第百六十五話 狂瀾のラフエル
最高時速三百キロで、ヴェロニカを背に乗せてラフエルの方向へ街道の上空を飛行中。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!! なんなんだぁぁぁぁぁぁ!!」
「どうしたヴェロニカ! 君の根性はそんなものか!」
「こんなもの根性もクソもあるかぁぁぁぁ!!」
確かに普段乗っている馬の全力疾走はせいぜい時速七十キロなのに、今はヴェロニカどころかこの世界の人にとって初めての体験である時速三百キロで飛んでいる。
目が回るのは当然だが、我慢してもらう。
マドリガルタを往復した時のように、直接身体に触れる空気抵抗を無くし、呼吸もしやすいように魔法を掛けているので新幹線に乗っているのと変わらない。
出発して十分もしないうちにエリカさんたちの魔力を感知できたが、急停止するとヴェロニカが大変なことになるので徐々に速度を落としつつも彼女らを追い越してしまった。
相対速度で時速二百キロ以上の差があったから、彼女らは何だか気づかなかったろう。
すると、その先にも知っている魔力を感知した。
「あれは……、イサークさん!?」
イサークさんはエンリケ男爵夫妻の息子で、アマリアさんの弟だ。
すれ違う位置がちょうど停止できる速度になる計算だったので、話しかけることにする。
目視できるところまで来たら、彼は街道を馬に乗って駈けていた。
「イサークさぁぁぁぁん!!」
ヒヒヒーン!「あっ あなたはマヤさん!!」
イサークさんは馬を止め、私たちもイサークさんの前に降り立つ。
「マカレーナで魔法使いたちが悪寒のようなものを感じたから、心配になって来てみたんですよ。」
「ああっ マヤさんが来てくれたのならば助かった… はぁはぁ…」
「何があったんですか?」
「いろんな魔物が突然大量に発生して……、街を破壊しています……
あ…あと黒ずくめの服を着た女が宙に浮いて、魔物に何かを命令しています…」
「間違いない。アーテルシアだ。」
「うむ。急いだ方が良いな。」
ヴェロニカが言うとおり、パティたちを待たずに急行するつもりだ。
あいつが遊び半分目的なのはわかっているが、アーテルシアは何故今になって出てきたんだ?
「イサークさん、間もなくパティやエリカさんたちも来ますから彼女らにもそのことを伝えて下さい。
それからガルシア侯爵が部隊を派遣してくれるので、編成出来次第こちらへ向かうようです。
ラフエルのほうは私たちが何とかしますので、イサークさんはこのままマカレーナへ向かって下さい。」
「わかりました。」
「エンリケ夫妻はご無事ですか?」
「出かける時は大丈夫でした。屋敷も壊されていません。
ですが今はどうなってるか…
父と母も屋敷にいます。
マヤさん……どうか父と母を…街を助けて下さい! ううう…」
イサークさんは半泣きで私の手を握った。
優しくて強い人だけれど、どうにもならないということが伝わってくる。
私も心配だから早く助けに行きたい。
「イサークさん、希望を持って下さい。私も頑張ります!」
「よろしくお願いします…うう…」
イサークさんとしっかり握手をした後、再びヴェロニカを背負ってラフエルへ急いだ。
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間もなくしてラフエルに到着するが、街の手前に広がっている広い野菜畑が二本の角と牙が大きな猪の魔物たちによってめちゃめちゃにされている。
前に現れた大猪より小さくて二メートルほどしかないが、数が多い。
街へ急がなくてはいけないので、上空から視野にある魔物たちに身体の内部から凍らす【ナイトロジェンアイス】を掛けて一気に倒した。
「マヤ… おまえの魔法はなんて威力なんだ…
マカレーナで三ヶ月間修行した私の立場が無いな。」
「そんなことは無いさ。
中には魔法が効きにくい魔物がいるから、頼りにしているよ。」
ヴェロニカはそれについて無言だったが、背負っている後ろからギュッと抱きしめられている気がした。
彼女の感触を楽しんでいるどころではないので、街へ急ぐ。
ラフエルの街に入ると、火事こそなっていないがあちこちで民家が壊されている。
人影が無い。逃げたのか、どこかへ隠れているのか?
むう? 向こうに魔物の気配がある。
……あれはムーダーエイプ!!
こんな小さな街に十体以上がいればひとたまりもない。
「マヤ、あれは私に任せろ!
先にアーテルシアを探してくれ!」
「わかった。気を付けろよ!」
私の背から降りたヴェロニカはムーダーエイプに向かって駆け出した。
正しく忍者の颯爽とした走りだった。
アーテルシアの禍々(まがまが)しく身体中に悪寒が走る魔力を感じ取ることが出来るが、街を包み込むように発しているため位置の把握が出来ない。
目視で見て回るしかないのか…。
エンリケ男爵の屋敷前に着いた。
上階部分が半分くらい壊されている。
たぶん知能が低いムーダーエイプが何も考えず力任せにパンチをして破壊をしているだけなので、各民家も下の階は無事なところが多い。
屋敷の中へ入って見た。
一階部分は人の気配を感じない。
「おーい! ヘルマンさまあ! グロリアさまあ!
いたら返事をして下さぁぁぁぁい!!」
……何も反応が無い。
ん? 今かすかに魔力を感じた。
地下…地下室か!
私は一階の厨房横にある地下室への扉を発見し、下へ降りる階段を進んだ。
食料庫がある…。魔法の灯りは着いているがここにも人影が無い。
一体どこにいる?
食料庫には緑黄色野菜ばかりで穀物が無い。
あとは資料庫の他に一般の倉庫になっていた。
……床が木造? 歩く感じがべたっとしていない。
そうか、そういうことか。まだ地下二階がある!
私は降りる階段を隈無く探すと、さっき降りてきた階段の隣に扉があって、開けたら下り階段が存在していた。
前ばかり見ていないで後ろも見ろという基本的なことが出来ていなかった。
いやはや、落ち着け俺。
地下二階へ降りると、通路の灯りが地下一階より明るい。
人の気配を感じるので通路の先へ進むと、ちょうど扉から出てきたあの人は!?
「エンリケ男爵! こちらにいらっしゃいましたか!」
「お… おおお! マヤ殿!
まさかこんなに早く来てくれるなんて!
良かった… 本当に良かった… うう…」
「ご無事で良かったです。
事情はだいたい察していますが、グロリアさんと街の皆さんはどちらに?」
「ここだよ。」
エンリケ男爵が先程出てきた扉を開けると、広い部屋があり怪我人を中心に三十人以上の人がおり、ベッドがいくつか置いてある。
ベッドには重症の怪我人が横たわっており、グロリアさんが付き添っている。
屋敷の地下二階には避難所の機能がある部屋があったのか。
「まあ… まあまあ… マヤ様…
来て下さったのですね。イサークは… イサークには会えましたか?」
「はい、途中で会えました。
今頃はパティやエリカさんたちとも会えているはずです。」
私はエンリケ男爵とグロリアさんに、パティたちがこちらへ来ること、イサークさんにはマカレーナへ向かってもらったこと、ガルシア侯爵が騎士団を出撃させることを伝えた。
そしてこの街の家は農家が多く、この屋敷同様多くの家には地下室があるので街の人たちはそこへ逃げているだろうという話だ。
亡くなった人は確認出来ず、怪我をした人を匿うだけで精一杯だったらしい。
「それではこの街は助かるということかな?」
「いえ、イサークさんが見たという黒ずくめの服の女というのが気になります。
あれが私の思っている敵だとすれば、正体は邪神です。
私でも退治が出来るかわかりません。」
「何か深い事情があるようだね。話してもらえるだろうか?」
「大騒ぎになるので、街の人々へ口外しないという条件でお話ししますが、よろしいですか?」
「よし、わかった。」
エンリケ男爵とグロリアさんには、私の出生の秘密とアーテルシアについて全て話した。
この二人は身内だからもっと早く話しても良かったかも知れない。
幸い、物わかりが良さそうな反応で安心する。
「そうか… そういう話だったのか…
マヤ殿の不思議な力について、これで合点がいったよ。
一番の問題はアーテルシアとやらが退治出来るか逃げてくれるかどうかなんだね。」
「はい。これから私はアーテルシアを探します。
その前に重い怪我人を治しましょう。」
「マヤ様、怪我をした人たちは私がミディアムリカバリーで治したばかりです。
これ以上、どうされるおつもりですか? まさか?」
「はい、フルリカバリーを使います。
マルセリナ様からこのことも口外せぬよう申しつけられています。
重い怪我人はベッドで寝込んでいる六人だけでよろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします…」
私とグロリアさんはベッドが六つ並んでいる区画へ行く。
フルリカバリーを使ったことがバレないように、ベッドの上の六人には【眠り】の魔法を掛けておいた。
小さな女の子は右足が潰れている。
お婆さんは頭に怪我をしており、恐らく脳挫傷だ。
体格が良い髭のおっさんはお腹に巻かれている包帯が血まみれで、内臓破裂かもしれない。
農作業服のお姉さんは、両脚大腿骨の複雑骨折で足がおかしな方向へ向いている。
十代半ばの男の子は見た目ではわからないが、肋骨があちこち折れているらしい。
ひょろっとした若い男は、あちこちの骨が折れているようで見るも無惨だ。
私は状態の悪そうな患者から一人ずつフルリカバリーを掛ける。
私も今まで滅多に使わなかったフルリカバリーだが、習得にはずいぶん苦労をした。
簡単な理屈で言えば魔法の力で人体の構造が細胞レベルで頭の中に強引に焼き付いているのと、各個人のDNA情報を読み出して身体を正しく繋げるといった具合だ。
はっきり言って頭がパンクしそうで、フルリカバリーを使用中はCPUがフルブーストしている状態だ。
最初に治療を行った一番酷い怪我のひょろっとした男の身体は、みるみるうちに正常な身体になった。
他の怪我人も休憩しながら次々と治していき、三十分弱で完了した。
一度に複数人も連続で掛けたのも初めてだったから、頭がクラクラする…。
この人たちは起きたら身体がいきなり完治していてびっくりするだろうな。
「マヤ様…、ありがとうございます。
街の者に変わってお礼を申し上げます。
お疲れのようで、少しお休みになってはいかがですか?」
「……急がないと、街にはまだ魔物が暴れています。
パティたちがもう到着する頃です。
早く合流して作戦を練らないと… う… あ…」
私は目眩がして、グロリアさんの胸の中へ軽く倒れた。
柔らかい… いやらしい気分ではなく、子供が母親に抱かれてる気分だ。
「マヤ様… 頭をスッキリさせてみましょうか。」
グロリアさんが魔力を放った途端、頭がスーッとした感じになりシャキッと目が覚めた。
光属性の魔法だと思うが、こんな魔法まであったのか。
「これは【ソーバー】という魔法で、元々酔っ払いの人を覚ますのに使うのよ。うふふ」
「ありがとうございます。では、行ってきます。」
「パティを… あの子をよろしくお願いします。」
「勿論です。グロリア様もお気を付けて。」
私が再び階段のある場所へ向かおうとすると、エンリケ男爵が呼びかける。
「マヤ殿、こっちだ。」
私はエンリケ男爵に付いていき、穀物倉庫がある横の通路を通り過ぎる。
通路の突き当たりに大きな扉がある。
男爵は扉の横にあるボタンを押すと、扉が開いた。
「これに乗って上がるんだよ。
本来は野菜の貯蔵のために使っているんだけれどね。
王宮にもこんなものが無いはずだ。すごいだろう。」
エレベータ! この世界にもエレベーターがあるのか!
主に物資を運ぶための、地球ではいわゆる業務用エレベーターというやつで荷車がそのまま入るほど広い。
恐らくこれも魔力で動く物だろう。
エンリケ男爵と一緒にエレベーターのゴンドラに乗る。
地球のエレベーターに負けないほどスムースに動き、ショックも少なかった。
外に出たら、知ってる魔力を感じ取れた。
ちょうどパティとジュリアさんが屋敷へ向かって飛んでいるのが見えた。
「おーい! パティ! ジュリアさーん!」
「マヤさまあ! お祖父さまあ!」
パティを背負ったジュリアさんがシュルルルとこちらへ降りてきたが…
何も気づいていないのか、下から見ると給仕服のスカートが捲れて黄色いちょっとエッチなぱんつがまる見えだ。
エンリケ男爵も真面目な顔をしてこっそり見ているようだ。
こんな時でも良かったですね。ラッキースケベに出遭えて。
「うー コホン。パティ、久しぶりだな。」
「お祖父様? どうして顔が赤くなってるのですか?」
「ん いや、何でも無いぞ。よく来てくれたな。
お祖母様は地下室にいて無事だから安心しなさい。
会っていくかね?」
「お祖母様が無事とわかれば安心しました。
今は魔物を先に退治することが大事ですから。」
「ハッハッハッ! パティも大人になったな。」
「お祖父様ったら… うふふ」
エンリケ男爵はパティの頭を撫でている。
パティのその表情はあどけなさがあり、とても可愛らしい。
「パティ、エリカさんはどうしたの?」
「エリカ様は別行動で魔物を退治するそうです。
王女殿下はどうなさいました?」
「彼女もだよ。やる気満々でムーダーエイプに向かっていった。
そろそろ一時間になる。心配だから様子を見に行くよ。」
「私たちも同行します。単独行動は危険ですから。」
「パティ、待ちなさい。王女殿下って?」
「お祖父様、片付いたら説明しますね。
それではマヤ様、参りましょう!」
再びジュリアさんはパティを背負い、三人でヴェロニカがいる街の入り口付近まで戻った。