第百三十五話 出発式
「おはようございます。マヤ様、おはようございます。」
うーん… ローサさんの声か…
昨日の朝みたいにはならないよう、首を起こさずゆっくり目を開けよう。
「おはようございます。」
案の定、鼻の頭同士がくっ付きそうなくらい顔を近づけていた。
わかっていても、綺麗なお姉さんの顔が目の前にあると、ただびっくりしたのとは違うドキドキがある。
だがパティ達の手前、無節操にキスをするわけにはいかない。
「ん… あぁ…」
「今朝は残念です。
旦那がいても、ついうっかり事故でキスをしてしまったということでしたら容認するのですが…。」
「今、残念ですって言いましたよね?」
明らかに待っていたのに、言ってることがむちゃくちゃだ。
昨夜は脱衣所で私の股間を嗅いでいたし、キスより酷い。
「おや? 枕元にあるそれは…セシリア様のおぱんつではありませんか。」
「あっ!」
しまったぁぁぁぁぁぁ!
眺めただけで決して嗅いでないぞ。
「ふふ… マヤ様もなんですね。
私と同じで、理解をして下さる方がいらっしゃるなんて嬉しいです。
セシリア様の香りは女の子のように甘いですからね。
マヤ様がお好きなのもわかります。うんうん」
あんたはセシリアさんのぱんつも洗うついでに嗅いでいたんかい!
なんかいろいろ誤解されているけれど、セシリアさんが部屋にやって来てあんなことをしてぱんつを忘れたとローサさんに言っても余計に面倒くさいから、このままシカトしよう。
「そのぱんつは洗いますので頂きます。
トイレとお顔を洗ってきて下さい。」
さすがにトイレまでは付いて来ないよな。
私がそうしている間、さっさとシーツを剥ぐってもう二度寝が出来ないようになってしまった。
今日は帰るんだからいいけれどね。
下着を替えて、いつもの革ジャンカーゴパンツ女神装備を着る。
勿論ローサさんが手伝ってくれたが…。
脱いだ下着のシャツとパンツをローサさんは手に持っている。
「あの…、それも持って帰りますので…。」
「このままお忘れになるかと思ってました…。残念です。」
「ぇぇ…」
渋々と下着を渡されるその表情のほうが残念だよ。
前回も帰る日の朝、ローサさんに献身的で素晴らしい女性と言った覚えがあるのだけれど、取り消した方が良いかも知れない。
「そうそう、前回お忘れになっていた下着をお渡ししますね。
ちゃんと洗っています。」
そう言うと、給仕服のポケットからスルッとニットトランクスを出し、私に渡してくれた。
うげっ あの時夢を見て出しちゃったぱんつ…
ああ… 今の調子なら当日に絶対嗅いでそう。
たった数日しかお世話になっていないのに、ルナちゃんより私のことを知り尽くされてしまった感がある。
他の人に話すことはしないんだろうけれど、何事も無かったかのようによそおう。
「マヤ様、この四日間楽しゅうございました。
またいらっしゃった時も是非お世話させて下さい。
どうかお気を付けて。」
ローサさんは深々とお辞儀をした。
さっきまで痴女っぽかったのに、今こう丁寧に挨拶されると何故か恐縮してしまうのは私の性格の甘さなのか。
「ありがとうございました。
私よりも旦那さんに興味を持ってあげて下さいね。」
ちょっとだけ抵抗をする返事をしてみた。
「あら…いやですわ。ふふふ
マヤ様がいらっしゃらない時は今より勤務時間が短いんですよ。
だから旦那とは仲良くやってます。」
「ほほぅ、そうでしたか。安心しました。
ローサさんみたいな綺麗でお世話上手なお嫁さんだと、旦那さんが羨ましいですよ。
旦那さん、変わってくれませんかね。」
「まぁっ ポッ」
ローサさんは顔を真っ赤にして両手を頬に当てている。
仕返しのつもりだったが、ちょっと言い過ぎたかな。
また変な誤解されなければいいけれど。
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朝食を頂いて、いよいよ出発だ。
背が高い馬車も入る立派な馬車小屋の前で、セルギウスを召喚する。
「おーい、セルギウスぅ!」
ボヨヨヨヨーン
『おう、やっと出発か。』
「よろしく頼むよ。
ここからマカレーナまで二百六十キロほどあるんだけれど、一日で行けそうか?」
『そうだな。順調にいけば今日中に着くが、余裕を持ってならば一泊して一日半ぐらいかけるのが無難だな。』
「じゃあ無難なコースで行こうか。
今日はメリーダで昼食、カントスで泊まりだ。
メリーダまで七十五キロ、カントスまで百五十キロちょっとあるからそのペース配分でよろしく。」
『おお、今日は計算の用意が良いな。』
「同じ帰り道だし、おまえと一緒の時間も長くなったから、苦労もわかるようになるさ。」
『そう言われると有り難いな。
人参とリンゴも忘れないでくれよ。』
「準備はしてあるさ。」
そんなこんなでセルギウスに馬具を取り付け、馬車と繋げる。
中を見るとまた荷物が増えてるなあ。
ほぼパティの買い物だろう。
将来は無駄遣いをやめてもらわないとな。
そして私達は玄関前に移動した。
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昨日のイレーネちゃんのお見送りは内輪でささやかだったが、今朝は王女のヴェロニカも一緒に出発するせいか、屋敷から総出でお見送りをするからざわつくほど賑やかだ。
こうなると大げさにも出発式が行われることになった。
主役は勿論ヴェロニカだ。
最初にラミレス侯爵が挨拶をする。
「みんな、おはよう。
王女殿下、モーリ男爵御一行は四日間我が屋敷で過ごされ、いよいよ御出発です。
王女殿下はマカレーナで研修のため、モーリ男爵は王都で男爵称号と王国名誉戦士授与の帰りに立ち寄られ、私達はお世話をさせて頂き大変名誉なことであります。
全員が日頃から頑張ってくれたおかげで、ご満足の言葉を頂きました。
これまでの頑張りを無駄にしないためにも、全員が自分の役割を果たして、きちんとルールを守り、いつでもお迎えが出来るように全員が笑顔でこれからもやっていきましょう。
また、モーリ男爵を中心に領地内で魔物の退治が行われ、魔物はほぼいなくなっているという話です。
これは私達にとって感謝極まりないことです。
どうか御一行の、旅の安全を私達で祈りましょう。」
皆から拍手が湧き上がる。
何だか校長先生の挨拶みたいだったな。
短めだったのが救いだ。
どうして校長先生というのはあんなに長い話を考えるのが得意なのだろうか。
次はヴェロニカの挨拶だ。
「あー、皆にはずいぶん世話になった。
魔物はモーリ男爵のおかげでかなり数が減っていることが確認された。
だが他の領地から流れ込んできたり、また新たに発生することは十分に考えられるから、油断をしないようにして欲しい。
私は王都から離れ、しばらくマカレーナへ滞在することにした。
皆もこれから生きていくためには変化もあろう。
その変化を受け入れ、皆も強く逞しく生きて欲しい。
私からは以上だ。」
ラミレス侯爵の何倍もの大きな拍手だ。
イスパル王国ばんさーい! という声もたくさん聞こえた。
王族がこの場にいるということはよくよく考えたら凄いことなのだ。
ヴェロニカはどちらかといえば体で考えるほうだから、スピーチは披露会同様に短いな。
あまりぺちゃぺちゃ喋る方ではないと思ったが、エルミラさんと話しているときはよく喋っているのだからよほど楽しいのだろう。
そして私の挨拶だ。
何も考えていないし、魔物のことは侯爵やヴェロニカが喋ってしまったし、何を話そう。
「えー、皆様大変お世話になり、ありがとうございました。
こちらで熱いおもてなしを受け、いたく感激して心のお土産になりました。
どうか皆様もお元気で。」
……これで終わり? という間が空いた空気が流れ、拍手が湧き上がる。
おもてなしの意味がわかっている人たちの反応は、侯爵、ロドリゴさん、ローサさん、アナベルさん達はニヤニヤし、エリカさんは声を殺しながらクックックと笑っている。
はぁ…、スピーチは昔から苦手なんだよな。
日本でも職場で会議がある時は前の日まで一晩中考えたもんだ。
そういえばセシリアさんの姿が見えないが、どこへ?
私達六人は馬車に乗り込み、ヴェロニカと私は目立つよう御者台に座った。
ロドリゴさんたちがまた楽器を持ちだして、壮行の曲を演奏している。
なんじゃそりゃー
ジャーンジャーンジャーン ジャッチャカジャッチャカジャン♩♩♩
と…戦争に行くような曲だが、まあ確かに移動中でも魔物を倒す可能性は高いので間違いではないよ。でもねえ…。
セルギウスはゆっくり前に進み、私達は屋敷の皆に向かってさよならの手を振る。
「みなさーん! ありがとうございましたぁー!!
お元気でぇーーーー!!」
パティが大きな声で、馬車から身を乗り出して手を振っている。
若い子は元気でいいよねえ。
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門まで進むと、セシリアさんがいたので停止した。
静かなここで待っていたのか。
デザインが前の日と違うが、白いワンピースがとても似合い、哀しげな表情が色っぽく見えて、裸まで見たのにこの人は本当に男なのかと疑うほど美しい。
「マヤ様、皆さん、どうかお気を付けて。」
「セシリアさん、お元気で。」
顔を見に来ただけの短い挨拶だったが、もう何も語る必要が無く通じ合っているのがわかっているからだ。
「セシリア様、たくさん服を買って頂いてありがとうございました!
またご一緒に街を歩きましょう!」
ルナちゃんがセシリアさんにそう声を掛ける。
ああ、あの荷物はルナちゃんのも入っているのか。
「ルナ様、ありがとうございます。
そうですね。また一緒にお出かけしましょう。
それでは皆さん、ご無事をお祈りします。」
私は無言でセシリアさんと握手をした。
か細い手はとても暖かかった。
セルギウスは出発し、馬車は街に出る。
セシリアさんは見えなくなるまで、いつまでも手を振っていた。
セシリアさんと私は、友達という感情をとっくに超えていると思う。
次に会う時はお互い納得できる良い方向になるといいね。
「マヤ、そんな哀しい顔をするな。
これからは私がずっと一緒にいるのだぞ。ふふふ」
「うん、そうだね。
二人でもっと強くならなければね。」
「はっはっは。
マカレーナでの修行が楽しみだな。」
ヴェロニカのことがあった。
結婚のことは後にして、まずガルシア侯爵にどう説明すべきか。
マカレーナへ親書を出そうと思ったが、セルギウスの脚が圧倒的に速いから出しても手紙の輸送馬車どころか早馬すらどこかで追い越してしまうんだよ。
本人やパティが援護してくれると思うが…。
ルナちゃんの処遇のこともあるし、アーテルシアのこともあるし、マカレーナへ帰ったら大変なことばかりだ。
是非ガルシア侯爵の機転に期待したい。