第百七十一話 不和と争いの女神エリサレス
突如、私とアーテルシアの頭の中に話しかけてきた声。
それはアーテルシアの母親である、不和と争いの神だった。
そもそも邪神だったアーテルシアが愛に目覚め、私と愛の行為をしたことに激怒しているという。
(アーテルシア。人間の男に現を抜かす愚か者め。
そして人間の男、我が娘を誑かした罪を償ってもらうぞ。)
『はわわわ… マヤ… 母上を怒らせたら命は無い…
私よりはるかに強いのだ…
全宇宙、どこへ逃げおおせても捕まる…
せっかくおまえと楽しく出来ると思っていたのに… ううう…』
アーテルシア…、いやアイミはぶるぶる震え、半泣きになっていた。
子供の姿とはいえ、あれほど悪さやり放題だった元邪神がここまで怯えるとは…
はわわなのはこっちだよ。
「つまりどうしようもないということだな。
成り行きに任せよう。」
はあぁぁ… 今度こそ死んだかな…
緊急事態だからサリ様を呼ぶしかない。
昼間なのに、空にキラッとはっきりわかる光が見え、その強い光の塊がこちらへ向かってやって来る。
『ふわわわわ… 母上が来た! もうダメだあぁぁ!!』
光の塊がチュインっと音を立てて、私たちの前に降りてきた。
光がだんだんと弱まり、一人の女性の姿が現れた。
薄い水色のウェーブがかかったロングヘアー、真っ白な肌、左肩だけひもが掛かっている真紅のワンショルダードレス、右手には三つ叉の長い鉾を持っていた。
雰囲気はどこかで見た妖怪人間の母親に近いが、顔はあそこまで極端にキツくなくアーテルシアに似ていて美しい。
見た目は人間の二十代後半ぐらいでオバサンには見えない。
禍々しさはさほどなく、そっちは魔女アモールのほうがすごいだろう。
『ふっ… おまえはマヤといったな。
私は不和と争いの女神、エリサレス。
何のつもりで子供の姿になっているのか知らぬが、それの母親だ。
娘に愛を教え堕落させた罪は重い。
生かしてはおけぬ。この世界もろともな!』
「サリ様の使いでこの世界にやってきた、マヤ・モーリだ。
アーテルシアが愛を知ったきっかけは偶然だったが、邪神が悪さをしなくなるのであれば私たちにとって好都合。
愛する人たちがいるこの世界だ。ただではやられないぞ!」
エリサレス… 名前がはっきりわかった。
早速天界にいるサリ様に念話で連絡をとろう。
ギリシャ神話の神エリスに相当し、その娘アーテーがアーテルシアに当たるわけか。
もしかしたら神話の伝説はここから来てるのかも知れないな。
(サリ様! おーい! サリ様! 緊急事態です! 返事をして下さい!!)
(なになに!? 今食事中で忙しいの!!)
(アーテルシアの母親、エリサレスがネイティシスに現れたんですよ!!)
(ええっ!? なんで!? ちょっと意味がわからない!!)
(アーテルシアと戦っていたときに偶然キスをしたら邪気が抜けて、それで仲良くしているところをエリサレスに見られたから怒ってこっちに来たんですよ!
早く来て下さい!!)
(ますます意味がわからないわ!
何でキスをしたらアーテルシアの邪気が抜けたのよ!?
マヤさんに浄化の力なんてあったっけ?)
(知りませんよ!
でもアーテルシアの邪気が抜けたからトイレから出してくれたんだし、結果的には良かったんでしょ!?
早く何とかして下さいよ! 俺また死んじゃいますよ!)
(そうね… でもお腹が空き過ぎて今食べているところだから、力が回復するまであと半日… いえ二、三時間待ってちょうだい!
天界から地上に行くのにすごく力が必要だから、今すぐは無理なの!
私が行くまで何とか耐えてね! じゃ!)
(じゃって、おい!)
天界にも全HP・MP回復アイテムなんて都合の良い物は無いのか…。
二、三時間か… 三分も持たない気がする。
少しでも時間稼ぎをしなければいけない。
アイミはずっと後ろで、座ってぶるぶると縮こまっている。
当てにはならないな…
『何ごちゃごちゃと念話をしているのだ。そうか、サリか…
サリの使いであれば、相手にとって不足は無い。
サリも来るのだな。だがそれまで待つ理由が無いから行かせてもらうぞ。』
「質問がある。」
『何だ?』
エリサレスは三叉鉾を構えたが、私が口を挟んだものだから不機嫌そうにギロッと睨んだ。
「愛を認めないのであれば、何故アーテルシアを産んだのだ?
おまえの相手とは愛が無かったのか?」
『何かと思えば下らぬ質問だな。
愛が無くとも気持ちが良ければいいのだ。
アーテルシアは快楽の果てに出来てしまっただけのこと。
相手の死神タナティオスとはそれからお互い干渉することが無ければ滅多に会うこともない。』
「そうか、よくわかった。」
なるほどね。アーテルシアの歪んだ性格は母親のエリサレスからだな。
名がタナティオスとは、ギリシャ神話の死神タナトスに似ている。
ずっと後ろで縮こまっているアーテルシアにもエリサレスが言っていたことは聞こえているだろうが、驚くことも無くこちらの様子を見ていた。
自分の出生のことは承知しているのかも知れない。
『それにしても… おまえは可愛い顔をしているから相手をしてやりたいところだが、アーテルシアのようにされてはたまらない。
おまえの存在は私たち邪神にとって危険だ。
この場で始末せねばならん!』
エリサレスは三叉鉾を構え、駆けて突いてくる。
相手が相手なので時間稼ぎでも全力でやらなければいけない。
「来い! 八重桜!!」
私は教会前の地面に置いたままだった八重桜をグラヴィティで引き寄せ手に取り、鞘から抜いた。
光の魔力を刀に込めると、宇宙の刑事が使っていたブレードのように光る。
ガン! ゴン! ゴゴン! ガン! ゴン!
八重桜と三叉鉾が討ち合う。
なんて重い攻撃なのだ。
アーテルシアのデスサイズよりはるかに威力がある。
光の魔法を込めてなかったら刀が折れていただろう。
『ほらどうしたどうした!! ハッハッハッ!!
そのなまくら刀がいつまでもつかな?』
「くっ てぇぇい!!」
アーテルシアより武術がずっと洗練されている。
争いの神だけのことはあるだろう。
このままではアーテルシア同様、膠着状態になってしまう。
私はさらに光の魔力を八重桜に込めた。
八重桜がそれに応え、一層光る。
キィィン! カィィン! カン! カン! キィィン!
討ち合う音が高くなった。
私自身も力を込め、鉾の手元を討つのに成功する。
『うあぁぁぁぁっ!! うっ!』
鉾がエリサレスの手から離れ、カランカランと音を立て地面に落ちる。
エリサレスも討たれた拍子に後ろへ倒れ、尻餅をついた。
やった! 一矢報いたぞ!
あっ え… ????
エリサレスが着ている赤いドレスのスカートが大きく捲れ、白く美しい太股が現れたが…
「ぱ… ぱんつ履いてない…」
ぱっくり… 衝撃的だった。
アーテルシアと同じで股間はとてもスッキリとしており、とびきり綺麗だ。
私は手を止め、ゴクリとつばを飲み込む。
『うう… ぱんつがどうした… そんなものいらぬわ。
アーテルシアは世の流行で履いているようだが、人間は元々スカートの下には何も履いてなかっただろう。くっ』
エリサレスはそう言いながらゆっくり立ち上がった。
確かに地球の中世の女性は日本でも欧州でも下着を履いていなかったから、長寿の神は履いていなくてもおかしくない。
それに中世ヨーロッパでは公共の場でも裸で水浴びをしたり、恥ずかしがる様子は無かったらしい。
今エリサレスが恥ずかしがっていないのも、当時の感覚と同じなのか。
『思っていたよりやってくれるな。
たかが人間だと思っていたが、やはり神の使いの力は神に近いということか。
あなどっていたわ。』
再び戦いが始まる。
エリサレスは本気を出しに来るだろう。
私も力を出し切らないとサリ様が来るまで命が無い。
「マヤさまぁぁぁぁ!!」
「おーい! マヤくーん!!」
パティやエリカさんたち四人がまた飛んで戻ってきた。
エリサレスの魔力を感じて、ここに来てしまったのか…
「みんなすぐ帰れ!! 危険だ!!」
「こんな桁外れの魔力、どこにいたって同じよ!
それでなんなの? その女の人誰? アーテルシアはどこ?」
パティ、エリカさん、ジュリアさん、ヴェロニカが私の後ろへ降り立つ。
エリサレスの姿を見て皆が身構えた。
「アーテルシアの母親、不和と争いの女神エリサレスだよ!
私ではとても勝てない。
サリ様を呼んでいるが来るまであと二、三時間はかかる。
それまで持たせないといけない。」
「そんな… 尚更マヤ君一人だけに戦わせるわけにはいかないわ!」
「そうですよ。何かあったら私がすぐ回復魔法を掛けますから!」
エリカさんとパティはそう言うが、三人の魔力やヴェロニカの力は勿論、スピードもエリサレスにはとても及ばない。
もし手足がちぎれても自動で治療が出来るように、フルリカバリーやグラヴィティでマクロ術式を先ほどこっそり組んでおいた。
『ふっふっふっふっふ…
何かぞろぞろと来たかと思えば、ただの人間ではないか。
普通の人間より多少魔力があるようだが、私の前では大した差ではない。』
「何をを!!!! どりゃぁぁぁぁ!!!!」
血の気が多いヴェロニカが薔薇黄花を振り、エリサレスに突撃する。
「ヴェロニカぁ!! やめろぉぉぉぉ!!」
『邪魔だ!』
エリサレスはヴェロニカを睨んだ瞬間、強い衝撃波のようなものをヴェロニカに向けて発した。
ヴェロニカが後ろへ吹っ飛ぶ。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
私はヴェロニカを受け止めるために急いで飛び出し、後ろから受け止めるのに成功したが、私の背中が教会の壁に打ちつけられ壁が砕けてしまう。
「ふぅぅ… 痛たた…」
「マヤ! 大丈夫か!?」
「何とかね。いつの間にか身体も頑丈に出来てしまってるよ。」
「すまぬ… 私では手も足も出ないようだ…」
「女王陛下から預かった大事な身体だ。下がって見ていてくれ。」
「大事なのはおまえの身体もだろう!?
私は王女だからと隠れているつもりは無い!
サリ様が来るまでの時間、どうやって戦うんだ!?」
「まだ完全に力を出し切っているわけでは無いさ。
だから今はなるべく安全な場所で見ていてくれ。」
「わかった…」
ヴェロニカはトボトボと自分の元から歩いて離れて行った。
彼女を女王から預かっている身でもあるから、絶対に死なせるわけにはいかない。
ドレスを着ておとなしい王女だったら始めから辛い思いをしなくて済んだのになあ。
いや、ヴェロニカの意思と個性を尊重しなければいけないんだった。
情熱き彼女に、私はだんだんと惚れてきている。
『ふんっ そんな弱い人間に向かって来られてもつまらん。
マヤ… 早くかかって来い。』
「待たせたな。さあ行くぞ。」
私は再び八重桜を呼び寄せ、構えた。
ヴェロニカには悪いが、これだけでも時間稼ぎになってくれた。
アーテルシアもだったが、エリサレスも必要以上に攻撃してこない。
刺激しないよう、そういうところは利用させてもらおう。