ったら、確かにトイレの前で見かけたわ!
きゃっはっはっはっは!』
『そんなこと思い出すなあ!!』
サリ様は脳天気にはしゃいでいるが、私はそんな気分になれずしゃべることが出来ない。
むしろショックが大きすぎて泣くことすら出来ない。
人の死… 特に愛し合った女性の死というのは耐え難いことだ。
私はエリカさんの遺品である衣服や靴を抱えたまま立ちすくんでいた。
『じゃあマヤさん。エリカさんのことは残念だったけれど…
あなたも戦いでとても疲れているでしょうからよくお休みなさい。
あなたは自分で思っているよりとても強いのよ。
エリサレスのことはまたにして、今はお忘れなさい。』
サリ様はそう言って、アイミを連れて光の玉となって消えた。
私が強い?
心か、力なのかわからないが、どちらも弱いから今の結果だ。
初めてサリ様と会ったときに言われたように、まだ目覚めていない力があるのか?
そんなものどうでもいい。
エリカさんに会いたい…
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エンリケ男爵の屋敷に戻った。
食事も喉に通らず、借りた一室にあるベッドで寝込み、ただ呆然とするだけだった。
時々パティやグロリアさん、みんながこっそり様子を見に来ているのはわかっている。
だが感情が死んでしまったように何もする気になれなかった。
(パティ視点)
エンリケ家の応接室にて。
お祖父様、お祖母様、イサーク兄様、ヴェロニカ様、ジュリアさん、私が揃い改めて事情を話しています。
「まさか王女殿下がこちらにいらっしゃるとはびっくりしました。」
「うむ。当分の間はガルシア侯爵家で世話になる。
エンリケ男爵、よろしく頼む。」
「こちらこそよろしくお願いします。
先ほどマカレーナからの騎士団と討伐隊が到着したとの報告がありました。
魔物はもういないようですが、破壊された街の片付けや怪我人の救出と治療を行うようになっています。」
「そのあたりは彼らがうまくやってくれるだろうからまかせよう。
何も無ければ私たちは今晩休ませてもらったらマカレーナへ帰るつもりだが…
問題はマヤだ。
エリカが亡くなってかなりショックを受けている。
どうしたものか…」
「王女殿下… 愛した女性が亡くなったことは途方もないほど辛いことです。
しばらくそっとしてあげて、時間が解決することでしょう。
何でしたらマヤ様は私たちが預かりますから、皆さんは先にお帰りになってもよろしいのですよ。」
「いや、男爵夫人。マヤは私たちの大切な仲間だ。
置いて帰るわけにはいかん。」
「お祖母様、私も王女殿下と同じ考えです。
お祖父様、マヤ様が元気になるまでこちらに居させて頂けますか?」
「それは構わないが… みんなマヤ様が大好きなんだねえ。」
「私もエリカ様がお亡くなりになったことはとても悲しいです。
ですが今のマヤ様の様子を見ると、余計に苦しいのです。」
この戦いで私は何も出来なかった。
でもせめてマヤ様のケアをして差し上げたい。
それにしても…
もし私が死んでもマヤ様はこんなに悲しんでくれるのでしょうか。
マヤ様とエリカ様が愛し合っているのは勿論知っています。
一人恋敵がいなくなったから嬉しいなんてことは思いません。
あの楽しかった魔法の勉強会がもう出来ないんですね…
あのおかしな笑い声をもう聞くことが無いんですね…
こんな気持ちになって私も苦しいのに、きっとマヤ様はこの何倍もお辛いでしょう。
今晩、無理にでもマヤ様とお話をしてみましょう。